桜城

桜城([高島城  周辺城郭])

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桜城の口コミ情報

2024年05月01日 国府左京大夫城介


諏訪大社秋宮の背後にある下社大祝金刺氏の居城

【歴史】
築城年代は不明だが、下社大祝である金刺氏が築いた。
永正15年(1518)に金刺昌春は、上社の諏訪頼満によって諏訪を追われると、武田信虎の下へ逃げ込んだ。武田信虎の助力を得ながら、故地の回復を目指したが失敗している。享禄4年(1531)に、飯富虎昌や今井信元らが信虎に叛乱を起こした際に戦死したため、金刺氏は遂に滅亡した。
その後、武田信玄によって諏訪が統治されると、諏訪統治の拠点として、上原城と下宮の城を修築している。この下宮の城が桜城のことと考えられている。武田氏が滅亡すると、廃城になったようである。

別名:桜井城、湯沢城

【遺構】
諏訪大社秋宮の北約0.4kmに位置する山(標高874m/比高88m)に築かれた山城である。
主郭は開墾により地形が変わっているようで、単なる平坦地となっている。西側に虎口があり、途中に馬出のような小さな曲輪があり、その下に二の曲輪がある。二の曲輪に北側に二条の竪堀が掘られている。主郭下には複数の腰曲輪があるが、段々畑としても利用されているので、実際に造成されたものかは分からない。
主郭の尾根側は、四条の巨大な堀切で遮断しており、かなり下まで竪堀として落としている。三条目の堀を越えると、後曲輪があり、L字型の土塁がある。また、北側の途中には水の手曲輪があり、井戸も残っている(未確認)。

【感想】
諏訪大社秋宮の背後を守る城ですが、大祝の金刺氏だけでなく、武田氏の手も入ったお城です。おそらく主郭背後の四条の堀切などが武田氏による改修と推測されています。主郭からの眺望はよく、秋宮や諏訪湖、塩尻峠を見渡すことができ、正に軍事的な要衝として武田氏も活用したことは納得することが出来ます。
主郭周りは、地元の方々により公園として整備され管理されているのでかなり見やすいですが、背後の四条の堀切は藪でやや遺構は見難いところがあります。水の手曲輪の方を見落としていたので、再訪する際はそこも確認したいです。

また、二の曲輪を更に下った所には一念石があります。一念石は、鎌倉時代初期の弓馬の達人である金刺盛澄(諏訪大社秋宮の駐車場にある銅像)が、この地で座禅を組んで技を研ぎ澄ましたと伝わる場所です。百発百中にあやかり合格・当選・縁結び・子授けなどの御利益があるようです。


【アクセス】
下諏訪駅から徒歩で約20分。
主郭の南東側には駐車場がある。

【写真】
①麓から望む
②主郭背後の堀切(一条目)(登城路)
③主郭背後の堀切(四条目)
④後曲輪の土塁
⑤主郭
⑥主郭からの眺望
⑦二の曲輪の竪堀
⑧一念石

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