浦戸城(うらどじょう)

浦戸城の基本情報

通称・別名

所在地

高知県高知市浦戸

旧国名

土佐国

分類・構造

平山城

天守構造

型式不明[3重/1591年頃築/破却(廃城)]

築城主

長宗我部元親

築城年

天正19年(1591)

主な改修者

主な城主

長宗我部氏、山内氏

廃城年

慶長8年(1603)

遺構

曲輪、石垣、天守台跡、土塁、堀切

指定文化財

市史跡(浦戸城天守跡附詰東部及び東南部石垣・石塁)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

潮江城(高知県高知市)[6.8km]
木塚城(高知県高知市)[7.2km]
高知城(高知県高知市)[8.0km]
介良城(高知県高知市)[8.0km]
井口城(高知県高知市)[8.7km]
森山城(高知県高知市)[9.3km]
布師田金山城(高知県高知市)[10.3km]
朝倉城(高知県高知市)[10.3km]
吉良城(高知県高知市)[10.6km]
吉田城(高知県南国市)[11.6km]

浦戸城の解説文



浦戸城(うらどじょう、Urado Castle, Urado-jo)は、高知県高知市浦戸(土佐国吾川郡浦戸)にあった日本の城。

戦国時代に長宗我部元親が居城とし、山内一豊も高知城に移るまで居城とした。現在は県の史跡に指定されている。

概要 

高知市南部、桂浜の北部丘陵の浦戸山(標高59m)上に築かれた中世の平山城跡で、土佐湾(太平洋)に面している。浦戸は高知平野の入り口に位置し、紀貫之の『土佐日記』にも浦戸の港として記載されるなど、古来より水運の拠点となる地であった。

古くより城砦があったとされるが、本格的には戦国時代に本山氏により築城されたと考えられている。その後本山氏を滅ぼした長宗我部氏が支城とし、長宗我部元親が大幅に改修した後、大高坂城(現 高知城)より移って居城とした。長宗我部時代には本丸・二の丸・三の丸・出丸で構成されて3層の天守が設けられる大規模な城であり、丘陵北部の浦戸湾岸に城下町が置かれた。江戸時代、長宗我部氏に代わって土佐に入国した山内一豊もまた本城を居城としたが、高知城築城後に居を移したため、廃城となった。

現在は県の史跡に指定されているが、城跡には国民宿舎桂浜荘・県立坂本龍馬記念館が建ち、石垣・堀切の一部を遺構として残すのみである。

歴史・沿革 

初期

城跡のある浦戸山には、鎌倉時代~室町時代初期に城砦が存在していたとされる。天文年間(1532年~1554年)、土佐七雄の一つ本山氏がこの地まで勢力を伸ばし、最盛期を築いた本山茂宗(清茂)により築城された。

安土桃山時代

永禄3年(1560年)、長宗我部国親が長浜の戦いにて本山氏を破り、長浜城と共に本城を支配下に収めた。戦国時代末期、岡豊城を主城としていた国親の子・元親は、天正16年(1588年)大高坂山(現在高知城のある山)に城を移したが水害が多く、3年後の天正19年(1591年)、浦戸城をそれまでの海からの防衛を主とした山城であったものから、水陸両面からの防衛を重視した本格的な城郭に改築し、居城とした。本丸・二の丸・三の丸・出丸から構成され、五間四方3層の天守も備えられていた。慶長4年(1599年)元親が死去し4男・盛親が家督を継ぐ。翌年の慶長5年(1600年)、盛親は関ヶ原の戦いで石田三成方(西軍)に付いたが敗北し、長宗我部氏は改易された。

江戸時代

同年、山内一豊が代わって土佐藩主となったが、一領具足と呼ばれる長宗我部旧臣の抵抗に遭い入国出来ない状態であった。10月19日、幕府の命を受けた井伊直政が家臣の鈴木平兵衛・松井武太夫を城の受けとりに赴かせたが、長宗我部氏の旧臣は「浦戸一揆」と呼ばれる50日間に及ぶ頑強な抵抗を行った。結局、策謀によって鎮圧され、城内の273人の遺臣は殺害された。翌年の慶長6年(1601年)1月になってようやく一豊が入城した。しかし、この地では手狭であると感じ、同年8月より高知城建設に着手。慶長8年(1603年)完成し移ったため浦戸城は廃城となった。

