永原城(ながはらじょう)

永原城の基本情報

通称・別名

(永原御殿)

所在地

滋賀県野洲市永原1093

旧国名

近江国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

永原氏

築城年

室町時代

主な改修者

徳川幕府

主な城主

永原氏

廃城年

貞享3年(1686)

遺構

曲輪、土塁、櫓台、横堀、石垣

指定文化財

国史跡(永原御殿跡及び伊庭御殿跡)

再建造物

周辺の城

桜生城(滋賀県野洲市)[2.3km]
小堤城山城(滋賀県野洲市)[3.6km]
星ヶ崎城(滋賀県蒲生郡)[3.9km]
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芦浦観音寺館(滋賀県草津市)[8.1km]

永原城の解説文

永原城(ながはらじょう)は、滋賀県野洲市永原にある平城。江戸時代には永原御殿(御茶屋御殿)が築かれた。

歴史 

築城年代は定かではないが、永原氏によって築かれたとされる。永原氏は馬淵氏の家臣だったが、戦国時代後半から近江守護・佐々木六角氏の直臣となり、近江有数の武家へ成長した。

やがて永原氏は六角氏を離れて織田信長に従い、佐久間信盛の配下となった。これを機に、永原城も佐久間氏の支配下に置かれたとみられる。

江戸時代になると将軍専用の宿泊施設として永原御殿(御茶屋御殿)が築かれた。しかし将軍の上洛がなくなると不要となり、貞享2年(1685)に廃止された。

遺構 

永原城は、約100m四方の曲輪が4つ連続した大規模な平城だった。曲輪の外側には土塁や堀がめぐり、一部には石垣も確認されている。周囲には見星寺、常念寺、福泉寺などがあり、家臣の屋敷や町家が広がっていたようだ。

江戸時代に築かれた永原御殿は城のような姿で、造営当初は、方形の本丸の前面に方形の二の丸が置かれ、周囲には水堀がめぐっていたという。本丸の南東部に御門、南面中央に御矢倉門が構えられ、本丸の四隅には櫓が建っていた。寛永年間(1624~1644)以後に描かれた絵図では、二の丸の南から本丸の東にかけて、三の丸が増設されている。

徳川家康は京都においては伏見城を居城とし、慶長8年(1603)の将軍宣下も伏見城で受けている。このため京・江戸間の街道整備と宿泊施設の整備が行われ、御茶屋御殿と呼ばれる宿泊施設がつくられた。永原御殿はそのひとつで、朝鮮街道の西側に設けられた。

慶長6年(1601)に家康が宿泊し、以後将軍上洛に際して入京前夜の宿所として寛永11年(1634)までに10回も利用されている。寛永11年の徳川家光の上洛に際は改修が行われた。

浄専寺の表門は、御殿の門を移築したものと伝わる。

交通 

・名神高速道路栗東ICから車で約30分

参考文献 

・『近江の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2006年。
・現地案内板。

文:萩原さちこ


永原城の口コミ情報

2024年05月02日 釆女正佐吉。
永原城



全国10950人の徳川ファンのみなさんこんばんは!
お姉さんある日、徳川三代将軍の宿泊所、国指定史跡永原御殿の発掘調査現地説明会に、レッツらゴーしてきたよ♪
もう、ワクワク☆徳徳だよ~~ッ!!

なんだけど。
1度目の現説、雨天中止。
2度目の現説、前回にも増して雨降り!でも現説やっちゃう♪……お姉さん、水も滴るイイ女に、なっちゃったよ~~ッ(雨女とは、言わないで)

さて、現説前に野洲市長と地区会長のご挨拶。2回とも雨だから「雨降ったんアンタのせいや!」 て、まるで夫婦漫才。市長は元々この地区の自治会長を務めてたそうで(だから息ピッタリ)、 永原御殿を盛り上げようとご尽力されてきたそうだよ。おしり探偵見習いお姉さん、市長に俄然興味が湧いて帰宅後早速レッツ検索♪Wikipedia見たらマジで吹いた。こんなん子どものケンカやんwみんなももし時間があれば、レッツ検索♪してみてね。(悪い人では無いと思う…)

