前田城(まえだじょう)
前田城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛知県名古屋市中川区前田西町1(前田速念寺)
旧国名
- 尾張国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 前田氏
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 前田氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
荒子城(愛知県名古屋市)[2.4km]
蟹江城(愛知県海部郡)[3.7km]
松葉城(愛知県海部郡)[4.0km]
日比津城(愛知県名古屋市)[5.1km]
大野城(愛知県愛西市)[5.5km]
古渡城(愛知県名古屋市)[6.6km]
名古屋城(愛知県名古屋市)[8.0km]
小田井城(愛知県清須市)[8.3km]
清洲城(愛知県清須市)[8.6km]
蜂須賀城(愛知県あま市)[9.1km]
前田城の解説文
前田城の口コミ情報
2024年05月03日 尾張守たまきち
下之一色城[前田城 周辺城郭]
天正年間(1573年~1592年)に前田種利が築き、息子の前田長種、前田定利とともに蟹江城主:佐久間正勝に属していた。小牧・長久手の戦い際は、最初は織田信雄に属しており、長島と清洲間の連絡役を務めていたが、滝川一益の説得で豊臣秀吉方へ寝返った。そのため徳川、織田軍に攻められて廃城した。下之一色城址も、尾張徳川藩の新川切削によって川底に沈みました。下之一色城の場所は、現在の国道1号線三日月橋のやや下流あたりとされ、城跡は尾張藩の新川切削によって破壊されて消失。当時は港町として賑わっていた下之一色集落の北西の外れで、北側と西側を旧庄内川が流れていたようですから、川を自然の堀とした城だったと思われます。城址碑は正色小学校の南門横に在ります。
2024年05月03日 尾張守たまきち
江松城[前田城 周辺城郭]
織田信長に仕えた土方治兵衛の居城。城の規模は東西約54m、南北約63m程と伝わる。新川と戸田川に挟まれた場所にあり、周辺は平地で、現在は江松神明社が鎮座。天正10年(1582年)に美濃での戦いで土方治兵衛は討死をしており、天正12年(1584年)の蟹江合戦の時点で江松城の記載はないため、廃城になったと思われる。江松神明社は、宝永元年(1704年)に現在地にて移転建立。江松城の碑や解説板は無く、遺構も確認できず。 河川に挟まれたこの地を散策しましたが、おそらく川より低い土地だと思われますので、頻繁に起きる洪水などで遺構も流されてしまっていそう。
2022年06月05日 河内守かじくん
前田城
前田氏発祥の地といわれる前田城跡🏯遺構もほとんどありませんが梅鉢紋の瓦や兜のような形の速念寺本堂が見れます。
2022年01月08日 ばらく~だ
前田城
速念寺さんには参詣者用駐車場あり。車でリア攻め可。
2021年02月23日 はっさく姫中納言
前田城
遠くからでも目印になるほどわかりやすい、お寺の建物の屋根が前田家の兜の形になっています。
2012年10月02日 尾張主膳正謙信
前田城
速念寺の本堂は前田利家の兜の形をしています。立ち寄った際には是非確認を!
2010年11月06日 美少年☆右近衛中将☆喜三太
前田城
前田城は、近鉄伏屋駅下車、徒歩五分程度にあり、速念寺山門前に城趾石碑があります。
現在、城跡は利家が寄進した阿弥陀如来を本尊とする速念寺となっており、城址碑はあるものの、遺構などを確認することは出来ない。