遺構 

廃城後は山内氏による高知城築城に資材が使われ、さらに国民宿舎桂浜荘と坂本龍馬記念館が建築されるにあたり破壊された為、現在、遺構と呼ばれるものは殆どない。本丸石垣の一部と二ノ丸付近に3条の堀切が僅かに残り、石碑が建っているのみである。桂浜荘と龍馬記念館の建つ辺りが本城となる。1995年、桂浜荘改築に付随して城跡の発掘調査が行われたが、その結果詰(本丸)付近から出土した瓦の質が岡豊城などの瓦と比較して低いことが判明した。この結果を受けて、浦戸城は朝鮮出兵に備えて築かれた臨時の拠点であり、将来的には大高坂山城(高知城)に本拠を戻す予定があったとする説も出されている[1]

天守台跡
天守台跡には大山祇神社と城八幡の祠が残るのみである。天守台への入口横には浦戸城址碑と案内板が立てられ、移築された石垣の一部がある。

三の丸跡
道路脇に石碑・案内板が立つ。

周辺 

土佐湾
  • 浦戸湾
    • 桂浜
    • 浦戸大橋
    • 種崎造船所 - 長宗我部時代から続く造船所。

浦戸山山頂・麓
  • 国民宿舎桂浜荘
  • 高知県立坂本龍馬記念館
  • 土佐藩砲台跡
  • 一領具足供養の碑・六地蔵

長宗我部氏関連
  • 長宗我部元親墓所
  • 雪蹊寺 - 四国八十八箇所第30番札所。長宗我部氏の菩提寺で、長宗我部信親(元親嫡男)墓が立つ。
  • 若宮八幡宮 - 元親が戦勝祈願を行った。現在元親初陣の銅像が立つ。
  • 岡豊城

交通アクセス 

  • 市中心部からとさでん交通バス(花海道経由桂浜行き)龍馬記念館前バス停下車すぐ。
  • 無料駐車場あり(桂浜荘・龍馬記念館前)。

参考文献 

  • 【書籍】「定本 日本城郭事典」

浦戸城の口コミ情報

2023年11月06日 RED副将軍
浦戸城



四国を制圧した長宗我部元親の本拠地🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。鎌倉時代または室町時代に砦の様なものが存在していた云われています。
天文年間(1532年〜1555年)には、土佐七雄のひとつにも数えられる本山城の本山清茂が勢力を伸ばして浦戸に城を築いたとされます。
しかし、1560年に長宗我部国親の侵攻により落城。長宗我部氏の属城となり、長宗我部親貞を城監として配し水軍の拠点としました。
1585年、長宗我部元親は大高坂(現在の高知城)に新たに築城し、岡豊城から居城を移そうとしましましたが水害のために断念し、浦戸城に三層の天守を設けるなど大改修を行い居城としました。
1600年の関ヶ原の戦いにおいて長宗我部氏は西軍に付いたため改易となり、土佐には山内一豊が入封。
山内一豊は浦戸城に入城しようとするも、長宗我部氏の遺臣が抵抗し一揆が勃発。しかし一揆は鎮圧され山内一豊は浦戸城に入城。すると直ぐに大高坂に高知城の築城を開始。1603年に完成した高知城に居城を移すと浦戸城は廃城となりました。

見所
桂浜の背後にある浦戸湾に突き出た岬に築かれており、現在は桂浜荘や坂本龍馬記念館の敷地となり遺構の大半は消失。
山内一豊が高知城の資材に転用をしたともされ、元々、破却の程度も大きかったかもしれません。
天守台跡には大山祇神社が鎮座し、天守台入り口に城跡碑と本丸跡から移築された石垣が積まれています。
また、西側の二ノ丸へて続く尾根筋は遊歩道となり、脇に三条の堀切が残ります。

