宇津山城(うつやまじょう)

宇津山城の基本情報

通称・別名

鵜津山城

所在地

静岡県湖西市入出字城山

旧国名

遠江国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

今川氏親

築城年

永正3年(1506)頃

主な改修者

主な城主

長池親能、小原氏、朝比奈氏、松平氏

廃城年

不明

遺構

曲輪、石積、土塁

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

堀江城(静岡県浜松市)[7.5km]
千頭峯城(静岡県浜松市)[7.6km]
月ヶ谷城(愛知県豊橋市)[8.1km]
二連木城(愛知県豊橋市)[11.0km]
宇利城(愛知県新城市)[12.3km]
刑部城(静岡県浜松市)[12.8km]
吉田城(愛知県豊橋市)[12.9km]
牧野城(愛知県豊川市)[13.7km]
牛久保城(愛知県豊川市)[15.0km]
野田城(愛知県新城市)[15.2km]

宇津山城の解説文



宇津山城(うつやまじょう、うづやまじょう[1])は、静岡県湖西市入出にあった戦国時代の日本の城。湖西市入出の浜名湖に突き出した正太寺鼻に位置する宇津山(49.5m)にあり、郭や土塁、武者走り、舟隠し場[2]が残る。正太寺(遠州三十三観音25番札所)の敷地内にある。

概要 

大永(1521年~1527年)の頃、遠州進出を図った今川氏親の家臣長池親能が浜名湖西岸に築いたという。城主には長池親能、次に小原親高が入り享禄年間以降は朝比奈泰長が入った。

弘治元年(1555年)に氏泰が病没すると、その嫡男泰長が城主となる。永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、自立を志す徳川家康が三河国統一に向けて邁進。徳川方に誼を通じる土豪が多くなる中で、掛川朝比奈氏の分流であった泰長は、惣領家と同様に今川氏への忠誠を貫こうとしていた。

永禄5年(1562年)、今川氏から徳川氏へ転属・離反した三河国八名郡五本松城を襲うと、城主西郷正勝を討ち取り、凶報により駆けつけた正勝の嫡男西郷元正をも討ち取っている。泰長は永禄5年11月晦日に死去しその跡を嫡子の孫太郎泰充が継いだ。しかし、泰充は永禄9年正月、城中における謡初め会にて、徳川に誼を通じていた弟の孫六郎真次に殺され[3]、そのまま城主の座を奪われた。しかし、永禄10年正月、真次も今川氏真の命を受けた小原鎮実に討ち取られてしまう。そして、今川方は、境目城を築き、宇津山城とともに家康の来攻に備えた。

永禄11年(1568年)12月、徳川方の酒井忠次は土豪の佐原重吉、内藤三左衛門、松野三右衛門らと境目城を落としたのち、同月12日に遠江国に侵攻。同月15日、宇津山城を守備していた小原鎮実の家老増田団右衛門は城より討って出るが討死し、城主小原鎮実らは城に爆薬を仕掛け浜名湖から逃亡した。しかし、爆薬の量が少なく、酒井勢は爆発音に驚いたが死傷者はでなかった。その後、家康は松平家忠を在番として城郭を拡張させている。元亀3年(1572年)には松平清善が1,000貫文を賜って城番に命じられた。廃城になった時期は不明。

参考文献 

  • 後藤健一「宇津山城」(加藤理文・中井均編『静岡の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2009年) pp18-21

宇津山城の口コミ情報

2023年11月20日 RED副将軍
宇津山城



今川氏の浜名湖を抑えるための拠点

オススメ度 ★★★★⭐︎

1524年に今川氏親の命により長池親能によって築かれたと云われます。
長池親能が城主として入城し、続いて小原親高、享禄年間(1528年〜1532年)には朝比奈泰長が城主となりました。
1560年、桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、徳川家康が三河を統一し遠州侵攻を開始。家督を継いだ今川氏真を離反し徳川家康に付く土豪が多くなる中で、朝比奈泰長は今川氏への忠誠を尽します。
1562年に朝比奈泰長が没すると、嫡男である朝比奈泰充が継承するも、1566年に徳川氏に通じていた弟の朝比奈真次に暗殺され城主を奪われます。
しかし翌1567年には今川氏真の家臣である吉田城の小原鎮実が攻め寄せ、朝比奈真次は討ち取られ、再び今川氏の属城となりました。
1568年には徳川家康が遠江に侵攻し、宇津山城は酒井忠次により落城。宇津山城を守備していた小原鎮実の家老である増田団右衛門は討死。
その後、徳川家康は松平家忠を宇津山城に入城させ、1572年には松平清善が城番となりました。
その後の宇津山城の動勢は分かっおらず廃城時期も不明です。

見所
浜名湖西岸に突き出した正太寺鼻にある宇津山に築かれています。
西側山頂の主郭から南北の尾根筋に連なる郭群と、東へ正太寺鼻先端に向けて連なる郭群で構成されています。
西側山頂の郭群は、北側の郭は内側を石積みで補強された土塁が巡り、東側に虎口が開口しています。
東側の東西に連なる郭群はヤブの中を進んでいくと、土塁上に城跡碑があり、急斜面を下ると見事な堀切があり、舟隠しと考えられている遺構がありました。

地元の城友さまにご案内頂きましたがソロでは厳しかったと思います。

2021年11月14日 RED副将軍
佐久城[宇津山城  周辺城郭]



土橋が架かる深い空堀で構成された丸馬出しは見事です✨

オススメ度 ★★★★⭐︎

1348年に源頼政の末裔である浜名清政によって築城。
浜名氏は戦国時代は今川氏に属していたが、今川義元が桶狭間で没すると、徳川家康に侵攻され滅亡した。
徳川氏の支配となると本多信俊が入城したが、1583年に野地城を築いて移ったため廃城となった。

