松江城(まつえじょう)

松江城の基本情報

通称・別名

千鳥城、(旧末次城)

所在地

島根県松江市殿町

旧国名

出雲国

分類・構造

輪郭連郭複合式平山城

天守構造

複合式望楼型[4重5階地下1階/1607年築/現存]

築城主

堀尾忠氏

築城年

慶長16年(1611)

主な改修者

京極忠高

主な城主

堀尾氏、京極氏、松平氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、天守、石垣、横堀

指定文化財

国宝(天守)、国史跡(松江城)

再建造物

櫓、門、橋、石碑、説明板

周辺の城

荒隈城(島根県松江市)[1.6km]
白鹿城(島根県松江市)[2.8km]
満願寺城(島根県松江市)[3.1km]
真山城(島根県松江市)[3.8km]
海老山城(島根県松江市)[5.0km]
玉造要害山城(島根県松江市)[7.7km]
春日城(島根県松江市)[8.1km]
加賀城(島根県松江市)[9.7km]
本宮山城(島根県松江市)[10.8km]
牛尾城(島根県雲南市)[15.4km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

64 松江城

設置場所

松江城天守内受付窓口[地図

松江城の解説文



松江城(まつえじょう)は、島根県松江市殿町にあった江戸時代の日本の城。別名千鳥城。現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。

概要 

小瀬甫庵の縄張りによる平山城。江戸時代には松江藩の政庁として、出雲地方の政治経済の中心であった。山陰地方で唯一の現存天守であり、国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城松本城彦根城姫路城)。標高29メートルの亀田山に建つ天守からは宍道湖を眺望することができる。

明治時代初頭に廃城令によって松江城は陸軍省所管となり城内の建物は全て解体され売却される予定だったが、地元の有志によって天守閣だけは買い戻されて解体を免れた。近年、二の丸の櫓が復元されるなど往年の姿を取り戻しつつある。

昭和初期に城山部分は公園として開放され、現在は指定管理者制度に則り、特定非営利活動法人松江ツーリズム研究会が運営をしている。日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれるなど島根県の主要な観光名所となっている。

歴史・沿革 

前史

  • 鎌倉時代から戦国時代にかけて、この地に末次城(末次の土居)が置かれた。

築城

  • 1600年(慶長5年) 関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が、隠岐・出雲24万石を得て月山富田城に入城し、松江藩が成立。月山富田城は中世山城であり近世城下町形成には不利であったので、運送などに有利な宍道湖と中海を結ぶ太田川の近く、末次城跡を城地の候補とした。
  • 1607年(慶長12年) 末次城のあった亀田山に築城を開始。
  • 1611年(慶長16年) 正月には松江城は落成していた(堀尾吉晴は完成目前で急死しているというのが通説だったが、この年の6月に亡くなっているため、通説は誤り)。
  • 1633年(寛永10年) 堀尾忠晴没、嗣子なく堀尾氏は3代で改易となった。
  • 1634年(寛永11年) 京極忠高が若狭国小浜藩(若狭・越前国敦賀郡)より出雲・隠岐両国26万石で入封。三の丸を造営し、ここに松江城の全容が完成した。
  • 1637年(寛永14年) 忠高が嗣子なく没し、京極家宗家は一時廃絶(後に他国で再興される)。
  • 1638年(寛永15年) 信濃国松本藩より松平直政が出雲18万6千石で入封。以後、明治維新まで続いた。

近現代

  • 1871年(明治4年):廃藩置県により、廃城となる。
  • 1873年(明治8年):廃城令が公布され、天守を除く建造物は4円から5円(当時の価格)で払い下げられ、全て撤去された。天守も180円で売却されることとなったが、出雲郡の豪農の勝部本右衛門や元藩士の高木権八が同額の金を国に納める形で買い戻され、保存されることとなる[1]
  • 1889年(明治22年):当時の島根県知事、籠手田安定によって「松江城天守閣景観維持会」が組織される。
  • 1927年(昭和2年):所有者の松平家が天守を含む城地を松江市に寄付し、公園として開放される。
  • 1934年(昭和9年):国により史跡に指定される。
  • 1935年(昭和10年):天守が当時の国宝保存法に基づく国宝(旧国宝。現行法の重要文化財に相当)に指定される。
  • 1950年(昭和25年):文化財保護法の施行に伴い、天守は重要文化財に指定される[2]
  • 1950年(昭和25年)6月1日~1955年(昭和30年)3月 - 天守の解体修理が行われた。費用は当時約5300万円にのぼる。
  • 1960年(昭和35年):本丸一ノ門と南多聞の一部を復元。
  • 1992年(平成4年):都市景観100選に選ばれる。
  • 1994年(平成6年):三の丸と二の丸を結ぶ廊下門(千鳥橋)と二の丸下段の北惣門橋(旧眼鏡橋)を復元。
  • 2000年(平成12年):二の丸南櫓と塀(40m)を復元。
  • 2001年(平成13年):二の丸に中櫓・太鼓櫓と塀(87m)を復元。
  • 2006年(平成18年)4月6日:日本100名城(64番)に選定された。
  • 2007年(平成19年)4月~2011年(平成23年)12月 - 「松江開府400年祭」が行われた。
  • 2015年(平成27年)7月8日:天守の国宝指定が官報により告示[3]。国内の城跡で天守が国宝に指定されるのは63年ぶり5件目。

