長篠城(ながしのじょう)

長篠城の基本情報

通称・別名

末広城、扇城

所在地

愛知県新城市長篠字市場

旧国名

三河国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

菅沼元成

築城年

永正5年(1508)

主な改修者

奥平信昌

主な城主

菅沼氏、奥平氏

廃城年

天正4年(1576)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(長篠城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

新城城(愛知県新城市)[6.3km]
宇利城(愛知県新城市)[6.7km]
田沢城(静岡県浜松市)[7.9km]
野田城(愛知県新城市)[9.4km]
千頭峯城(静岡県浜松市)[11.3km]
古宮城(愛知県新城市)[13.2km]
亀山城(愛知県新城市)[13.3km]
井伊谷城(静岡県浜松市)[13.9km]
三岳城(静岡県浜松市)[14.3km]
田峰城(愛知県北設楽郡)[14.9km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

46 長篠城

設置場所

新城市長篠城址史跡保存館窓口[地図

長篠城の解説文



長篠城(ながしのじょう)は、三河国設楽郡長篠(愛知県新城市長篠)にあった日本の城。特に天正3年(1575年)の長篠の戦いに先立つ長篠城をめぐる攻防戦で知られる。

現在は国指定史跡に指定され[1]、城跡として整備されている。

概説 

地形変化の境目となるこの場所は、東三河と長野県方面と、静岡県と岐阜県方面の各所に至る陸上交通や東三河と河川の豊川で結ぶ水上交通が交わる交通の要所であった。

歴史・沿革 

築城者

永正5年(1508年)、菅沼元成が築城したと伝えられる。元成以後、長篠城では俊則、元直、貞景、正貞が城主を務めている。

戦国時代

長篠菅沼氏が徳川家康に服属していた元亀2年(1571年)、武田信玄による三河侵攻の一端として、天野景貫によって攻められる。攻守双方の払った犠牲は大きかったが、陥落だけは免れた。その後、菅沼総領家・田峯菅沼氏から遣わされた使者の説得を受け、城主であった元成の直系玄孫・菅沼正貞は、心ならずも武田軍の圧力に屈した。

元亀4年(1573年)、武田家の当主であった武田信玄の病が悪化したことにより、前年末から続いていた武田軍の「西上作戦」は春には切り上げられ、武田軍は本国へ退却する。その途中で武田信玄は死去。

その間隙、徳川家康は長篠城を攻める。

天正元年8月(1573年)、城主・正貞は徳川軍に対して開城し、自らはそこから退去する。それ以降、正貞はその城に返り咲くことはなかった。

以後、長篠城は徳川家の城となり、徳川家康は武田軍の再侵攻に備えて、長篠城をさらに拡張し、防御力を高めた。(現在に残る本丸の大規模な土塁などはこの時のものと考えられている。)

天正3年5月21日(1575年6月29日)、父・信玄の跡を継いだ武田勝頼が1万5千の兵を率いて長篠城の奪還を試みたことによって長篠の戦いが始まった。

天正4年(1576年)奥平信昌が新城城を築城し、長篠城は廃城になったとされる。

元禄2年(1698年)、大身旗本の一色直興が知行替えで当地を領する。陣屋は長篠城跡の二の丸にあった。現在は代官家の林家屋敷跡の石碑が建つ。

近現代

1918年(大正7年)、久邇宮邦彦王が、俔子妃と良子女王(後の香淳皇后)を伴って御成り。松をお手植え[2]

1929年(昭和4年)、長篠城の城跡一帯が国の史跡に指定された。 その後、帯曲輪跡には「新城市立長篠城址史蹟保存館」が建設され、長篠の戦いの理解を助ける展示がされるようになった。

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(46番)に選定された。

遺構 

城跡

主な遺構は、主郭北東部の「横矢掛け」を意識した土塁とその堀、野牛曲輪では物見櫓跡、厩跡とされる窪地や井戸があり、現存する曲輪は、本丸と野牛曲輪だけである。飯田線の鉄道は主郭とこの曲輪を画する土塁の上に敷設されている。

平成11年から平成18年にかけての発掘調査において、長篠城では前方の開けた平坦地に対して土塁と堀を巧みに配し、後方では崖地や河川といった自然地形を利用することで防御性の優れた縄張りであったことが判明した。当初造られた城の遺構面のうえに水平に盛土造成が行われ、その上部に現在みられる土塁や虎口が構築されたことも判明した。

なお現存建築物としては、新城市内の桃牛寺に弾正郭の門として使用されていたという山門が、長篠城→新城城→永住寺→桃牛寺と度重なる移築を経て現存している。

現地情報 

所在地

  • 愛知県新城市長篠字市場22-1

交通アクセス

  • JR飯田線 長篠城駅から西へ徒歩で約7分。
  • 新東名高速道路 新城インターチェンジより東へ車で約10分。

参考文献 

  • 岩山欣司『史跡長篠城跡』Ⅲ―Ⅵ(鳳来町教育委員会、2004年―2007年)
  • 【書籍】「 長篠城跡の発掘調査について] 」 - [第26回 全国城郭研究者セミナー](2009年8月1日開催)]における報告4(同タイトル)の要旨。
  • 岩山欣司「長篠城」(中井均・鈴木正貴・竹田憲治編『東海の名城を歩く 愛知・三重編』吉川弘文館、2020年)

参考資料 

  • 三河国八名郡乗本村菅沼家文書目録解題国文学研究資料館.pp. 85-108.2021年9月19日閲覧(http://base5.nijl.ac.jp/~archicol/eachpage/04/03/ac1957005/index.html)
  • 寛政重脩諸家譜. 第2輯 - 国立国会図書館デジタルコレクション(343コマ)2021年6月22日閲覧(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082719/343)

長篠城の口コミ情報

2026年02月06日 しんちゃん改
医王寺城[長篠城  周辺城郭]



先日の投稿の続きになります。
医王寺山勝頼本陣を取巻く尾根の北西部は単独で西側に伸びていて、先端部は二段構造になっていてそれぞれに石積らしき物があリました。
ただし、いつの時代の物かははっきりしていません。浅野文庫の諸国古城之図には描かれていない部分になりますが、本陣の周囲の尾根にも武田方の兵が配されていた可能性は有ると思います。
尾根の西端の先は急な切岸になっていて攻めるのは困難でしょう。
そこから来た道を返して、東に移動しました。医王寺本陣の北側を守っている部分まで来ると、そこには土塁のような物があったように思います。
そこからは勝頼本陣の方向にも尾根道が続いているようでしたが、その先は確認せず、まずは東の標高172mのピークを目指しました。

ピークの部分には確かに物見台の雰囲気はありました。ここからならより遠くの敵軍の動きを察知出来ると思います。
ピークの周囲にも複数の扁平地が有り、これまでの尾根全体で数千の兵を駐屯させることが出来ると思います。
そこから北側に続く尾根は脱出ルートに使えそうですが、訪問はしていません。
周囲の尾根の郭を全て見たわけではありませんが、ここまででも数時間を要しています。

[写真1]北西の尾根の西端の急坂
[写真2]西端を固める石積のような物
[写真3]二段目の石積のような物
[写真4]北尾根の谷
[写真5]医王寺本陣の北側の扁平地
[写真6]北東のピークに続く尾根 土塁らしき物が付いている
[写真7]北尾根から勝頼本陣の方向へ伸びる尾根
[写真8]標高172mの最高所 物見台の雰囲気が有る

2026年02月05日 しんちゃん改
医王寺城[長篠城  周辺城郭]



武田勝頼本陣の有る丘陵を取り巻く尾根を巡ってみました。天神山陣所の北尾根から登って行きます。

土塁の内側に扁平地が付いたような地形が続きますが土塁は西側についています。勝頼本陣を守るような構造になっていますね。
尾根が細くなってくると段差が無くなって来ます。
尾根自体が塁の役割をしていると思いますが、下から見るとかなり急峻に見えるはずです。
尾根を北に進んでいくと東西に尾根が伸びる分岐に当たります。西尾根は独立して伸びていて、攻め手を単独で防ぐ構造です。
東尾根は本陣の北側を守るように伸びていますがまずは西から訪問しました。

医王寺城で登録がされていますが、私には医王寺山城といったほうがしっくり来ます。
構造的には荒々しく城としては完成していませんが、簡易的な山城といっても差し支えないのかもしれません。

