淡河城(おうごじょう)

淡河城の基本情報

通称・別名

上山城

所在地

兵庫県神戸市北区淡河町淡河字水井740-1

旧国名

播磨国

分類・構造

平山城

天守構造

不明(天守台あり)

築城主

淡河成正

築城年

貞応元年(1222)

主な改修者

有馬則頼

主な城主

淡河氏、有馬氏

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、天守台、土塁、横堀(空堀)、切岸

指定文化財

再建造物

模擬櫓、模擬城壁、石碑、説明板

周辺の城

箕谷城(兵庫県神戸市)[7.4km]
三木城(兵庫県三木市)[10.0km]
端谷城(兵庫県神戸市)[10.2km]
豊地城(兵庫県小野市)[10.7km]
茶臼山城(兵庫県神戸市)[11.0km]
多々部城(兵庫県神戸市)[12.8km]
落葉山城(兵庫県神戸市)[13.5km]
摩耶山城(兵庫県神戸市)[13.9km]
三田城(兵庫県三田市)[14.1km]
滝山城(兵庫県神戸市)[14.2km]

淡河城の解説文



淡河城(おうごじょう)は、兵庫県神戸市北区にあった日本の城。現在は丘の上に田畑となっている本丸址と櫓があり公園になっている。

概要 

播磨一帯の豪族であった北条時房の孫にあたる淡河時治の城とされる。

淡河氏は南北朝時代の暦応2年(1339年)に石峯寺・三津田で赤松則村(円心)率いる北朝方と戦い敗れた。明徳3年(1392年)には淡河範清が養子として赤松氏より季範を養子として迎え、その後は赤松氏に属した。

戦国時代には別所氏に属したが、淡河定範が城主であった天正7年(1579年)に羽柴秀長の攻撃で落城、有馬則頼が城主となった。

慶長6年(1601年)に則頼は三田城に移り、元和元年(1615年)に廃城となった。

現状 

道の駅淡河の南側の小高い山に城跡がある。

淡河城の口コミ情報

2023年08月09日 ファン掃部助トム治郎
淡河城



三木城から徒歩で攻城。湯の山街道を直進すれば12キロほどですが、秀吉本陣〜近畿自然歩道を経由したので15キロほどでした。ローソン脇の淡河に抜ける道から山を登り攻城しました。

2022年08月12日 RED副将軍
淡河城



⁡三木合戦の激闘地のひとつ⚔
北条時房の系譜である淡河氏の居城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

1222年に淡河氏により築城。
淡河は鎌倉北条氏の所領で、移り住んだ一族が地名から淡河氏を名乗りました。
城主であった淡河時治は、初代執権北条時政の三男、二代執権北条義時の弟である副執権北条時房の孫にあたります。
淡河氏は南北朝時代は南朝方に付きますが、1339年には北朝方の赤松円心に攻められ落城します。
1392年、淡河範清は赤松季範を養子に迎え、赤松氏に属しました。
そのごは、三木城の別所氏に属しますが、1578年に別所長治は毛利氏と結び織田信長と対立。当主の淡河定範も姻戚関係があるので別所氏に同調します。三木合戦では、三木城に籠城する別所氏に対し、羽柴秀吉は兵糧攻めを行います。淡河定範は羽柴秀長に淡河城を攻められるも一度は撃退し、三木城に食料や物資を補給し奮戦します。
しかし2年に渡る籠城戦の末に三木城とともに淡河城も落城しました。淡河定範は討死とも自害とも伝わり淡河氏は滅亡しました。
合戦後は、秀吉家臣の有馬則頼が入城しました。
有馬則頼は、秀吉の死後は徳川家康に接近しており、関ヶ原の戦いでは東軍に付いています。
1601年に有馬則頼は関ヶ原の功績により三田城に加増移封されます。
1615年に淡河城は一国一城令により廃城となりました。

見所
農地化により遺構の大半は消失。主郭周辺に土塁と空堀が残っています。
本丸南側下にあるL字の空堀は幅、深さ共に約10mで、かつては水堀であった様です。
本丸背後は、崖と川で河岸段丘の地形を天然の要害として利用した崖端城です。
模擬の二重櫓が建てられており、遠くからでも目を惹きます。

行き方は、道の駅 淡河を目指してください。駐車場に案内板も設置され、歩いて行けます。

北条時房の所領であったことから鎌倉殿の13人が好きな人もぜひ!

