明石城(あかしじょう)

明石城の基本情報

通称・別名

喜春城、錦江城

所在地

兵庫県明石市明石公園1-27

旧国名

播磨国

分類・構造

梯郭式+連郭式平山城

天守構造

なし(天守台あり)

築城主

小笠原忠真

築城年

元和4年(1618)

主な改修者

松平直常

主な城主

松平氏(越前系)

廃城年

明治7年(1874)

遺構

曲輪、石垣、横堀(水堀)、櫓、移築門

指定文化財

国重要文化財(巽櫓・坤櫓)、国史跡(明石城跡)

再建造物

塀、石碑、説明板

周辺の城

船上城(兵庫県明石市)[1.6km]
枝吉城(兵庫県神戸市)[2.3km]
舞子台場(兵庫県神戸市)[4.4km]
松帆台場(兵庫県淡路市)[5.0km]
岩屋城(兵庫県淡路市)[7.6km]
魚住城(兵庫県明石市)[8.2km]
端谷城(兵庫県神戸市)[10.1km]
松岡城(兵庫県神戸市)[12.4km]
横倉城(兵庫県加古川市)[15.7km]
野村城(兵庫県加古川市)[16.2km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

58 明石城

設置場所

明石公園サービスセンター受付窓口[地図
明石市立文化博物館[地図

明石城の解説文



明石城(あかしじょう)は、兵庫県明石市明石公園にあった日本の城。旧明石藩の政庁と藩主の居所が置かれた。別名喜春城(きはるじょう、きしゅん-)、錦江城(きんこうじょう)とも呼ばれる。

概要 

JR明石駅北側に位置し、駅ホームより間近に望める。縄張りは連郭梯郭混合式の平山城である。丘陵舌端に築かれ、本丸付近は柿本人麻呂を祀った人丸塚があったと言われており、この地は嘉吉の乱で激戦地となった。

明石の地は、山陽道が通り、北には丹波国、但馬国への道が分かれ、淡路島、四国のルートがあり、古来より交通の要衝であった。徳川幕府が西国の外様大名の抑えの城として、姫路城についで着目した。

現在中堀の内側は兵庫県立明石公園として整備され、日本さくら名所100選に指定されている。櫓や石垣は1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で被害を受けたが全面修復された。

又、明石市は大手門、櫓、家老屋敷の木造復元計画があるので発掘調査をしている段階である。

沿革 

江戸時代

1617年(元和3年)信濃松本藩主より明石藩主となった小笠原忠真は、明石城の西方、明石川河口西岸にあった船上城に入城した。譜代大名たる小笠原氏10万石の居城として城郭を建設するよう、同年に第2代・将軍徳川秀忠より築城命令された。この時の様子を『本田家記』によると、

と記されている。この文中にある「元和六年」とは「元和四年」の誤記ではないかと思われ、「本多美濃守殿」とは当時姫路城の城主であった本多忠政の事である。この『本田家記』によると、徳川秀忠より築城命令があり、本多忠政と小笠原忠真は相談しながら(忠政は忠真の義父にあたる)、築城から町割りまで行った。当初検討された地は三ヵ所、塩屋町(現在の神戸市垂水区塩屋町周辺)、かにが坂(現在の明石市和坂周辺)と人丸山(赤松山)が検討されたが、人丸山には大きな池があり城の防備に役立つとして人丸山に定まった。徳川秀忠は旗本の都筑為政、村上吉正、建部政長らを普請奉行として派遣し、築城費として銀一千貫を支給した。

人丸山の地の利を利用し、三木城高砂城枝吉城船上城の木材を使用し着工され、坤櫓は伏見城、巽櫓は船上城の遺材が使用されたと伝えられている。また細川忠興書状には、忠興から忠真へ中津城天守を贈ったとあり、この部材も転用された。元和5年(1619年)正月から作事が始まり、元和6年(1620年)正月には小笠原忠真が船上城から移り住み、同年6月から城内の建物関係の工事が開始された。このとき天守は台石まで積まれたが、建てられなかった。

築城と並行して城下町の町割りも実施され、当時小笠原忠真の客分だった宮本武蔵が指導したと『赤石市中記』『播磨鑑』『播州明石記録』『小笠原忠真一代覚書』など各史書に記録されている。

