赤岩城(あかいわじょう)
赤岩城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 群馬県邑楽郡千代田町赤岩桜山1036他
旧国名
- 上野国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 佐貫嗣綱
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- -
主な城主
- 佐貫氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
中条氏館(埼玉県熊谷市)[4.1km]
小泉城(群馬県邑楽郡)[6.4km]
成田氏館(埼玉県熊谷市)[6.5km]
中野城(群馬県邑楽郡)[6.7km]
皿尾城(埼玉県行田市)[7.1km]
忍城(埼玉県行田市)[8.0km]
別府城(埼玉県熊谷市)[8.9km]
高松城(栃木県足利市)[9.6km]
館林城(群馬県館林市)[10.3km]
羽生城(埼玉県羽生市)[10.6km]
赤岩城の口コミ情報
2023年11月28日 国府左京大夫城介
舞木城[赤岩城 周辺城郭]
藤原秀郷が築いたと伝わる平城
【歴史】
藤原秀郷が承平年間(931~937)に築城した伝わる。
その後、秀郷の子孫である佐貫氏(舞木氏)が佐貫荘(館林市周辺)を治めていた。
永享の乱においては、舞木持広が鎌倉公方の足利持氏に与していたが、討ち死にしている。その後に起きた享徳の乱の初期では、古河公方の足利成氏に協力し、成氏からは佐野氏・岩松氏と共に「三大将」として重用されていた。
しかし、15世紀中頃になると、舞木氏の寄騎でもあった赤井氏が力を付け、佐貫荘を掌握している。享禄年間(1528~1531)までは、赤井氏に用いられていたようで、「館林盛衰記」によると、赤井照光が大袋城から舞木城へ年始の道すがらに子狐を助け、その狐に導かれて館林城(尾曳城)を築城したと記されている。
【遺構】
赤岩城の北西約750mほどに位置し、周囲に土居や溝渠を巡らせた平城であったが、現在は遺構は消滅している。
城跡を示すものとしては、説明版と「藤原秀郷公誕生之地」の石碑がある。
【感想】
開発に伴い、遺構は一切残っておらず、石碑と説明板しか残っていないのが残念です。
説明板では藤原秀郷が”築いた”城だけど、石碑は”誕生の地”となっているけど、どっちが正しいんでしょうね。そもそも、本当に藤原秀郷がここに居たかの真偽は不明ですが、その末裔がこの地に勢力を保っていたことは事実なので、その辺りから発生した伝承なのかと思います。
【アクセス】
太田駅からレンタサイクルで約1時間。
赤岩城(光恩寺)からは徒歩6,7分。
【写真】
①説明板
②「藤原秀郷公誕生之地」の石碑
③全景
2021年08月14日 マグロ常陸介祐平
赤岩城
光恩寺の山門前に空堀の痕跡?が見られます。境内には鎌倉時代の地蔵菩薩画像板碑、移築された日本最初の女医の荻野吟子の生家長屋門と銅像、館林城主赤井昭光の墓などの見どころがあります。
2016年05月22日 永眠武蔵守釋 葱進
赤岩城
光恩寺(赤岩城)訪問されたら、先の口コミにもあるように城とゆかりの深い赤岩渡船に乗ることをおすすめします。
乗船場付近には駐車場もあるので、車利用の方も気軽に楽しめます。
県道扱いのため乗船料は無料、渡った先の葛和田(くずわだ)からは熊谷駅行きのバス(一時間一本程度)も運行されています。
2015年04月19日 ⛫武蔵の紀伊守の謙
赤岩城
近くの赤岩渡船場は戦国時代(永禄年間)に上杉謙信軍も渡河したという。
赤岩城は水上交通の要所である『赤岩の渡し』を抑える役割を担っていたと思われる。
2015年03月21日 牢屋見廻り同心マダオ
赤岩城
光恩寺内にある前方後円墳「堂山古墳」前方部に赤岩城及び初代館林城主「赤井照光の墓」があります。
2012年07月05日 樋口弾正大弼与六
赤岩城
光恩寺山門の左手に、かなり埋まってますが空堀が有り又本堂のやはり左手に空堀、土塁が確認出来ます。
2012年07月04日 のり修理大夫かず
赤岩城
地図にある、光恩寺に、いってきましたが、赤岩城の痕跡を見つける事が出来ませんでした
山門の前の空堀何かが、名残かなぁ…。