備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)

備中松山城の基本情報

通称・別名

高梁城

所在地

岡山県高梁市内山下1

旧国名

備中国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

複合式望楼型[2重2階/1600年頃築?・1681年改/現存]

築城主

秋庭重信

築城年

仁治元年(1240)

主な改修者

高橋宗康、三村元親、水谷勝宗

主な城主

秋庭氏、上野氏、庄氏、三村氏、小堀氏、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏

廃城年

明治7年(1874)

遺構

曲輪、天守、櫓、石垣、土塁、塀

指定文化財

国重要文化財(天守、二重櫓、土塀)、国史跡(備中松山城跡)、県史跡(備中松山城御根小屋跡)

再建造物

櫓、門、塀、石碑、説明板

周辺の城

矢倉城(岡山県加賀郡)[7.6km]
鶴首城(岡山県高梁市)[8.7km]
有漢常山城(岡山県高梁市)[12.6km]
鬼身城(岡山県総社市)[14.0km]
佐井田城(岡山県真庭市)[14.4km]
鬼ノ城(岡山県総社市)[15.9km]
小笹丸城(岡山県井原市)[16.1km]
鍛冶山城(岡山県岡山市)[18.6km]
冠山城(岡山県岡山市)[19.5km]
紫城(岡山県高梁市)[20.8km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

68 備中松山城

設置場所

備中松山城券売所[地図

備中松山城の解説文



松山城(まつやまじょう)は、岡山県高梁市内山下にあった日本の城(山城)。別名高梁城(たかはしじょう)。各地にある同名の城との混同を避けるため、一般的には備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)と呼ぶことが多い。

日本100名城の一つ。現存天守12城の一つでもあり、この中で唯一の山城である[1]。臥牛山山頂(標高487m)から南稜線にかけて遺構が残っており、そのうち一つである小松山城跡に現存天守(標高430m)がある。

概要 

城のある臥牛山(松山)は4つの峰からなり、小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。海抜約430mの臥牛山小松山山頂の本丸へは、麓の城下町から約1,500m、1時間ほどの道のりがある。この城は戦に備えて建設された「詰の城」であり通常はあまり使われていなかったと思われる。

江戸期の備中松山藩時代は山城で不便なため、山麓の城下町に「御根小屋」と呼ばれる藩主の御殿と家来の武家屋敷群を構え、そこで藩の政務を行った。現在、御根小屋の跡地は岡山県立高梁高等学校となっている。

備中(岡山県西部)は小藩に細分化され、倉敷のような幕府の直轄地もあったので備中松山藩の石高は6万石ほどであった。

城跡が国の史跡に指定され、江戸時代に建造された天守、二重櫓、土塀の一部が重要文化財に指定されている。そのほかに石垣、復元された櫓、門、土塀が現存する。日本三大山城の一つとされる。

歴史・沿革 

鎌倉時代 - 安土桃山時代

仁治元年(1240年)、秋庭三郎重信が備中有漢郷(現・岡山県高梁市有漢町)の地頭となり大松山に最初の城を築いた。元弘年間(1331年頃)、高橋宗康が小松山まで城を拡張した。

城主は時代と共に上野氏、庄氏、三村氏と変遷する。戦国時代、三村元親の時代には大松山・小松山を範囲とする一大城塞となった(現在も石垣の一部が残る)。

元亀元年(1570年)には元親が備中に兵を進めた宇喜多直家を迎え撃つために出撃した際に、直家と通じた庄高資・庄勝資親子に松山城を占拠されるという事態が起こったが、翌元亀2年(1571年)2月に穂井田元清の協力の下で庄高資を討ち、松山城を奪還した。天正2年(1574年)、三村元親は毛利氏から離反し織田信長に寝返った。翌年にかけて、三村氏と毛利氏の争いが続く(備中兵乱)。城は毛利方の小早川隆景により落され、元親は自害した。備中兵乱の後、毛利氏の領有となった。

江戸時代

近世を通じ、城主は池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏と入れ替わり、最後の城主は板倉氏であった。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで毛利氏が西軍につき敗れた後、江戸幕府が城番(小堀正次・政一)を置いた。この頃、麓に御根小屋が築かれた。

元和3年(1617年)、池田長幸が入城し、6万3000石で立藩するが、寛永18年(1641年)、2代長常が嗣子なく没したため同家は廃絶。備後福山藩主の水野勝成家臣が城番となった。

翌寛永19年(1642年)、水谷勝隆が5万石で入封。2代勝宗は天和元年(1681年) - 天和3年(1683年)にかけて天守建造など3年にわたる大修築を行い、城は現在の姿となった。しかし、3代勝美は嗣子なく元禄6年(1693年)10月に死去。その養子となった勝晴はわずか1か月後の同年11月に13歳で早世し、水谷家は断絶した。

水谷家断絶後は赤穂藩主・浅野長矩が城の受取りにあたり、家老・大石良雄が城番となった。松山城下で浅野・大石主従はよろしくない評判となった記録が残る[2]。のちに水谷家は勝美の弟・水谷勝時が3000石の旗本(勝英の代に500石が加増)として再興され明治に至る。

元禄8年(1695年)、安藤重博が6万5000石で入封するが、正徳元年(1711年)に転封。同年、石川総慶が6万石で入封した。延享元年(1744年)、石川氏が転封になると、板倉勝澄が5万石で入封し、明治時代まで板倉氏が8代続いた。

慶応4年1月18日(1868年2月11日)、戊辰戦争で朝敵とされた松山藩は執政であった陽明学者・山田方谷の決断で無血開城した。

近現代

明治6年(1873年)、廃城令が公布され、御根小屋は取り壊された。山城は新政府によって7円(現在の約5万円)で商家に売却された。しかしあまりにも不便な場所にあることから山上の建物は解体されずに放置・荒廃が進み、天守はツタが生い茂り崩壊寸前、天守脇にあった八の平櫓にいたっては倒壊した[3]。昭和初期、高梁中学校教諭の信野友春が山城を調査しその詳細な記録を『備中松山城及其城下』に著し刊行する。信野の著書を契機に山上の建物が修復の機運が高まり、修復のために高梁町によって1万8000円の予算が組まれた。昭和5年(1930年)より二重櫓、天守の順で修理がなされた。