歴代城主

苦心して明石城を築城した小笠原忠真は、1632年(寛永9年)豊前小倉藩(小倉城)に転封となった。翌1633年(寛永10年)信濃松本藩より 松平庸直(戸田氏)が7万石で入城したが、急死したため松平光重が城主となった。しかしその松平光重も1639年(寛永16年) が美濃加納藩(加納城)に転封となると、大久保忠職が7万石で入城したが、1649年(慶安2年)のわずか10年間で肥前唐津藩(唐津城)に転封する。

その後、丹波篠山藩より松平忠国が7万石で入城、その子・松平信之と共に名君として知られ、林崎掘割の用水路や一里塚の設置、海岸の防風林の造成、そして多くの新田の開発に努めた。文化人でもあったらしく城内十景を選んでこの時に「喜春城」の名を付けた。しかしその松平信之も、1679年(延宝7年)大和郡山藩(郡山城 (大和国))に転封となると、代わりに郡山城にいた本多政利が6万石で入城する。しかし、領内を収める事ができず1682年(天和2年) 僅か3年後、苛政を責められ陸奥岩瀬藩に1万石に減知転封となり、その後改易になった。僅か50年の間に城主が目まぐるしく入れ替わったが、本多氏転封の後、越前家の松平直明が6万石で入城し、以後明治維新まで10代、189年間親藩として松平氏の居城となった。各城の遺材を集めて築城したせいか、老朽化が早く第2代藩主松平直常の1739年(元文4年)には大修築が行われた。最後の明石城主は松平直致で、1874年(明治7年) 廃城令により廃城となる。

17代にわたる歴代城主は、下記テンプレートの「戸田松平氏明石藩初代藩主 (1633-1634)」も参照。

近現代

  • 1881年(明治14年) - 神戸相生小学校(現在の湊川小学校)の建築用材とするため、北東の艮櫓が解体された。
  • 1883年(明治16年) - 明石町内の有志により整備され明石公園となる。
  • 1898年(明治31年) - 皇室の御料地となる。
  • 1901年(明治34年) - 巽櫓と坤櫓の修理が行われ、北西の乾櫓が解体された。また傷んでいた本丸や二の丸本丸土塀が取り壊された。
  • 1918年(大正7年)4月15日 - 兵庫県が御料地を借り受け県立明石公園として開園した。
  • 1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災により石垣が崩れるなどの大きな被害を受ける[1]
  • 1999年(平成11年)約5年に及ぶ修復工事が完了。2棟の櫓を曳家で移動させ土台や石垣を修復後に櫓を元の位置に戻す。戻した後に軸組の補正や壁・屋根の修復を行った。同時に巽櫓と坤櫓を繋ぐ塀が復元された。
  • 2003年(平成15年)三の丸に「武蔵の庭園」を整備し一般公開[2]
  • 2006年(平成18年)4月6日 - 日本100名城(58番)に選定された。
  • 2014年(平成26年)10月8日から10月13日まで「明石城イルミネーションプロジェクト〜夜空に浮かぶ光の天守閣」が行われた。
  • 2018年(平成30年)5月9日 NHK「歴史秘話ヒストリア309回 お城の国ニッポンを作った男 伝説の棟梁 中井正清」にて、江戸時代初期の大工頭中井正清考案の櫓建築法(統一規格を導入)を表す櫓として紹介された。
  • 2019年(平成31年):築城400年を迎えるにあたり櫓・塀の漆喰の塗り直し、樹木の伐採が行われた[3]

城郭 

本丸を中心に配し、東側に二の丸、その東に東の丸が配され、南側に三の丸、西側には稲荷郭が設けられた。本丸、二の丸、東の丸は明石城の主郭部分で、この部分の石垣、土塁、堀などの作事は徳川幕府が担当し、三の丸と町屋に関しては、小笠原氏と徳川幕府の共同事業として進められた。