2023年10月08日 オルガン大宰少弐小僧
浦戸城



坂本龍馬記念館の真横に天守跡までの入り口あり。見事に何も残っていないが記念館の中に浦戸城の資料の展示もあるので楽しめる

2023年07月26日 熊本の和田一浩
浦戸城



桂浜のすぐ近く、石碑も立っているのでわかりやすいと思います。写真は桂浜です。

2023年02月28日 尼崎城阿波守一口城主
浦戸城



1月6日、登城。高知城下城後にアーケードを抜けて南はりまや橋のバス停🚏まで行き、桂浜行きのバスに乗車🚌高知県立坂本龍馬記念館前で下車し坂道を上がっていくと龍馬記念館の駐車場前に石碑と天守跡登り口がありました(写真①)。登り口から約1分で頂上の山祇神社⛩に到着(写真②③)天守跡から下りて周辺を散策してみるとお城の遺構と思われる石垣がありました(写真④⑤)。
龍馬さんとシェイクハンド🤝(写真⑥)した後、記念館に入館。館内には浦戸城関連のコーナーもあり、読んでいると土佐初の天守を備えたお城との説明がありました。記念館を出て桂浜を散策し(桂浜案内図:写真⑦)当日どうしても見たかった龍馬像を見学に行きました。正面からの写真も良かったのですが階段を下った所から撮った写真(写真⑧)も良かったです📷

2023年02月18日 兵庫のピーちゃん
浦戸城



坂本龍馬記念館の前に石垣が見え小高い繁みのなかに、上に、上がる登り口があります。少しあがると祠が見えます。

2023年01月22日 左衛門督シャア
浦戸城



坂本龍馬記念館前に有ります。ちょっと登るだけで天守跡の神社が…

2022年11月19日 ㊉ちょw安芸守っw
浦戸城

土佐高知の桂浜。坂本龍馬記念館の入口の前にある小山に浦戸城跡があります。
元々は長宗我部氏の居城ということで、2km少々離れた鎮守の森公園には長槍を持った長宗我部元親公の立像があります。

2022年09月25日 戸沢夜叉九郎正樹
浦戸城



桂浜にある坂本龍馬記念館がちょうど城跡になり、天守台跡が僅かですが残っております。又、記念館の裏の海が見える展望台に城の井戸跡があります。

2022年07月21日 チェルタロ
浦戸城



桂浜、龍馬記念館の目の前にあります。ごく僅かですが城の一部が残ってます。

2022年02月13日 数珠丸恒次権大納言ヒロティー
浦戸城

坂本龍馬記念館があった場所が城跡となります。駐車場に少し石垣が残ってます

2022年01月30日 みなみ
浦戸城

海に面して眺めも良く、正に太平洋を臨む素晴らしい場所だと思います。

2022年01月10日 土佐香美真乃佐
移築石垣[浦戸城  遺構・復元物]



いまは、天守跡しか残ってないので残念だけど、当時の痕跡を想像すると状態が把握できる‼️

2022年01月08日 まいける弾正少弼
浦戸城

今、龍馬記念館が建つ場所に浦戸城がありました。浦戸城の石碑がなければ城跡だと気づくことなくスルーしてしまうかもしれません。城の南側は桂浜となっており、自然の地形をうまく使った城となっています。

2022年01月02日 蔵人頭マックイーン
浦戸城



桂浜から徒歩数分。県立坂本龍馬記念館の入り口の広場の向かい側に、石碑と天守跡に向かう石段があります。桂浜観光と合わせてどうぞ。

2021年11月29日 水野讃岐守祐利【7】
浦戸城



長宗我部氏の城。坂本龍馬像のある桂浜にあります。

坂本龍馬記念館正面向いのこんもりしたとこが浦戸城天守があったとされる場所で、今は小さな祠が鎮座しています。

一見規模が小さいと思われがちですが、記念館やホテル、更には桂浜の坂本龍馬像のあるあたりまでが城域だったみたいです。言われてみれば、たしかに坂本龍馬像あたりまで土地の起伏があり、城の一部としたら納得の地形です。

海に面し、海路による物資輸送も盛んに行われたと思います。

2021年11月17日 つか征夷大将軍
長宗我部元親公墓[浦戸城  碑・説明板]