西尾根は扁平地が続き、その先は二段構造になっています。尾根の先はかなり急峻で二段構造の鼻先には石積のようなものがあリました。
弱い隅部を強化するための物だと思いますが、いつの時代のものかは不明です。
これらも陣所の守りの為のものであれば実に興味深いですね。この時代の武田の城郭で石垣を用いている城は無かった気がします。

まだ全体の一部に過ぎませんが、医王寺周辺の構造から推察すると、武田勝頼は長篠城を攻め落とした後に、ここに三河侵攻のための拠点を築くつもりだったのではないかと思います。
少数の奥平勢だけでも、これだけ攻めあぐねるのだから、長篠城と医王寺山周辺の丘陵を併せて要塞化し武田の精鋭が守れば、織田信長の大軍といえど容易には落とすことはできないと思います。

豊川と宇連川に守られたこの場所は理想的な戦略拠点となり、比較的安全な甲斐への退路も確保できると思います。
逆にここを織田・徳川に奪われると敵に甲斐への侵攻ルートを与えることになるのではないでしょうか。

2026年02月05日 しんちゃん改
医王寺城[長篠城  周辺城郭]



〘所在地〙愛知県新城市長篠碁石地内

〘別名〙医王寺武田勝頼本陣跡

医王寺の武田勝頼本陣は天正3年(1575)に武田勝頼が長篠城を攻める際に築いたとされています。
医王寺の北側の丘陵(標高120m、比高30m)に築かれており浅野文庫の「諸国古城之図」にも記載が有ります。
物見櫓の再現された郭を主郭として、東西に郭が配され主郭西には堀切が設けてあります。
東側は谷になっていますが私には土橋の架かった堀切に見えます。おそらく元からあった地形を上手く活用して短期間に陣地を構築しているのではないでしょうか。

この時点ではまだ武田四天王も健在なので誰が陣地構築の指揮を取ったのか興味が有りますね。
おそらくこの先の三河侵攻を見据えての長期的な展開も視野に入っていたと思います。

天神山陣所の投稿でも書いたのですが、医王寺の周囲の地形は実に特殊だと思います。
医王寺の開山は克補契嶷(こくほかいぎょく)という高僧とされていますが、事実上の開山は琴室契音(きつしつかいおん)になるようです。
克補契嶷の弟子という説も有るようですが、実際は謎の多い人物です。
菅沼氏の一族なのか、それとも周辺の大大名の使いなのか? 妄想だけで🍚が進みます🥢

医王寺自身も城郭的な構造をしていて、長篠城とセットで考えれば実に強力な防御力を持っていると思います。

2026年02月04日 しんちゃん改
鳶ヶ巣山砦[長篠城  周辺城郭]



〘所在地〙愛知県新城市乗本字鳶ヶ巣

鳶ヶ山巣砦は標高150mの鳶ヶ巣山に築かれていました。主な守将は武田信玄の異母弟・武田(川窪)兵庫頭信実で他に小宮山信近も砦を守っており、長篠城を包囲した五砦の中心的な役割を担っていました。
5月20日に武田軍本隊は設楽原へ向かって出立しましたが五砦は長篠城の抑えとして、そのまま監視の任につきました。
21日早朝に五砦は松山峠を越えてきた酒井忠次率いる奇襲隊四千の攻撃を背後から受け劣勢に陥ります。
信実らは松平伊忠・菅沼定盈の攻撃を四度押し返すなど善戦しますが、他の砦を落とした敵が増援に加わると、さすがに防ぎきれずに討死して果てました。
設楽原での決戦の前に五砦が落とされたという知らせは、勝頼に大きな衝撃を与えたようです。

鳶ヶ巣山砦までは車道が通じていて、すぐ近くまで車で行くことが出来ます。道中には姥ガ懐砦があり鳶ヶ巣の駐車場から更に先に進んで分岐を右(西)に進んだ先には中山砦歴史公園も有ります。

駐車場から少し歩くと鳶ヶ巣山砦の主要部(主郭)にたどり着き、そこには案内板や鳶ヶ巣戦没将士之墓が有ります。
尾根沿いに周囲を散策して見ると腰曲輪のようなものが複数有りますがいつの時代のものかはハッキリしません。
「愛知の城」というサイトを参考にすると主郭背後にある土塁のような物も土地の境界線を示す為のようです😓

ネットを見ていると松山峠ルート攻略の記事が載っていたりします。途中に酒呑場🍶(マジか😳)やお茶飲み場🍵もあったりして、なかなか興味深いです。

2026年02月03日 しんちゃん改
天神山陣地[長篠城  周辺城郭]



〘所在地〙愛知県新城市長篠碁石

天神山陣所は武田勝頼の長篠城攻略の際に一条信龍・真田信綱・真田昌輝・土屋昌次ら二千人が布陣したとされています。荏柄天神社の裏山が陣跡とされ休息用のベンチが有りますが土塁等は見当たりません。
北上していくと医王寺の方角に道が続いていて、そのまま武田勝頼の医王寺山陣所に向かうことが出来ます・・・

山城に慣れている方であれば地形図を見ればどこにどの様な遺構があるのかお分かりになるのではないでしょうか。
武田方の気分になって考えてみると医王寺の周辺、医王寺山と呼ばれる山岳丘陵部が特殊な構造をしていることに気がつきます。
長篠城を含めた、この河岸段丘と丘陵部は稀に見る天然の要害だと思います。
勝頼陣所の周囲を尾根が取囲んでいて、その間は深い谷になっています。
いわば天然の土塁と堀で、その急峻さは下から見るとよく分かります。北東の最高所(標高172m)は物見砦の匂いがプンプンします。
そこから尾根伝いに北上すれば甲斐への往還のルートが開けると思います。砦を放棄した際の脱出ルートにも転用できるのでは?

何か有りそうだと思ったので見に行ってみる事にしました。立入禁止の類では無さそうだし、ピンクリボンに釣られてそのまま医王寺北西の尾根を登ってみました。
登った先は西手に土塁の付いた郭のようになっています。これらの遺構(❓️)は医王寺陣を守るための物ではないでしょうか。

2026年02月03日 しんちゃん改
大通寺陣地[長篠城  周辺城郭]



〘所在地〙愛知県新城市長篠字大通寺山

大通寺陣地は達磨山大通寺の北の丘陵に築かれました。
武田勝頼が長篠城を攻めた際に馬場信房、武田信豊、小山田昌行らの率いる二千人が布陣したとされています。
土塁や堀切などの遺構は見当たりませんが広い扁平地が広がっています。
大通寺の裏山に馬場信房・山県昌景・内藤昌豊・土屋昌次らが別れの水盃を交わしたと伝わる盃井戸が有り、そこから陣あとに道が続いています。

2026年02月02日 しんちゃん改
武田勝頼観戦地[長篠城  寺社・史跡]



武田勝頼の才ノ神本陣には常林寺の周辺の空きスペースに車を停め徒歩で向かうと良いと思います。
山道を進んで行くと、途中にウッドチップの敷きつめられた道が陣所に向かって続いているのですぐに分かると思います。
主要部には「武田勝頼観戦地」と書かれた石碑が有ります。
周辺には複数の扁平地があったと思います。
南側には土塁が東西に渡って配され西側の一部は二重になっており、間は浅い堀になっていました。
これらの遺構がいつの時代のものかは不明ですが雰囲気は出ています。
そのまま西に向かうと堀ははっきりと分かる深さになっています。

2026年02月02日 しんちゃん改
武田勝頼観戦地[長篠城  寺社・史跡]



〘所在地〙愛知県新城市八束穂

別名:才ノ神陣所
長篠・設楽原の戦いで武田勝頼が最初に陣を張った場所になります。
標高105m 比高20m程度の丘陵地で頂部が扁平され、周囲には腰曲輪のような扁平地もあリました。主要部の南側には堀や土塁が巡らされていていて簡易的な陣城のようになっています。
🌲🌳が生い茂っていて見晴らしは良くないですが、おそらく合戦時には勝頼の御座所から織田信長の茶臼山陣が見えていたはずです。
こちらからだと見上げるような形になりますが、それがそのまま両者の力関係を表しているようにも見えます。
戦いの主要な部分を家康に任して戦況を俯瞰している信長には余裕すら感じます。
信長を睥睨しつつも、じわりじわりと家康との戦いに集中せざるを得なくなってくる勝頼。
それぞれの陣所に立って武将達の気分に浸ってみると実に楽しいですね。
さて次の戦はいずれに付きますか❓️