昭和16年(1941年)には天守、二重櫓、三の平櫓東土塀の3棟が当時の国宝保存法に基づく国宝(旧国宝、現行法の「重要文化財」に相当)の指定を受ける。これら3棟は、昭和25年(1950年)、文化財保護法の施行により、重要文化財となった。昭和31年(1956年)11月7日には城跡が国により史跡に指定される。昭和35年(1960年)、高梁市が管理団体となる。平成6年(1994年)より本丸の復元整備が行われ[4]、本丸南御門、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、六の平櫓、土塀などが復元された。平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(68番)に選定された。

又、山麓の御殿である御根小屋、九の平櫓等のこれ以上の建物の木造復元計画は予算の関係でない。

天守 

松山城の天守は、構造などは不明であるが毛利氏時代から、小堀氏が城番で入城する慶長の間にはすでに存在していたと考えられている[5]。現在見られる天守は、天和元年(1681年)に2代水谷勝宗が造営したとされるが、慶長5年(1600年)に小堀政次、政一が建てたものを、2代水谷勝宗が改修し、現在のような姿になったともいわれる[6]

現存する天守は、2層2階で、西面に半地下のようにして付櫓(廊下)が附属する複合式望楼型天守である。現在は西面に附属する付櫓(廊下)に開けられた出入り口から入ることができるが、当初は、八の平櫓から渡櫓を経て天守へ至った。また天守に通じる石段は、敵の侵入を遅らせるために、直角に曲げられている。1階には、調理や冬の暖をとるために長囲炉裏が掘られているが、城内で火を使うことは禁じられ、ほとんど使われることはなかったといわれている。一段高い場所にある「装束の間」は、城主の御座所であるとされ、また城が攻められた時に城主が自害をするための場所であるともされる。2階には、愛宕権現や成田明神など9柱の神を祀った「御社壇(ごしゃだん)」と呼ばれる舞良戸で仕切られた部屋がある。外観は、建物高さが約11mほどで現存する12か所の天守の内では最も小規模であるが、12か所の内では最も高所にある[7]。腰板張りで1重目の唐破風出窓や2重目の折れ曲がり出窓など、縦連子窓を多用し、1重目屋根には、西面に千鳥破風、北面・東面に入母屋破風、南面に向唐破風が付けられている。

問題点 

石垣崩落の危険性

大手門跡の後方にそそり立つ巨岩と、その上に載る厩曲輪石垣は圧巻である。しかしながら、巨岩の割れ目に貫入した樹木の成長により、割れ目が次第に大きくなっている。更に巨岩の上に載る石垣の重みで岩のズレを生じている。これらの影響で上部の石垣が変形しつつあり、将来崩落する危険を孕んでいる。

このため、平成11年(1999年)より高梁市教育委員会は京都大学防災研究所と共同で、岩盤斜面にペルー・マチュ・ピチュ遺跡などで地滑りの観測をしているのと同様の不安定岩盤斜面監視システムを設置し、調査・観測している。

獣害

臥牛山には野生の猿が生息しており建造物に登り壁や瓦を破損させるなどの被害が出ていた。このため平成の復元整備の際に、主要建造物の周囲に高圧電線の柵を張り巡らせ侵入を防止する対策を施している。また、登城道路脇にはフェンスが張られ、猿と同時に猪が麓に降りて農作物を荒らす被害を防止している。

雲海 

竹田城(兵庫県)のように時期や条件などが合えば雲海に浮かぶ姿が見られ、その姿は天空の城と称される[8]。本丸とは離れた位置にある雲海展望台(雲海に浮かぶ備中松山城を望む展望台)から見ることができる[9][10]

  • 時期:9月下旬から4月上旬の早朝、特に10月下旬から12月上旬は可能性が高い。12月から2月末までは積雪になる事もあるので注意。時間は明け方から午前8時頃まで。
  • 条件:風がなく、よく晴れて、寒暖差(前日の日中と当日朝の気温差)が大きい事[11]。現地の濃霧注意報などを参考にする事。

交通アクセス 

本丸

標高87mのところに松山城登山口バス停、標高196mに城見橋公園駐車場(110台、駐車無料)、標高291mにふいご峠駐車場(14台、駐車無料)がある。

土日祝日及び観光シーズンの平日は、城見橋公園(城まちステーション)⇔ふいご峠の間をシャトルバスが運行しており、同区間において自家用車は通行禁止となる。そのため、自家用車は城見橋公園で駐車後、シャトルバスに乗り換えてふいご峠まで行くことになる。シャトルバス運行期間外は自家用車でふいご峠まで行くことができる。

徒歩での天守までの所要時間は、ふいご峠からは約20分、城見橋公園からは約40分、松山城登山口バス停からは約50分、備中高梁駅からは約90分。

自家用車
  • 岡山自動車道 賀陽ICより車で約30分(城見橋公園駐車場まで)。
  • : 土日祝日及び観光シーズンの平日には、城見橋公園(城まちステーション) - ふいご峠間でシャトルバス(往復500円、約15分間隔、約5分)が運行される。ふいご峠下車後徒歩約20分。
観光乗合タクシー
JR西日本備中高梁駅西口より
  • 備中松山城観光乗合タクシー : 前日17:00までに高梁市観光案内所(高梁市複合施設2階)へ要予約。年中無休で1日往復4便運行する。ふいご峠まで約10分。(片道1人800円)、ふいご峠下車後徒歩約20分。
路線バス
JR西日本備中高梁駅西口の高梁市複合施設1階 高梁バスセンター発
  • 備北バス : 高梁市内循環で約10分、松山城登山口下車(片道170円)。登山道を徒歩50分。

