日野城(ひのじょう)

日野城の基本情報

通称・別名

中野城、(仁正寺陣屋)

所在地

滋賀県蒲生郡日野町西大路

旧国名

近江国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

蒲生定秀

築城年

天文2年(1533)

主な改修者

主な城主

蒲生氏、田中氏、長束氏

廃城年

慶長5年(1600)

遺構

曲輪、石垣、横堀(空堀・水堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

佐久良城(滋賀県蒲生郡)[4.3km]
土山城(滋賀県甲賀市)[7.9km]
大塚城(滋賀県東近江市)[8.1km]
水口岡山城(滋賀県甲賀市)[8.8km]
佐治城(滋賀県甲賀市)[8.8km]
黒川氏城(滋賀県甲賀市)[9.3km]
高野城(滋賀県東近江市)[9.3km]
水口城(滋賀県甲賀市)[10.1km]
鯰江城(滋賀県東近江市)[11.4km]
百済寺(滋賀県東近江市)[13.4km]

日野城の解説文



日野城(ひのじょう)は、滋賀県蒲生郡日野町にあった日本の城。

歴史的には日野城というが、日野町には中世に蒲生氏が築いた音羽城と区別する必要もあり、日野の地域名をとって中野城とも呼ばれる。江戸時代は、日野城跡の一部に仁正寺藩市橋氏が仁正寺陣屋を構えた。

概要 

蒲生定秀が天文2年(1533年)から3年ほどかけて日野の地に本格的に築城した。

蒲生氏は蒲生賢秀の代に織田信長の臣下となり、天正10年(1582年)、本能寺の変が起こった時には、賢秀とその子蒲生氏郷は織田信長の妻妾一族をこの城に迎え入れた。

天正12年(1584年)氏郷は伊勢国松ヶ島12万石に移封し、その後田中吉政、長束正家と城代が入り、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い以降廃城となった。

元和6年(1620年)市橋長政が中野城跡の一部に陣屋を構え仁正寺藩の陣屋として明治維新まで続いた。

遺構は、日野川ダムの建設時に大部分が破壊されたが、涼橋神社と稲荷神社の周辺に一部石垣や堀が残っている。遺構の残る主郭部の近くには、「蒲生氏郷公産湯の井戸」がある。また、仁正寺陣屋の建造物は、明治時代に西大路小学校校舎として使用された後、大正7年(1918年)に京都・相国寺の塔頭・林光院に移築され、方丈・庫裏として現存している。

日野城の口コミ情報

2024年04月06日 尼崎城阿波守一口城主
蒲生氏郷公銅像[日野城  その他]



日野城址から日野駅方面への道中の松尾交差点(写真①/写真②:日野町観光MAPの②)付近のひばり野(写真③)にありました。到着時、銅像が見当たらないなと思っていたら公園の奥の方(東側)に見えてきました(写真④)。銅像を横からと正面から撮影(写真⑤⑥)。松阪や会津若松など改名された氏郷公をイメージして筆🖌を持っている姿で銅像を製作されたのかと思いましたが説明板(写真⑦)を読んでみると朝鮮出兵で会津から肥前に出陣する際に近江国の武佐の辺りから故郷の綿向山を望んで「思いきや 人のゆくえぞ定めなき わがふる里をよそにみんとは」と詠んだ時の姿を表しているとのことでした。これを読んでなんだか切ない気持ちになってきました。像の視線もおそらく句にちなんで日野城方面を向いているように思われます。
なお、松阪や若松の地名の<松>は写真③の氏郷公ゆかりの地MAPの11の若松の森(綿向神社)の<松>からとられたとのことでした。

2024年04月06日 尼崎城阿波守一口城主
日野城



[城址散策編]
城址の入口にあった説明板(写真①)を眺めて散策開始。稲荷神社と涼橋神社に架かる歩道(写真②)の下をくぐって進むと土橋(写真③)、横堀(写真④)などのがありました。遺構の表記、ありがたかったです‼️日野城の石碑(写真⑤)も撮影📷場内にも説明板🪧(写真⑥)がありました。中央部に本能寺の変の際、安土城の信長公の家族を迎え入れ、光秀公の軍を迎え撃とうとしていたことなどが書かれていました。
散策中<従是東仁正寺領>という石碑(写真⑦)があったので昔、お寺があったのかと思いましたが説明板(写真⑧)によると江戸時代は日野(中野)城址に市橋氏の仁正寺藩の陣屋が構えられていたとのことでした。

