曳馬城

曳馬城([浜松城  周辺城郭])

浜松城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「曳馬城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

曳馬城の口コミ情報

2023年10月22日 RED副将軍


浜松城の前身の城跡🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。諸説ありますが永正年間(1504年~1520年)に今川氏によって築城されたと云われます。
1514年、今川氏の家老である飯尾氏が曳馬城主となり当地を支配しました。
1560年の桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、飯尾連龍は家督を継いだ今川氏真から離反し徳川家康と内通。そのため1563年と1564年の二度に渡り今川氏真は曳馬城に攻め寄せました。しかし、曳馬城を落とす事は出来ず今川氏真は飯尾連龍と和議を結びましたが、和議は謀略であり1565年に飯尾連龍は駿府城に出仕すると謀殺されてしまいます。今川氏真は飯尾連龍への疑念を払拭できなかった様です。
城主を失った後は、飯尾連龍の妻で今川氏一族のお田鶴の方が曳馬城を守っていたとされますが、1568年に徳川家康は酒井忠次を派遣し曳馬城に攻め寄せます。お田鶴の方が指揮をとり、侍女郎従を従えて奮闘するも討死にしたと伝わります。
1569年、徳川家康は掛川城に籠城した今川氏真を降伏させて伊豆へと移すと、1570年に引馬城に入城。そして浜松城を築いて曳馬城は取り込まれ郭のひとつとなりました。
浜松城が完成すると徳川家康は岡崎城から本拠を移しました。

見所
浜松城の北東に位置し、現在は東照寺の境内に石碑が建つのみで遺構は消失しています。
しかし、丘陵上であり高低差が城跡であったことを偲ばれます。

どうする家康ファンの方は浜松城だけでなく、曳馬城跡も訪れてくださいませ。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore