新庄山城

新庄山城([沼城  周辺城郭])

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新庄山城の口コミ情報

2024年03月18日 RED副将軍


沼城に移るまで11年間の宇喜多直家の居城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

応仁年間(1467年〜1469年)に新庄氏により築かれたと云われます。
新庄氏は藤原北家の庶流とされ、応仁の乱では西軍の山名氏に属して細川氏と戦うも敗れたため、細川氏に仕えた赤松氏に属したとされます。
赤松氏が衰退した後は浦上氏家臣であった亀山城(沼城)の中山信正に仕えました。この頃に亀山城の支城として新庄山城が築かれた様です。
1549年、乙子城の宇喜多直家は戦功として奈良部に領地を得て新庄山城へと移ります。城主であった新庄安政は竹原城を築いて移りました。
1559年、宇喜多直家は謀反の噂があるとして中山信正を謀殺。さらに新庄安政の竹原城にも侵攻し落城。新庄安政は自刃となりました。
宇喜田直家は亀山城(沼城)へと移り、新庄山城には家臣を城番に置きましたが、1597年に岡山城を築き、備前を平定すると新庄山城は廃城となった様です。

見所
砂川西岸の標高135mの新庄山に築かれています。
ピークに主郭を置き、現在は石鉄神社が鎮座しています。
主郭から南の尾根に4段の郭が配されていますが、ハイキングコースとなり堀切は埋められ土塁もほとんど分からない状態でした。

行き方は、三徳公園を目標に設定。ゴルフ練習場を越えて川を渡ると登城口があり、城跡碑と説明板があります。比高は117mですが整備された道がついているので20分かからない位で辿り着きました。

宇喜多氏の城巡りとして訪れましたが、乙子城→砥石城→新庄山城→沼城→岡山城の順に巡ると如何に下剋上したのか分かると思います。

2023年03月06日 龍馬備中守【】


岡山県の岡山市にある【新庄山城】♪砂川の左岸、標高135mの新庄山のピークに城郭は築かれました♪
宇喜多家の所縁の城となります♪
眼下には砂川が流れ北は砂川流域の平野部が広がり、南東側には吉井川が流れる要衝地であります♪

新庄山城は応仁年間頃(1467年〜1469年)新庄氏が築いたと云われています♪宇喜多氏が所領する前の沼城・城主である中山信正の家臣、新庄助之進の居城です♪
沼城の支城群の1城となります♪

乙子城を本城とした宇喜多直家は砥石城を攻略(砥石城の戦い)☆この戦いは宇喜多氏🆚宇喜多氏の戦いでもあります☆往時の砥石城の城主は宇喜多大和守☆宇喜多大和守は浦上政宗(兄)に味方しました☆一方の宇喜多直家は浦上宗景(弟)に味方していて、浦上宗景は宇喜多直家に、砥石城を攻撃させています…☆
砥石城を落城させた宇喜多直家が、浦上宗景より恩賞として与えられたのが、新庄山城です☆

浦上兄弟の備前の覇権争いは10年以上繰り広げられています☆この間に国衆達は巻き込まれています☆後に備前国に台頭し頭角を現す宇喜多直家は沼城の中山信正を謀殺☆因みに中山信正の娘は宇喜多直家の正室です。。

『播磨浦上事、如御存知、兄弟不和に候つるか、・・・就夫渦中之者、一両人生害さセ候由候。』豊後国の大友宗麟の書状が往時の備前国での混乱を想像させます☆

城郭としては、現在、新庄山はハイキングコースになっています☆後に改変されたのでしょう☆明確な遺構は確認が取れませんでした☆主郭スペースには鉄石神社が鎮座します♪一段下には副郭と思われる、削平地☆堀切が一条あった様ですが、分かりませんでした☆吉井川、北には砂川流域の平野部♪西側には岡山平野が広がる場所☆監視を目的とした砦だったのでしょう♪

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