耳の神様(由布大炊助の墓)

耳の神様(由布大炊助の墓)([田中城  寺社・史跡])

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耳の神様(由布大炊助の墓)の口コミ情報

2022年07月10日 国府左京大夫城介


「耳の神様」由布惟明の墓

【由来等】
天正15年(1587)12月に、田中城攻めに参戦していた立花宗茂の配下である由布大炊介惟明は、騎馬の侍大将として先頭に立ち、大手門に攻め込んだ。その前に田中城から躍り出た中村治部小輔が立ち塞がり名乗りを挙げるも、これに応じることなく進んできたため、中村治部が放った矢が胸板を貫き、由布惟明は討ち死にした。
由布惟明は耳が不自由なため、家来が制止する声や、中村治部の名乗りも聞こえず、討ち死にしてしまった。それを不憫に思った村人が、墓を建てて祀ったと云われている。
墓前には「火吹き竹」が献納されており、竹の節に小穴をあけて、火種を吹き付ける道具を耳にもじって、耳の通りがよくなるようにという願いが込められており、由布惟明は「耳の神様」として祀られている。
(説明版及び和水町「八つの神様」より抜粋)

由布惟明は、正嫡家の出身で道雪七家老・第一座の由布家続の次男です。因みに、立花四天王筆頭の由布惟信は庶嫡家なので、同じ由布氏ではありますが、別の系統です。「将士軍談」によると、立花宗茂から柳川に700石与えられていたが、田中城攻めにおいて和仁親範(弾正)によって討ち取られたて戦死している。

どちらが由布惟明を討ち取ったのか正しくは分からないですが、一つ言えることは、田中城攻めにおいて討ち死にしたことは間違いがありません。また、由布惟明が実際に耳が悪いのかは不明ですが、戦場に立つ将が耳が悪いというのは有り得ないと思います。しかし、何らかの理由があって、「火吹き竹」が献納され、それが転じて地元では「耳の神様」として、祀られていることは確かです。

なお、八つの神様とは、和水町にある健康にまつわる神様で、「目の神様」「イボの神様」「胃の神様」「性・腰の神様」「歯の神様」「命の神様」「耳の神様」「手足の神様」となります。


【アクセス】
産交バスで、「桜町バスターミナル」から「山鹿バスセンター」行きに乗り、終点で「南関上町」行きに乗り換え、「三加和総合支所入口」から徒歩30分。
田中城からは、徒歩10~15分。

【写真】
①入口
②説明版1
③説明版2
④由布惟明の墓
⑤幟

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