雲海展望台

備中松山城雲海展望台(雲海に浮かぶ備中松山城を望む展望台)の位置は、備中松山城の臥牛山とは別の山にあるため、備中松山城とは違う道を通ることになる。賀陽ICから車で約10分と近く、国道484号の高梁市松山地内から市道を入り約3.7km先に位置する。展望台付近に駐車スペースがあるものの台数が非常に少なく、混雑期は付近の路上へ縦列駐車を行う必要がある。

自動車
  • 岡山自動車道 賀陽ICより車で約10分。
  • :道路から展望台まで徒歩約1分。
観光乗合タクシー
JR西日本備中高梁駅西口より
  • 雲海展望台観光乗合タクシー : 前日17:00までに高梁市観光案内所(高梁市複合施設2階)へ要予約。10月~3月の早朝2便。備中高梁駅からの送迎と、雲海展望台の見学を含めた、所要時間約70分のコース。(1人3,000円)
徒歩では備中高梁駅から約3時間(12km)のため、推奨されない。

利用案内 

  • 開城時間
    • 4月〜9月:9時〜17時30分
    • 10月〜3月:9時〜16時30分
    • :入城は閉城時刻の30分前まで。
  • 休城日:12月29日〜1月3日(本丸)
  • 入城料:大人 500円、小中学生 200円、団体割引あり

その他 

ロケ地

大河ドラマ『真田丸』のオープニング映像に使用された。真田氏とは無関係の城だが、岩山の上に残る城郭が真田氏の居城のイメージに近かったことから、NHKのディレクターの目に留まり、ロケ地に選ばれた[12]

猫城

猫城主として「さんじゅーろー」がいる。元々は2018年7月1日に引き取られた飼い猫だったが、同月14日の平成30年7月豪雨の際にベランダから失踪した。その1週間後に当城にて発見されて、世話されているうちに城に居着くようになり「城主」の呼び名が浸透した。高梁市観光協会が元の飼い主を探していたところ、同年10月中旬に見つかったが、城に居着いてしまったことから観光協会に譲渡が決まった。被災から激減していた観光客数は「さんじゅーろー」人気でV字回復していたものの、同年11月4日にも再度失踪し、同月23日に発見されて以降は獣医師の元でのルールを決めた上で猫嫌いな訪問者にも配慮することとした。2018年12月16日には正式な猫城主として「再入城の儀」を行った[13]。(備中松山城 猫城主 さんじゅーろー(高梁市観光協会)(http://takahasikanko.or.jp/modules/event/index.php?content_id=286))

参考文献 

  • 【書籍】「定本 日本城郭事典」
  • 『国指定重要文化財 備中松山城』 現地配布パンフレット

備中松山城の口コミ情報

2023年11月24日 けんさん
備中松山城

高梁駅2階の観光案内所で聞いたところ城見橋公園からふいご峠までシャトルバスがあります。(往復500円)※最終バス時刻注意!ここから急登を徒歩約20分真田丸で使われた塀が見えて来ます。二の丸では、猫城主のさんじゅうろうが迎えてくれます。チケット売り場では、御城印と名城カードを販売しています。名城スタンプもここにあります。道は、石段や舗装された道ですが濡れていると滑りやすいのでスニーカーなどオススメです。

2023年11月18日 虎まる
武家屋敷-旧折井家[備中松山城  遺構・復元物]

高梁市のマンホールカードは備中松山城+猫城主様の図柄♪石火矢町にある武家屋敷旧折井家の受付で配布されています♪

2023年10月22日 さかけん
備中松山城



日本で唯一残る現存する山城です!8合目から歩いて城までかなりこたえます、8合目で杖等を貸してくれるので脚に自信が無い方は活用して下さい。

2023年09月23日 ちく河内守
備中松山城



ざ・山城。ある程度は車で行けるので少々体力に自信が無くても登城は可能かと。城主のさんじゅうろー様にご無礼の無きように。

2023年09月18日 しろ飛騨守ばか
備中松山城



三大山城ののりは備中松山城。岡山イベに合わせて強行軍で出陣…来てよかった!遠くから遠征した疲れを吹き飛ばすくらいに素晴らしいところでした。

2023年05月29日 右兵衛督Anya
備中松山城



車で5合目の城まちステーションまで行き、登城整理バス(往復/500円)にて8合目のふいご峠へ。登城バスが運行されていないときはふいご峠まで車で乗り入れ可能ですが、場所によってはすれ違いができないかなり細い道なので注意が必要です。

天守には自販機や売店がないのでふいご峠で購入するのが良いと思います。5合目の城まちステーションには貸し杖もありました。

囲炉裏のある珍しい現存天守、美しい石垣と猫城主のさんじゅーろーくんを堪能しました。備中松山城のある臥牛山から見下ろす景色も絶景でした。

2023年05月04日 次郎坊
備中松山城



さんじゅーろーに会えました。バスを降りてから20分くらいで登れました。二重櫓特別公開してました。

2023年04月09日 織田上総介晃司
寺山城[備中松山城  周辺城郭]

寺山城(市指定史跡)近くに駐車場が有り、登城口には簡易トイレと説明板が有ります。

車でのアクセスは備中川面駅を目指し国道180号より高梁川の橋を渡ります。踏切の先に説明板と「←2.5km 6km→」と案内板があります。はやる気持ちを抑えてここは右折しましょう。左折すると距離は近いですがかなりの悪路となります。

整備されていて歩きやすく遺構もはっきりと確認できます。感謝。でも季節によりすぐ藪化する恐れがあるので登城時期選びは慎重に…

2023年03月30日 山下相模守正成
城まちステーション[備中松山城  関連施設]