構造 

軍学者の小瀬甫庵、土木職人の稲葉覚之丞らが設計に携わった。松江市街の北部に位置し、南を流れる京橋川を外堀とする輪郭連郭複合式平山城である。宍道湖北側湖畔の亀田山に築かれ、日本三大湖城の一つでもある。なお、城の周りを囲む堀川は宍道湖とつながっており、薄い塩水(汽水域)である。構造は、本丸を中心に据え、北に北の丸、南に二の丸上段、東に二の丸下段、二の丸上段のさらに南には出城のように独立した三の丸が配されている。城の中心となる御殿は二の丸上段に置かれていたが、敷地が狭いため三の丸にも御殿が建てられ藩主は主にこちらで生活していたようだ。大手門は石垣のみが残るが巨大な枡形を形成しており、江戸城や大阪城に匹敵する規模である。現在、北の丸には神社、三の丸には島根県庁が建っている。

本丸

本丸は東西約54m、南北約123mの長方形で、東寄りに天守が建つ。基本的に、計6基の二層櫓が多聞櫓により結ばれていたが、鬼門にあたる北東のみは二層櫓を設けず、土塀のみを配置していた。東側の天守に対して、西側にあった鉄砲櫓は鯱をあげ、初層外側屋根上に唐破風をもうける小天守の風格ある櫓であったという。

天守

天守は外観4重、内部5階、地下1階で、天守の南に地下1階を持つ平屋の附櫓が付属する。形式上は望楼型天守に分類され、二重の櫓の上に二重(3階建て)の望楼を載せた形になる。二重目と四重目は東西棟の入母屋造で、二重目の南北面に入母屋破風の出窓をつけている。附櫓も入母屋造である。壁面は初重・二重目は黒塗の下見板張り、三・四重目と附櫓は上部を漆喰塗、その下を黒塗下見板張りとする。南北の出窓部分の壁は漆喰塗である。屋根はすべて本瓦葺きとする。構造的には、2つの階にまたがる通し柱を多用している点が注目される。建物の中央部には地階と1階、2階と3階、4階と5階をそれぞれつなぐ通し柱があり、側柱など外側部分には1階と2階、3階と4階をつなぐ通し柱がある。[4][5]

1・2階平面は東西12間に南北10間あり、高さは、本丸地上より約30m(天守台上よりは22.4m)ある。窓は突上窓と火灯窓あり、2階に1階屋根を貫く形で開口した石落しが8箇所あることを特徴としている。地下の井戸は城郭建築では唯一の現存例である。最上階は内部に取り込まれた廻縁高欄があり、雨戸を取り付けている。鯱は、木製の銅板張で現存天守の中では最大の高さ約2m。現在の鯱は昭和の修理の際に作り直されたもので、旧鯱は別途保管展示されている。また、石垣は「牛蒡積み」といわれる崩壊しない城石垣特有の技術が使われている。

『正保城絵図』では、現在の天守と違い二重目、三重目に千鳥破風が存在する等、多くの相違点が確認された。松江城の国宝指定にともない平成28年(2016年)4月に行われた調査において、現存天守に残る柱から破風の痕跡が発見された。『正保城絵図』に描かれた二重目(内部2階)、三重目(内部3階)の千鳥破風部分、四重目(内部4階)の唐破風部分に貫跡が確認され、正保城絵図に描かれた松江城天守閣が築城当時の実際の姿を示すものと確認された。[6][7]

松江城は築城より100年以上経過した江戸時代中期の元文3年(1738年)から寛保3年(1743年)にかけて大改修が行われた。改修前には千鳥破風や唐破風、漆喰壁があったとみられるが[8]、この大改修の際に天守も改装されて、現在の松江城天守の姿になったと推測される。作成年月が不明とされていた松江市指定文化財「松江城天守閣雛形」は、この大改修を行うために作られた模型であると考えられる。江戸時代制作の天守雛型が残るのは宇和島城大洲城小田原城延岡城、松江城の5城(合計8つ)があり、国宝5城の内では唯一の雛型である[9]

松江城の本丸は有事の際にだけ使用される「詰の丸」であり、天守は倉庫として使われていた。

二の丸

南櫓・中櫓・太鼓櫓

二の丸上の段東側に立つ3基の櫓。南櫓のみ二層櫓、中櫓と太鼓櫓は単層櫓となっており、各々土塀で結ばれている。平成13年(2001年)に松江藩の大工頭竹内有兵衛の木割図や古写真、古絵図、発掘調査をもとに忠実に復元された。このうち太鼓櫓にはその名のとおり太鼓が置かれ、時を告げる役割を担っていた。櫓の間を結ぶ土塀は、一間おきに狭間を、二間おきに控塀をもうけた構造となっている。

城下町

亀田山は北の奥谷方面から続く丘陵の南端にあたり、現在松江北高校のある赤山との間には宇賀山と呼ばれる丘陵があった。本丸北側の内堀開削は宇賀山を開削する大工事となり、大量に出た土砂は城下の整備に利用された。

松江城のある大橋川以北の島根郡側では、殿町、母衣町、田町、内中原町。外中原町などが武家屋敷地、京橋川以南の末次が町人地に割り当てられた。大橋川以南の意宇郡側では、白潟が町人地と寺町に割り当てられ、松平氏時代になると天神川以南の津田街道(山陰道)沿いに足軽町(雑賀町)が建設された。

  • 塩見縄手(旧武家町) - 北堀川周辺の、松江藩家老の塩見家の屋敷があった地区。松江市伝統美観指定地区になっているほか、日本の道100選に選ばれている。武家屋敷、明々庵、小泉八雲記念館、小泉八雲旧居、田部美術館など。

その他 

人柱伝説

  • 築城の際に天守台の石垣を築くことができず何度も崩れ落ちたので、人柱がなければ工事は完成しないと、工夫らの間から意見が出た。そこで、堀尾吉晴は盆踊りを開催し、その中で最も美しく、最も踊りの上手な少女を選んで生贄とした。娘は踊りの最中にさらわれ、事情もわからず埋め殺されたという。石垣は見事にでき上がり城も無事落成したが、城主の父子が相次いで急死し堀尾家は改易となり、続いて入封した京極家も断絶したため、人々は娘の無念の祟りであると恐れたという[10]。その後、天守は荒れて放置され、松平氏の入城まで天守からはすすり泣きが聞こえたという城の伝説が残る。また、城が揺れるとの言い伝えで城下では盆踊りをしなかった(小泉八雲「人柱にされた娘」など)。
  • 天守台下の北東部石垣が何度も崩落するため困っていたところ、堀尾吉晴の旧友という虚無僧が現れて、崩落部分を掘らせたところ槍の刺さった髑髏が出てきたので虚無僧が祈祷したが、まだ危ういところがあるというと虚無僧は「祈祷では無理だ。」というのである。どうすればいいのか尋ねると、「私の息子を仕官させてくるのであれば、私が人柱になろう。」というので、虚無僧に人柱になってもらい工事を再開させることができたが、堀尾家は普請の途中に2代忠晴で絶え改易となった、というものである[11]
    • これには別に、虚無僧の尺八が聞こえてきたので捕まえて人柱にしたところ、尺八の音が聞こえるようになった、というものもある。[12]
  • 築城の際、人柱を立てる事となり、毎晩のように歌いながら城の近くを通る美しい声の娘が選ばれて人柱として埋められてしまったため、城下普門院の近くで謡曲を歌うとその娘の泣き声が聞こえるという伝説もある[13]

国宝指定に向けて

昭和30年代に、国宝指定に向けての運動や陳情があったが国宝指定には至らなかった。松浦正敬が松江城の国宝指定も公約に掲げて松江市長(2期目)に当選した2009年(平成21年)以降は、「松江城調査研究委員会」や「松江城を国宝にする市民の会」を立ち上げるなど、国宝指定に向けての調査・運動が活発化していた[14]。懸賞金を掛けて史料を探していたが平成24年に松江神社で国宝指定に重要な、築城時期を特定できる「慶長拾六年正月吉祥日」などと書かれた祈祷札が見つかった[15][16]。2015年(平成27年)5月15日に文化審議会が松江城天守の国宝指定について文部科学大臣に答申[17]。同年7月8日の『官報』告示をもって国宝に指定された。

木造復元事業

1960年(昭和35年)に本丸一ノ門と南多聞の一部が木造復元され、1994年(平成6年)に三の丸と二の丸を結ぶ廊下門と二の丸下段の北惣門橋が木造復元された。二の丸の建造物として、2000年(平成12年)2月に南櫓と塀の一部(40m)、2001年(平成13年)2月には中櫓・太鼓櫓と塀の一部(87m)がそれぞれ木造復元された。また武具櫓の古写真も見つかっている。

さらに松江市では大手門木造復元に向けて懸賞金を掛けて図面や古写真などの史料を探している[18]

堀の自然環境

堀は、汽水域であるためハゼやメダカ、時にはアカエイも入り込む豊かな生物相となっている。2016年からは、ミシシッピアカミミガメなどの外来種の駆除も行われている[19]

城跡内にある施設

  • 興雲閣
  • 松江神社
  • 松江護国神社
  • 城山稲荷神社

末次城 

松江城築城以前に亀田山に築かれたとされる城。鎌倉時代に源姓佐々木氏の一族末次氏が居城として築き、戦国時代には尼子氏の城として使用された。後にこの末次城を領した毛利元就の子、元康が末次を名字として末次元康と名乗った。関ヶ原の戦いの後に堀尾氏が出雲に移封された際に、この末次城の跡地の残る亀田山を大きく造成して松江城が築城された。末次城の構造に関する記録は存在せず、幻の城であったが、2022年(令和4年)に末次城の物と思われる遺構(堀切)が発見された[20]。この発見により、松江城は亀田山を削り落として造成したのではなく、別の地より土砂を運び入れて造成した可能性が高まった。

指定文化財 

国宝

  • 松江城天守
    • 附:祈祷札2枚、鎮宅祈祷札4枚、鎮物3点(祈祷札1、槍1、玉石1)

史跡(国指定)

  • 松江城

交通 

  • 最寄駅:西日本旅客鉄道(JR西日本)松江駅・一畑電車松江しんじ湖温泉駅
  • 松江駅2~3・6番のりばから一畑バス・市バスで約10分
  • 松江しんじ湖温泉駅1~3番のりばから一畑バス・市バスで約5分

観光 

  • 堀川めぐり - 遊覧船で堀を周回しながら観光し、3箇所から乗船が可能。2つのコースがあり、3.7kmを約50分間で遊覧する。
  • 観光ガイド - 松江城を中心に周辺を回る5コースがある。
  • レンタサイクル

松江市と周辺で2018年12月2日に初開催されたフルマラソン大会は「国宝松江城マラソン」と命名された[21]

周辺

  • 島根大学旧奥谷宿舎(旧制松江高等学校外国人宿舎)
  • 田原神社 - 小泉八雲がよく通った神社
  • 千手院
  • カラコロ工房
  • 普門院(観月庵)