櫓と門

本丸 東の丸 二の丸 稲荷曲輪 帯曲輪 北の曲輪 山里曲輪 三の丸 屋敷曲輪
三重櫓 4基 なし なし なし なし なし なし なし なし 4基
二重櫓 なし 1基 2基 2基  1基 なし なし なし なし 6基
平櫓 なし なし なし なし なし 3基 1基 6基 なし 10基
2箇所 2箇所 2箇所 3箇所 4箇所 2箇所 2箇所 5箇所 6箇所 27箇所

  • 櫓合計:20基
  • 門合計:27棟

本丸の西南に天守台の広さは約152坪がある。広さから推察すると5重規模相当の天守が築かれる予定だったが、天守は建設されず、四隅に巽櫓、坤櫓、乾櫓、艮櫓が建設された。『日本城郭大系』によると「坤櫓が天守の代用となっている」とされている。4基のうち南側の2棟、すなわち巽櫓(たつみやぐら、南東側)、坤櫓(ひつじさるやぐら、南西側)が現存し国の重要文化財に指定されている。巽櫓・坤櫓の棟(破風)の方向は異なっている。西側は明石川を自然の外堀とし、南側は運河を掘って港を兼ねた外堀(現在の明石港)とした。北側は鴻の池(剛の池)と自然林、谷筋で防備を固めた。

坤櫓
桁行6間、梁間5間、高さ7間2尺9寸。入母屋根造で妻部は南北に向く。昭和57年の改修工事で他城から移築されたと分かった。
巽櫓
桁行5間、梁間4間、高さ7間1寸。入母屋造で妻部は東西に向く。

居館

藩主の居館は本丸にあり3階建ての立派な建物で、部屋には名前や画風から長谷川等伯の弟子と考えられる長谷川等仁の手になる、襖絵「花鳥山水図」が飾られていた。現存するのは、晩冬から春の前兆を描いた二曲屏風六隻・全12面だが、本来は夏から秋にかけての花鳥山水図が対で存在し、四季花鳥図を構成していたものと推定される。この居館は1631年(寛永8年)に失火し焼失してしまったが、襖絵の一部は遺物として残り、大坂の蔵屋敷に運び出されて幕末まで伝えられた。この時までは六曲一双の屏風絵だったが、明治になって12幅の掛軸に[4]、さらに現状と同じように改装された。その後、1959年(昭和34年)に右から2番目から4番目に当たる三隻が売りに出され、2,3番目はアメリカ人、4番目はフランス人外交官の手に渡った。その3年後フリーア美術館が残り三隻[5]を入手した。1996年(平成8年)サザビーズにアメリカ人から電話があり、これを受けてサザビーズがフランスにある物も突き止めて、三隻揃ってオークションにかけられた。これが日本人コレクターに競り落とされて里帰りし、現在は愛媛県美術館に寄託されている[6][7]

庭園

現在、陸上競技場がある区域に宮本武蔵が設計した「樹木屋敷」があった[8]

文化財

  • 重要文化財
    • 1957年(昭和32年)6月18日、巽櫓・坤櫓が国の重要文化財に指定。
  • 史跡
    • 2004年(平成16年)9月30日、城跡が国の史跡に指定。

周辺情報

  • 織田家長屋門(元船上城長屋門。明石市指定文化財)家老職、織田家一族の末裔である。尾張藩家老も一族、一族には天童、柏原藩藩主や(高家)旗本を勤めた者もいる。また、一部には一族ながら家来筋になり津田姓を名乗った者もいる。

  • 月照寺山門(伏見城廃城時に伏見城薬医門を明石城切手門として移築、さらに明治廃城時に月照寺へ移築。明石市指定文化財)

櫓見学と交通 

  • 坤櫓は奇数月、巽櫓は偶数月に一般公開される。いずれも公開は1階部分だけで土日祝限定で天候によって中止されることもある。
  • 電車でのアクセス
    • JR西日本 神戸線 明石駅
    • 山陽電気鉄道 本線 山陽明石駅
      • 徒歩約10分
    • 車でのアクセス
      • 第二神明道路 大蔵谷IC → 兵庫県道21号 → 兵庫県道52号 → 国道2号
      • 周辺に有料駐車場多数有

