今津の御船屋敷

今津の御船屋敷([佐賀城  周辺城郭])

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今津の御船屋敷の口コミ情報

2022年07月24日 龍馬備中守【】


佐賀県の佐賀市にある【今津の御船屋敷】♪南流する本庄江川の右岸に立地した今津集落♪

地名の由来は少弐政資が小津の入江に集まった商家の喧嘩を嫌って入江を本庄江に移したついでに小津西岸の在家も移転させ今津と称した事によると伝わります♪

戦国時代には佐賀を流れる嘉瀬川の本流は多布施川でした☆調べてみたらビックリな♪
嘉瀬川の方が古くからあって、多布施川を人工的に作り込んだと思っていましたが、全く逆だった訳です☆まぁそれはさて置きwまたオイオイ調べときます☆
話が曲がってしまいましたので本流に戻しますw
佐賀には多くの川が流れているのですが、FOCUSすべきは佐賀城とその城下町の建設に辺り本流、主流の川は本庄江川、八田江川に変わっていった事♪
多布施川も引き続き重要な川で佐賀城下町の内堀や飲料水として、更には流域集落の灌漑用水として使用されました☆
この多布施川の水は分流した天祐寺川により、本庄江川に注ぎ込み、本庄江川は、その排水と水運を主な機能として、高橋、相応津、丸目を経て有明海に流れ込みます☆
戦国時代より江戸時代にはこの、本庄江川が活躍して行く事になります♪
高橋、厘外津、相応津、丸目、更にこの今津は南流して行く本庄江川に沿い有明海の河口として発達した集落達なのであります♪

さてこの今津は江戸時代には佐賀藩の水軍が置かれた場所でもあります♪本庄江川の河口付近ですから船の出入りが多かった様です☆
佐賀藩の軍船の停泊する今津の御船屋敷が存在しました♪丸目にも船番所が置かれていて警備の武士が監視をしていました♪
対岸の嘉瀬新町との間を渡し舟が往復し丸目の渡しと呼ばれました♪
明治7年、江藤新平が佐賀の乱に敗れて鹿児島へ向けて脱出したのも、この渡しからでした☆

集落内には、佐賀七賢人の1人、副島種臣(明治新政府で参議、内務大臣)のゆかりの地・居住した場所もありました☆
同じく集落内には海童神社⛩もあって明和6年(1769年)の銘の鳥居が残ります♪

川は古来より、人々の生活と直結するものであり、佐賀を洪水や水害から守る為に、分流を繰り返し造り込まれた河川達♪調べてみたら面白かった☆
城郭、城館を探したり、考えたりする時に必ず、ぶち当たるのはやっぱり街道であり、川♪というのを改めて感じさせられた今津の御船屋敷口コミでしたw

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