2026年02月02日 松平右衛門督屏風折土塀元康
長篠城



史跡保存館ては渦の中の長篠城の企画展を開催中 広い駐車場もあり、ゆったりと見ることできます。本丸の前に丸馬出があったようです。今は埋められていて分かりませんが復元してほしいですね。

2026年02月01日 しんちゃん改
織田信長戦地本陣跡[長篠城  寺社・史跡]



織田信長戦地本陣の築かれている丘陵には多くの扁平地があリました。合戦の頃から残っているのかは不明ですが山住神社の周辺には陣所の雰囲気が漂っています。
神社に向かう途中に左手に見えるのは堀切でしょうか?
国土地理院の地形図を見ると、ほぼ真東の方向に間に丘陵を挟んで、武田勝頼の才ノ神本陣があります。
信長本陣の標高がおよそ144mぐらいで中間の丘陵のピークが約104m,才ノ神のピークがおよそ105mなので信長と勝頼は互いの陣が見えていたことになると思います。
戦況が激しくなるにつれて勝頼は天王山に移動して指揮を執ったとされますが、茶臼山に陣取る信長のプレッシャーは凄かったんじゃないでしょうか😱🙀

2026年02月01日 しんちゃん改
織田信長戦地本陣跡[長篠城  寺社・史跡]



〘所在地〙愛知県新城市牛倉字城山

長篠・設楽原の戦いに際して織田信長が上平井の極楽寺の陣から、この茶臼山に本陣を移しました。
5月18日〜20日にかけて陣が構築されたと考えられています。
山頂部には茶臼山稲荷神社が祀られており、周囲の扁平地に信長が陣取ったものと思われます。

信長が詠んだとされる歌碑が残されており、それには
「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き 茶臼山かね」と記されているようです。
合戦の勝敗が決した後に詠んだものと思われますが、この🦊が稲荷神社の🦊様を指しているのかどうかは不明です😅
南東にかけて幾つもの扁平地が有りますが陣地構築の時から残っているのかは不明です。
神社参拝用の駐車場も有りますが、地元の人専用で部外者は通行禁止になっているので、長篠設楽原PA(下り)を利用して訪問するのが推奨ルートになります。

2026年02月01日 しんちゃん改
長篠設楽原PA(下り)[長篠城  駐車場]



長篠・設楽原の戦いで織田信長が陣を敷いた「織田信長戦地本陣」を訪問する際に利用をさせていただきました。
関連施設という訳でもないので駐車場で登録をさせて頂きましたが、下道から入ることが出来るので便利です(高速には侵入不可)。
PA内から織田信長戦地本陣への道が続いていてゲートを空けて入れば最短で訪問が可能です。

施設内には展望台が設置されていて周囲を俯瞰できますが、丘陵に遮られるので主戦場を眺望することはできません。
PAのお土産のイチオシはなんと言っても強右衛門Tシャツです👕。
以前は購入する勇気が有りませんでしたが、今なら🐸❗️ やはりこの一連の戦いのMVPは強右衛門先生だと思います。

2026年01月31日 しんちゃん改
羽柴(木下)秀吉陣地[長篠城  碑・説明板]



「はたぼこ」の名で知られる羽柴秀吉の陣所の北側にはゲートが有り、中に入ることが出来ました。
あまりここまで来る人はいないようですが、なかなか興味深い場所です。
入ってすぐに扁平地が有り、秀吉の陣所が続いていることが伺えます。山の中腹に帯曲輪のように扁平された場所が幾段か有り、これが秀吉の居る場所の背後を守るための郭ではないかと想定します。
ひいては織田信長の戦地本陣を守ることにも繋がり、秀吉がこの戦いでは(重要だが)地味な役割を与えられつつも、独自の存在感を発揮していると思いました。
陣地構築の時間はさほど無かったと思いますが、この土木量はさすがだと思います。今年の大河のノリだと秀長の功績になるのでしょうか?
後の時代に扁平された可能性も有りますが、案外昔から郭などが残っていることも多いと思います。

秀長は合戦の時には兄の代わりに長浜城を守っていたのかな?

2026年01月31日 しんちゃん改
羽柴(木下)秀吉陣地[長篠城  碑・説明板]



〘所在地〙愛知県新城市牛倉字宗国

羽柴秀吉の長篠・設楽原の戦いの際の陣所で牛倉の高台に築かれていました。土地の人々の間では「はたぼこ」の名称で今に伝えられて来ました。
陣所跡とみられる場所は宅地や田畑にとなり、織田信長の戦地本陣である茶臼山を良く俯瞰するこよが出来ます。
茶臼山の北を守備する重要な位置に有りますが、比較的安全圏に有り、信長がこの戦いで秀吉に死なれては困るという意図も見受けられます。
この戦いの前年に木下藤吉郎から羽柴筑前守に名を改めています。

参考サイト:キラっと奥三河観光ナビ

2026年01月31日 しんちゃん改
家康本陣地[長篠城  寺社・史跡]



〘所在地〙愛知県新城市竹広字断上

家康本陣地の石碑は八劔神社の裏山の弾正(断上)山に設置されています。段上山第10号墳が最高所となり、10号墳は全長50mの大きな古墳でほぼ完全な形状を留めており、指揮所や見張台に適した形状をしています。
やや浅いものの古墳の周囲には堀の様なものが巡らされていて、陣所の雰囲気が出ています。
家康はここから更に東の9号墳のあたりまで移動し「徳川家康物見塚」と呼ばれる場所で陣頭指揮を執っています。
織田方の援軍を頼んだことで同盟関係のバランスが崩れ従属的な立位置になっていくことを予期しつつも、自らの手で武田を叩くという強い意志を感じます。
そこには「座りしままに食うは徳川」といった長閑な姿勢は微塵も感じません。
織田方の力を借りねば勝利は難しかったと思いますが、やはりこの合戦の主役は武田勢と家康・三河の家臣団だと思います💪✨️

2026年01月31日 しんちゃん改
山県昌景公墓[長篠城  寺社・史跡]



〘所在地〙愛知県新城市竹広

武田の重臣・山縣三郎兵衛尉昌景は長篠・設楽原の戦いで敵の銃弾に馬を討たれ落馬し、家臣の志村又左衛門により胴切山に運ばれたがすでに死亡していたと伝わります。
設楽原歴史資料館の南側の丘陵の中腹に「山縣塚」が有り昌景はここに葬られているとされます。
他にも山縣甚太郎昌次・従士名取又左衛門、高坂又八郎助宜の墓も有ります。
昌景は武田の左翼に陣を配置し、正面に徳川家康が本陣を敷いたとされるので昌景の陣所もこの付近になるようです。
丘陵を上がっていった先は田畑が広がっています。
途中、堀切などの遺構は見当たりませんでした。

2026年01月31日 しんちゃん改
岡崎信康本陣地碑案内板[長篠城  碑・説明板]



〘所在地〙愛知県新城市富永字松尾

長篠・設楽原の戦いの際に岡崎(松平)信康は松尾山の頂部に陣を張りました。
父・家康が陣を張った主戦場の西側に位置し、頂部に広い扁平地が広がり松尾神社が祀られています。
家康の本陣が置かれた弾正山が視界を遮るため主戦場を眺望することは出来ません。
後に武田方への内通を疑われ自らの父に切腹に追いやられた信康はこの時17歳の若武者であったようです。
どの様な気持ちで最前線で武田軍と対峙する父・家康の本陣を眺めていたのか・・
おそらく誰よりも頼もしく力強く映っていたのでは無いでしょうか?