思い返す事数年前、前回永原御殿に来たのは寒い冬だった。現地講座での10㎞超の野洲歩き、メインの永原御殿で地域の方々が温かいぜんざいを振舞って下さった。そして今回もコーヒーをご用意して下さってて体も心もほっこり。その上新たに永原御殿の紙芝居もできてたの。これが秀逸で。レトロな絵とおばあちゃんの語りが素晴らしい。音声は聴けないけど 「永原御殿 紙芝居」で検索すると見られるから、レッツ検索♪だよ。
とにかく、現説や見学会でここまでおもてなしして下さる地域はなかなかないよ。ここ妓王地区には永原御殿だけじゃなく、御殿の門を移築したと伝わる浄専寺、平清盛がポイ捨てした (言い方)白拍子妓王らの菩提を弔うために建てられた寺と伝わる妓王寺などもあるから、みんなもぜひ訪れて。

さて、説明してくださるのは野洲ではおなじみ、野洲市教育委員会の福永さん。お姉さん、事前に行われた座学にも参加してるから予習はバッチリ!永原御殿を3行でまとめちゃう!

元は六角氏の重臣永原氏が築いた永原城。江戸時代に将軍専用御殿に生まれ変わって徳川三代将軍が宿泊したよ。でも上洛する必要が無くなって、1685年に廃止ぴえん。

永原御殿では、平成29年から総合調査が行われているんだ。 京都御大工頭だった中井さん家に永原御殿指図が6鋪残されてて、コレが最高!現在でいう間取り図で、ここは玄関あそこが広間であっちが台所、って全て描かれてる。 指図に描かれた場所を掘れば、ほぼその通りに礎石など痕跡が出てくるし、精巧な復元模型も作れちゃう! (模型は野洲市歴史民俗博物館にあるよ)
令和5年度の発掘は御休息所(家光の寝室)と御雪隠(家光のトイレ)の発掘だったから、おしり探偵見習いお姉さん、俄然興味が湧いちゃった!御休息所で発掘されたのは、建物の柱を支える礎石1個、根石5カ所、縁束石6個だよ。
御雪隠の方は、福永さんも壺や瓶など出てこないかと期待したそうだけど、残念ながら発掘されなかった。漆を塗ったおまる的な箱に排泄してたと思われると仰ってたよ。
おまるに座る将軍。…フーム、においますね。

発掘遺物は、将軍の御殿だもん、高価な茶器の欠片でも発掘されたんじゃないかしらん!?と期待したけど、瓦の欠片くらいだったよ残念…。永原御殿は焼失や破城した訳じゃないから、宿泊所としての利用が終わったら、別の場所に持ってっちゃうんだね。礎石まで持ち出してるんだから、徳川家はかなりの締まり屋だよ!(知らんけど)

ちなみに、永原御殿では発掘体験もできるんだ。「国指定史跡で発掘ができるのはここくらいだと思います」てにこやかに仰ってた。お姉さんはもう、発掘する気満々だよ!野洲市HPやチラシ等で告知されるから、みんなも発掘体験するっきゃナイト♪だね!

今回の現説には、杖をついた白髪の白人マダムも見学に来てた。お姉さん、それとなく傍に行き、通訳?らしき男性と話してるのを耳をそばたてて聞いちゃった。
通「メニーワァイフ」
マ「ウォフゥ〜w」(わかるわぁw…やあね男って!ホントどの国も一緒だわ!COOL JAPANのSHOGUNと言えども、ただのオスねっ!)
注:()書きは妄想です。

2024年02月28日 ジョウ陸奥守
永原城

現在、本丸内は、整備中(工事中)の為、入る事ができない状態です。たまたま現場にいた市の職員に確認した所、三月末までの予定とのことで、詳細は市のホームページにて確認して頂きたいとの事でした。

2023年11月21日 ゆらキング⭐️左衛門佐信繁
永原城



徳川将軍の御茶屋御殿として整備された。
現在は一見竹藪だが、土塁がしっかり残されており近年発掘が始まっています。

2023年09月10日 近江守フロクニ
永原城



数年ぶりに接近。南東の角にコンテナハウスがあり、近年の調査の結果などが展示してあってリアルで来て良かったと思いました。

2023年07月07日 主計頭RedKing
永原城



そうなんです。今年の出張!お城EXPOin滋賀・びわ湖2023のポスターに描かれた、近江富士を仰ぎ見て将軍のお籠の行列が京の都に上る前日に、愈々謁見を前に色々と準備をしたであろうお屋敷の鳥瞰図です。もう野洲市のホームページに調査の成果やこれを機会とする市民イベントがいっぱいです。