    注釈 

    参考文献 

    • 『日本城郭大系』第12巻 大阪・兵庫、新人物往来社、1981年3月、418-421頁。
    • 朽木史郎/橘川真一編著『ひょうごの城紀行』上、神戸新聞総合出版センター、1998年4月、68-74頁。
    • "郷土の城ものがたり"東播地区編集委員会 『郷土の城ものがたり』東播編、兵庫県学校厚生会、1973年2月、8-30頁。
    • 森口忠『兵庫県十八藩史-近世の城と陣屋-』中外書房、1977年2月、18-25頁。
    • 黒田義隆/編著 『明石藩略史』 明石葵会、1981年、8-13頁。

明石城の口コミ情報

2024年04月15日 逧水播磨守謹宿
明石城



天下普請の城?複雑さはないですがシンプルに石垣と櫓に凄さを感じます。圧倒されつつも桜と夜景にほっこり。市民の憩の公園。と感じました。

2024年03月17日 よし
明石城



あいにくの天気だった&傘を忘れたので見学時間が短かったのですが、両櫓を見上げたその姿は立派でした。晴れていたら、池に映る姿も見事に見えたでしょうに…

2024年02月26日 キャッスル木村
明石城



裏側の駐車場から来ました裏側からも石垣が素晴らしかったですが、正門側の連結した櫓や下から見た石垣は壮観でした

2023年10月17日 カズ@大高の信長
明石城

単純なナワバリで、巨大で直線的石垣。あまり面白くない城。二つの櫓は本物なのに、まともな案内もなく、城の地図もなく、やる気のなさが伝わる残念なお城

2023年10月09日 くまなみ
明石城



櫓の公開は雨が少しでも降り出すと中止になるのでご注意を。明石公園には東側にある文化博物館へのエレベーターを利用すると階段を登らずに本丸のレベルから入ることができます

2023年09月04日 千葉相模守早雲
明石城



西への目付として譜代の小笠原忠真が藩主となり、築城されました。
北側は池を堀とし、残りの三方を水堀で囲っていました。西から稲荷曲輪、本丸、二ノ丸、東ノ丸が一直線に並んでいます。

本丸の四隅に三重櫓が築かれるも、南側の巽櫓と坤櫓の二つだけが現存しています。二つの櫓とそれを結ぶ塀が見どころですが、大き過ぎてなかなか写真に収めるのが難しい😅

1.太鼓門からの眺め。内枡形になっている。
2.坤櫓を見上げる。
3.稲荷曲輪から見た坤櫓。
4.天守台石垣。
5.巽櫓を見上げる。
6.築地塀から見た巽櫓。
7.二ノ丸直下の石段から見た両櫓。
8.明石駅ホームからの一枚。

2023年04月11日 RED副将軍
明石城



現存の三重櫓と広範囲に残る堀や石垣が見事な近世城郭の集大成

日本100名城

1619年に小笠原忠真により築城。
二代将軍徳川秀忠の命により幕府の援助と姫路城の本多忠政の協力を得て築かれました。
1632年に小笠原忠真は小倉藩に転封となり、翌1633年に戸田康直が入城。
1639年に戸田光重が美濃国へ転封となると、代わって大久保忠職が入城するも1649年に肥前国唐津藩に転封し目まぐるしく城主が代わりました。
その後、丹波国篠山城より松平忠国が入城し、1679年までの30年間を松平氏がこの地を治め、用水路や防風林、新田の開発に努め、名君として知られました。
1679年に松平信之が転封となると、代わりに本多政利が入城するも悪政で僅か3年で減知転封となりました。
その後は、越前松平氏の松平直明が入城し、以後明治維新まで189年もの間、十代に渡って松平氏の居城となりました。
1874年、廃城令により廃城。

見所
現在は、兵庫県立明石公園として整備されており、明石駅からすぐの駅前物件です。
やはり現存櫓で重要文化財指定で本丸の両サイドに鎮座する三重の巽櫓と坤櫓が一番の見所でしょうか。巽櫓は船上城からの移築、坤櫓は伏見城からの移築と云われています。
三重櫓は国内に12基しか現存していません。
また、本丸には巨大な天守台がありますが、天守は築かれなかったとされます。天守台への石段に使われている転用石にも注目です。