松尾神社の背後は扁平地が続き林が広がっています。
林の中には堀切に似た溝が有りますが遺構かどうかは不明です。

2026年01月30日 しんちゃん改
丸山砦[長篠城  周辺城郭]



〘所在地〙愛知県新城市八束穂

長篠・設楽原の戦いの激戦地の一つで「丸山と大宮前激戦地」の案内板が設置されています。
特にこれといった特徴の無いただの小山に見えますが、はじめに織田軍の佐久間信盛が布陣し、それを武田軍右翼の馬場美濃守信房が少数の手勢で攻め取り大宮前激戦地での戦いへの流れを作りました。
丸山の頂部には石碑が設置されています。

2026年01月30日 しんちゃん改
中山砦[長篠城  周辺城郭]



〘所在地〙愛知県新城市乗本

中山砦は長篠・設楽原の戦いの前に武田勝頼が長篠城を攻める為に整備した五砦の一つで、徳川家康が以前に築いた砦を利用しています。
新東名建設に当たり遺構の一部は消失しましたが中山砦史跡公園が新たに築かれ、車で訪問することが出来ます。尾根上に登っていくと北側に堀切が有るらしいですが、法面がコンクリートの急斜面になっているので自粛。確か工事前の2014年に訪問した記憶が有ります・・
堀切の写真が残っていますが、古い写真で経緯がはっきりとしないので掲載は見送ります。

五味与三兵衛高重(貞氏)は守将の一人とされ、砦もしくは砦を脱出したところで討死したようです。
設楽原の武田勝頼観戦地の北の道路沿いに首塚への入口が有ります。

2026年01月30日 しんちゃん改
織田信忠本陣地[長篠城  碑・説明板]



〘所在地〙愛知県新城市矢部

別名:天神山陣所
長篠・設楽原の戦いで織田信長の嫡男・織田信忠が陣を敷いた場所になります。野辺神社のある丘陵上に築かれ、扁平地が広がっています。
神社の背後は藪がキツめだったので散策は自粛。
位置的には岡崎信康の陣の西側に位置し最前線からは幾分離れた場所に有ります。
決戦に際し、戦勝を期して「中将」の名で神社の羽目板に一句を残しているらしい。
信忠は当時19歳(数え)の若武者で、約7年後の天正10年(1582)に武田領に攻め込んで武田氏を滅ぼしました。同年の「本能寺の変」で二条新御所で自害、まだ26歳の若さでした。
同じ年に勝頼・信長・信忠の三人が死ぬというのも戦国時代ならでは・・
信長公も勝頼公の首を見て「あわれ」とか言っててもすぐに自分の番が来るわけでして。

2026年01月30日 しんちゃん改
君ヶ伏床砦[長篠城  周辺城郭]



〘所在地〙愛知県新城市乗本字浜射場

天正3年(1575)の長篠・設楽原の戦いの前に武田勝頼が長篠城攻略の為に築いた五砦の一つで最も標高の高い所に有ります。
主将は和田兵衛信業で長竹昌基・反町大膳ら300騎が守りました。
5月21日の早朝、酒井忠次配下の攻撃を受け落城。主将の和田信業も討死しました。

最高所に石仏が置かれ傍らに「君か臥和田兵衛陣地」の石碑が立っています。
堀切や土塁などの設備は皆無ですが、南には腰郭らしきものもあります。周囲は市民広場になっていて遊具なども有りますが草むらになりつつ有ります。
意外と扁平地が多く、砦の名残であれば五砦の中では最も城域が広いと思います。

周辺の眺望も良く、守兵が300で無ければもっと持ち堪えたのではないかと思います。

2026年01月30日 しんちゃん改
姥ヶ懐砦[長篠城  周辺城郭]



〘所在地〙愛知県新城市乗本字姥ガ懐

武田勝頼が長篠城を攻めた際に築いた五砦の一つで他の砦より標高の低い位置に築かれています。
三枝守友・守義・守光らの兄弟と草刈隼人助、宍戸大膳ら350騎が守りますが、5月21日早朝に背後から攻められ主将の三枝守友をはじめ隼人助、大膳らも討取られ落城しました。

主郭は茶畑となっているようで、申し訳程度の標柱が道沿いに立っています。
ついでに南東の丘陵も散策しましたが、郭に転用できそうな草むらがあっただけです。
近くには三枝兄弟の墓が有りますが、以前訪問しているので今回はスルーしました。
本格的な防御設備は皆無で長篠城陥落のための短期決戦用の砦では無いでしょうか。
位置から見て中継所や貯蔵庫のような場所であったとも言われているようです。

2026年01月29日 しんちゃん改
久間山砦[長篠城  周辺城郭]



〘所在地〙愛知県新城市乗本字川添

武田勝頼が長篠城を攻める際に築いた五砦の一つで、中川砦と共に徳川家康が長篠城を奪還する際に築いた砦を利用しています。
和田善兵衛・大戸直光・倉賀野秀景・原胤成・野州浪人組300騎らが籠ったとされています。
5月21日明方に奥平貞能・戸田重光らの攻撃を受け、要害を生かして持ち堪えるも敵方の増援が火を放ち和田善兵衛は火中に身を投じて自害し、他の諸将らも討取られ落城したとのこと。
(「愛知の城」参照)

特に案内板等は無く、道沿いに坂を登って行って建物の脇から取り付きました。建物の隅に小さな標柱が有ります。
豊川に向いた丘陵の先端部に扁平地がある程度の簡素なもので、あくまで長篠城を落とすことに特化した砦であったと推測します。
自分が攻められると弱いみたいですね・・
切岸は急で北側下方から仰ぎ見るとその急峻さがよく分かります。主郭らしき場所には城址碑があリました。

2026年01月13日 モモコ
長篠城



よく整備されています。城址だけでなく、周辺も散策するのがお勧めです。毎年、のぼり祭りの前日に訪れます。混雑していない状態で、のぼりの準備するのを眺められます。

2025年11月06日 ᴿᴱᴰ副将軍
姥ヶ懐砦[長篠城  周辺城郭]



長篠の戦いにおいて武田勢の三枝兄弟が布陣した砦跡⚔

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

1575年、長篠の戦いにおいて武田勝頼により築かれた陣城のひとつ。
武田勝頼は長篠城を取り囲み、鳶ヶ巣山を中心に姥ヶ懷砦、君ヶ臥床砦、鳶ヶ巣山砦、中山砦、久間山砦の5ヵ所の砦を築き、姥ヶ懐砦には三枝守友・三枝守義の兄弟ら350騎が布陣しました。
織田信長と徳川家康の連合軍が援軍として到着すると、武田勝頼は設楽ヶ原へと戦場を移します。 両軍合わせて5万を超える兵が対峙し膠着していたところを、徳川家康の重臣である酒井忠次の別働隊が背後から奇襲をかけて鳶ヶ巣山砦を落とします。
姥ヶ懐砦の三枝守友・三枝守義の兄弟も浪人衆を率いて奮戦するも討死し、姥ヶ懐砦も落とされます。
これにより長篠城の包囲網が崩れ、酒井忠次らは長篠城の籠城兵と合流。さらに設楽原の武田勝頼軍の背後を狙います。 設楽原の武田勢は挟み撃ちを恐れ、織田信長・徳川家康連合軍が築いた馬防柵に向けて攻撃を開始。武田勝頼軍は馬防柵と鉄砲隊を前に苦戦し、10時間の激闘の末に退却を余儀なくされました。

見所
長篠城から東へ約800mに位置し、鳶ヶ巣山砦から北へ伸びる標高150mの丘陵先端部に築かれています。
現在は丘陵頂部は茶畑となり遺構は消失。
茶畑の中腹には削平がありますが後世のものか判別はできませんでした。
東側麓には三枝兄弟の墓が残っています。

2025年08月25日 千葉左近衛中将早雲
長篠城



武田信玄の三河侵攻により開城するも、信玄の病が悪化し、本国へ退却の途中で死去。徳川家康はすかさず長篠城を攻め落とし整備拡張。奥平貞昌を城主としました。奥平貞昌は家康の長女亀姫を正室としています。

1575年に武田勝頼は15000の大軍で攻め寄せ長篠城を囲むも、奥平貞昌は籠城して善戦したため長期戦に。長篠城は落城寸前。鳥居強右衛門は援軍催促の使者として包囲網を掻い潜ると信長の陣まで辿り着き、援軍を確認すると長篠城へ引き返します。

しかし武田軍に捕えられ、助命を条件に長篠城へ援軍は来ない事を伝えるよう促されますが、援軍が来る事を伝えたため磔に処されます。

設楽原に陣を敷く織田・徳川軍に対して、勝頼は攻め寄せますが大敗を喫して敗走。山県昌景、馬場信春、真田信綱・昌輝等の名だたる武将の多くが討ち死にします。

その後、奥平貞昌が新城城を築いて移ると、長篠城は廃城となりました。

1.本丸と二の丸間の空堀。本丸の張り出しに合わせて折れている。
2.本丸と二の丸間の空堀。本丸は土塁により、右手の二の丸よりも高い。
3.本丸土塁。
4.本丸。
5.長篠・設楽原決戦場跡に復元された馬防柵。

2025年08月01日 てら
長篠城

踏切を越えた場所の土塁の続きを見逃さないように。

2025年07月18日 尾張守たまきち
竹広陣屋[長篠城  周辺城郭]