この施設から登城整理バスに乗ることができます.登城整理バスについての情報は以下のサイトを参考にしてください
http://takahasikanko.or.jp/modules/takahashi/index.php?content_id=18

2023年03月16日 備前大納言マサトシ
備中松山城



駐車場からも山道を登っていくので少しハードめでですn。その分の眺めはかなりいいですよ。人気なのか駐車場狭いのもありますが平日でもいっぱいです。

2023年03月07日 草太刑部卿
備中松山城



山城の中でもここは、清々しい雰囲気。最近は「猫城主」で人気のため、駐車場への道のりで待たされることがあります。時間に余裕を持って、登城したほうが良さそうです。

2023年03月05日 龍馬備中守【感謝】
大松山城[備中松山城  周辺城郭]



岡山県高梁市の【大松山城】備中松山城の背後、標高480mの臥牛山山頂に築かれた中世山城です♪臥牛山は大松山、天神の丸、小松山、前山の峰の4つの峰から構成され、地元では『おしろやま』として親しまれています♪備中松山城の水の手から大堀切を挟み、その先が大松山城です♪築城主は秋庭重信♪備中国は上房郡有漢郷の地頭であり、元々は相模国の武士♪承久3年後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権である北条義時に対して討伐の兵を挙げた承久の乱の功績によりこの地を賜りました♪はじめに台ヶ鼻城を築き、延応2年頃に大松山城を築城しています♪そんな大松山城♪1番大きな戦としては、やはり備中兵乱☆コレは三村家親🆚毛利氏・宇喜多氏の間に起きた争いです☆イザコザが複雑に絡み合う中で備中国に勢力を確立した三村元親は、主家である安芸国・毛利氏から離反☆これは宇喜多直家に父・三村家親を暗殺された事に始まります☆毛利氏が宇喜多氏と手を結んだ事により、毛利氏にはついていけない!と離反した訳です☆三村氏の離反で毛利本隊は備中国へ侵攻を開始☆三村元親により要塞と化していた本城を攻める事は難儀であると判断した毛利軍は、周囲を固める支城群を次々と落としていく作戦を取っています☆近隣の杠城を陥落させ、三村元親の弟・三村元範を自害に追い込みました☆
その後も毛利軍は怒涛の勢いで侵攻☆
三村軍の三村兵部は猿掛城の守備を諦め大松山城へと後退☆更には支城群の国吉城、美袋城、鬼身城が落城☆支城群を一通り落とした毛利軍はいよいよこの大松山城を取り囲み攻撃しましたが、毛利方に被害が出た為に持久戦に切り替えます☆
備中国から美作国の境に掛けて広範囲で麦刈りを実施☆兵糧を断ち、追い込みます☆城内で寝返るものが出始め遂には陥落してしまいました…三村元親は妻子・家臣を守る為に覚悟を決め、毛利軍に使いを出し切腹を願い出ました…☆毛利氏はこれを認め、三村元親は旧知の間柄だった毛利家中・粟屋元方が見守る中、辞世の句数首を残し松連寺で自刃しました☆その句の1つが…
『人といふ 名をかる程や 末の露 きえてぞかへる もとの雫に』戦国時代後期には城域を小松山まで拡大した大松山城☆後に入部した毛利氏が近世城郭へと変貌させていく☆江戸時代に小松山に天守が♪中心地の位置が変わっていきました☆更に山麓の御根小屋に御殿が築かれ大松山城はその存在価値を失っていきました☆

2023年01月08日 ともっち♪丹波守
大池(血の池)[備中松山城  遺構・復元物]



行った時は水がなかったです。次は水のある時に行きたいです(о´∀`о)

2022年11月05日 ゆらキング⭐️左衛門佐信繁
備中松山城



備中松山城🏯紅葉は三分程度でしょうか。ちょっとした山登りでした‼️シャトルバスは使わず駐車場から登り降り🗻気候も良く気持ちよく運動になりました。

2022年08月21日 魔王
備中松山城



鞴峠駐車場から歩いて20分。立派な石垣にビックリです。真田丸のオープニングで使われたことを行ってみて知りました。是非一度、登ってみて下さい。

2022年08月15日 丸
備中松山城



備中高梁駅近くから見上げてこれならいけるなと徒歩で登城。事前にざっと地図に目を通して位置関係を把握しておけば迷うことがない程度に案内板が出てきます。
駅からふいご峠駐車場までは徒歩で45分程度と順調でしたが、ここからの残り700mで突然動けなくなり20分かけて登りました。
自販機は天守周辺にはないので必要な方はふいご峠駐車場で購入しておいてください。
帰りはゆっくり歩いて駅まで60分程度でした。遊歩道の整備状態は良好で歩きやすかったのですが、くだりで足を滑らせて尻もちをつきましたので十分お気をつけください。

2022年04月26日 なかしん大蔵大輔
備中松山城



車で近くまで行けるようですが道は狭くガードも無く危険。シャトルバスが頻繁に走っており、おすすめです。往復500円 天然の崖の上に石垣が組んでありました。城主の猫だそうです。地面は滑りやすい。シャトルバス降りて700m位歩きます。

2022年02月27日 織田上総介晃司
大松山城[備中松山城  周辺城郭]

今回、備中松山城より奥に進み登城。別ルートとして大松山吊り橋からの登城もあります。

大松山城と備中松山城(小松山城)の線引きはどこか?
備中兵乱の戦況やその後の備中松山藩の状況により、この口コミでは土橋で線引きして、土橋までを備中松山城(小松山城)。相畑より先を大松山城としました。

大松山城は中世の色を濃く残しております。今の大池や番所跡の石垣・切通堀切は中世以降のような気がしますが、あえて大松山城として写真を投稿しました。

2022年02月01日 中務卿フラッフィー
備中松山城



城主のさんじゅーろー様が立派にお城を守っていました!山道は晴れていても険しい箇所があるので、登山靴で臨むのが良いと思います。

2021年12月01日 日向夏隠岐守
スタンプ設置場所(券売所)[備中松山城  スタンプ]

写真撮り忘れましたが、平時は城主さんじゅーろーはこの中で寝てます🐱

2021年11月14日 左近衛中将ふみふみニャンコ
備中松山城



紅葉と石垣と城主さんじゅーろー様への拝謁を目的に行ってきました。山全体の紅葉には少し早かったですが、紅葉のグラデーションが素晴らしかったです。
大河ドラマ「真田丸」のオープニング(CGで水が流れてる映像ですが)に使われた岩壁を利用した石垣は、紅葉も相まって感動でした。明日の朝は雲海に浮かぶ天空の城を見られますように!