見所
リゾート開発で周辺の遺構は消失していますが、本曲輪と空堀遺構は残存。
主郭南側に残る丸馬出しの土塁、空堀、土橋がかなり大規模で明瞭で大迫力です。
規模の大きさからも徳川時代の改修と考えられます。

2021年07月25日 しげしげ主税頭信繁
宇津山城



静岡県浜名湖湖畔にあります。
正太寺を通り過ぎると左に登る道があり、辺り一帯はお墓になっております。坂を登ると城趾に到着します。案内板がありその通り進みましたが薮が酷い状態で蜘蛛の巣などにより心が折れ先に進む事を断念しました。

2021年02月01日 mootze
宇津山城

本丸あたりは墓地になっていますが、北西の郭には石を積んで防御したような形跡があります。浜名湖方面の景色はきれいです

2020年09月06日 龍馬備中守【】
佐久城[宇津山城  周辺城郭]



静岡県の浜松市にある佐久城♪
浜名湖に隣接する猪鼻湖に半島状に突き出した水城となります♪

佐久城は源頼政の末裔で、戦国時代は今川氏に仕えた浜名氏が十代にわたって本拠とした城となります♪今川義元が「桶狭間の戦い」で織田信長に敗戦すると徳川家康が遠江侵攻を開始♪城主・浜名氏はこれに抵抗☆も敗れてしまい一族は滅亡しました☆その後は本多忠勝らを入れて改修☆湖北の姫街道を抑える重要拠点として使用されるも城主・本多信俊が野地城を築いて移った為に廃城になりました☆

2020年09月06日 龍馬備中守【】
野地城[宇津山城  周辺城郭]



静岡県の浜松市にある野地城♪

徳川家康によって築かれます♪徳川家康は佐久城に替えてこの地を支配する為に本多信俊と上村庄右衛門に命じて築かせました♪

現在城郭の大半がみかん畑になっていて一部横堀を確認☆台地上に築かれたんだな〜って言うのは感じれます☆

2020年05月09日 OROKA参議
佐久城[宇津山城  周辺城郭]



佐久城は浜名氏の築いたお城のようです。

佐久城は猪鼻湖に突き出した半島の先端に築かれています。
アクセスとしては、マップを目印にリゾートタウンに突入するしかないかと。そして、城用の駐車場は無かったと記憶しているので、このエリアにあるホテルでランチをしたついでに寄るとかするのがオススメです。(空き地も私有地ぽいのばかりでなかなか路駐もしづらかったです)
半島の先端を目指せば(少し林になっている)、そのうち案内板があって特に迷わず行けるかと思います。いちおう目印はプロパン貯蔵庫だったかと。道路からは徒歩数分で、登りとかはほとんどありません。

半島の先端という立地から、公園のような主郭からは湖を見ることができます。
この城で特筆すべき部分は、ズバリ丸馬出を伴う土橋です。
他の部分はあまり遺構が分からんのですが、丸馬出と土橋はこれでもかというくらい明瞭でクッキリ残っています。
おそらく徳川系の技巧かと思いますが、丸馬出マニアなら見ておいて損はない代物です(´▽`)

2016年06月27日 カーネル
宇津山城

天竜浜名湖鉄道 知波田駅から

時間ができたので、フラッと行ってきました。先人が書かれた徒歩25分を信じて・・・

しかし、駅でナビを起動すると城跡まで3km 42分の表示。少し遠回りの道の案内だったので、最短ルートで行きましたが、小さめの丘を2つ越えますので、平地と登りは早歩きで、下りは小走りしたら、25分で着きました!

宇津山山頂はお墓になっていて、舗装路の一番奥に城の案内図があります。手前にある『順路→』の看板につられて階段を下りたら、正太寺のミニ88箇所霊場巡りコースでした。あーあ

城内は口コミの通りです。遺構はよく残っていて、楽しめました

藪は背丈が低かったので、まだ我慢できるレベルでした

歩きの方は、2時間くらい見ておくと安心かと思います

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

2015年05月16日 
宇津山城

天竜浜名湖鉄道知波田駅から歩いて25分程。
現在正太寺の霊園となっている南北に広がる西の城域と、浜名湖に突き出た東西に伸びる東の城域の二つに分けられます。
連歌師宗長の「宗長手記」によれば大永7年(1527年)に宗長が宇津山城を訪れており、今川氏が三河進出の際に三遠国境の押さえと浜名湖水運の掌握の為、重要拠点としていた事がうかがえます。

先達も書かれている通り藪がひどく遺構が確認しにくい現状です。
倒木にも妨げられ、東側城域の三の丸付近より東側には踏み込めませんでした。
特徴的な遺構としては、東側の城域に片側を石積みで補強した土塁が二の丸〜三の丸付近に見られます。
これは静岡市の賤機山城主郭部にも用いられており、今川氏の特徴的築城方なのかもしれません。しかし、駿遠の城はだいたい徳川・武田両氏によって改修されており詳細は不明です。


2013年02月07日 三河守コーキしゃん
宇津山城

正太寺を過ぎた先を左に曲がり、坂を登った先(霊園)に説明板があります。

説明板の周辺に駐車スペースとトイレがあります。

石積みの土塁が本丸から二の丸まで続いていて、かなり見応えがあります。
井戸や曲輪等が残っていますが、冬でも藪が酷く、遺構は確認し難いです。



宇津山城の周辺スポット情報

 舟隠し(遺構・復元物)

 大御門(遺構・復元物)

 宇津山城跡の説明板(碑・説明板)

 佐久城(周辺城郭)

 野地城(周辺城郭)

 新居関所跡(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

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