寛政元年(1789年)設楽貞喬によって築かれた陣屋。三河設楽氏は設楽貞通の次男貞信を祖とし、設楽郡内に七百石を領した旗本であった。貞喬のときに竹広に采地陣屋を構え、代官を置いて明治まで続いた。宝暦年間以降は滝川氏が代官を世襲したという。

設楽原古戦場を訪問した時にリア攻め。陣屋のあった屋敷の北側に石碑があり、屋敷の敷地に井戸が残っていました。

2025年05月11日 ひるちん左近衛中将
長篠城

とても趣のある城跡で、当時の姿を想像するとワクワクしてきました。

2025年03月19日 まるすみ商店尾張守川並衆
牛渕橋[長篠城  その他]



JR長篠城駅からは👣で20分弱かかります。お🏯の主郭辺りからだと橋をわたる都合上、駅方向に戻ることになります。こちらへも訪問お考えでしたらば、JR飯田線の本数少ないこと考慮し時間に余裕を持っての計画を🖐️

また🚗利用の場合でも牛渕橋自体それ程は道幅ないため、県道69号線に停めての方がまだマシかと……ただこの地から対岸の主郭方向を見てみると、この長篠城が本当に自然の要害を利用したお城🏯だったことが実感できます🤔🤔

2025年02月24日 大膳大夫hino
長篠城



長篠城跡には電車で行きましたが 車の方も駐車場があるので安心して行けます。豊橋から単線の飯田線で行きますがワンマンで駅舎は無人です、歩く事8分位で資料館に到着、すぐ先に本丸跡があります。

2024年12月02日 まりん治部大輔
長篠城



飯田線長篠城駅の駅前の道を左に一本道で10分もかからないで行けます。長篠城跡歴史保存館で見学をお勧めします。御城印は2階の受付で入手、100名城のスタンプは1階階段横に置いてあります。本丸跡のフェンスに色々と説明がありました。

2024年10月02日 三宅三河守康貞
長篠城



武田勝頼が敗走時、地面に刺した杖が逆さに生える桑の木になったという伝承があり今尚、地域で大切に残されている様です。

2024年03月27日 小太郎右近衛中将南畿陽13國守
長篠城



長篠城址史跡保存館に駐車。百名城スタンプは、1階無料区画自販機横に設置されている。顕著な遺構は残されてないが、歴史の宝庫であり、鳥居強右衛門磔場所も遠望できる。3月24日情報。

2024年03月21日 ᴿᴱᴰ副将軍
鳶ヶ巣山砦[長篠城  周辺城郭]



長篠の戦いにおける重要拠点⚔

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1575年、長篠の戦いにおいて武田勝頼により築かれた陣城のひとつ。
武田勝頼は長篠城を取り囲み、鳶ヶ巣山を中心に姥ヶ懷砦、君ヶ臥床砦、鳶ヶ巣山砦、中山砦、久間山砦の5ヵ所の砦を築き、鳶ヶ巣山砦には武田信実・小見山信近が陣を布きました。
織田信長と徳川家康の連合軍が援軍として到着すると、武田勝頼は設楽ヶ原へと戦場を移します。
両軍合わせて5万を超える兵が対峙し膠着していたところを、徳川家康の重臣である酒井忠次の別働隊が背後から奇襲をかけて鳶ヶ巣山砦を落とします。
これにより長篠城の包囲網が崩れ、酒井忠次らは長篠城の籠城兵と合流。さらに設楽原の武田勝頼軍の背後を狙います。
設楽原の武田勢は挟み撃ちを恐れ、織田信長・徳川家康連合軍が築いた馬防柵に向けて攻撃を開始。武田勝頼軍は馬防柵と鉄砲隊を前に苦戦し、10時間の激闘の末に退却を余儀なくされました。

見所
宇連川を挟んだ対岸にある鳶ヶ巣山の尾根先端に築かれています。山上からは長篠城内の様子が丸見えとなる長篠城の弱点です。
案内板と金比羅宮があり一帯が削平されています。
尾根を降ると竪堀らしき溝と段郭が連なります。
尾根先からは長篠城一帯が一望できます。

行き方は、山上まで林道が通っており車で登ることが出来ます。

2024年03月18日 遠江守とらさん
鳶ヶ巣砦の駐車場[長篠城  駐車場]

北西側からルート。自動車でこの駐車スペースまで走行可能。途中「車でいけます」看板表示もある。ただし、対向車が来ないことを祈る。アップダウン激しい場所もある。道路上の枯枝が車底を擦る。安全運転で🚗

2024年03月15日 しいたけ
長篠城



この季節と、整備されたからか不忍の滝を見る事ができました。

2024年03月09日 お気楽飛騨守喜兵衛
長篠城

車ですと、新城ICからすぐつきます。駐車場も割と台数があります。本丸から鳶ヶ巣山砦方面を見たとき、すぐ近くを飯田線が走っています。写真を撮るとき列車が写るかもしれませんので、注意が必要です。設楽原の戦い当時は、木々が無くてもっと見晴らしが良かったんだろうと思います。強右衛門磔の碑は城から見ると豊川のすぐ対岸なんですが、辿り着こうとするとものすごく遠回りします。碑の周辺は未舗装で駐車場もないので要注意です。

2024年03月02日 テツロ
長篠城



大土塁の一部が崩壊、イタタなお姿でス、、
崩壊面をみると上側は表層が大きく剥落してますが、下側は白い仮土嚢で覆われながらも地山として安定してそうです。掘の切土法肩あたりとその直上盛土との境目部分に含水の高い弱層ができ、これを起点に滑り崩れたということですかね~、
でもこれほどの急勾配の土塁遺跡が今まで良好な状態で残ってきたことは奇跡!だったと思いますよ。今後の復旧方法が気になるところでスネ、、、。

ここで素晴らしい提案を(≧∇≦)b、、ここら一帯の地質構造を成す中央構造線沿いに分布する三波川帯の結晶片岩で「石垣」に普請し直しては!?、豊川岸壁に露頭する緑色片岩・黒色片岩を用いて、徳島城や和歌山城、鳥羽城チックな味わい深き石垣に、、しびれるあこがれるぅ~、、、あ、450年前の話ならね♡ ん、だれだ!?要石に蛇紋岩※積んじゃったやつはあ~!あぁ~再び崩れちゃう~、、っスネェ💦(妄想)

※蛇紋岩は地質的に脆弱な地質構造線や断層構造に沿って広く分布する。含水鉱物であるため風化作用を受けやすく、もろくて崩れやすい性質がある。そのため、蛇紋岩で形成された地域は地すべり地帯となり、土木工事の際には難工事となる。特に、蛇紋岩の地層を貫くトンネルの掘削作業には特段の配慮を要する(wikiより)。

2024年02月04日 たかし553
長篠城

飯田線に乗っていくと行きやすいです。長篠のお祭りの時に行けば火縄銃とかの発砲も見られます

2023年10月03日 ᴿᴱᴰ副将軍
長篠城



織田信長・徳川家康の連合軍に武田勝頼が大敗した長篠の戦いの舞台⚔

日本100名城

1508年に菅沼元成により築城。
菅沼元成は、田峯城の菅沼氏の庶流であり今川氏親の家臣。長篠城を築いて岩古屋城から移り、長篠菅沼氏の祖となりました。長篠菅沼氏は山家三方衆(他に奥平氏、田峯菅沼氏)のひとつに数えられる有力土豪となります。
1560年に桶狭間の戦いで今川氏が没落すると松平氏に長篠菅沼氏は従属。
1571年には城主の菅沼正貞は、田峯菅沼氏等の勧めもあり武田氏に内通し徳川家康から離反します。しかし、1573年には徳川家康の侵攻により長篠城は落城。菅沼正貞は信濃国へ落ち延びました。
そして長篠城には、武田勝頼を離反し、徳川家康に再度従属した奥平貞能が城将として入城します。
1575年、武田勝頼が15,000の大軍を率いて長篠城へ侵攻。対して奥平貞昌は500人の寡兵でありましたが、武田氏の猛攻を周囲の要害地形や鉄砲で城を固めて凌ぎます。
さすが、奥平貞能の嫡男である奥平貞昌に徳川家康は長女の亀姫を嫁がせ、領地を割譲するなどして引き入れた有力武士団の奥平氏はムチャクチャ強かった様です。
しかし、兵糧蔵の焼失により兵糧を失い落城寸前となります。鳥居強右衛門を援軍要請の使者として岡崎城の徳川家康に走らせましたが、帰城途中で武田方に捕縛。武田勝頼は援軍が来ないので開城する旨を伝える様に鳥居強右衛門を調略するも、鳥居強右衛門は援軍がくると叫んで奥平勢の士気を高めたため、磔に処せられたのは有名な逸話。
38,000もの織田・徳川連合軍の援軍として到着すると、設楽ヶ原へと戦場は移り、武田勝頼は大敗して敗走。
奥平貞昌は織田信長から戦い振りを賞賛され、信長の偏諱「信」を与えられて奥平信昌に改名。
1576年に奥平信昌は新城城を築いて移ったため長篠城は廃城となりました。