2021年09月25日 陸奥守新九郎
備中松山城



「登城には危険が伴います。」の看板が秀逸です🤣💕
日本一高いところに残る天守の謳い文句の通り、なかなか大変な登城🏯でしたが💦、天守だけでなく石垣も土塀も二重櫓も素晴らしかったです✨

2021年06月27日 檜垣
備中松山城



展望台から城を目指しました。距離は若干長くなりますが基本下りなのでこちらのほうがいいと思いました。

2021年04月29日 けいご内匠助
備中松山城

駐車場に車を止めてシャトルバスの切符を購入して乗り込みます。途中で降ろされ,そこから歩きです。真田丸のオープニングで使われた石垣や現存する塀に目を奪われます。上がっていって受付があり,そこで御城印を購入できます。駐車場の売店では購入出来ないのでここで購入しておきましょう!現存する天守に入って展示なども見て,裏の二重櫓も見ましょう。こちらも現存です。

2020年10月26日 ドクターイエロー左馬頭
備中松山城



「晴れの国おかやま 御城印めぐりキャンペーン」ただいま好評開催中です(令和3年3月1日まで)。リア攻めは本丸天守閣近くでOK。体力と時間に余裕があれば、二重櫓の横から奥に更に進み、大松山城跡や大池(現在発掘調査中)まで足を伸ばしてみてはいかがでしょうか?バス停から天守閣までと同じ約750mの山道です。なお現存二重櫓(普段は非公開)は令和2年11月1日より3日まで築城780年記念として内部を一般公開予定です。写真は大池です。調査の為に水抜してます。R2.10.25訪城

2020年08月28日 コネホ左衛門督
備中松山城

車で向かいました。シャトルバスの区間は道が狭いですが、係りの人が一方通行にしてくれるので、運転が苦手な方でも大丈夫。
猛暑もあり汗ダクで登りました。ふいご峠の自販機で飲み物を買って行くのがいいでしょう。
猫城主さんじゅーろーもいましたが、コロナの影響でお触り禁止でしたし、気温もあってか心なしか元気がなかった気がしました。

2020年08月24日 KMAX加賀守
備中松山城

なかなかの山登りでした。汗だくになって登ったかいがある立派な城で楽しめました。猫城主さんじゅーろー君はコロナのため残念ながら不在。

2020年08月16日 千賀乃介琉球守国宝5城済
備中松山城



ふいご峠まで駅からタクシーで移動1,600円前後帰りにタクシーを呼ぶためにレシートをもらっておく/ふいご峠から徒歩にて登城歩きやすい靴山中なので長袖長ズボンがお勧め夏は水分も/パンフには登り20分とあるが写真を撮ったり休憩したり40分はみておこう/降りは20分/本丸から天守の裏の二重櫓を先に見てから天守に登城/復元された六の平櫓では備中松山城の映像が4種全部見ると30分前後/本丸天守で60分は欲しい/ふいご峠から往復で120分はみておこう/タクシー帰りは1,800円前後/駅から150分程度でたっぷり楽しめます。

2020年07月24日 yasu
備中松山城



令和2年7月15日登城しました。倉敷から備中高梁まで伯備線利用、通学ラッシュでコミコミでした。8時過ぎに着いて、タクシーでふいご峠駐車場まで、コロナの影響?竹杖は無く、か細い木の枝や棒しかありませんでした。暑さの中ベンチがある場所で数分の休憩を繰り返し、38分で本丸へ!貸切状態でたっぷりと2時間見学、10時頃からは数人上がってこられました。給水機はコロナで使用禁止なので登る前に飲み物は準備して下さい。城主さんじゅーろー様にも挨拶(笑)出来て楽しかった。
下りは膝の負担考えゆっくり20分でした。

2020年07月19日 葵 弾正大弼
土橋[備中松山城  遺構・復元物]



天守から土橋までは徒歩5分位です。見応えがあります。

2020年07月19日 葵 弾正大弼
御根小屋跡[備中松山城  遺構・復元物]



高梁高校あたりが御根小屋だったらしいです。その高校裏手に遊歩道(登山道)入口があります。ここから天守まで、歩いて50分位かかりました。傾斜はキツく、猿が出るし、虫もいます。注意しましょう。

2020年07月19日 葵 弾正大弼
二重櫓[備中松山城  遺構・復元物]



忘れがちですが、必見ですよ!天守のすぐ裏です。格好良さに惚れ惚れします。

2020年07月19日 葵 弾正大弼
頼久寺[備中松山城  寺社・史跡]



小堀遠州作の庭園です。当時としてはかなり大胆な造りで、現代芸術に通じるものを感じます。一見の価値あり。

2019年11月05日 水野讃岐守祐利【7】
備中松山城

学問を修め、教育者として優秀な人材を登用、農工軍事学にも通じていたが、自身は質素な生活を送っていました。しかも、幕末には自らの命をかけて領民を救い、藩の名誉を守った。
とんでもない偉人です‼️
ご城印配布のポイントとしてここを選んだのは、郷土の偉人を広く知ってもらいたいという、地元の方々の愛のなせる技と感じました。
ぜひ、訪れてみてください。