2024年04月06日 尼崎城阿波守一口城主
日野城



[進軍&周辺散策編]
昨年、日野町をサイクリング中に登城。道中、道標(写真①)があったのでそれに従い進むと城趾の石碑(写真②)があり、さらに進むとでかい道標(写真③)がありました。駐車場🅿️に駐輪し、<氏郷公と冬姫(信長公次女)の足跡>(写真④)を読み、読み終えたのちに本丸方面に進み、本丸入口の説明板を読んだところ氏郷公産湯の井戸が近くにあるとのことだったので一旦戻って探索🔍写真⑤の通り民家の目の前に鎮座していました。最初に通ったときは素通りしてしまっていました💦
本丸散策後、日野川ダムを撮って(写真⑥⑦)下城。日野の町を走っていると🚲たまたま写真⑧の観光案内所の前を通りかかったので入ってみると日野城関連の御城印や武将印などを取り扱っているところでした。御城印を購入して観光案内所の方にうなぎ本丸がお城のいい目印になる上に鰻の香りも楽しめながら城址見学出来て良かったですよ‼️と感想を伝えたところ、うなぎ本丸は名前の通り本丸があった場所に建っていて日野川ダムを造る際に残念ながら遺構の一部は壊されてしまったとのことでしたが、日野川ダムは桜の名所で桜の季節🌸は多くの人が訪れますよ📷とお城情報を頂けました‼️

2024年03月11日 河内守かじくん
日野城



遺構の範囲は限られてますが、石垣や土塁、堀などが残っており、いい雰囲気を醸し出しています。映画のロケ地に選ばれるのも頷けますね(^^)日野川ダム公園に駐車出来、すぐ城跡なので非常に便利です🎵

2024年03月10日 _てつや
日野城

日野川ダムのダム湖畔に立地してます。見学しやすい立地かと思います!

2023年12月10日 駿河守スーさん
日野城



電車だとコミュニティバスが1時間に1本くらいです。バス停からは近いです。車なら日野川ダムの駐車場がつかえます。本丸跡に「本丸」といううなぎ屋さんがあります。けっこう深い堀が掘られていて、その両脇に江戸時代の藩主だった市橋氏が建てた神社が二つ建っています。
堀として使っていた川を堰き止めダムがつくられましたが、現在干上がっていました。
紅葉と桜が楽しめます。

2023年08月30日 RED副将軍
日野城



蒲生定秀・蒲生賢秀・蒲生氏郷 の蒲生氏三代の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1533年に蒲生定秀により築かれたと云われます。
蒲生定秀は近江国守護である六角氏の宿老として活躍していました。
1568年、織田信長による観音寺城攻めにおいて蒲生賢秀は中野城に籠城しましたが、神戸友盛の仲介により織田信長に投降。六角氏も滅亡し、織田信長の配下となります。
嫡男の蒲生氏郷は織田信長の娘婿に迎えられなどし、かなり重用された様です。
1582年、本能寺の変で織田信長が没すると、安土城二の丸を預かっていた蒲生賢秀と蒲生氏郷は、織田信長の妻子を中野城へ避難させたとされます。
1584年、家督を継いだ蒲生氏郷は伊勢国松坂へ転封となり、その後は田中吉政、長束正家が城代となりました。
関ヶ原の戦い後の1603年に廃城となった様です。
1620年、市橋長政が中野城跡の一部に仁正寺藩の陣屋を築き明治維新まで続きました。

見所
日野川の河岸段丘に築かれていましたが、本丸周辺の一部のみ残り宅地化とダム開発により大部分は消失しています。
凉橋神社や稲荷神社が建つ土壇が本丸北側の土塁であり、外側に大規模な横堀が残っています。
また、近くの興敬寺の境内には大規模な土塁が残っています。一向一揆の拠点として築かれたものを日野中野城の外郭として利用した様です。

るろうに剣心のロケ地としても有名です✨

2023年05月26日 野良公方Ⅵ号山城守
日野城



要衝の城であるが、今世では駅も遠く車がないと攻略は大変です。樹木に覆われていますが、土塁などの地形はしっかりと残っています。せっかくなので日野の街並みも一緒に巡り、日野(蒲生)が隆盛だった頃に思いを馳せるのも楽しいと思います。