2023年01月23日 鵜忠摂津守朝仁
明石城



JR神戸線の車窓から見かけたことは何度かあるのですが、初めて登城しました。駅前すぐなので気軽に行くことができ、物凄く整備されていて綺麗な明石公園内にありました。下からも上からも巽櫓や坤櫓は見応えがあります。公園の至る所にベンチがあり、地元の方も観光客も至る所で寛ぐことができます。特に二の丸の見晴らしのいいところにもベンチがいっぱいあって、明石大橋や淡路島の山々を見渡すことができました。本丸跡だけ殺風景で寂しい感じが少し残念でした

2022年12月27日 NMEA 6258
明石城



駅から徒歩5分とアクセス抜群の名城、現存三重櫓が青空に映えます

2022年08月14日 KEIKYU1000
明石城



城郭としてはとても興味深い形状。規模も大きく見応えはある。整備も良くされている。強いて言うならば北側が少し残念。

2022年08月05日 マークⅡ弾正大弼政宗
明石城



JR明石駅ホームから見えた二つの櫓が美しくて、かけ降りて明石城のある明石公園に向かいました。百名城スタンプの置いてあるサービスセンターも公園入口を入ってすぐありました。

2022年06月05日 竹中播磨守じゅん兵衛
明石城



二の丸~東の丸高石垣は威圧感あります。サービスセンターで御城印購入、日付スタンプ置いてるので登城日もきれいに記入(押せます)。

2022年05月13日 【城郭道】たっきー
東不明門(明ノ門)跡[明石城  遺構・復元物]

枡形虎口であるが、中央大手口、西虎口に比較して規模は小さい。白漆喰塗の櫓門。高麗門はなかったらしい。門の先には用米蔵、武器庫、勘定所などが建てられ、当時は商人たちが通行していた門だったという。現在は明石公園の東入口。建物はないが、枡形はよく残る。

2022年03月01日 まるぺこ右兵衛督
明石城



石垣が立派です。櫓も見応えあり。駅近も便利。

2022年01月25日 四間飛車左衛門佐とみー
明石城



活動の振り返り!
ぶらり西国遠征、今回は家族と一緒に明石城攻略です。山陽、JRいずれの明石駅からも徒歩3分、駅と目と鼻の先にあります。
昔の記憶より遥かに大きな構えでびっくりしました。公園として整備されていますが、周辺の道路や郭内に高くつまれた石垣は西国監視の要衝としてこの地を意識した事がうかがえます。
滞在1時間30分でしたが、2/3ほどしか回れませんませんでした。堪能するなら半日見たほうがいいかもしれません。

2021年12月17日 グッサン
明石城

石垣は圧巻。双子のような櫓も愛嬌を感じる。明石に来ると、魚の棚商店街とセットで毎回寄ってしまうスポットです。

2021年10月18日 シゲ参議豊右衛門
明石城



城郭の広さと石垣が立派です。あと櫓がいくつか復興していれば、楽しめると思います。石垣は見るのは必見です。

2021年08月31日 tracer_azu
明石城



現存するニ基の櫓と石垣が見所です。北側の自然が残るエリアには土塁などが残っています。南側パーキングは枡形となっていて珍しいです。

2020年10月23日 播磨屋蔵人頭
明石城

明石駅南口西側にある明石観光案内所で、明石観光協会と攻城団編の『明石城完全攻城ガイド』が頒布されています(100円)。大久保ヤマトさんの漫画や香川元太郎さんの復元イラストも載っていて、明石城散策に有用です。

明石駅南の市立図書館にも城郭関連の蔵書多数あり。

2020年09月01日 Goemon
明石城

お子様連れには良い公園ですね。城跡のなかでも歩きやすいのかな。巽櫓と坤櫓は必見。

2020年08月18日 こたつ猫宮内大輔三毛
明石城



2つの三重櫓は、月毎に公開櫓が替わるようです。無料です。管理センターには、100城スタンプ、城カード、御城印があります。御城印の日付スタンプも用意してくれてます。

2020年08月16日 #91右近衛中将
明石城

バイクで訪れました。駐車場バイクありますが、バイクは不可でした。グルグル回って、西側の入り口の左手(北側)生垣の裏手に、地元の方がバイクを停めるのに倣いました。これから訪れる方の、参考になればと思います。