奥平氏は徳川家康の重臣となり大名となりましたが、同じ山家三方衆で元々の長篠城主であった菅沼氏は武田氏に付いたことで大きく運命が変わりました。

見所
豊川に宇連川が合流する断崖上に築かれていましたが、宅地化とJR飯田線による分断で主郭周辺のみ残ります。
南側と東側は河川を天然の堀とした要害で、主郭の内堀と高土塁の一部が良好に残っています。

国史跡に指定されているので年中整備され駐車場も完備しています。

2023年09月11日 左兵衛督ストリーム
史跡保存館[長篠城  御城印]

2階受付で販売されています。入場券買わなくても御城印のみ購入できます。

2023年06月18日 国府左京大夫城介
鳶ヶ巣山砦[長篠城  周辺城郭]



長篠城を抑えるために築いた五砦の中核

【歴史】
天正3年(1575)5月に、武田勝頼が長篠城を包囲した際に、長篠城を監視する目的で、鳶ヶ巣山砦を中心に、中山砦・久間砦・姥ヶ懐砦・君ヶ伏床砦(いわゆる武田五砦)を築いた。鳶ヶ巣山砦には、勝頼の叔父である河窪(武田)信実とその家臣小見山信近が約一千の兵を率いて守備していた。

同年5月21日早朝に、酒井忠次率いる四千の別動隊の奇襲を受け、他の砦と連携が取れない状態で防戦することとなった。守備兵は酒井軍を四度押し返すも、最後は力尽き、信実以下将兵悉く戦死した。五砦を落とした酒井忠次ら別動隊は、長篠城の奥平勢と合流し、武田軍の背後を脅かすこととなり、そして設楽原の戦いが幕を開けることとなった。

【遺構】
長篠城とは豊川を挟んで、東に約650mに位置する鳶ヶ巣山(標高150m)に築かれた。中心部には、石碑や、設楽原の戦いの頃から生えていた「天正の杉」の枯れ木がある。曲輪や土塁らしき跡もあるが、往時のものかは不明。

【感想】
中心部はあまり眺望はよくないですが、その手前の見晴台からは、長篠城内をよく見下ろすことができます。正に、長篠城を監視するための砦であることがよく分かります。遺構自体は往時のものか、後世の畑の跡かは不明ですが、土塁や切岸、腰曲輪らしきものを見受けることができます。

【アクセス】
登城口は二か所あり、西側と東側があり、車の場合は東側から登れば、中心部は近い。長篠城から西側登城口までは、自転車で8分。そこから中心部までは、徒歩10~15分。

【写真】
①説明版
②見晴台から長篠城を望む
③見晴台がある平場
④天正の杉
⑤戦没将士之墓
⑥土塁
⑦中心部の郭
⑧切岸

2023年06月05日 竹中大宰大弐半兵衛
長篠城



長篠城址史跡保存館窓口で入場料(大人220円、子ども100円、ただし東三河の小・中学生は配布されたほの国パスポートを持参すると無料)を支払うと、どなたでも電動自転車が無料で、3時間もレンタルできます。ただ3台(成人用)しか置かれていないので、借りたい時に空いていればラッキーです。ヘルメットも借りられますが、私は持参しました。受付にレンタサイクル利用申込兼利用証(受付向かいのパンフレット置き場右の方においてあります)を記入し、身分証明書と一緒に提出します。自転車で風を切りながら日本版走れメロスである鳥居強右衛門勝商が泳いだ川、織田、徳川が来ると叫んだ場所、磔にされた跡を辿るのは何とも感慨深いです。上り坂下り坂ぬかるんだ道、畦道があるので、非常に快適です。是非とも長篠城址に足を運んでみて下さい。

2023年05月02日 修行尼
長篠城



のぼり祭りをしていました。といってものぼりが沢山あるだけですが。100名城スタンプも外に置いてありました。

2023年03月31日 堀S#Sおゆき
長篠城

ツアーでいきました。ボランティアガイドさんの案内での説明付きで、良かったです。

2023年01月01日 杉玉右京大夫
長篠城

近くには織田、徳川軍の馬防柵や武田勝頼本陣跡があり、歴史を感じる見どころが点在してます

2022年06月06日 飛騨守マックイーン
長篠城



飯田線で行きましたが、鳥居駅を過ぎて川を渡る際に断崖絶壁ぶりがわかります。長篠城駅からは駅の左手を10分くらいで、案内板もあり、迷うことはないと思います。

城は思いのほか狭く、また私有地で入れなさそうなところもあり、30分もあれば一回りできると思います。大通寺や医王寺などを回り、大海駅から次の目的地設楽原(隣の三河東郷駅)に向かいました。大海駅は小ぎれいなトイレもあります。

2022年06月01日 paki
長篠城



鳥居強右衛門の看板が目印、はおっしゃる通り。車を降りたら即現地、もありがたい。

2022年05月20日 まっすー因幡守
長篠城



土塁と内堀が残っています。長篠城址史跡保存館と設楽原歴史資料館の共通券がお得です。

2022年03月21日 雲如露絶兎
長篠城



土塁と堀跡がかなりしっかり残っています。駐車場もあるのでアクセスも便利。

2021年11月04日 レスタムーア
長篠城

設楽原古戦場とセットで訪問する場合は、昨日(2021/11/3)から設楽原歴史資料館で無料のレンタサイクル(期間限定)をやっています(現地に行って初めて知りました)。詳細はお問い合わせください。

2021年09月22日 ᴿᴱᴰ副将軍
医王寺城[長篠城  周辺城郭]



長篠の戦いにおいて武田勝頼が本陣を構えた陣城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1575年の長篠の戦いの際に武田勝頼が医王寺の裏山に本陣を置く。
1万5千の大群で長篠城を包囲したとされる。
標高約120mで、約600mの南方に位置する長篠城を見下ろし、長篠城包囲における武田軍の各陣を展望することができた✨

見所
東西に三つの曲輪が連なり、土塁囲みと鋭い切岸で固め、西側は堀切で防御線を張る。
コンパクトな陣城といえ、本格的な縄張りを譜勢してあります。

2021年09月12日 シゲ秋田城介豊右衛門
長篠城



牛渕橋から眺める長篠城。城がなくても豊川と宇連川の合流地点がわかり、長篠城が堅固な要害であることがわかります。この眺めは良くて、強右衛門の脱出の雰囲気もわかります。リア攻めにいいところです。

2021年06月12日 sigesige主税頭信繁
長篠城



昨年と今年もコロナで中止になりましたが、毎年5月に『新城のぼりまつり』が開催されます。火縄銃の実演が見ものです。

2021年02月21日 やまぴぃ
長篠城



新城七名城の一つで日本100名城でもある、長篠城に行ってきました🏯難攻不落の城と聞いていたので、来てみたら一発回答でした。二本の川に挟まれて断崖絶壁の城の作りは圧巻でした😳長篠城は是非外側から見てください。城の横側を飯田線が走っており、タイミングよく電車が通ると趣深いです🛤是非に行ってみてください😊

2020年09月19日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
長篠城

【鳳来寺&鳳来寺東照宮】
鳳来寺は、702年に開山した古刹で家康さんの両親が子宝に恵まれるように参拝したり、井伊直政さんが幼少期に今川の追手から匿われたそうです。で、東照宮は、家光さんが祖父の所縁のある場所と言う事で建立したそうです。行き方ですが、体力に自信のあるメグラーさんは、麓の参道を登って行ってもいいですが、鳳来寺山パークウェイを通って行くのが、お勧めします。駐車場は有料でバイク:210円普通車:700円前後です。
駐車場から鳳来寺まで緩やかな坂道を歩いて10〜15分で着きます。

2020年09月19日 烏 柴の助
長篠城

マムシ注意
マムシが通路を横切ってました。
ビックリ!