参考文献 

  • 【書籍】「名城を歩く : 松江城 : 宍道湖へと羽を広げた千鳥の城 」
  • 【書籍】「定本 日本城郭事典」

松江城の口コミ情報

2024年03月27日 ようこ姫
松江城

品格のあるどっしりとした素敵なお城だと思いました。明治の始め廃城寸前だったお城を、ここまで修復した熱意とご尽力に感謝です。

2024年02月25日 小太郎左衛門督南海道22國守
松江城



土日祝無料のおもてなし駐車場8ヶ所のうち、城に近い島根県庁駐車場(普通車82台程度)を利用。他にも有料駐車場あり。徒歩にて10分程度で天守閣に到着。令和6年2月23日情報。

2024年01月02日 七星屋伊賀守黒龍
松江城



美しい石垣とスマートな設計の天守にホレボレしました。年中無休です。よって大晦日のリア攻め実行でしました。風雨激しく傘が壊れそうでしたが、松江堀川遊覧船は運行、QRコード無事撮影完了。優美な木造建築の興雲閣は、和洋折衷のミステリアスな雰囲気で、これまた良し。

2024年01月02日 岩下内蔵助航大
松江城



堀を巡ったり国宝であること、現存12天守など松江城は、今まででもすごく良かった城だった!
ぜひ行ってみてねー!

2023年11月08日 尼崎城阿波守一口城主
松江城



8月26日、月照寺方面の西側から登城。以前100名城巡りで訪れたことはありましたが今回初めて天守北側の石垣(写真①)や馬洗池🐴💧(写真②③)を見学しながら登城。馬洗池は松江城案内板(写真④)の通り中曲輪にありました。
天守入口とは反対方向の腰曲輪方面(写真⑤)から上がって行き、鉄砲櫓から天守を撮影(写真⑥)
当日は以前の訪城時にはまだ出ていなかった御城印を求めて入城🖌
下城時は松江城大手前駐車場付近の堀尾吉晴公像(写真⑦)を撮影。銅像の説明板に<松江開府の祖堀尾吉晴公>息子の忠氏公急死後、子の志を継ぎ松江城築城の指揮を執ったとありました。
その後、県庁方面に進むと松江城天守方面を仰ぎ見る松江直政公像(写真⑧)がありました。像の案内板に松江藩主は堀尾三代、京極一代、松平十代であり、直政公は松平家初代とのことでした。直政公は大阪冬の陣での真田丸攻めに参陣して、その戦いぶりを讃えて幸村公が軍扇を投げ与えた美談があるとのことでした。

2023年11月08日 尼崎城阿波守一口城主
松江藩主松平家廟所[松江城  寺社・史跡]



[七代治郷(不昧)公編]
8月26日、前編に引き続き松江藩主松平家七代治郷(不昧)公廟をお参り。(写真①:案内板、写真②:お墓、写真③:不昧公廟門)不昧公はお茶🍵を広めたお殿様のイメージがあったのですが、それだけではなく窮乏した藩の財政を建て直すなど中興の祖と言われた名君でした。不昧公廟門の場所は<松江城天守を望む境内随一の勝地>とあり、写真④中央部に見えにくいかもしれませんが松江城天守を望むことが出来ました。境内には不昧公が父の為に建てた寿蔵碑(写真⑤⑥)や不昧公にお抱え力士として召し抱えられた名大関雷電の碑(写真⑦⑧)などがありました。

2023年11月08日 尼崎城阿波守一口城主
松江藩主松平家廟所[松江城  寺社・史跡]



8月26日、松江藩主松平家廟所がある月照寺をお参り。(写真①:案内板、写真②:松平家系図、写真③:案内図)
まず初代直政公のお墓をお参り(写真④⑤)案内板に<大阪冬の陣での見事な武者ぶりを敵将真田幸村公も思わず軍扇を投げて賞賛した>とありました。(※当日、松江城周辺を散策していましたが県庁前の直政公銅像の案内板にこの軍扇は松江神社蔵とありました。)
直政公の母君で当寺院名にもなった月照院様のお墓もお参りしました(写真⑥)
七代不昧公愛用の名水や庭園は心が落ち着く良い雰囲気の庭園(写真⑦)でした🍵
宝物館内は撮影禁止でしたが写真⑧の通り貴重な展示物を見ることが出来ました。

2023年11月05日 ダネまま刑部大輔
松江城



朝の早めの時間に、ゆっくりと石垣を眺めなら登城すると写真撮影もバッチリ。お堀も歩道を歩きながら、途中軽食や名物出雲そばを食べながらの散策も旅の醍醐味です。

登城は階段が急なのでズボンがお勧め、杖を持ち込みできるので、階段を登れる体力が有ればぜひどうぞ。

2023年06月11日 おっくん
松江城



さすが国宝~存在感満点でした。場内の方々も気持ち良い対応で良かったです。

2023年05月20日 たけ
松江城

石垣から現存天守、復元櫓など城のスケールも含めると現存5城の中で1.2を争う価値ある場所ですね✨

2023年05月05日 エムサカ陸奥守
松江城



大手前駐車場は天守入場時間には満車となります。土日祝日は近隣の官庁駐車場に無料駐車できるのでおすすめです。写真は県庁駐車場からの三ノ丸石垣

2023年01月05日 弾正大弼セチオ
松江城



大きな城ではありませんが、その古さから歴史を感じます。最上階からは松江を一望できます。天気が良ければ、今の時期は大山が雪化粧している姿を見ることができそうです。残念ながら、私は雲がかかっていたため、下の方しか見れませんでした。内部からも石垣の一部が見れたりします。一畑電鉄とJRの松江駅ともに徒歩で10〜20分ですが、城までバスも走っています。出雲大社に寄るついでに、一畑電車で私は訪れましたが、雰囲気のある電車で、おすすめです。