2017年12月04日 源陸中守@ポンコ2…
明石城

2019年の築城400周年シリーズの続報です。
石垣周辺の樹木の除伐以外にも、堀の水質改善への取組みが始まってるそうです。

兵庫県園芸・公園協会は、深緑に濁っていた明石駅側の入口東側水堀に、天然成分由来の鉱物「ゼオライト」を加工した浄化剤を散布して水中の微生物を活性化させ、汚れを分解する取組みを先月行ったところ、水が澄み始めているとのこと。
そのため、駅側入口の東西の堀全域(東:約8200㎡、西:約9100㎡、水深:約1.2m)に対象区域を広げ、水質改善を検討していくとのことです。

濁った水堀も風情が感じられますが、透明度がある水堀も堀底が見られていいかもしれませんね。
行政の城趾保全への姿勢が伝播することを願って。

出典:神戸新聞

2017年11月15日 源陸中守@ポンコ2…
明石城

こういう動きが広がればいいですね。

見出し:兵庫・明石城の石垣守れ 築城400年へ「多すぎる」樹木伐採(出典:神戸新聞)

国内有数の壮大な規模を誇る明石城の石垣について、県は14日、景観向上や崩壊防止のため、繁茂した樹木の一部を伐採すると発表した。築城400年となる2019年の3月までに、二つの櫓周辺を中心に約300本を剪定、伐採していく。

城周辺の樹木はもともとマツが中心だったとみられる。鳥がそれ以外の種子を落とすなどして、自然に生えた木が増加。県文化財課などから「根が石垣に入り込み、国の重要文化財の巽櫓、坤櫓がある石垣を崩壊させる危険がある」とも指摘されていた。

県の計画では石垣に入り込んだり、5メートル以内にあったりする約270本と、その周辺の樹木を伐採する。県公園緑地課によると、主にウバメガシやアラカシを伐採し、サクラは伐採しない。また、城と緑の調和を図るため、一部の樹木は残し、西芝生広場から石垣の上部約5メートルが見えるようにする。伐採後は明石駅のホームからも、櫓を含む長大な石垣が望めるようになるという。

2017年07月09日 摂津守いくpika
明石城

パピオスあかしの屋上広場についての情報です。

場所はJR、山陽の明石駅のすぐ南(お城の反対側)にありますので、迷う事は無いでしょう。

現在、屋上広場は【土日祝】のみ開放されていますので要注意!

屋上に上がっても、結構高めのガラスフェンスがあるため、まともに撮ろうとすれば反射像が映ってします。
そこで広場の左端が格子状のフェンスですので、そこからカメラを差し出せばお城を直接撮影することが出来ます。
デカい一眼だと無理かもしれませんが…

一階には松竹さんという行列必死の美味しい明石名物の玉子焼専門店がありますので、時間をズラしてでも是非に。

三階の図書館にはお城関係の書籍が大量にありますし、併設のカフェはお城ビューなので避暑地としてこちらも是非とも。

2017年06月07日 青き巨星弾正少弼かみ
明石城

明石城のお城メダル(記念メダル)は現在ありません。
サービスセンターや花と緑のまちづくりセンターで聞いて周りましたが売っていないとのこと

2017年02月12日 織田上総介晃司
明石城

福山城同様ここもエキチカ(駅近)の城
やはり見所は坤櫓と巽櫓。櫓を繋ぐ長塀。
その後、魚の棚市場でたこ焼のルーツとも言われる明石焼き(卵焼き)を食べる。
明石駅には有名な駅弁「引っ張りたこ飯」は売ってなく新幹線西明石駅で売ってるとの情報を仕入れ行ってみたが、売り切れ…


2016年12月21日 源陸中守@ポンコ2…
明石城

JR明石駅ホームから、左側に坤櫓(ひつじさるやぐら)と右側に巽櫓が立派に見える明石城ですが、明石駅北口からも徒歩数分で正面入口(太鼓門跡?)に着くことができます。
パンフは正面入口そばのサービスセンターで声がけするともらえます。