2020年09月19日 JC駿河守VD
医王寺城[長篠城  周辺城郭]

史跡名は医王寺山武田勝頼本陣跡です。陣城ですがある程度の普請はなされており、医王寺山砦とも称されるようです。ここではサンライズ社『愛知の山城ベスト50を歩く』にしたがって、医王寺城としてスポット登録させていただきました。

2020年07月26日 織田上総介晃司
長篠城

長篠城のすぐそばに駐車場があります。

本丸と南側には遺構がありますが、JR飯田線が城内を通過するため南側の遺構は間近で見ることができません。

城内見物の後、移動。牛渕橋で長篠城の遠望を見る。

新東名高速長篠設楽原下りPAに長篠の戦いの織田信長戦地本陣跡があります。

下りPAには織田信長・徳川家康の声で喋る自販機。上りPAには武田勝頼の声で喋る自販機があり、上下PAでそれぞれ両陣営に別れて400年経った今もなお長篠の戦いが続いている(笑)

2020年03月05日 征夷大将軍たろす
長篠城



御城印は100名城スタンプ設置場所の「長篠城址史跡保存館」にて入手(300円/枚)できます。
長篠城址史跡保存館では他にも近隣の「柿本城」(アプリ未登録)の御城印も入手可能。

〈参考〉
柿本城
・遠江井伊家被官であった鈴木重勝が三河遠江国境を抑えるため1568年徳川家康の命により標高190mの子路山(しろやま)に築城を開始したとされる。
・大河「女城主直虎」で耳にされたであろう「井伊谷三人衆」の一人鈴木重時は重勝の嫡子である。
・城には土塁や堀切・堅堀などの遺構は見当たらず、塀や柵などが防御の基本であったと見られる。
・現在城跡は良く整備され柵などが設置されている。
・長篠城址から国道257号を東進し15分程の位置にある。

2020年01月13日 図書頭かねつら
長篠城



平野と山岳地帯の境目の城。大砲で攻められるとしんどいけど、そうでなければ水にも困らないし難攻不落‼️
鉢形城に近い感じ

2019年10月22日 saizo
長篠城

御城印は手書きの素晴らしいものだったようですが、残念ながら2019.3で終了したようです。無念(ノД`)

2019年05月30日 天道安芸守早雲
長篠城址史跡保存館窓口[長篠城  スタンプ]



開館は9時 時間外のスタンプは1階スペースで押すことができます。(案内図画像あり・2019年5月現在・先達様方が書かれているサークルKは閉店しています) 入館料大人210円・設楽資料館共通券400円 展示スペースはさほど大きくありませんが、見応え十二分です。また、時間あれば共通券で両館とも行かれることをおすすめします。

2018年06月17日 くろちゃん弾正忠
長篠城

スタンプですが資料館の時間外には
サークルK新城長篠店で押印できますと看板がありましたので参考にしてください。

2017年08月20日 かげちゃんⅢ号
長篠城

写メの説明:見づらいけど、鳥居強右衛門さんが、城兵達に援軍が来る事を知らせた場所(推定)

2017年07月19日 宮内式部大輔大輔
長篠城

長篠城跡の資料館に武田の四天王が合戦前日に明日は死のうと水杯を交わした井戸が古地図に説明付きであった、時代が代わり強力に変身した織田軍団に勝ち目は薄いと解っていた?、若い勝頼は想像力不足?で名門は滅びに向かう

2017年07月18日 駿河守武蔵守
長篠城

長篠城といえば川に囲まれた地形。
周りを歩いてみると、よくわかります。
また、城の側には武田の名将、馬場信房
の墓所があります。
鬼美濃好きな方はお参りを!

2017年05月11日 摂津守龍馬
長篠城

JRを使って行かれる方はJR豊橋駅から秘境線の飯田線で約一時間 運賃は580円になります 本数は約一時間に一本です ディーゼルワンマン電車で旅の風情がありますよ 長篠駅から長篠城址まで徒歩で約15分くらい 長篠駅は無人駅で駅舎も小さく売店 コンビニありませんので食料は豊橋駅で購入するのがオススメです 自動販売機は長篠城址にあります ちなみに長篠城址近くに小さい食堂もありますよ 長篠城駅からの電車も一時間に一本ですので!長篠城址は2時間あれば資料館も含めて満喫できますよ 百名城スタンプは長篠城址にある資料館にあります 帰りは長篠駅から3駅北上した湯谷温泉駅の湯谷温泉街で一泊するのがオススメですよ 川沿いの風情ある小さな温泉街です こちらもコンビニ 売店無しなんで お酒 タバコ買われる方はご注意を!

2017年02月04日 穀蔵院飄戸齋
長篠城

100名城スタンプラリーが始まってからは初めて訪れました。城趾については周知のことなので、今回は周辺史跡について…

戦国史を語るうえで避けられない長篠合戦。新東名のPAオープンで信長公本陣跡は賑わっている模様…勝頼公本陣跡は長篠城北側の医王寺に構えていました。近年整備され、物見櫓が出来ていて、同寺から遊歩道で片道10分程で行けます。
遠くに長篠城を望み、武田軍の本陣跡が見渡せます。
「片葉の葦」伝説にあるように、重臣の諫言に従い撤退していたら武田の運命も変わっていたかもしれませんし、真田昌幸も歴史の表舞台には登場しなかったかもしれないですね。
長篠城の資料館でオススメコースにもされています。
信長、家康の台頭と滅亡を辿る勝頼の悲哀を感じる長篠城です。

2017年01月03日 マスボ右近衛少将マスボ
長篠城

年末年始(12/29〜1/3)は保存館は休館ですが、近所のサークルK新城長篠店に100名城スタンプ設置してあります。

2016年07月24日 カーネル
長篠城

飯田線鳥居駅から
まずは東に行き、新昌寺にある鳥居強右衛門墓所へ。しかし一族のお墓と長篠の戦い戦没者など石碑がいっぱいあってどれかわからず
お寺を出て県道443号を東に進み、飯田線の線路手前の細い道を北上して、強右衛門磔の碑を見てから元の道に戻り、飯田線を超えると豊川と宇連川の合流地点を臨む、よく写真で見る風景。撮影ポイントです

その先で県道69号で左折して北上。10分くらいで左に下る道に進み川を渡ると、長篠城駅の通りに出るので左折して西進
線路脇の道は搦手門址の標識もあります。城跡では堀。郭。櫓跡。を堪能する
ここの資料館では、100名城の限定スタンプ帳をいただいた思い出の場所ですが、開館前だったので寄らずに長篠城駅へ戻って1時間半くらいでした

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

2016年01月15日 橘若狭守次郎吉
長篠城

長篠城跡保存館では自分だけで楽しむ(Sns等は不可)だけなら展示史料の撮影可。
近くの設楽原合戦資料館は自分だけで楽しむ(Sns等は)だけなら撮影可。

どちらも貴重な史料だらけ。共通券がおすすめ!

2015年11月30日 仙臺むすび丸尾張守JUN
長篠城

18きっぷ期間中に名古屋栄地区からJR飯田線と豊鉄バスで訪問しました。

バスとの接続との関係で、見学時間は限られてしまいましたが、ご参考になれば…。

長篠城駅から徒歩10分弱で長篠城本丸跡に到着。
百名城スタンプ押しと新城市長篠城址史跡保存館、本丸跡見学で40分程の滞在でした。

その後、長篠城前バス停から新城市民病院行きのバスで、三河東郷駅近くの川路バス停で下車。上り坂を約15分歩き、設楽原歴史資料館に到着。

資料館での見学を含めた約1時間半で、中学校と高校で習った織田・徳川連合軍VS武田騎馬隊で有名な長篠の合戦場一帯の馬防柵や信玄塚などをめぐりました。

その後、最寄りの三河東郷駅まで下り坂を早足で約15分移動。

ちなみに同日中に岡崎城と犬山城の本丸も、開館時間内にリア攻めできました。

馬防柵付近から建設中の新東名が間近に見えました。

設楽原合戦場近くに新東名の新城ICができるみたいです。織田・徳川連合軍と武田軍の陣所も点在していますので、車で移動される方や時間が許される方は各所に足を運んでみてはいかがですか?

2015年11月26日 まるき〜出羽守
長篠城

国道151号線沿いに磔にされた鳥居強右衛門の大きな看板が目印になっているので凄くわかりやすい

見学できる城址の規模はさほど広くなく何も知らないでここを訪れると子供が遊ぶ広場にしか見えない、各方向にパネルで案内があるが、歴史の知識とかなりの想像力が必要な城跡だと思いました。
少し予習をして行った方が良いでしょうね
城址保存館が隣接、鉄砲、血染めの陣太鼓、強右衛門の絵等を多数展示
100名城スタンプ有り
大人210円、9時〜17時
火曜日は定休日

設楽原古戦場の資料館にも行くなら共通券がお得のようです。

鳥居強右衛門、磔の場所は近所の踏切近くに案内があります。


2015年11月24日 前後北条安房守ぷいちー
長篠城

鳶ヶ巣山砦(おそらく…)が10月から新しい歴史公園としてオープンしたようです。
牛渕橋の脇に手書きの張り紙がしてありました。

2015年08月01日 相模守海軍航空隊
長篠城

100名城スタンプは長篠城址史跡保存館とサークルK長篠店でしたがサークルKが無くなり…宝くじ売り場になりました。9時からでないとスタンプ押せないみたいです。

2014年01月08日 とも
長篠城

日本100名城のスタンプが置いてある長篠城史跡保存館は火曜日が休館日ですが、スタンプは近くのサークルKに置いてあります。

2013年03月04日 三日左馬助落人
長篠城

三角州を利用した立地や大きな堀切など、城の遺構も十分楽しめますが、周囲には長篠の合戦当時に城を囲んでいた武田方の砦跡群も残っており、こちらも一見の価値があります。

特に宇連川の川向かいにある「鳶ヶ巣山砦」跡は草も刈られて整備されており、そこからは長篠城内がまる見え
戦国の距離感や、常に見下ろされる城兵のストレス等々、思いをめぐらせながら城を眺めることができそうです。

設楽原古戦場とあわせて巡られるとなお良いと思います。
設楽原古戦場と長篠城はで10分ほどの距離がありますが、それぞれの場所に史料館があり、も併設されています。



2013年02月05日 ぽえぞお弾正少弼黄金旅程
長篠城

野牛曲輪跡に建ってる廃屋が気になります…(^_^;)
リフォームするなりして住めば、リアル長篠城主&城めぐ永久長篠城主になれるのでは…(‾∀‾)

2012年08月19日 加糖兵庫助清正
長篠城

リアル城攻めにて攻略
川を隔てて鳥居スネエモンさんの張り付けられた場所も有りますよ。

2012年05月03日 ソッサン左馬頭
長篠城

鳥居強右衛門のエピソードはかなり熱いものがあるよ。

長篠城の周辺スポット情報

 殿井(遺構・復元物)

 長篠城搦手門(遺構・復元物)

 名和式鉄砲構え(遺構・復元物)

 巴城郭跡(遺構・復元物)

 大手門阯(遺構・復元物)

 瓢郭跡(遺構・復元物)

 弾正郭跡(遺構・復元物)

 物見櫓阯(遺構・復元物)

 馬防柵左端(遺構・復元物)

 野牛郭(遺構・復元物)

 長篠城跡(碑・説明板)

 鳥居強右衛門磔の場(碑・説明板)

 馬場信春の墓(碑・説明板)

 長篠城址石碑(碑・説明板)

 糧庫跡・林藤太夫高英屋敷跡(碑・説明板)

 鳶が巣の戦い説明板(碑・説明板)

 鳶が巣山案内図(碑・説明板)

 鳥居強右衛門墓碑(碑・説明板)

 岡崎信康本陣地碑案内板(碑・説明板)

 三枝兄弟の墓(碑・説明板)

 羽柴(木下)秀吉陣地(碑・説明板)

 織田信忠本陣地(碑・説明板)

 徳川家康本陣跡(碑・説明板)

 先 佐久間信盛 後 馬場信房 陣地碑(碑・説明板)

 馬場美濃守討死之地(碑・説明板)

 長篠城概要図(碑・説明板)

 長篠·設楽原の戦い布陣図(碑・説明板)

 搦手門址(碑・説明板)

 山本勘蔵信供戦死之地(碑・説明板)

 一重柵(碑・説明板)

 コロミツ坂(碑・説明板)

 平成の馬防柵(碑・説明板)

 鑓畑と武田軍退路(碑・説明板)

 武田軍軍馬供養塔(碑・説明板)

 医王寺城(周辺城郭)

 天神山陣地(周辺城郭)

 大通寺陣地(周辺城郭)

 中山砦(周辺城郭)

 鳶ヶ巣山砦(周辺城郭)

 姥ヶ懐砦(周辺城郭)

 竹広陣屋(周辺城郭)

 君ヶ伏床砦(周辺城郭)

 丸山砦(周辺城郭)

 井代城(周辺城郭)

 久間山砦(周辺城郭)

 北畠信雄本陣(周辺城郭)

 織田信長戦地本陣跡(寺社・史跡)

 大通寺(寺社・史跡)

 城敷稲荷(寺社・史跡)

 長篠・設楽原決戦場(寺社・史跡)

 柳田前激戦地(寺社・史跡)

 内藤昌豊公の墓(寺社・史跡)

 信玄塚(寺社・史跡)

 岡部竹雲斎の墓(寺社・史跡)

 岩手左馬之助胤栄の墓(寺社・史跡)

 徳川家康物見陣所(寺社・史跡)

 八剣山陣所(寺社・史跡)

 断上山古墳第9墳(寺社・史跡)

 馬防柵(復元)(寺社・史跡)

 常林寺(寺社・史跡)

 五味与三兵衛貞氏の墓(寺社・史跡)

 竹広激戦地(寺社・史跡)

 家康本陣地(寺社・史跡)

 家康の物見塚(寺社・史跡)

 明智光秀陣地跡(寺社・史跡)

 山縣三郎兵衛息継ぎの井戸(寺社・史跡)

 堀無手右衛門の墓(寺社・史跡)

 武田勝頼観戦地(寺社・史跡)

 禰津是広、常田春清、鎌原之綱の墓(寺社・史跡)

 小幡信貞の墓(寺社・史跡)

 原隼人佐昌胤の墓(寺社・史跡)

 信玄塚 (小塚)(寺社・史跡)

 横田備中守綱松公の墓(寺社・史跡)

 武田勝頼公指揮の地(寺社・史跡)

 甘利信康の墓(寺社・史跡)

 土屋昌次戦死の地(寺社・史跡)

 名高田前激戦地(寺社・史跡)

 岡部竹雲斎・岩手左馬之助胤秀の墓(寺社・史跡)

 快川の墓(寺社・史跡)

 大宮前激戦地(寺社・史跡)

 川窪詮秋・土屋直規の墓(寺社・史跡)

 山本勘蔵信供の墓(寺社・史跡)

 天王山陣所跡(寺社・史跡)

 鳥居強右衛門呼びかけの所(寺社・史跡)

 松平伊忠戦死之地(寺社・史跡)

 二の門(寺社・史跡)

 三ノ門(寺社・史跡)

 一の門(寺社・史跡)

 篠原遺跡(寺社・史跡)

 山県昌景公墓(寺社・史跡)

 土屋昌次の塚(寺社・史跡)

 新昌寺(寺社・史跡)

 馬場美濃守信房之碑(寺社・史跡)

 医王寺(寺社・史跡)

 首洗池(寺社・史跡)

 鳥居強右衛門のろし場(寺社・史跡)

 勝楽寺前激戦地(寺社・史跡)

 八剣遺跡(寺社・史跡)

 萩平遺跡(寺社・史跡)

 黒瀬遺跡(寺社・史跡)

 上ノ平遺跡(寺社・史跡)

 榎下遺跡(寺社・史跡)

 大入遺跡(寺社・史跡)

 南貝塚遺跡(寺社・史跡)

 鏡岩下遺跡(寺社・史跡)

 大ノ木遺跡(寺社・史跡)

 松尾遺跡(寺社・史跡)

 神田遺跡(寺社・史跡)

 鳳来山東照宮(寺社・史跡)

 大久保兄弟布陣跡(寺社・史跡)

 天正乙亥設楽原古戦場(寺社・史跡)

 米倉丹後守正継の墓(寺社・史跡)

 樋口下総守兼周の墓(寺社・史跡)

 大通禅寺杯井(寺社・史跡)

 史跡保存館(御城印)

 長篠城址史跡保存館窓口(スタンプ)

 設楽原歴史資料館 第一駐車場トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 鳶ヶ巣砦の駐車場(駐車場)

 庚申堂駐車場(駐車場)

 長篠設楽原PA(下り)(駐車場)

 武田勝頼本陣物見櫓(関連施設)

 設楽原歴史資料館(関連施設)

 牛渕橋(その他)

 不忍の滝(その他)

 柳田橋(その他)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore