島原台場(長浜台場)

島原台場(長浜台場)([島原城  周辺城郭])

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島原台場(長浜台場)の口コミ情報

2024年02月08日 龍馬備中守【】


長崎県の島原市にある【島原台場(長浜台場)と三好屋新田】♪場所については現在の猛島神社一帯に設けられていました♪猛島神社付近には3つ台場を設置していて、総称で『大手浜台場』とも呼ばれています♪

安永3年(1774年) 松平忠恕が下野、宇都宮藩から島原藩に国替になっています♪25年ぶりに松平家が島原へ戻ってきています♪
でもでも、寛政4年(1792年)『島原大変肥後迷惑』雲仙普賢岳の大規模噴火により、その周辺の山容は崩れ果て、東裾野に位置する島原藩は甚大な被害を受けています…。。
『肥後迷惑』というのは、この噴火により有明海にまで土砂が流れ込み、津波が発生
この大規模噴火によって、土砂や火災、津波などにより1万5千人が亡くなったとされています…。。これ以降の島原藩は復興事業と復興資金の返済に追われる事となる訳ですが…。。

この頃になると、異国船が頻繁に日本近海に現れる様になります☆
往時は徳川幕府により、鎖国を貫いていた
日ノ本ですから、さぞ驚いた事でしょう☆
後の幕末に向かうに連れ、益々激しさを増していく異国船の出没ですが、この安政頃がその走りとなります☆

島原藩は徳川幕府の譜代大名として、長崎監視の役目も賜っていた為に、港湾防衛に勤めた結果、この『島原台場』という訳です♪
島原藩は島原半島に幾つか台場を設けていますが、瀬詰崎台場もその1つです♪
南側は海峡(有明海)が広がり、更にその南には天草、有明海に進入されたら、肥後熊本、筑後大牟田、柳川、肥前佐賀などにぶち当たる海路な為に強化する必要があった訳ですね♪

相次ぐ異国船の出現は『尊王攘夷』の思想を生み出し、討幕運動へと繋がっていきました☆

同海岸線沿いには三好屋新田の看板が残ります♪この三好屋新田は江戸時代の豪商三好屋が開拓した土地です♪三好屋の中山要右衛門が天保8年(1837年)藩主に内海新田の築き立てを願い出て許可され、新田開発を行いました♪
現在島原台場には、石垣の一部が残っているそうですが、分かりませんでした♪
ほぼ遺構は残りません☆
猛島神社は海に面していて、高まりを見せているのでその名残を見る事が出来ます♪

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