2019年11月05日 水野讃岐守祐利【7】
備中松山城

山田方谷は、さらに学問にも力を入れて、優れた人材は農民や商人でも藩士に取り立てました。これにより、方谷の名は諸国に広がり、有名なところでは長州の久坂元瑞、長岡の河合継之助なども見学に訪れました。


2019年11月05日 水野讃岐守祐利【7】
備中松山城



ご城印を頂くポイントの山田方谷記念館は城下高梁市郷土資料館の隣にあります。
方谷は幕末の儒学者で、幼い頃から学問をよくし、江戸の佐藤一斎の塾にて佐久間象山を何度も論破するほどの秀才でした。藩政にかかわるようになると、十万両の借金を10年経たずに完済、さらに十万両蓄財するなどの功をあげています。(続)

2019年07月24日 モル玄蕃頭
備中松山城

登山口から約1時間かけて登城しました。土日しかシャトルバスが無いので要注意です。
夏場は特に高梁駅からタクシーをおすすめします。


2019年05月03日 blue9左京大夫
備中松山城

ゴールデンウィークに備中松山城に来たら、駐車場が1時間待ち。。タクシーで来ると、優先して通れるみたいです。

2019年05月01日 わがもも姫
備中松山城



平成、令和変わり目の両日のみ公開された天守と同じ330年前に建築されたという二重櫓。すぐ前に天守、城主が自刃したとされる部屋が見える。山城の高さとしては日本一。3月に来た時には雪が舞っていたが、本日は暖かく、猫の城主は平和な新しい時代の幕開けを、それがどうしたというように、我々を出迎えていた。

2019年01月29日 安那備後守はるか
備中松山城

備中松山城は麓の城下町も見所がたくさんあり、近くに山中鹿助の胴塚や墓所もあります。もう一城行きたい方の為に~本城、支城の備中国吉城がおすすめです。標高が高いですが公園になっており主郭まで車で行けます。麓の東からの遠景は頂上が綺麗に削平している姿は大変美しいです。ひたすらあがって行くと1つ目の駐車場を越えた先に最終の駐車場があります。そこまでに曲輪や土橋を車窓からでも確認出来ます。最終駐車場からはほとんど距離がなく主郭まで行けます。南に落ちる雛段の曲輪がとても見応えあります。土のお城がお好きな方にはおすすめです。所在地:岡山県高梁市川上町七地

2018年08月07日 キース薩摩守リチャーズ
備中松山城

【登城話】
2018年8月Super酷暑の中、100名城スタンプを押す目的で登城。駐車場のおじい様に「700m20分位だよ!」言われて軽い気持ちで向かい始めるも200m辺りでヘビィスモーカーの私はぜぃぜぃ状態に。上から降りて来た夫婦にあとどれくらいですか?とゾンビの様な顔で訊ねると「そこ上がって350、半分」
途中何度も止まり膝が笑い顔面に大量の汗が滴り落ちる…
天守をマジかに観る感動、石垣の雄大さ、素晴らしい景色、いにしえへと誘われる…想いを込めてスタンプ押印。
100名城スタンプGetでは今のところここが最凶!銘茶をミニコップ5杯飲む、無上の旨さ。

備中松山城に登城したこの日は一生忘れないだろう。
だから皆様、それなりの備えをね!

2018年04月24日 明石播磨守慶次郎
備中松山城

登城しました!
景観もなかなか良かった。
山城って感じ。

2018年01月20日 iggy摂政
備中松山城

大松山城ー。
備中松山城の中世城郭部分ですね。
とは言え、近世城郭に移行後も水の確保のため大松山城城域にある「大池」を改修し依存していたようです。

幕末の戊辰戦争で松山藩は朝敵とされますが、結局は松山城の留守を預かる山田方谷により無血開城となりました。

大松山城の切通について
大松山城東側に切通がありますが、切通の東側には石が積まれ、往来を遮断する構造となっています。
幕末、松山藩に暗雲が立ち込めてくるわけですが、それら動きを察知してか、時の実力者山田方谷が備中松山城の守りをより堅固にするため、元々の切通に石を積み、往来を遮断、防御を固めた(有事に備えた)のではないかと言われているそうです。

中世城郭の遺構に、時を経て、事情が生じたため手が加わった変則的な遺構です、当時を偲ぶことができるのではないでしょうか。

ご承知のとおり備中松山城は近世城郭部分の石垣や建造物は圧巻ですが、中世城郭と近世城郭が楽しめる山城でもあります。
ぜひ、中世城郭の遺構も感じていただければと思います。

2017年03月20日 青き巨星弾正少弼かみ
備中松山城

備中松山城にお城メダルはありません。観光案内所やシャトルバス、天守の入場券売り場の人に聞きましたが皆に「お城のピンバッチならあるよ」と言われました。

2017年02月20日 織田上総介晃司
備中松山城

土日祝日は城見橋公園駐車場までしか行けずシャトルバス(300円)でふいご峠へ(平日はふいご峠まで車で行けますが道幅は広くないので注意)
そこから山道を登ること約15分で大手門跡に。
天然の岩盤の上に厩曲輪の塀。圧巻です。
さらに進み二の丸まで登ってやっと天守を見ることができる。
熊本城の宇土櫓や名古屋城の清洲櫓より小さい天守だが、唐破風を備え、本丸の奥に鎮座する姿は天守の風格を高め、大きく見える。

六の平櫓脇には無料の給茶機が喉の渇きを癒してくれる。ありがたいサービス。
ですが、冬でも登城の際うっすら汗をかくので夏場はなおのこと水分補給の準備はした方がいいですよ。