2023年05月05日 山城守さとぴ~
日野城



すぐ横に駐車場があり、わかりやすかったです。土塁の上に上がる階段?は崩れやすそうなので気を付けてください。

2022年12月17日 RED副将軍
音羽城[日野城  周辺城郭]



六角氏重臣である蒲生氏の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

応仁・文明年間(1467年〜1486年)に蒲生貞秀により築かれたとされます。
蒲生氏は、藤原北家秀郷の系譜で平安時代から近江国蒲生郡で勢力を拡大していました。
源平合戦の際には蒲生俊賢は源頼朝に付いており、南北朝の争乱期には蒲生秀朝は足利尊氏に付き、戦国期には近江国守護である六角氏の重臣として勢力を維持拡大しました。
史料に出てくる蒲生館が音羽城であると考えられています。
音羽城は三度侵攻を受けていることが史料により確認されており、一度目は1492年に将軍足利義稙が六角高頼を攻撃した際、二度目は1495年に美濃国守護代の斉藤利国が京極氏とともに六角高頼を攻撃した際、三度目は1502年に六角高頼の家臣であった伊庭貞隆が謀反を起こし、六角高頼が逃げ込んだ音羽城を伊庭貞隆は追って攻撃したときの三度とされます。
蒲生貞秀の嫡男の蒲生秀行は足利将軍家に、次男の蒲生高郷は近江国守護職の六角定頼に、三男の蒲生秀順は幕府管領の細川氏にそれぞれ出仕しました。しかし、1513年に蒲生秀行が早逝すると、蒲生秀行の嫡男である蒲生秀紀と蒲生高郷の間で家督争いが勃発。蒲生貞秀が死去すると蒲生高郷は蒲生秀紀への攻撃を開始しました。戦国の世では多い叔父と甥の家督争いです。
近江国守護職の六角定頼は蒲生高郷に加勢したため、蒲生秀紀は降伏。この争いのあと蒲生高郷は日野中野城を拠点とし、音羽城は廃城となりました。

見所
現在は音羽山公園となり駐車場も完備。
しかし一方では採土によりかなり改変されている様です。主郭東側の横堀状のものはトロッコ道であり城郭遺構では無いとのこと。
一方で主郭南側は遺構が残存しており、主郭と小郭を挟んで南出丸が空堀で区切られています。

2022年05月29日 
日野城



蒲生氏郷の生まれたお城。信長次女を正室にするほど、優秀であったようです。ダム開発等で随分遺構はすくなくなったようですが、鰻 本丸さんのすぐそばで遺構は残っており、ピヨちゃん見学可能。

2022年04月18日 如月弾正少弼勤労中
日野城



訪れた時は公園でわんこの散歩をする方々がたくさんいて、10台ほど止められる駐車場はいっぱいでした。蒲生氏郷公産湯の井戸の裏に民家ができてました。

2022年04月13日 wacky左衛門佐
日野城



【日野中野城まで】
近江鉄道日野駅を下車して、駅そばにある仕出し屋で自転車レンタル(1時間100円)し約30分位で着きます。途中に蒲生氏郷像や観光案内所(御城印)があります。この日は城址横のダム湖の桜🌸満開でした😊。

2022年03月14日 ヒデさん近江守三十郎
日野城



小ぢんまりとしていますが本丸遺構に堀切、土橋、土塁、石垣、横堀があり。大半は目の前の日野ダム建設時や開墾で失われたとの事。住宅密集地にありますが充分な駐車場有。近江バスのバス停も近く訪問には問題有りませんが攻略はかなり近づいてからでした。

2022年02月09日 昌幸隠岐守4/20宍戸吉川
鎌掛山屋敷[日野城  周辺城郭]



鎌掛(かいがけ)城の山屋敷跡。周囲を東西南三方が小川と土塁に囲まれ、屋敷内も二つに仕切られていたようです。ここに氏郷のお父上である堅秀が隠居して住んでいたんですねー。

【写真の説明】
①西側空堀。手前には土橋があるように見えます。
②西側空堀を別アングルで。
③西側土塁。
④南側空堀。
⑤東側土塁。
⑥屋敷内を左右に分ける虎口。
⑦屋敷内全景。

2022年02月08日 昌幸隠岐守4/20宍戸吉川
鎌掛城[日野城  周辺城郭]



