清洲城堀跡(御園神明社)

清洲城堀跡(御園神明社)([清洲城  遺構・復元物])

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清洲城堀跡(御園神明社)の口コミ情報

2024年04月14日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁


御園神明社御由緒
社伝によれば垂仁天皇の十六年、倭姫命が天照大神の御霊を鎮め奉る適地を求めて、美濃の国 伊久良河宮より、この所に遷し奉り、三ヶ月斎き奉ったという。
それを中島宮と称し、その後、御園神明社となったと伝える。
近年の研究によれば中島宮は、元来、一宮市萩原町中島に所在したが、その後清洲の地に遷座し、御園神明社となったと考えられる。
御祭神は天照大神、天手力雄命、萬幡千々姫命を祀る。
摂社として倭姫命、国常立命、瓊瓊杵命を嘗て境内に祀られていたという御船を祀る。今この二社は本殿左右二座として祀られている。この他、境内には天宮、巴波天神、芭蕉天満宮、八幡宮、豊受社、白龍社、秋葉社を祀る。
織田信長は、小牧に拠点を移さんとして、まず御園神明社の分霊を小牧山下に祀った。
また、豊臣秀吉の妻 禰々の母、朝日殿は当社への崇敬厚く、天正十八年 社殿の造営寄進を行い、古面等を奉納した。
往古例祭は二月九日、御烏上神事を行ったと伝える。
現在は、十月第二日曜に例祭祭典を行う。

巴波天神ご由緒
往古、五條川の波の巴紋をなしし内より、管丞相(菅原道真公)の神影が浮かび出て、これを畏んで斎ったのが、当神社の始めという。
清洲城の在りし頃、五條川は、当神社東で東西二手に別れ城を囲んでおり、一方は神社の南に接し流れていた。
清洲城主 松平忠吉は、当神社に参詣し、連歌の会を催したという。
現在は、学問の神として広く崇敬されている。

説明板より。

境内の神橋が架かる場所が、清洲城の堀跡と言われています。
御園神明社辺りが、清洲城の北端で、清洲城の南側の松蔭神社跡に清洲城外堀土塁跡が少し残っているので、清洲城の大きさが想像出来るかも。

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