2016年06月14日 征夷大将軍 速水右近
備中松山城

賀陽ICから車で20分と楽なイメージがありますが、高速を何時間も走り、降りてからカーブと登り降りの標高差に運転疲れは必定!途中にコンビニもなく、食料の補給は事前に不可欠!180号線沿いに十割蕎麦の店があるのが気になるところ。
城見橋公園駐車場からふいご峠までシャトルバス。最終は16時だが15時までに来た方が安全!
土・日曜日、祝日及び平日の混雑時は運行約15分間隔(中学生以上300円)。雨天の場合は、運行中止となる場合があります。そこから徒歩15〜20分。
足の不自由な方はバス停の前の売店でお菓子と自販機の飲み物で待つしかない。登城は不可能。
売店の弁当は朝イチでない限りあてに出来ない!
所要時間最低1〜1.5時間
結構人が多いので写真撮影は平日が無難です。
眺めは抜群!清々しい!
真田丸のオープニングに使われてるのに撮影協力に岡山県が無いのは、ストーリーの中で使われてないからとNHKに言い訳されたそうで、それでもゴリ押しで頼んで、一度だけ表示してもらったそうで何話かは不明。


2016年05月09日 まるき〜出雲守
備中松山城

川沿い国道180号線川端町交差点を東に、ただ川端町交差点の表記がわかりにくいですがエネオス石油を目標に山側に入って下さい、あとは道なりに東へ踏切を渡った所から少し狭くなりますので対向車に気をつけて下さい。途中別れ道がありますがどちらに行ってもたどり着けます。土日、平日の混雑する日は城の手前からシャトルバスでの運行になるそうで駐車場は無料でした。バスは往復料金を取りますので乗らずに歩いてもOK!上のバス停からの道のりは軽い山歩き、少し登りではありますがゆっくり歩けば大丈夫、15〜20分程度で天守まで行けるかと、途中野生の猿も出ます、その為か天守の周りには電気柵が設置されてるが営業中は電源はオフになっているようです。天守は天然の岩の上に築かれ無骨な感じが素晴らしいです。中も現存天守らしく古びた感じと雰囲気、ニオイ等歴史を感じますコレは行ってみないとわからないし伝わらない何というか貫禄のようなものを感じました。天守の周りを歩いてると自然と頭の中で真田丸の音楽がスタートし、脳内でオープニングの画像と合わさって興奮してしまいました…しかし、よくよく考えると真田丸と備中松山城、何の関係があるのか…

2016年01月31日 カーネル
備中松山城

JR伯備線 備中高梁駅から

駅を出て北上。松山城まで4.5kmの看板がありますが、これは車道の距離だと思うので、山道ならもっと短いと思いますよ(たぶん)
城下のふるさと村の雰囲気を堪能しながら高梁高校に出たら右折して東へ。ここには3.2kmの看板
5分ほどで「←遊歩道、↑車道」の看板があるので川を渡って山道へ
道はキレイで登りやすいし、標識もあるので迷わず登れます。道中の傾斜は山城として中級くらいかと思います(主観たっぷりの判定)
駐車場についたら南の下太鼓の丸跡に寄ってから、再び北上再開。ここからはさらに道が整備されて歩きやすい

早朝に行き、かつ年末で天守はお休みのため、誰もいない本丸からの眺めは圧巻でした
山中は雲の中だったのが、それを見下ろす大雲海。石垣も朝日に映えます

この後は、天守の裏にある水の手門から北上し、大松山城まで往復してから高梁駅に戻りました

スーツ・革靴だったけど3時間で駅に戻れた

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです


2015年09月19日 真牛織部正@地元イベ不参加
備中松山城

高梁高校の裏手に遊歩道入り口が有り、約30~40分ほどで鞴峠(上の駐車場)まで出ます。
備中松山城へはそこからさらに20分くらい登りますので、なかなかハードなルートです。

途中、大石内蔵助の腰掛岩なども有りますが、野生の猿に出くわすかもしれないのでご注意ください。


2015年09月19日 ソバッソ80.0
備中松山城

高梁川(たかはし)を使った総構え城郭。
中世山城を近世城郭に改修し、後に城下に御殿など居住区を設けたそうです。

八合目駐車場まで車で上がれますが、混雑を避ける為にシャトルバスをご利用下さいとの事。バス乗り場駐車場に停車して、徒歩で登城。
バス道は後から造成し遺構無し。害獣対策の電気フェンスを見ながら登るもよし。
八合目駐車場までアスファルト道を10分、そこから比較的歩きやすい山道を10分で大手櫓門跡に到着。

三大山城、伊達じゃないっす。自然岩盤を利用し、打込接で積み上げた石垣がお出迎え。
あとは説明不要っす、皆様是非とも現地でご堪能下さい。


駐車場のオッチャンの情報。
城下の武家屋敷群に無料駐車場あり。県立高梁高校裏から旧登城道があり、遺構を楽しめるらしいですが、今回は時間制限と夜襲後体力の限界の為に断念。

また行く時はそのルートに挑戦します!情報お持ちの方は口コミに上げて下さい‼︎
よろしくです!
あ、9月後半朝8時登城で、山の中腹にて雲海と遭遇。一時間前に登城したおばちゃんは天守付近で遭遇したとの事。

2015年05月21日 真牛織部正@地元イベ不参加
備中松山城

松蓮寺・観音堂には、文禄の役の宇喜多秀家公・御座船の格天井と船戸があるとのこと。
次回はこちらも拝見したいものです。

2015年02月16日 ろろっか
備中松山城

日本一標高の高い山城というだけあって、絶景でした。駐車場は狭いので、自家用車では行かないほうがいいです。駐車場からも700mほど山登り。整備されてるのでそう歩きにくくはないけど、舗装されてるわけではないので天気の悪い日は足下に注意!

