赤埴下城

赤埴下城([赤埴上城  周辺城郭])

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赤埴下城の口コミ情報

2024年05月06日 RED副将軍


詳細不明の赤埴氏の支城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

赤埴下城(あかばねしもじょう)と読みます

築城年代等の詳細不詳。赤埴氏の支城とされます。
赤埴氏は三輪神社の神官を務める古代豪族大神氏の一族であり、興福寺大乗院門跡領に含まれた赤埴荘の荘園下司に任じられたのが始まりとされる在地土豪です。
南北朝時代には南朝方に付いたとされ、赤埴上城を居城としていました。
1576年に北畠氏が滅亡すると、赤埴信安は筒井氏に従いましたが、1584年に筒井順慶が死去すると翌年には嫡男の筒井定次が伊賀に転封。代わって宇陀松山城に入った福島孝治に赤埴安忠は従いましたが、その後に帰農したとされます。

見所
赤埴上城から北西に約600mの西へ伸びた尾根先端部に築かれています。
尾根先端に東西に長い主郭を置き、西側は二重堀切で遮断。東側は一条の堀切で区切った先に二郭があります。
主郭の北側に帯郭が付いています。

行き方は、仏隆寺を目標に設定。ロードサイドの入口に駐車場があり、その上の道路脇から簡単に入城できます。
ロードサイド沿いで比高無しのお手軽物件です。
赤埴上城への道中でもあるので併せて訪城してください。

2020年07月30日 イオ左衛門佐


詳細は不明ながら、赤埴上城の支城として築かれたと考えられます。

東西に細長い主郭と堀切をはさんだ東の曲輪で構成され、主郭の北下には帯曲輪、西側の尾根は二重堀切で断ち切っています。東の曲輪の西側は堀切、東側は切岸になっており、登城口からは東の曲輪が眼前にそびえ立って見えます。

近くにある仏隆寺前駐車場(無料)に駐めさせてもらい、道路を少し上っていくと道路脇からすぐに登城できます。
小さな城で30分もかからずに見て回れますし、赤埴上城に行く途中にありますので、あわせてどうぞ。


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