六角&織田家臣時代の蒲生氏の城だった鎌掛(かいがけ)城。
城の歴史については先人様が詳しく述べられていますので、そちらをご覧になって下さい。

車は、麓の居館跡の隣に平地があり、そこに停めました。獣除けの箱罠が目印です。
居館跡に「伝大手道」がありそこから登ります。紫のビニール紐が付いています。ぼーっと歩いていると迷ってしまうかも…
登り切ると屏風岩の上に出ます。後は尾根を進みます。鎖を使った登りなど、なかなかスリリングな所もあります。約40分で主郭到着でした。

城のつくりは、主要部(I郭・II郭)から見下ろす位置に井戸があり、それを囲むように東西に尾根が伸びます。それぞれの尾根には郭が数段設けられています。

蒲生氏は六角家臣の時代には、観音寺騒動(六角氏の内紛)の仲裁に入ったり、その後には織田・豊臣についたりと、時代を先読みしたなかなか凄いことをやってます。
氏郷が有名ですが、そのお父さん・お爺さんの時代の蒲生を感じるこの城を楽しんでみてはいかがでしょうか。

【写真の説明】
①登城路にある堀切と土橋
②主郭背後の堀切。主郭には鎖を使って登ります。
③主郭土塁
④I郭-II郭間の堀切
⑤II郭
⑥II郭から井戸へ向かう虎口
⑦井戸。足元滑ります。ホールインワンしないよう注意して降りました。
⑧西尾根堀切。西尾根は広めの郭が何段か連なっていました。

2021年09月18日 内記かずりヾ(・ε・。)
鎌掛山屋敷[日野城  周辺城郭]



たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

鎌掛山屋敷(かいがけやまやしき)は日野中野城の南方約2.6km、北砂川と滝谷川の合流点に向けて北西へ張り出す山塊尾根直下、標高約225mの緩斜面上平場に存した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。その辺の原っぱに車も捨てられます。鎌掛山屋敷は同じ日野中野城のリア攻めマップにある鎌掛城を詰城としています。

築かれた年代は不明ですが、お住まいになられていた方の一人に蒲生賢秀が挙げられています。三男(嫡男)の賦秀(後の氏郷っす。)に家督を譲った際に隠居所として此処に入ったとされています。

自分にとっては鎌掛城への単なる通過点に過ぎず何の期待もしていませんでしたが、行ってみてびっくり!これ現況居館跡としては白眉です。タイプは少し違うけど景石城の磯部氏居館に匹敵(土の遺構は遥かにそれを超える。)する残存率、全国的にもそう簡単に見られるものじゃないと思います。

居館は西端と北端が河川に接し、東端と南端はそのまま山塊尾根に続いています。横堀、空堀(用水路として活用されている部分もある。)、土塁、虎口等で敷地内は区分されていたようで、一部の土塁と空堀は二重になっている箇所も確認出来ます。削平のひら〜っと感(フラット感)や段々感も素晴らしく、何と言ってもそれらを居館全体として俯瞰出来る状態(整備が近年入ったのかな。)である事は他の居館城から一歩も二歩も抜きん出ていると思います。

思わぬ御褒美に嬉しい誤算、通過点だったのに1時間強散策しました。敷地内には鎌掛城への登城路(伝大手道らしい。)も付いていますが、鎌掛城主郭までは想像よりも登らされるので、セットで訪城と考えている方は時間に余裕を持って訪ねましょう。

蒲生氏関連の優れた城館の一つです。松坂少将ファンは日野中野城に来る事がありましたら是非訪ねてみて下さいまし。又、詰城に登るのが面倒な非山城ファンは単独訪問でもよいでしょう。その価値は十分過ぎる程あります。

2021年09月18日 内記かずりヾ(・ε・。)
鎌掛城[日野城  周辺城郭]



鎌掛城(かいがけじょう)は日野中野城の南東約2.9km、北砂川と滝谷川の合流点に向けて北西へ張り出す山塊、標高327mの山頂に主郭が存します。北麓の滋賀県道182号線からの比高は240m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている北西麓の鎌掛山屋敷(鎌掛城を詰城とした居館である。)を目標に設定して下さい。そこら辺の原っぱに車も捨てられます。この鎌掛山屋敷から登城路が付いており、「城山登山道→」の案内板も立っています。

築城年代は健武二年(西暦1335年)、築城者は中野左衛門尉清信とされ、当初は砦として築かれた事が始まりとされています。その後の文亀年間に蒲生惣領家当主蒲生秀行が音羽城の支城として現在残る縄張に近いものに改修したと推測されます。

