名称(よみ) | 上之国館(かみのくにだて) |
通称・別名 | 上之国館[勝山館(和喜館、脇館)・花沢館(花見岱館)・洲崎館(洲崎之館)] |
所在地 | 北海道檜山郡上ノ国町字勝山他(地図は勝山館を示す) |
天気情報 |
05/30(金) 降水確率:20% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 上ノ国町教育委員会文化財グループ[電話] |
分類・構造 | 城館遺跡群 |
築城主 | 蠣崎氏[勝山館]、安東氏[花沢館]、蠣崎信広[洲崎館] |
築城年 | 15〜16世紀[勝山館]、嘉吉3年(1443)[花沢館]、長禄元年(1457)[洲崎館] |
主な城主 | 蠣崎信広[勝山館]、安東氏[花沢館]、蠣崎氏[洲崎館] |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)[すべて] |
指定文化財 | 国史跡(上之国館跡) |
再建建造物 | 石碑[すべて]、説明板[すべて]、柵、空堀、橋[勝山館] |
2025/05/08 22:22 国府左京大夫城介
洲崎館:コシャマインの戦いで功を挙げた武田信広の館【歴史】長禄元年(1457)に、武田信広が築いた。武田信広は、上ノ国守護であった蠣崎季繁の養女(安東政季の娘)を娶り、蠣崎氏(後の松前氏)の家督を継いでいる。館を築いた際に、「建国の大礼」を行ったとされている。文明5年(1473)頃までに、夷王山の中腹に勝山館を築き、そちらに移っている。なお、この洲崎館は、北海道の館で唯一築かれた年代が明らかな館である。【遺構】勝山館の北東約1.7kmに位置し、海岸に近い場所に築かれた館である。館の内部は未調査のため正確な遺構ははっきりとしないが、砂館神社周辺が主郭にあたり、南郭の部分は完全に民家となっている。主郭には...
2025/05/04 12:47 池田紀伊守信輝
上ノ國八幡宮:創建は、文明5年(1473)松前藩始祖「武田信廣」公が勝山舘(現国指定史跡「勝山舘」跡)に守護神として創祀、舘神(舘神八幡宮)と称した。永正11年(1514)2代光廣が大館(松前)に本拠を移し5代慶廣の時豊臣秀吉・徳川家康によって蝦夷島主と認められ、安東氏より独立するに至り、姓を松前と改め後に江戸幕府下の1藩として位置した。上ノ国は、藩祖草創の地として藩主の直領とされ当社は上ノ国三社「現・夷王山神社、砂館神社と併せて上ノ国三社という」の一社で、松前藩の崇敬殊に厚く、他2社と共に歴代藩主は1代に1度必ず参詣し、毎年正月には藩主名代が代参する慣しであった。現本殿は元禄12年(1699)建立の一間社...
来月度の城主争い戦況
1位 マサハル先輩右大臣さん 16回
2位 かじさん 16回
3位 ぎーすーさん 16回
勝山館(遺構・復元物)
遺構(遺構・復元物)
搦手の構え(遺構・復元物)
堀(遺構・復元物)
井戸跡(遺構・復元物)
ゴミ捨て場・土葬墓群跡(遺構・復元物)
搦手門跡(遺構・復元物)
館神八幡宮跡(遺構・復元物)
石碑(碑・説明板)
搦手の構え(碑・説明板)
客殿のあと(碑・説明板)
中央の通りと櫓門(碑・説明板)
勝山館跡碑(碑・説明板)
伝説荒神堂跡(碑・説明板)
後ろの守り(碑・説明板)
墓群跡(碑・説明板)
夷王山墳墓群のアイヌ墓(碑・説明板)
花沢館(周辺城郭)
洲崎館(周辺城郭)
キネツカ台場(周辺城郭)
テカエシ台場(周辺城郭)
夷王山神社(寺社・史跡)
上ノ國八幡宮(寺社・史跡)
スタンプ(スタンプ)
トイレ(トイレ)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
入口(その他)
上ノ国バス停(函館バス)(その他)
分岐点(その他)
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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