2022年10月31日 たまぴー大宰少弐
松江城



多くの城を見てきましたが、松江城は天守閣や石垣などの全てのバランスが良く、迷ったらここを見学するといいように思いました。

石垣は野面積みから打込み接ぎが見られました。石材は、安山岩が多いのですが、黒っぽい玄武岩もかなりあります。赤い石は凝灰岩かもしくは礫岩だと思いましたが、正解はわかりません。

2022年10月30日 やっきー兵部卿くま
松江城



以前から見てみたいと思っていた松江城は、天気もよく、全国旅行支援も始まって多くの人でした。なぜ国宝になったかとか、廃城にならずに天守わ守ってきたことなど知れてよかったです。時間がなかったので行けませんでしたが、城の周りの堀を船でめぐるツアーもたくさんの人で人気でした、

2022年08月21日 播磨屋蔵人頭
松江城

松江城の東にある松江歴史館には松江城と城下町の復元模型をはじめ、松江城・松江藩に関わる歴史を概観できます。天守とセットの券もあるのでおすすめです。

2022年05月09日 【城郭道】たっきー
ギリギリ井戸跡[松江城  碑・説明板]

松江城馬洗池(僕が骨折した場所)付近にあるギリギリ井戸。築城の際に石垣が崩れ、頭蓋骨が出てきたため、祈祷したところ澄んだ水が出てきたのでそこを井戸とした。そこは城の中心だったため、頭のつむじを指す方言からギリギリ井戸と呼ばれた。

2022年05月02日 たけぽんパパ内匠頭
松江城



天気が良くて天守閣が空に映えています。天守からの眺めは素敵です。

2022年04月29日 NMEA 6258
松江城



さすが国宝で現存12天守、内部の構造、展示の仕方、雨の日の攻城でしたが思い出に残るお城でした。

2022年04月20日 【城郭道】たっきー
南櫓[松江城  遺構・復元物]

二の丸上の段南面に配置された唯一の二重櫓で城下や城の南東方面を監視する役割があった。1875年に取り壊され、2001年に古写真や発掘調査の成果によって木造で復元された。一階の平面規模は4×4.5、二階が3×3.5である(単位は間で一間あたり約1.8メートルである)。

2022年03月21日 蔵人頭ねねぷぅ
松江城



立派な石垣が目に付きます。何と言っても堀がすごい!!堀の遊覧船待ちが1時間になっていました。

2021年11月01日 式部大輔 ほげらばり
松江城



松江堀川遊覧船 約50分かけてのんびりゆっくりお堀を廻ります。料金は大人1500円。船からはほとんど天守閣は見えませんが、船頭さんのお話を聞きながら、当時に思いを馳せつつのんびり船旅。なかなかオツでした。

2021年10月21日 城大蔵卿マニアケン
松江城



国宝天守5城の中では一番最近指定されたお城。築城者は堀尾吉晴と云う武将で、あまり知られていないが現愛知県大口町出身。三英傑に使えた武将。

2021年05月27日 【城郭道】たっきー
三の丸[松江城  遺構・復元物]



松江城の三の丸には現在は、島根県庁、松平直政像などが存在します。三の丸は本丸、二の丸より低い場所にあり、三の丸を通らなくても本丸に行けるという特徴を持っています。
にしても、松江城は水堀の残存状態がなかなか良いですね。

2021年05月02日 たろ
松江城

2回目の訪問。戦闘を意識した仕掛けが随所に配置された実戦的な城。現存十二天守で広さで2番目、高さで3番目を誇る天守では説明も充実しており、通し柱などの解説が面白い。ぜひ半日とって回りたい。帰りがけに二ノ丸の明治期の建築、『興雲閣』でスイーツとコーヒーで一息入れるのもお奨めだ。

2021年04月30日 真田蔵人頭三代
松江城



現存12天守のひとつ、松江城に行ってきました(^^)
駐車場は、城のふもとに無料のものがあって、平城ですが天守は大きめで、攻め甲斐がありました(^^)
珍しく城内に井戸があり、作りは当時の雰囲気が醸し出しており、さすが現存12天守閣の貫禄でした(^^)

2021年03月27日 美濃守レスタト
松江城



観光センターでミニ松江城のガチャガチャができます。1回500円ですよ〜。

2021年01月17日 曲輪淡路守削平
一ノ門[松江城  関連施設]



昭和30年頃、天守の昭和の大修理に合わせて建てられました。守衛室と消防ポンプ室を備えた復原風の公園施設。元々の一ノ御門は左側の石垣(近代の積み直しとか)上にあった弓櫓と続きになっていてもっと手前にあったようです。2020.8.12

2020年09月22日 しまっこ谷♪隠岐守
松江城



船着き場跡先の階段から、西門付近までは、立ち入り禁止になってまたが、11/22に行ったら通行可になってました♪

2020年09月08日 トロッコ安芸守
松江城



天守閣内部は順路が示され、展示も多すぎず見学しやすかったです。
階段が急(当たり前ですが💦)なので落ちないよう要注意です。

2020年08月18日 郡能登守直豊
松江城



1000城到達記念!快晴の国宝松江城。階段の急さは流石ですが、中の空間はかなり広く感じました。正面も良いですが、石垣側からのアングルがかっこいいです。

2020年08月16日 博万之里武田武者兵部卿
松江城

松江城はとても広く、隣の庭園とのセットチケットを買ったほうがお得です。この時期は水筒をお進めです。

2020年08月15日 能登守さとみっくす
興雲閣[松江城  関連施設]



松江城内にある建物です。
中へは入ることができ、レストランもあります。料理がとても美味しかったので松江城に行った際にここで食事をとるのにおすすめします。
二階に行くと明治、大正という感じの内部になっています。外に出て当時の雰囲気を感じてみてください。
パンフレットやポストカードもありましたよ!