サービスセンターを北進し、日時計を左に球場前まで進んでから坤櫓下を登り稲荷曲輪に入りました。
12月半ばでしたが、実のついたカリンの木の下を歩いてると、カリンが落ちてきましたので、ご注意下さい。
稲荷曲輪から櫓がある本丸に入りましたが、天守が築かれなかった天守台が坤櫓の近くにあります。
大きな天守台で、見応えあります。
櫓の内部は左右を隔月で公開してますが、来城した日は生憎閉館でした。
本丸内のトイレは水の流れが早くビックリしました。

本丸から東に二ノ丸へ行き、一度日時計のほうに下りましたが、その時に目にする石垣の高さは圧巻です。
本丸もそうですが、高い布積の石垣がいい感じです。
その後、城内で一番水がきれいという井戸前を東に薬研堀から東ノ丸虎口、ぐるっと桜堀外側を歩きましたが、いろんな角度から楽しめる城でした。


2016年06月16日 あきちい播磨守
明石城

明石駅にて電車の待ち時間に明石城の2つの櫓を見て何となく違和感を感じたので調べてみたら建ってる向きが違ってました。

駅側から向かって左手の坤櫓は伏見城から右手の巽櫓は近くの船上城からの移築ですので櫓出入口の関係上そうなってしまったのかは解らないですが何故向きが違うのか不思議です。

今は壊されてしまった乾櫓と艮櫓はどうだったのかな。


2016年05月11日 まるき〜出雲守
明石城

山陽本線明石駅から歩いて数分で到着。明石公園前から入城し大手門をクランク状に、目の前に2棟の立派な櫓、左側に坤櫓(ひつじさるやぐら)と右側に巽櫓(たつみやぐら)がでーんと構えてらっしゃいます。そして右手に100名城スタンプを押す建物があります。公園なので入場無料、たくさんの人、クラブ活動する学生、芝生に寝ころがる人、ボール遊びをする子供、水彩画を書いてらっしゃる方も多かったです。そもそも天守は造られなかった明石城ですが両側に並ぶ櫓だけで貫禄があり見ごたえ十分です。両櫓は当時のもので重要文化財、坤櫓に至っては廃城後の伏見城から移築されたとも言われています。その櫓も阪神大震災の際ダメージを受け櫓、石垣共に今 弘前城が行っている曳家工法にて移動、修理が成されたそうです。
土日の雨が降ってない日に限り櫓が解放されているようですが解放の無い時もありますので詳しくはホームページ等でご確認下さい。たまたまこの日は坤櫓内を見学できました。前回(約1年前)の口コミで石垣が良いと書きましたが櫓もとても良いと…今回思った次第です。
城探索の後はうぉんたな(魚の棚商店街)が近いのでそちらで明石焼でも!

2015年05月15日 まるき〜出雲守
明石城

左右の巽櫓と坤櫓(ひつじさるやぐら)も良いけれど、
行ってみて驚くのが石垣の凄さ…
こんなに広いとは思わなかった〜!
と言うくらい沢山の石垣があって
見応え十分な城跡でした。

城の裏側?北側に有料ですがお城隣接のパーキングがあります。
歩いて7分だったかな
( ^ω^ )
櫓からは明石大橋が見えます。


2014年10月09日 Dragon淡路守
明石城

先ほど行って撮影してきました。めちゃ綺麗でした(* ̄∇ ̄)ノ

2014年10月09日 ひー
明石城

私も見ました!明石城のライトアップ!
鯱がバナナみたいで可愛かったてす(^-^)

2014年10月08日 はっしい左近衛中将
明石城

H26.10.7より1週間ライトアップしているそうですよ。はじめて見ました。

2014年01月04日 人♡魚♡姫
明石城

お正月のため100名城スタンプが設置されてるサービスセンターが閉まってました。しかし御用の方はお電話下さいと書いてある番号に電話して問い合わせたしたところ、有難い事に係りの方がとても親切にサービスセンターの前までスタンプを持って来て下さいました。