2014年11月28日 森
備中松山城

石垣がとても高く、積み方がすごく綺麗です。天守閣からの景色なんて本当に綺麗でした!しんどい思いをしてでも、あぁ、行ってよかったな、って感じるお城でした。少し小さいお城ですが見応えはあります!気になる人は是非行ってみては如何でしょうか。

2013年05月15日 
備中松山城

備中高梁駅から乗合タクシー(420円)・普通のタクシーでふいご峠まで行けます 巡回バス(160円)では武家屋敷入口まで行けます そこから3㌔山を登ると書いてますが もっと登った感じです 軽装で汗拭きタオル 水分補給しっかりとしましょう

2013年05月05日 とも左衛門佐
備中松山城

GWの3日に行きました。シャトルバス待ちで一回目は乗り切れず、一回目分をあわせて、約20分待ち。
登りも約20分で上がれました。竹田城も結構、登りましたが、ここも急な坂が続きます。

2013年04月29日 小鉄馬単騎周防守黒煤蕪
備中松山城

北側の牛臥山から遊歩道で行く事もできます。城を裏から攻めてみるのも、一興かと…


2013年04月14日 備前守知守
備中松山城

12月第3週から2月末日を除く土曜日・日曜日・ 祝祭日に山すその駐車場からシャトルバス(往復300円)が運行します。 シャトルバス運行中は、城見橋公園⇔ふいご峠間 の自家用車の通行はできません。運行期間以外は上の駐車場まで上がれます。無料で。

2012年11月19日 河内守まきゅさま
備中松山城

水の手門跡から大松山城跡へ行ける道があり、15~20分ほど歩けば中世山城も楽しめます☆

2012年09月17日 やま三河守すけ
備中松山城

ふいご峠からの駐車場から結構な山登りです。結構、軽装な足元でこられているかたがいましたが、大変そうでした。動ける靴をおすすめします

2012年09月11日 はせちゃん弾正忠
備中松山城

お城まつりに伴い、「二重櫓」が特別公開されます

10/6・21、11/4のみの公開です。

2011年08月14日 摂政M三郎
備中松山城

三大山城に数えられる備中松山城は、山麓に御根小屋という御殿・政庁が置かれ、山上に詰城があります。標高430mの小松山山頂に築かれた山城へは、山麓に車を停め、徒歩か中腹まで乗合タクシーで登山することになります。下車して更に登ると、大手口に到りますが、この付近の、切り立つ岩盤に、上へ上へと堅牢な打込接の石垣が階段状に張付き、城壁が設置された様は、水墨画を見るようで、登城の苦労を忘れます。山頂の本丸は、天守と裏側の二重櫓などが残り城門などほぼ全体が復元されています。苦労しても登城する価値有りです

2010年10月31日 徳川内大臣源朝臣康武
備中松山城

山上の本丸や天守が16時30分閉城のところ、16時に登り始め、山上駐車場から息も切れ切れに早足で登り、入城を果たしたのが16時20分
天気は土砂降り下山の頃にはすっかり暗くなり・・・遭難
そんな時の、雲中の天守写真をアップしました・・・ただし、撮影者も雲中です

2010年10月14日 備中守とめ吉
備中松山城

ふいご峠Pを挟んだ反対側に下太鼓櫓跡があります。臥牛山を間近に見上げれます。入口が目立たないですけど、P横すぐなのでオススメです。

備中松山城の周辺スポット情報

 現存天守(遺構・復元物)

 二重櫓(遺構・復元物)

 大松山城本丸跡(遺構・復元物)

 大池(血の池)(遺構・復元物)

 土橋(遺構・復元物)

 切通堀切(遺構・復元物)

 御根小屋跡(遺構・復元物)

 大松山城跡 井戸跡(遺構・復元物)

 搦手門跡(遺構・復元物)

 武家屋敷-旧折井家(遺構・復元物)

 武家屋敷-旧埴原家(遺構・復元物)

 中太鼓櫓跡(遺構・復元物)

 三の平櫓跡(遺構・復元物)

 三の丸(遺構・復元物)

 上番所(遺構・復元物)

 二の平櫓(遺構・復元物)

 足軽番所跡(遺構・復元物)

 大手門跡(遺構・復元物)

 大手門北側石垣(遺構・復元物)

 黒門(遺構・復元物)

 厩門(遺構・復元物)

 御膳棚(遺構・復元物)

 雪隠(遺構・復元物)

 五の平櫓(遺構・復元物)

 路地門(遺構・復元物)

 八の平櫓(遺構・復元物)

 腕木御門(遺構・復元物)

 搦手門曲輪跡(遺構・復元物)

 本丸東御門(遺構・復元物)

 十の平櫓(遺構・復元物)

 水の手門(遺構・復元物)

 後曲輪(遺構・復元物)

 九の平櫓(遺構・復元物)

 北詰番所(遺構・復元物)

 車井戸(遺構・復元物)

 切通・番所(遺構・復元物)

 大池番所(遺構・復元物)

 天神の丸(遺構・復元物)

 相畑城戸(遺構・復元物)

 勢龍が壇(遺構・復元物)

 四の平櫓跡(遺構・復元物)

 六の平櫓(遺構・復元物)

 本丸東御門(遺構・復元物)

 二の櫓(遺構・復元物)

 二の櫓門(遺構・復元物)

 土塀(遺構・復元物)

 九の平櫓跡(遺構・復元物)

 石碑と説明板(碑・説明板)

 山中鹿之助墓(碑・説明板)

 山中鹿之助胴墓(碑・説明板)

 元親池(碑・説明板)

 高梁市指定史跡 寺山城跡(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 天神の丸跡(碑・説明板)

 三村家の墓(碑・説明板)

 猫城主さんじゅーろーの像(碑・説明板)

 与謝野鉄幹歌碑(碑・説明板)

 大松山城(周辺城郭)

 寺山城(周辺城郭)

 頼久寺(寺社・史跡)

 スタンプ設置場所(券売所)(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 平日駐車場(駐車場)

 土日祝日駐車場(駐車場)

 東側登山口駐車場(バス回転場)(駐車場)

 城まちステーション(関連施設)

 臥牛山のアベマキ(元森の巨人百選)(その他)

 備中寺山城跡登城口(その他)

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