長宗我部元親公のお墓があります。手前には家臣を祀った兵士の塚があります。

2021年11月17日 つか征夷大将軍
長浜城[浦戸城  周辺城郭]



本山氏のお城で長宗我部元親が初陣で落としたお城です。竪堀等が有ったようですが整備はされてないみたいです。

2021年11月17日 つか征夷大将軍
秦神社[浦戸城  寺社・史跡]



長宗我部元親の菩提寺だった雪蹊寺が廃仏毀釈により廃寺になった時に木像等をこちらに移設した後に元親公を祀る神社になったようです。
戸次川の戦いの戦没者名評もあります。

2021年11月17日 つか征夷大将軍
稲荷大明神[浦戸城  寺社・史跡]



浦戸城の縄張図に稲荷と書かれている場所にありますが特に説明文等がありません。

2021年11月17日 つか征夷大将軍
長宗我部元親銅像[浦戸城  碑・説明板]



長宗我部元親の初陣である本山氏の長浜城攻めの時に陣を置いたとされる若宮八幡宮の参道にあります。また馬防柵や土塁の再現もあります。

2021年06月05日 十和主殿助邦花
浦戸城

浦戸城址に建つ国民宿舎「桂浜荘」は、2021年9月末で休館する見通しになったそうです。
新型コロナウイルスによる利用客減少を背景に、高知市と指定管理者の「市桂浜公園観光開発公社」が2024年度までとしていた契約を解消する事で合意。
再開のめどは立っていませんが、コロナ禍収束後に新事業者を公募する可能性は残っているようです。

2021年05月09日 刹那F精鋭渡島守【感謝】
井戸跡[浦戸城  遺構・復元物]



浦戸城井戸跡です。駐車場の南東側にありました。

2020年03月09日 織田上総介晃司
浦戸城

国民宿舎か坂本龍馬記念館の駐車場に停めると浦戸城の天守台が近いです。

桂浜もあり観光地化しているので遺構の大半なくなっております。

国民宿舎の建て替えの際、出土した石垣が天守台そばに移築復元。国民宿舎の敷地内の2ヶ所あります。

西側の二ノ段と三ノ段の間に3条の堀切。
更に三ノ段には最近発見された畝状竪堀が隠れキャラのように存在します。

桂浜の坂本龍馬像は浦戸城の出丸チックな曲輪跡にあるのです。


2019年07月09日 mimi 駿河守
浦戸城

お隣の桂浜荘で 龍馬さんのカフェマキアートがいただけます。
記念館見学と攻城後に桂浜を見ながら如何ですか。

2016年12月30日 権大納言土佐っ子
浦戸城

混雑時には駐車場の警備員さんがおりますが、お城を見に行くと言えば国民宿舎の駐車場に停めさしてくれます。龍馬記念館に行くと下の方になるので少し坂を登ります。まぁ大して違いはないですが。

2016年01月02日 まるき〜陸中守
浦戸城

黒潮ライン、海沿いから少し上がった所に坂本龍馬記念館があり、その前に見える石垣は模擬、建物を建てる時に破壊され後に積み直された物。駐車場の端に浦戸城の城跡碑と案内、説明、天守跡への階段があるが車が停まっているとわかりづらい。
歩いてわずか1分、天守跡とされる空間には山祇神社という小さい祠があるのみでした。

近くに一領具足と呼ばれる長宗我部の旧臣が処刑された霊を鎮めるための六地蔵が黒潮ライン沿いにあるので合わせて観ておきたい…




2014年12月23日 左京進左門
浦戸城

浦戸城跡開発の変遷
明治33年:詰めの段南東下の南、二の段に灯台が移設され、削平される。
昭和32年:観光地化のため道路新設。城跡南斜面が道路に。
昭和33年:展望台建設によって二の段削平。二の下の段に宿泊施設建設。
昭和39年:詰の段に国民宿舎、ヘルスセンター開設。道路の建設のため天守台西斜面下と南斜面下および南東に伸びる尾根が削平。
昭和47年:浦戸大橋と有料道路建設により、二の段西南斜面が削平。
平成3年:ヘルスセンター跡地に龍馬記念館建設。建設途中に遺跡調査が入り、建設工事によりすでに壊されていた遺跡から瓦を発掘。
平成5年:国民宿舎改築工事が行われるにあたり、石垣がいくつか発見される。(すでに以前の開発で壊されていたものもある)石垣はそれぞれ移築して展示、保存展示、埋戻しがなされた。
これまで以上のような観光開発が行われ、城山は一部破壊されている。平成26年12月現在、龍馬記念館の新館建設が予定されている。