2013年12月22日 中務卿一之介
明石城

二つの櫓を撮るベストスポットは明石駅ホームからだと、自分なりに思っていました。しかし、今日訪れたら、ちょうどアングルに電線が入るようになってしまいました。

2013年07月13日 尾張守ひろっちぃ
明石城

明石駅からも巽櫓と坤櫓を見ることができます。明石公園として整備されており、池、田園、茶室等があり散策には飽きません。巽櫓と坤櫓はありますが天守閣は造られなかったらしく天守台がありそこからの眺めは素晴らしいです。



2011年07月21日 摂政M三郎
明石城

明石城は、歴代、譜代・親藩大名が城主を務めた徳川系平山城です。この地は山陽道が通る要衝で、西国大名を牽制するためか、南と西を意識した施設配置となっていると感じます。山上には3つの郭が連郭式に南に腹を見せて並び、西端に本丸を配してその四隅に美しい層塔型の三重櫓を上げた姿は、城を巨大に見せたでしょう。また、材の良い切石を使った高石垣、南麓の広大な郭、広い水堀等は財力の象徴と映ったのではないでしょうか。今も本丸南高石垣上東西に棟を90度捻って並立する双子の三重櫓は素敵で、存在を主張しています


2010年09月13日 古楽侍従広家
明石城

2つの櫓とそれを結ぶ塀もさることながら、石垣に注目ですね。

明石城の周辺スポット情報

 坤櫓(遺構・復元物)

 巽櫓(遺構・復元物)

 天守台(遺構・復元物)

 松平直明公遺愛お茶の水(井戸跡)(遺構・復元物)

 角ノ櫓跡(遺構・復元物)

 本丸艮櫓跡(遺構・復元物)

 本丸乾櫓跡(遺構・復元物)

 正ノ櫓跡(遺構・復元物)

 文ノ櫓跡(遺構・復元物)

 見ノ門跡(遺構・復元物)

 万ノ門跡(遺構・復元物)

 番ノ門跡(遺構・復元物)

 出ノ門跡(遺構・復元物)

 直ノ門跡(遺構・復元物)

 礼ノ櫓跡(遺構・復元物)

 貞ノ櫓跡(遺構・復元物)

 大ノ門跡(遺構・復元物)

 東不明門(明ノ門)跡(遺構・復元物)

 太鼓門跡(遺構・復元物)

 西不明門跡(遺構・復元物)

 織田家長屋門(遺構・復元物)

 桜堀(遺構・復元物)

 箱堀(千石堀)(遺構・復元物)

 薬研堀(遺構・復元物)

 剛ノ池(遺構・復元物)

 伏見城移築切手門(遺構・復元物)

 旧波門崎灯籠堂(遺構・復元物)

 横堀跡(遺構・復元物)

 置櫓跡(遺構・復元物)

 本櫓跡(遺構・復元物)

 月櫓跡(遺構・復元物)

 東堀(遺構・復元物)

 南堀(遺構・復元物)

 山里曲輪跡(きしろスタジアム)(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 西の丸(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 東の丸(遺構・復元物)

 北の丸(遺構・復元物)

 三の丸(遺構・復元物)

 西堀(遺構・復元物)

 本丸土塀(遺構・復元物)

 方ノ門跡(遺構・復元物)

 明石空襲の碑(碑・説明板)

 遺跡 山里郭(碑・説明板)

 人丸塚(寺社・史跡)

 旧明石藩主松平家廟所(寺社・史跡)

 高家寺(寺社・史跡)

 柿本神社(寺社・史跡)

 月照寺(寺社・史跡)

 本松寺(寺社・史跡)

 明石神社(寺社・史跡)

 大聖寺(寺社・史跡)

 神明神社(寺社・史跡)

 明石公園サービスセンター(御城印)

 明石公園サービスセンター受付(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 バイク借置場(駐車場)

 武蔵の庭園(関連施設)

 明石市立文化博物館(関連施設)

 明石公園サービスセンター(関連施設)

 明石公園(関連施設)

 剛ノ池(関連施設)

 グリーンホテル明石(その他)

 大手門跡?(その他)

 細工門跡?(その他)

 大蔵門跡?(その他)

 山下門跡?(その他)

 搦手門跡?(その他)

 王子門跡?(その他)

 樽屋門跡?(その他)

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