蒲生惣領家の家督争いに際し、六角定頼の支援を受けた惣領家当主蒲生秀行の次弟蒲生高郷は秀行の嫡男である秀紀の籠る音羽城を攻囲し、約8ヶ月に及ぶ籠城戦の末に定頼の仲裁で和議を結び、嫡男の定秀(賢秀の実父、氏郷の祖父っす。)に惣領家の家督を継がせる事に成功、これを受けて秀紀はこの鎌掛城に退去しましたが、大永五年(西暦1525年)同城で高郷、定秀の刺客によって毒殺されました。氏郷以降の相次ぐ後嗣の早世は陰謀を禁ずる道家思想的に言えば先祖の罪悪によるものなんでしょか。

お城は素晴らしいです。尾根筋には小郭や堀切、土橋なんかが明瞭に確認出来ますが、山頂部を中心とする主郭部の複雑な構成はちょっと自分の経験に無いものでした。主郭部は段付きで土塁で細かく区画され、水の手(井戸の石組みが大変素晴らしい。ただ貞子が出て来そうで怖いです。)に至る虎口に代表されるように要所で数箇所虎口が切られていたようです。又、主郭部から北側に設けられた三方土塁囲みの腰郭には思わず唸らされる事でしょう。そして城域は意外にも奥が深く、概ね3つの区画に大分する事も可能だと思います。

蒲生氏関連の優れた城館の一つです。鶴千代ファンは日野中野城に来る事がありましたら是非訪ねてみて下さいまし。又、城山には国の天然記念物である鎌掛の屏風岩なんてのもありますが、藪ってるしビューポイントに行くのが非常に困難(怪我するわ…)なので無視しましょう。

2021年09月04日 【城郭道】たっきー
鎌掛城[日野城  周辺城郭]

鎌掛城/かいがけじょう(滋賀県蒲生郡日野町)
【概要】
別名・貝掛城。北砂川上流域の城山にある。山頂の主郭は小さく、2本の北東に延びる尾根は幅広く、大規模な曲輪が見られる。山腹に長い帯曲輪がある。
南北朝時代に蒲生氏の支城として築かれ、1593年に廃城となったと伝わる。

2021年08月30日 【城郭道】たっきー
仁正寺陣屋[日野城  周辺城郭]



元和6年(1620)、市橋長政が二万石で日野に入り、仁正寺に陣屋を構えた。この仁正寺陣屋は蒲生氏の居城だった日野中野城の跡地で、慶長8年(1603)の廃城後、畑地となっていたものを再利用したものである。

文久二年(1862)に仁正寺藩から西大路藩に改称している。現在、遺構はないが、日野中野城付近に石碑や説明板がある。

2021年08月08日 大納言Z武蔵守369
日野城

日野商人街道を東へ進むと竹友亭という料理屋があります。そこの三叉路を右折して進むと日野川ダム&うなぎ本丸の駐車場があります。15台ほど停めることができます。

うなぎ本丸とダム湖の間に城の入口があります。木々が生い茂っていて昼間でも暗いです。でも立派な石垣が残っています。なお、蛇が出てくるのでご注意して下さい。

2021年06月07日 左近衛中将かめかめ
音羽城[日野城  周辺城郭]



【駐車場】
城郭北に広い駐車場あります。
【登城口】
県道182号沿いを南西に歩けばすぐに見つかります。

登城を始めて5分程で城郭北西の出曲輪(阿賀神社)に到達します。
遺構は、北西出曲輪付近と南東出曲輪付近に堀切や横堀などが確認できます。主郭周辺は改変されていますが、庭園、井戸、土塁など確認できます。

写真1:登り始めてすぐに現れる横堀状の遺構
写真2:北西出曲輪への虎口
写真3:北西出曲輪南の巨大堀切にかかる土橋
写真4:北西出曲輪南の巨大堀切
写真5:南東出曲輪を囲う横堀からの竪堀?
写真6:南東出曲輪南にある抜け穴。主郭へつながっていたらしい
写真7:南東出曲輪南の細い土橋。とその他デコボコ
写真8:南東出曲輪下の幅広い堀?に段差あり

2021年05月04日 そらそら伊勢守
日野城



駐車場からすぐのところに石垣が見られました。駐車場は日野川ダムに釣りに来る方と共用のために、いっぱいになりやすいです。トイレもあります。

2020年09月28日 装鉄城大膳大夫乱怒
日野城

駅前のレンタサイクル屋で1時間百円で借りれました。城跡までは平坦な道のりを約25分ほどで着きました。城跡入口には案内板あり。

2020年09月23日 てるちゃん
日野城

蒲生氏郷生誕の地、中野城(日野城)跡です。
当時のものではないかもしれませんが石垣が残っています。
駐車場から石垣は直ぐです

2020年09月21日 Rocky丹波守
日野城



城跡と言っても家が建ったりして一部だけですが土塁の跡はハッキリとわかります。蒲生氏郷の産湯の井戸も住宅の中に残っています。

2020年03月14日 【城郭道】たっきー
日野城

近くのビジネスグリーンホテル日野で近江城郭探訪御城印10種が3月14日に売り切れになってしまいました。

2017年05月15日 青コアラ美濃守
日野城

日野川ダム湖畔に駐車場・トイレ・説明板があり、説明板の所にレジュメが置いてあります。
神社にある石垣は城の遺構ではないようです。

余談ですが日野川ダムではダムカードがもらえます。

2015年11月06日 まるき〜出雲守
日野城

映画るろうに剣心のロケ地
四乃森蒼紫vs緋村剣心

映画では淡い感じで緑っぽく演出されている、鳥居は元々赤く
映画では緑色にデジタル処理されている。

翁がいた橋はコンクリートで両側にある稲荷神社と凉橋(りょうきょう)神社を繋いでいる
この橋も竹と木のツルなどでそれっぽく演出されている。


2015年09月10日 源陸中守@ポンコ2…連勤了
日野城

蒲生氏郷の生まれた城として有名。
日野川ダムにより、本丸の北側半分を除いて大半が水没し、稲荷山(土塁)と石垣空堀の一部と土橋が残ってます。
北に隣接して西大路藩(仁正寺陣屋)の石碑があります。
本能寺の変直後、織田信長の妻子を匿った城でも知られてます。

近江鉄道日野駅で下車し、駅から徒歩3~4分の自転車屋西塚商店でレンタサイクルし、その店から西へ道なりに5㌔前後真っ直ぐ走り、日野中野城趾の案内板の矢印通り右折して日野川ダムと駐車場が見えたら、そこが城趾の入口です。

旧市街地のため道幅は狭いですが、その道中には蒲生家菩提寺の信楽院をはじめ多くの寺社仏閣があり、また近江日野商人の街を謳うだけあって、昔ながらの商家を眺めながらサイクリングを楽しめました。

2015年01月08日 コロ助
日野城

日野駅の目の前のお弁当屋さんでレンタサイクルが借りられます(一時間\100)。お店のご主人が、散策マップを下さり、城跡までの行き方を教えて下さいました。駅から城跡までレンタサイクルで25分程、ゆる〜い登りです。

石垣の上には、狐の屋根瓦が可愛い稲荷社があります。遺構があまり多くないので、城跡というよりも神社の境内という感じがしました。空堀は立派です。


2013年04月23日 強襲ほうらい祭揚陸波
日野城

日野川ダムにより、遺構もろとも水没してしまった城。
空堀等が僅かに残るものの、当時の風景を偲ぶすべはないのだ・・・

近くの音羽野城は登録されておらずしょんぼり

2010年09月12日 古楽侍従広家
日野城

ダムによる倒壊が惜しまれます。仁正寺藩主の屋敷跡の場所はそのまま蒲生屋敷跡でもあります。

2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
日野城

[武将像]蒲生氏郷像
国道307号沿いの、近江鉄道日野駅から日野城下に至る途中の広場に立像が鎮座。城跡にはない。

日野城の周辺スポット情報

 水堀(遺構・復元物)

 土橋(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 蒲生氏郷産生の井戸(遺構・復元物)

 武家屋敷(遺構・復元物)

 総構土塁(遺構・復元物)

 中野城総構西側(遺構・復元物)

 石碑(碑・説明板)

 説明看板(碑・説明板)

 城名石柱(碑・説明板)

 蒲生氏郷公説明看板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 鎌掛城(周辺城郭)

 音羽城(周辺城郭)

 下迫城(周辺城郭)

 鎌掛山屋敷(周辺城郭)

 小御門城(周辺城郭)

 仁正寺陣屋(周辺城郭)

 清田城(周辺城郭)

 木津岡山城(周辺城郭)

 近江日野商人ふるさと館 旧山中正吉邸(御城印)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 蒲生氏郷公銅像(その他)

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