2013年11月29日 清水若狭守龍親
浦戸城

元親が安芸国虎攻めにあたり、兵力増強に思いついたのが「一領具足」である。一領具足とは屯田兵のことである。平素は田を耕し、城から動員の貝が聞こえわたってくると、クワ・スキを放り出し、その場から出陣していく。具足は一領、馬は替馬なしの一頭で戦場を走り回るため、「一領具足」という呼称ができた。慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦で破れた長宗我部氏は、土佐を取り上げられ、その後山内一豊が入国した。浦戸城明け渡しを拒んだ旧臣の一領具足たちは、重役家臣団と対立して戦い、このとき討ち取られた273人の首は大阪に送られ、胴体は石丸塚として一領具足供養の地に葬られた。この戦いを浦戸一揆という。

2013年11月13日 清水若狭守龍親
浦戸城

鎌倉時代から南北朝時代までの間に、在地領主の城館が営まれていたと考えられているが、詳しい起源は不明である。建武三/延元元年(1336)に、この地を巡って南北朝勢力が争ったことが記録に残っている。浦戸城の本格的な中世城郭としての歴史は、北から勢力を伸ばした本山茂宗(梅慶)が、天文年間にこの城を整備したことにはじまる。梅慶は、浦戸湾を挟んで対岸の種崎城に進出した長宗我部と対峙するため、浦戸城を取りたて、長浜城を新たに築いた。永禄三年(1560)、兵糧を積んで種崎城へ向かった長宗我部氏の船が、本山氏側の潮江城の兵に襲われたことから、両氏の関係は悪化し、五月二十七日の長浜戸の本の戦いへと発展した。長宗我部元親の初陣でもあったこの戦いで、長宗我部軍が勝利し、梅慶の子茂辰は浦戸城へ逃げ込んだ。国親は、陸には柵を設け、海には船を並べて浦戸城を包囲した。たちまち城中の兵糧は窮乏したが、国親はやおら囲みを解いて種崎城へ引き上げ、岡豊城へ戻った。囲みを解かれた茂辰も、兵をまとめて朝倉城へ退却した。浦戸城には国親の次男親貞が入ったが、国親はそのまま岡豊城で歿し、跡を元親が継いだ。

2010年12月02日 June02
浦戸城

浦戸城近く県道34号線?沿いに、元親公墓所があります。
道路に道標があり、桂浜線路線バスの停留所として、『元親公史蹟趾』名であります。
停留所から10分強だったと思います。

2010年09月13日 tomm加賀守
浦戸城

国民宿舎前に看板や移築保存されている石垣があります。
また桂浜に向かう車道沿いにも浦戸城の石碑があります。
桂浜の有料駐車場が嫌な方は、少し歩きますが坂本竜馬記念館の無料駐車場を利用するといいですよ

浦戸城の周辺スポット情報

 井戸跡(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 三ノ段下(遺構・復元物)

 二ノ段(遺構・復元物)

 三ノ段(遺構・復元物)

 移築石垣(遺構・復元物)

 浦戸城天守跡(遺構・復元物)

 案内板(碑・説明板)

 長宗我部元親銅像(碑・説明板)

 長宗我部信親墓所(碑・説明板)

 長宗我部盛親慰霊碑(碑・説明板)

 長宗我部元親公墓(碑・説明板)

 浦戸城跡碑(碑・説明板)

 浦戸城跡説明板(碑・説明板)

 浦戸城天守跡(碑・説明板)

 浦戸砲台(周辺城郭)

 長浜城(周辺城郭)

 池城(周辺城郭)

 稲荷大明神(寺社・史跡)

 秦神社(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 長宗我部元親公墓の駐車場(駐車場)

 坂本龍馬像(その他)

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