部垂城

部垂城([野口城  周辺城郭])

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部垂城の口コミ情報

2023年07月25日 けー


常陸大宮市史資料編2の刊行に合わせて、常陸大宮市で行われたシンポジウムにて、部垂城の最新の縄張図が公開された。それに基づいて歩いた。最新の縄張図では、主に北側に残る遺構が追加されている。

①御城橋から登る。橋には、御城橋という名前や昭和九年の文字が彫られている。この水路で北側斜面の遺構は分断されている。
ちなみに、ただの水路ではなく、岩崎江堰※という水路で、近世の遺構になる。
②③というわけで、水路で分断された竪堀。水路がない状態を想像して鑑賞。なかなかえぐい。
④⑤かわいい御城橋を渡ると、登城路はおなじみの堀底道。
⑥⑦青々とヤブしている。クランクした登城路は土塁がしっかりあって横矢をかけている。写真で見るより、しっかりとクランクを体感して歩ける。ぜひ、冬に歩いてみてほしい。
⑧この登城路を登りきると、小学校と松吟寺の間の堀に繋がる。小学校の奥に見える竹藪の辺りから宅地を抜けていたようだ。松吟寺は写っていないが、宅地の更に奥にある。

※岩崎江堰の工事をしたのは、永田茂衛門と勘衛門の親子です。永田茂衛門と勘衛門は、甲州黒川で金山開発に当たっていた「金山衆」だったといわれている。永田家に伝わる由緒書には、先祖が甲斐武田氏の家臣であり、武田氏の滅亡後は徳川家康に仕え、金山採掘者と共に各地の合戦に赴き、多くの手柄をたてたとの記載がある。

常陸に来た永田茂衛門父子は町屋金山で開発にあたっていた。金山採掘で用いる測量や掘削の高い技術が見込まれ、久慈川と那珂川を堰き止めて、水路を引き、耕地を広げるという大規模な治水工事に抜擢された。

工事を指揮したのは、望月恒隆で、武田氏の名跡を継ぎ、水戸城主として赴いた武田信吉に仕えていた甲斐武田氏の旧臣だ。信吉が亡くなった後も水戸に留まり、土木工事や農政の発展に尽力して、水戸藩政の初期を支えた。

詳しくは、市の資料館で販売中の「図説永田茂衛門親子と三大江堰」をぜひ。

甲斐武田氏は常陸が発祥の地だが、めぐりめぐって、色々な形でまた常陸の地に繋がっているところがちょっと面白いし、部垂城に来たらそれも知ってほしいと思い、口コミを書き直してみた。

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