2022年07月10日 伊達 幸村
淡河城

淡河城は道の駅から見えます。そこから徒歩でも行けます。櫓みたいなのがあり、その下に淡河城と書かれています

2022年07月09日 おかぴー
淡河城

丘城なので城攻めしやすいです。道の駅を目標にすれば簡単に行けます

2022年07月08日 武田信繁モドキ
淡河城

淡河城の道の駅を目標数に行くと目の前にあります。そこから回り込んでローソンの手前から淡河城に行けます。

2022年07月08日 おかっぴき
淡河城



道の駅から櫓と淡河城の文字が見えます。近くのローソンの横から登れるみたいです。車でも近くまで行けますが止めるところがありません。

2021年10月11日 織田上総介晃司
淡河城

道の駅淡河に車を停めると模擬櫓が見えます。
となりのローソンから歩いて行けます。
川に架かる木橋を渡りますが、なかなかスリリングな橋です。

淡河宿本陣跡も道の駅から歩いて行けます。
ここで食事もできます。

2021年02月03日 副将軍こうちゃん播守
淡河城



県道38号三木三田線沿いに「道の駅・淡河」の向かいに有ります🤗登城するのであれば道の駅の西に有るコンビニからの路地から侵入か、道の駅の南に有る牛舎からになります🤗西側からも登城できますが駐車スペース無しのかなり西の方からの侵入になります☝️

2020年04月19日 ソバッソ80.0
天正寺城[淡河城  周辺城郭]



ロータリーゴルフクラブのコース南端と、山陽自動車道の間にある山が城山です。グーグルマップにも載っていましたので、そこでマッピングしたらたどり着けます。
西側の池付近に駐車出来そうなスペースを見つけ、そちらに自己責任で停めました。

池のすぐ東側に、ヤブヤブした階段があります。そこから取り付くが良いでしょう。北に向かって登る形になり、東側には段郭と思しき高台が視認でき、それに沿って北へ進んで行く形になります。あとはテキトーに東側のヤブというか雑木林に突っこんで行き、頑張って穏やかに休めそうな平坦地まで辿り着いて下さい。

そしたら岩盤を使った堀切
土橋→平坦地→土橋→平坦地→土橋→平坦地
と、通路を制限しながらもしっかり駐屯スペースを確保した、見事なモッコリが出てきます。モッコリ土橋ファンは必見です。
あとはⅡ郭、Ⅰ郭と散策して、Ⅰ郭の廃神社からの階段を使って下山すれば良しです。

下山したらクルマを停めた池近くまで、10分弱歩いて戻る事になりますが、あのヤブというか雑木林を戻っていくよりはいいと思います。

ちなみにその廃神社からの階段から、竪堀と思しき傾斜が延々と高速道路上まで延びています。縄張り図には表記されているので、竪堀なのでしょうけど、高所に郭らしきモノが見当たらないので、もしかしたら出撃用?なんて勝手に思っています。
でも神社があったので、もしかしたらお神輿を上げ下ろしする通路?とも思ってます。


織田さんの痕跡を探しながら、ヤブ漕ぎにトライしてみて下さい。ズタズタになりますよ。
散策時間目安は下山まで50分くらいかな。

2020年04月18日 ソバッソ80.0
淡河付城[淡河城  周辺城郭]



目標は何とも言えません。
淡河城跡から南南東に1キロ程度。

集落をてくてく歩いていると、突然に平坦地と土塁と堀切が出てきます。唐突過ぎて反応に困ります。急に告白された時に「えっマジか」ってなって、その後どうしていいモンか困り果ててチャンスを逃す感じ。

歩いててフツーに見つけられるレベルなんで、それなりに残っています。織田さん付城の特徴がハッキリ残っているらしく、淡河城攻めの際に使用されたと推測されています。
結構な広さの平坦地が、3段くらいになってたかな。かなりの駐屯が可能やったんでしょう。