2020年08月06日 【城郭道】たっきー
松江神社[松江城  寺社・史跡]

御朱印一枚300円であります。
松江城へ立ち寄った際は是非、行ってみてください。

2020年02月09日 KAZ中納言正勝
刻印石垣[松江城  遺構・復元物]



分銅紋の刻印石が3つあり、堀尾家の家紋になります(^-^)

2020年01月26日 ともりん雅楽頭♪♬☻
松江城撮影スポット[松江城  その他]

お城をバックにきれいに記念撮影できます。明々庵に入場する前の小さな広場から撮りました。

2019年07月07日 KAZ中納言正勝
馬洗池[松江城  遺構・復元物]



馬洗池!スルーする人が多いですが、全国的に見ても、この類いの池が残っている所は珍しい筈です。

2019年07月07日 KAZ中納言正勝
ギリギリ井戸跡[松江城  碑・説明板]

堀尾さんが普請してる時に、槍傷の入った頭蓋骨が出てきたらしいっす(=゚ω゚)ノ
供養する為に掘った穴がギリ(つむじ)に似てるトコから名前がついた様です。
僕んちのほーでも、ギリはつむじの事ですが…ギリ一つでつむじ一つの意味です。この辺は、ギリ二つでつむじ一つなのでしょうか(・・?)

2019年07月07日 KAZ中納言正勝
松江神社[松江城  寺社・史跡]

堀尾吉晴公や松平直政公などが祀られてます。ハートマークの石垣にちなんでか解りませんが、ここの絵馬はハートマークです。

2019年07月07日 KAZ中納言正勝
祈祷櫓跡[松江城  碑・説明板]

ここの石垣は度々崩れたとの事。もしかしたら、堀尾さんが普請した時に盆踊りの娘をさらって来て人柱にしたのがここかもですが、真意は不明です(//∇//)幕末には、コノシロ櫓とも呼ばれたらしいです。松平直政公の幽霊退治から名前がついた様ですが…ダ!ダジャレっすか?Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

2019年07月07日 KAZ中納言正勝
ハートマークの石垣[松江城  その他]

ハートの形の石垣です(^-^)

2019年05月28日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
松江城



水の手門食い違い虎口。高さ、作り共に圧巻で搦手の守りは厳重。

2019年05月27日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
松江城



水の手門跡。本丸の緩衝地帯である腰曲輪の虎口。搦手側の守りであり、手の込んだ作りとなっている。

2019年05月25日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
松江城

腰曲輪〜水の手門石垣。外曲輪からは水の手門及び埋門が腰曲輪の入り口となり、ここから本丸に至る。

2019年05月24日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
松江城



大手門越しの中櫓と太鼓櫓。二の丸は本丸と並列した連郭式の縄張りとなっている。

2019年05月21日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
松江城



二の丸南櫓と中櫓。人柱伝説や妖怪伝説が残る城ではあるが、これも中世の城の特徴。

2019年05月19日 青き巨星弾正少弼かみ
松江城

お城メダルは1種類で500円です。
ぷらっと松江観光案内所にあります。

2019年05月02日 石工集団穴太衆【兒】
松江城



松江城の土塀の控え柱の形状は臨戦時に上に足場板を渡すことで土塀の上部と下部の狭間からの攻撃や物見が可能となり、この上部に足場板を渡す構造を石打棚と言います

2019年05月02日 陸奥守たろす420九州断念
松江城



国宝天守◆本丸西側の乾櫓跡方面から天守を望む。こちらからの姿は白漆喰が少なく堂々とした黒塗の懸魚を施した入母屋破風・黒塗の下見板により黒を基調とした質実剛健な漢らしい姿が見られる

2019年04月28日 征夷大将軍 びゅ~てぃみみ
松江城



ご存知、搦手の水ノ手門跡。クランク状の虎口と積まれた石垣が堅固な守りだったことをうかがわせていると思います。
手のかかった作りに魅了されてしまうのはきっと私だけではないでしょう。

2019年04月28日 愛甲太閤【相模の狂人】
千鳥橋付近の土塁[松江城  遺構・復元物]



石垣でガッチリ仕切られた本丸〜東側に対して、西側は土のお城かと思わせるほど石垣が少なく、京橋川沿いには立派な土塁も残っている。写真は千鳥橋すぐ南の土塁。

2019年04月25日 征夷大将軍 びゅ~てぃみみ
松江城



天守裏側に密着。季節柄難なく侵入できました(虫はいました)。夏は草・木・虫…若干厳しくなるのではないかと思われますが、矢穴もハッキリ見ることができますし、これは低石垣ですが、中々良き石垣達に出逢うことができるので裏側登ってこれらの石垣を堪能してみるのも価値アリと思います。

2019年03月26日 牧 土佐守 隼人
松江城

今まで登った現存天守の中では、天守単体で言うと一番好きかもしれません。塩蔵。井戸。夥しい数の狭間。迎撃用の石打棚。開閉できる扉のついた階段。純然たる「要塞」!