2021年07月13日 北風
永原城



野洲市と言えば銅鐸、近江富士や湖南市との境の方です。湖畔近く菖蒲漁港の方には兵主神社が鎮座します。元々野洲郡野洲町は近江商人のルーツの一つ日野を源とする日野川と東海道に並行する野洲川に挟まれた低平地でした。この山の麓を中山道が貫いていました。宿場の中心からも街道からも離れた田圃の中に築かれたようです。城か神社かどちらが先か二社に挟まれています。

2020年11月23日 芦屋能登守虎吉
永原城

徳川家の御殿跡で、家康が7回宿泊した場所のようです。全体の面積は小さいながら、本丸周辺の土塁高さなどはなかなか見応えがあり、水堀跡も残っています。

2020年11月05日 別損山城守雪舟994重砲隊
永原城

他の方も書かれていますが、見学可能な場所は竹藪が刈り取られ、案内板も設置されていますが、基本的には私有地だと思います。不法投棄などもあるらしく、看板が設置されていますので、その辺よろしくお願いします。見学の際は、藪で作業されている方に一声かけられた方がいいと思います。

2020年03月14日 課長大和守Ver.B
永原城

御殿跡には2ヶ所に説明板がありますが空き地奥に建つ平成25年版は「私有地につき立ち入りはご遠慮下さい」の文言、もう1つの本丸虎口脇の平成30年版には上記のような文言はありませんでした。
内部は樹木が伐採され各遺構には手製の札もあることから現在は見学自由と思われます(あくまで自己判断ですが…)。
ただ、主要部以外の二ノ丸等では竹木が繁茂しており石垣がある所も農地となっていますので立ち入りは注意されたほうが良さそうです。

2019年03月17日 ( *¯ ³¯)っ旦
永原城

永原北の信号を土安神社の方へ。土安神社に車を停めさせていただき賽銭を奮発してから( ☜これ大事!)永原城に沿って歩くと右手に入り口があります。石碑がある所は入り口ではありません!( ☝︎フェイントです!)

暖かい時期は綺麗な水、竹などから蝮が出るかもしれません。ヤブ蚊、蜘蛛の巣城は確実ですな…

2018年02月14日 源越中守@ポンコ2…
永原城

以下時事通信ニュースより

滋賀県野洲市教育委員会は、徳川家康、秀忠、家光が宿泊施設として使った「永原御殿跡」で、寝室のほか、望楼か茶室とみられる建物跡を確認したと発表しました。いずれも御殿内部を描いた絵図とほぼ一致しているそうです。

永原御殿は3将軍の上洛に際して使われ、本丸と二の丸、三の丸で構成。家康が建築し、家光が本丸拡大などの大改修を手掛けました。家康は7回、秀忠が3回、家光は2回宿泊してます。

昨年8月以降、本丸の一部を初めて発掘調査。中央部の南北12m、東西7mの区域で柱を支えた礎石などを見つけたほか、西側の南北4.8m、東西4.5mの区域でも礎石などが出土しました。

2015年06月21日 源越中守@ポンコ2…
永原城

御殿跡の西側には石積みが残り、御殿の門が市内の浄専寺に移築されてます。
また、草津の芦浦観音寺に観音寺書院も移築されたものと言われてます。

2011年08月02日 古楽侍従広家
永原城

将軍が京に向かう道中にある御茶屋御殿のひとつ。

ここは、外郭の水濠の跡が半分以上その形がわかるように残っているそうです。

でも、中の部分は藪に覆われて、入ることもままなりません。せっかくの史跡なのにもったいないです。

地域の案内地図に唯一ある遺構は石垣が見れることでした。

永原城の周辺スポット情報

 移築門(遺構・復元物)

 御亭跡(遺構・復元物)

 坤角櫓跡(遺構・復元物)

 乾角櫓跡(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 木村城(北村氏館)(周辺城郭)

 妓王屋敷(周辺城郭)

 駐車スペース(駐車場)

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