淡河、三木の辺りは付城が沢山残っている地域なので、こういった名もない砦跡を散策するのも楽しいかも知れませんね。
あっ
淡河城跡に対して、どのように対峙したのかは僕には分かりません。そこまで分かれば、砦散策がもっと楽しくなるんやろうなぁ。

2020年04月18日 ソバッソ80.0
淡河付城[淡河城  周辺城郭]



目標は…何とも言えません。
淡河城跡に対して1キロ程度離れた南南西の池付近としか書けません。。。
某讃歌さんを参考にして到達しました。

付近に目印になるコンテナを発見後、それらしき場所が分からずに、とりあえずヤブを掻き分けてみると、そこには突然デカデカと竪堀状に落ちていく斜面が表れます。
また両サイドには高くなった平坦地があり、あぁ城跡やなって薫りがプンプン。それをくんかくんか。

池が点在している地域なので、恐らく現在は土壌改良などがされて道路やら宅地やらになっているんやと思います。正直、淡河城跡に対してどのように対峙した付城なのかサッパリ分かりませんでした。

ご存知の方がおられましたら、ぜひ自宅待機中に情報を出して下さると幸いです。
コロナが落ち着いたら再訪したいです。

2018年02月19日 iggy摂政
淡河城

『織田軍が築いた淡河城をぐるりと囲む対淡河城の付城について』

《淡河西付城》
淡河城の南南西450mに位置。
経年にもよると思われますが、主郭及び二郭に設けられた堀は浅く、主郭西側に配された堀切も甘いです。
資料によれば当城は、淡河城に対して備えるというより、城外から(淡河城へ)の援軍に備えた構造であるとのこと。

《天正寺城》
淡河城の北北西700mに位置。
当城からは淡河城が丸見えです。
二郭北側に土橋が架かる堀切が二本。
北寄りの堀切から東に土橋が延び、その先に二重堀切が設けられている。
北側の堀切は甘いですが、南側の堀切は岩盤が加工され、尾根の切り落としがはっきり見て取れうっとりものです。
また、二郭西側には3本の竪堀を配しています。

ほか、淡河城の周囲には「淡河南付城」等の付城が存在するが遺構が確認できない、または不明瞭であるとのこと。

淡河城は、当時、猛威を振るう織田軍に抗戦し付城を築かせたものの淡河弾正善戦虚しく落城(三木城へ落ち延びた)を迎えましたが、そんな淡河氏の気概にもスポットを当ててみたいと思いました。

2017年08月27日 お〜さ加賀守
淡河城

道の駅から歩いてすぐのところにありました。しかし網が張り巡らしてあるため木橋を渡れず、登れませんでした。

2017年01月31日 OROKA参議
淡河城

道の駅から味のある模擬櫓が見えます。道の駅の裏手に木橋があり川を渡ると案内板がありました。ここから少し登ると模擬櫓にたどり着きました。こちらは搦め手かな…

本丸はなかなか広くて、土塁の上に稲荷が建っています。 模擬櫓と逆サイドが大手のようですが、よく見ると土塁と空堀のある良い虎口です。また、畑と稲荷の間の空堀は深くて圧巻です!これは見る価値ありです!

2015年08月29日 課長大和守Ver.B
淡河城

模擬櫓の見える道の駅より西に1つ目の信号を左折した先、案内板に従って丘を登った所にあります。
公園とはなっていますが、其れ程手は入っておらず堀・土塁等の遺構も良好に残っています。
遺構に模擬城壁とありますが、実際は城主の淡河氏累代の墓所となっていました。

2010年08月12日 †劉秀†
淡河城

少々草がボーボーしておりますがいい所です。

淡河城の周辺スポット情報

 淡河城趾石碑(碑・説明板)

 天正寺城(周辺城郭)

 淡河付城(周辺城郭)

 淡河付城(周辺城郭)

 三津田城(周辺城郭)

 道の駅淡河のトイレ(トイレ)

 淡河宿本陣跡(関連施設)

 模擬櫓(関連施設)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore