高遠城(たかとおじょう)

高遠城の基本情報

通称・別名

兜山城

所在地

長野県伊那市高遠町東高遠

旧国名

信濃国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

武田信玄

主な城主

高遠氏、秋山氏、武田氏、仁科氏、下條氏、保科氏、毛利氏、京極氏、鳥居氏、内藤氏

廃城年

明治5年(1872)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、門

指定文化財

国史跡(高遠城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

福与城(長野県上伊那郡)[8.9km]
殿島城(長野県伊那市)[9.6km]
市野瀬古城(長野県伊那市)[10.5km]
藤沢城(長野県伊那市)[10.9km]
上ノ平城(長野県上伊那郡)[12.2km]
赤須城(長野県駒ヶ根市)[15.2km]
有賀城(長野県諏訪市)[20.5km]
飯島陣屋(長野県上伊那郡)[21.1km]
諏訪氏城館(長野県茅野市)[21.1km]
先達城(長野県諏訪郡)[21.6km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

30 高遠城

設置場所

伊那市立高遠町歴史博物館[地図

高遠城の解説文



高遠城(たかとおじょう)は、長野県伊那市高遠町(旧・信濃国伊那郡(のち上伊那郡)[1]高遠)にあった日本の城。別名兜山城。サクラの名所としても有名であり、特に珍しい品種であるタカトオコヒガン1,500本の樹林が名高い。国の史跡に指定されている。

歴史・沿革 

戦国時代・安土桃山時代

高遠氏

高遠城は諏訪氏一門の高遠頼継が居城としており、甲斐国守護の武田氏と同盟関係にある諏訪氏当主の頼重とは反目していた。頼継は1541年(天文10年)に甲斐守護武田晴信(信玄)に内応して諏訪攻略を援護している。頼重は武田により滅ぼされるが、諏訪の領有を巡り武田と頼継は対立し、1545年(天文14年)4月に武田勢は高遠城と藤沢頼親の福与城攻めを行い、伊那地方への進出拠点とした。

武田氏時代

1555年(弘治元年) 武田氏は続いて小笠原氏や知久氏を撃破し、木曾氏を制圧して信濃を平定した。『甲陽軍鑑』によれば、高遠城は信濃への進出拠点として1547年(天文16年)に、足軽大将の山本勘助や譜代家老の秋山虎繁(信友)に命じて大規模な改築が行われたという。1556年(弘治2年)には秋山虎繁が城主となり、坂西氏などを伊那衆とした。

1562年(永禄5年) 、晴信の庶子で諏訪氏の娘を母とする四郎勝頼(武田勝頼)が諏訪氏を継承し、同時に高遠城主、上伊那郡代(郡司)[2]に就任(『軍鑑』)。城主であった秋山は飯田城代となる。『軍鑑』によれば入城に際して改築が行われ、勝頼衆が預けられ親族衆に加えられたという。勝頼は1570年(元亀元年) に武田氏の正嫡であった義信が廃嫡される義信事件が起こると後継的立場となり、信玄により本拠の躑躅ヶ崎館に呼び戻され、高遠城主は信玄実弟の武田信廉となった。なお、勝頼の嫡子信勝の誕生と、信玄の父信虎の死去は、いずれも高遠城でのことである。

信玄後期から勝頼期にかけて武田氏は領国を接する織田・徳川氏と対立するようになり、高遠城は対織田・徳川勢力の重要な軍事拠点となる。武田氏は長篠の戦いにおける敗退を契機に領国の動揺を招き、勝頼は1581年(天正9年) に領国維持のため新府城(山梨県韮崎市中田町中條)への府中移転と同時に、異母弟の仁科盛信(信盛)に高遠城主を兼任させた。

翌1582年(天正10年)2月、勝頼は内通した木曾氏攻めを行い、盛信は大将として出陣し、副将として信濃佐久郡内山城代の小山田昌成(二代目備中守)・大学助兄弟が入っている。同年2月に織田信長は本格的な武田攻め(甲州征伐)を開始し、長男の織田信忠に3万の大軍を与えて高遠城に迫らせた。高遠城に籠もる守備兵の数は3千で、盛信は信忠の降伏勧告を退けて抗戦するが、守備隊は玉砕し、盛信や昌成・大学助兄弟らは戦死し、城は落城した。高遠城の落城により織田勢は伊那方面からも甲斐へ侵攻し、武田氏は滅亡した。

高遠城の西では、織田軍が攻城拠点として使ったとみられる「一夜の城」と推定される遺構が発掘されている。

織田氏・豊臣氏時代

武田氏の滅亡後、信濃伊那郡は織田家臣・毛利長秀が支配する。織田氏の伊那郡支配の実態は不明であるが、毛利長秀は坂西氏の居城であった下伊那郡の飯田城(長野県飯田市)に在城していることが確認される。高遠城は甲州征伐により壊滅しており織田氏時代の城主も不明で、伊那郡支配の拠点として機能していたかは疑問視されている。