2019年03月13日 国士無双河内守
松江城

2019.3.12現在
北ノ門修繕の為、水ノ門跡側から天守への通路が立ち入り禁止(通行止め)となっており、搦め手側からの頑強な枡形を見る事が出来ません。
また、天守の最上階も耐震補強工事の為、一部狭くなってます。

残念ではありますが、国宝の保守事業として一日でも早く元の武骨な姿をみせてほしいですね。

2019年03月05日 ホーホケキョ征夷大将軍クララ姫
松江城

【犬連れ入城情報】
本丸広場まではリードでOK。天守も抱いていれば入城OKです(管理事務所確認)。国宝五城ではおそらく唯一天守まで連れて入れるようです。我が家は周りの迷惑等を考え、広場まで入りました。

2019年02月10日 ☘️ぷ~太郎
松江城

御朱印あります。
松江城大手門、入って右側の、ぶらっと松江観光案内所にて販売しています。

2017年08月26日 サクラガイ
松江城

ちどり娘さんの松江城案内に参加して来ました。(要予約)かわいいお姉さんが着物を着て松江城を案内してくれます。

松江城ができた経緯、藩主、なぜ国宝指定となったかなどの説明もとてもわかりやすいですよ。

松江城は狭間が開閉式になっており、敵が攻めて来た時どこから弓矢が来るかわからない仕掛けになっていることや、1階に上がる階段は桐でできていてとても軽い釣り上げ式になっており、そのあと引き出し式の戸を閉めて敵の進入を防ぐようにできていることなどを教えてくれました。

たくさんの展示物の中からピンポイントで重要なものの説明もしてくれます。

ちどり娘さんが持っている写真やさし絵次の資料がとてもわかりやすく、それも写真に撮らせてくれました。

ただただ驚いたのが、この壮大な城がわずか5年で築かれた事です。

2017年05月12日 青き巨星弾正少弼かみ
松江城

現存12天守の松江城ですが、お城メダルはありません。
大手門側の売店で聞いたところ、「あ〜500円くらいで売っているやつですね。要望は出しているんですけど、まだなんですよ。」と可愛い女性スタッフに言われました。
そして「国宝記念メダルはあるんですけどね〜」値段も聞かず即買い。1枚2000円、直径4センチ、ブロンズ製、結構デカイ、メダルファイルに入らない「前の値段は3240円です」とこれってお得なのかな?

2017年03月13日 織田上総介晃司
松江城

週末は島根県庁の駐車場(無料)が開放されるのでお得です。
利用できない時もありますので確認はして下さい。

お座敷舟による堀端めぐり(¥1,200)で約50分松江を観光しても面白いです。
舟から見る天守も乙です。

松江に宿泊するなら宍道湖の夕陽はぜひ見てください。きれいですよ。

2017年03月02日 国士無双河内守
松江城

日本桜の名所100選にもなっている松江城ですが、虫害と老朽化のため、H29.3.17まで本丸庭園は補修工事中です。
芝生も養生中で通路がかなり制限されています。
天守の撮影にも看板・重機やフェンスが入ってしまい残念ですが、早く美しい景観に戻ることを願います。

搦め手口から徒歩約10分ぐらいで地ビール館があります。
2Fのレストランのお試しセットがおすすめです。¥1000で3種類の地ビール(グラスビールですが)が楽しめます。

2016年10月01日 源陸中守@ポンコ2…
松江城

松江駅のバス停⑦からレイクラインに乗り、10分200円ほどで松江城に着きます。
レイクラインでは松江の歴史などの紹介があり、帰りも乗りましたが、松江市街地を50分かけて一周します。本数は20分おきにあります。

下車後、二ノ丸に復元された中櫓・太鼓櫓・南櫓と高石垣、少し天守閣が目の前に広がり、ワクワク感を煽ります。
大手前から一ノ門まではそれほど時間もかかりませんが、この付近は打込接の石垣が目立ちます。
本丸は戦国の名残を感じさせる野面積の石垣となり、城が築かれた順が感じさせられました。

一ノ門を潜り天守閣入場券560円を購入しますが、内部に入らないなら不要です。
折角なんで天守閣外周を見てから入場しましたが、どの天守閣にも共通しますが、階段が急です。
また地階には修理で交換した柱などの展示、一階から四階までは甲冑や調度品の展示があります。
現存天守閣は、気の温もりがいいです。
望楼からは市内や宍道湖が一望でき、入る風が心地よかったです。

天守を出て、北ノ門跡から出て、二ノ丸など歩いて、滞在時間は90分くらいでした。

2016年05月02日 房総落去
松江城

結構前になりますが、出雲大社の建て替え記念公開を見に行った時に松江に宿を取ったので行ってきました。亡き妻との思い出があるので、関東から離れているのに親しみを感じるお城です。

2015年11月17日 カーネル
松江城

日の出とともに松江駅から松江城を左に見ながら白鹿城に向けて北上し、長谷口から登り白鹿城の本丸に到着。松江駅から1時間40分かかりました。そして反対側の西ノ谷登山口へ降りました

そこから南下して松江城へ。松江城に向けて最短距離の林道を歩いたら草で覆い尽くされていて、林道を抜けたら靴下と靴紐が種に覆いつくされて血の気が引く

西ノ谷登山口からは1時間で小泉八雲記念館。それでも開城前だったので北の丸・二の丸下の段・本丸を散策して時間つぶし。開城したら天守・二の丸・馬溜を経て松江駅に戻りました
松江城でかなり時間をかけたせいもありますが、松江駅-白鹿城-松江城-松江駅で5時間半かかりました

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです


2015年05月17日 まるき〜出雲守
松江城

松江城はスリッパとか履かずに裸足で見学できまーす。
中の撮影もOK!
見所沢山、物置?隠し部屋、箱便所…
床、階段がキシキシ鳴りまーす(笑
石垣も大きく茶系でとても綺麗でたくましいお城だぁ〜!
破風の傷み具合や屋根の裏の朽ちた感、現存天守である存在感、夜のライトアップも綺麗!最高でした。


2013年05月21日 はせちゃん弾正忠
松江城

5/26 島根県庁(三の丸跡)で発掘調査現地説明会が実施されるとのことです
江戸期の建物跡が検出したようです

2013年03月19日 はせちゃん弾正忠
松江城

明日3/20、三の丸で見つかった江戸期の石組み遺構(井戸跡か防火水槽らしい)を一般公開します

お近くの方は是非どうぞ

2012年12月26日 奥州王征夷大将軍毘沙門天乱丸
松江城

初めての登城で1時間ちょっとの散策でしたが5重6階の天主とあって見応え満足です(^_^)b
また3基の櫓は復元されたとは思えない程に重厚感たっぷりでした(^_^)
松江城を国宝にの垂れ幕に納得するくらいです!
また搦め手にあたる裏側には大手口のような立派な石垣は無くもの足りない感じでしたがそれもありかなという感想です。
みぞれ降る天候でなく晴れていれは最高でした!
また近くには松江歴史館もありセットで見学する事をお勧めします(^_^)

2012年09月17日 やま三河守すけ
松江城

10月15日まで、多分土日祝のみだと思いますが。水燈祭が開催され、掘りの周りを燈籠がいろどります。天守閣へも夜9時まで、行く事ができます。夜のお城もなかなか良いです。駐車場は県庁の駐車場が無料解放されてました

2011年08月18日 摂政M三郎
松江城

松江城の石垣は、その様式から、概して本丸周辺が古く、大手桝形付近の高石垣などは新しいもののように見えます。この高石垣は、安山岩を用いた切込接乱積で偶角部には完成された算木積を持つ素晴らしいものです。石垣上には、近年、櫓3基と城壁が復元されていますが、内2基は平櫓で全体に下見板張の外観に統一することで、背後の天守との調和が図られています。また、城周辺には、堀を掘り回し、宍道湖と水位連動させることで恒常的に防御性を確保しています。堀の水深は浅くなっているようですが、現在も城と水の景観は健在です

松江城の周辺スポット情報

 天守(遺構・復元物)

 千鳥橋付近の土塁(遺構・復元物)

 南櫓(遺構・復元物)

 舟つき跡(遺構・復元物)

 本丸北門(遺構・復元物)

 中櫓(御具足蔵)(遺構・復元物)

 太鼓櫓(遺構・復元物)

 乾櫓跡(遺構・復元物)

 鉄砲櫓跡(遺構・復元物)

 刻印石垣(遺構・復元物)

 馬洗池(遺構・復元物)

 刻印石垣(遺構・復元物)

 馬溜跡(遺構・復元物)

 大手門跡(南総門)(遺構・復元物)

 水ノ手門跡(遺構・復元物)

 三の丸(遺構・復元物)

 水堀(遺構・復元物)

 二之丸下ノ段(遺構・復元物)

 北惣門橋(遺構・復元物)

 稲荷橋(遺構・復元物)

 脇虎口ノ門(遺構・復元物)

 南多聞櫓(遺構・復元物)

 一ノ門(遺構・復元物)

 武具櫓(遺構・復元物)

 祈祷櫓(遺構・復元物)

 二ノ丸上ノ段(遺構・復元物)

 千鳥橋(遺構・復元物)

 大手木戸門(遺構・復元物)

 北の丸(遺構・復元物)

 武家屋敷(遺構・復元物)

 祈祷櫓跡(碑・説明板)

 ギリギリ井戸跡(碑・説明板)

 四十間堀・薬研堀(碑・説明板)

 末次広場(碑・説明板)

 筋違橋(碑・説明板)

 松江の唐人屋敷跡(碑・説明板)

 月支蔵跡・木実方役所跡(碑・説明板)

 三之丸の内堀石垣(碑・説明板)

 北惣門橋(碑・説明板)

 千鳥橋(碑・説明板)

 松江城三丸旧趾碑(碑・説明板)

 城下町の造成と外堀としての米子川(碑・説明板)

 船着門跡(碑・説明板)

 搦手虎口跡(碑・説明板)

 岸清一像(碑・説明板)

 松江神社(寺社・史跡)

 普門院(寺社・史跡)

 松江護国神社(寺社・史跡)

 城山稲荷神社(寺社・史跡)

 松江藩主松平家廟所(寺社・史跡)

 ぶらっと松江観光案内所(御城印)

 城内受付(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 島根県庁(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 月照寺 駐車場(駐車場)

 城山西駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 松江歴史館(関連施設)

 興雲閣(関連施設)

 一ノ門(関連施設)

 天守見上げる写真スポット(その他)

 撮影スポット(その他)

 ハートマークの石垣(その他)

 松江城撮影スポット(その他)

 堀尾吉晴公銅像(その他)

 松平直政公銅像(その他)

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