喜多院

喜多院([川越城  寺社・史跡])

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喜多院の口コミ情報

2024年02月11日 曲輪但馬守削平


天台宗 星野山 無量寿寺 喜多院(川越大師)。
川越城へ行くついでに寄りました。川越駅から歩いて20分くらいです。仙波東照宮と合わせ見所が多く、1時間ではとても回りきれませんでした。室内の撮影は不可。

①客殿(国重文)家光公誕生の間があります。川越大火後に江戸城から移築。
②書院(国重文)春日局化粧の間があります。川越大火後に江戸城から移築。写真右側の建物。
③慈恵堂(県指定)本堂、川越大火後の再建。
④慈眼堂(国重文)慈眼大師天海を祀る。
⑤山門(国重文)川越大火前からの建造物。
番所(県指定)江戸中期
⑥鐘楼門(国重文)
⑦多宝塔(県指定)
⑧五百羅漢(市指定)拝観すれば入場券がついてます。
2023.12.17

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三


慈眼大師天海を祀る慈眼堂の裏に歴代住職墓。正面に立つ石塔婆は天海の物。この奥には南北朝時代の板碑も2基ある。なお慈眼堂と歴代住職墓のある場所は古墳とも言われている。

2019年06月23日 野呂利左衛門督休三


慈覚大師円仁が平安時代前期の天長七(830)年に創建した星野山無量寿寺の仏蔵院が起原です。北院とも呼ばれ、今の喜多院になったのは慈眼大師天海の時です。

鎌倉時代になるまでは今の新河岸川より南は無量寿寺の影響下で、河越氏の勢力も及んではいませんでしたが、畠山重忠が討たれた元久二(1205)年に兵火に遭ったと伝えられています。

その後、復興を遂げ、鎌倉時代後期の永仁四(1296)年に伏見天皇により、関東の天台宗の総本山とされたそうです。しかし天文六(1537)年の河越合戦(北条氏康でなく氏綱の時の)で再度兵火に遭ったそうです。この頃まで無量寿寺の中心は今の中院(ただし場所は現在と違い、今の仙波東照宮のある位置にあった)でしたが、天海が徳川家康の信を得ることで喜多院の寺運は興隆し、こちらが中心となりました。

寺領は七百五十石、境内は四万八千坪に及び、寛永十五(1638)年の火災では江戸城紅葉山の御殿が移築されるなどの保護を受けています。しかし、明治になり徳川家の保護を失うと、寺域は東照宮を含めて一万四千坪に縮小し、家康の遺骸が日光に遷される際に4日間法要を行った阿弥陀堂などの建物も失われています。また多宝塔など境内の縮小により建物の配置も江戸時代と変わってしまったものもあります。

2015年08月11日 永眠武蔵守釋 葱進
川越の喜多院に、江戸城の「家光誕生の間(客殿)」「春日局化粧の間(書院)」を含む別殿が移築されています。寛永15年の川越大火で境内焼失した後、家光の命令で移築させたそうです。

蛇足ながら、喜多院境内では厄よけだんごが売られています(1本100円)

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