同年6月に本能寺の変が起こると、甲斐・信濃の武田遺領を巡る天正壬午の乱が発生する。上伊那郡では諏訪氏の一族で上伊那郡福与城(長野県上伊那郡箕輪町)を拠点としていた藤沢頼親が復帰した。藤沢頼親は保科正直に攻められ、田中城で子・頼広と共に自害した。徳川家康が下条頼安・小笠原貞慶ら信濃国衆を送り込み、同年7月15日までに高遠城を奪還した。

その後は家康方の保科正直が高遠城に入り、これを豊臣秀吉方に寝返った小笠原貞慶が攻めたが撃退された。

江戸時代

江戸時代になると高遠藩の藩庁となり、京極氏・保科氏・鳥居氏と城主が交代した。1691年(元禄4年)に内藤清枚が3万3千石で入封。以後、高遠城は内藤氏8代の居城として明治維新を迎えた。

城の縄張りは中世の状態を踏襲しているが、本丸には御殿と天守代用として二層の辰己櫓が上がり、主要な城門は枡形虎口形式の櫓門が建てられており、長大な長塀に囲まれた近世城郭であった。大手門は当初、城の東側にあったが、正保年間の「信州高遠城之絵図」では西側に移っており、城下町も同様に、鉾持神社などがある城郭の西に移された[3]。元禄10年(1697年)の「高頭城下町絵図」によれば、本町、中町を軸に並行して新町が作られ、北側に社寺を集中させ、城下町の守りとし、通りの各所を屈曲させて侵入者に備えた。

現代

2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(30番)に選定された。

遺構 

現在ある問屋門は1948年(昭和23年)に町内の旧家から移築したものである。

  • 本丸門 伊那市内個人宅に移築。
  • 本丸冠木門 同上。
  • 二の丸門 岡谷市内個人宅より伊那市へ寄贈され、解体保管中。
  • 搦手門 岡谷市内久保寺に移築。
  • 大手門 1954年(昭和29年)に高遠高等学校正門として伊那市富県北福地の所有者より寄贈を受け移築され、1984年(昭和59年)まで正門として使用されていた。
  • 進徳館 最後の藩主内藤頼直創設の藩校。

その他 

  • 『信長公記』の記述によれば、織田勢の攻撃により落城する前、諏訪(勝右衛門)頼辰の妻(原文では、諏訪勝右衛門女房)が刀を抜き打ち、切って回り、比類無き働き前代未聞の次第なり、と女性武将の抵抗が評価されて(和田裕弘 『信長公記 -戦国覇者の一級史料』 中公新書 2018年 p.203)いる。また、予算の関係で御殿、櫓、門、土塀といった建物の木造復元計画はない。

現地情報 

所在地

  • 長野県伊那市高遠町東高遠城跡

交通アクセス

  • 飯田線伊那市駅よりJRバスで約25分、「高遠駅」下車。または中央本線茅野駅よりJRバス(季節運行)で約1時間、「高遠駅」下車。「高遠駅」より徒歩約15分。

参考文献 

  • 【書籍】「天正壬午の乱 本能寺の変と東国戦国史」
  • 河西克造「高遠城」(丸島和洋編『武田信玄の子供たち』宮帯出版社、2022年)

高遠城の口コミ情報

2024年04月08日 かつアニぃ大宰大弐
高遠城



桜のキレイな季節に合わせてリア攻めしてきました。あいにく今年は開花が遅れたためアテがハズレて満開に足りず三分咲きでしたが、好天に恵まれ気持ちよく散策できました。お城自体は駐車場代に入園料もかかったのに立派な石垣も見当たらず少々拍子抜けしたというのが正直ベースな個人的な感想です。

2024年04月06日 HAL2000上総介
高遠城



令和6(2024)年4月6日に訪れましたが、残念! 桜はまだまだでした!近年桜の開花が早まっており、4月上旬には満開を迎えてくれると期待して、旅行を組んだのですが、今年は3月末に足踏みしてしまい、満開の桜を見ることは叶いませんでした。またリベンジしようと思います。

2024年03月24日 ようこ姫
高遠城

桜祭りの設営準備の中、まだ少し雪の残る高遠城でした。桜の季節は素晴らしい事でしょう。城跡はあまり残ってませんが、さすが100名城の雰囲気はあります。スタンプが城址公園の入り口にあっても良いかなと思います。

2024年03月09日 【】修理大夫こーへー
的場城[高遠城  周辺城郭]



【歴史】
★初期は高遠氏の築城とされ、天正14年以後は武田氏による改修されるとされるが不明な点が多い城郭。

【遺構】
★竪堀、横堀、虎口、切岸他

【写真】
①この辺りから登城
②石積らしき遺構
③三角点
④Ⅳ郭坂折れ虎口・横堀
⑤Ⅳ郭竪堀
⑥Ⅱ郭横堀
⑦Ⅱ郭土塁
⑧Ⅱ郭虎口

【感想】
★戦国信濃の城郭、長野の山城ベスト50で紹介されている山城。武田氏改修とされる横堀と横堀から放射状に竪堀が巡らせている縄張りは必見です!
途中でカモシカに遭遇しましたが野性動物対策も必要かと思います。

2024年02月27日 ほりーないと
一夜の城[高遠城  周辺城郭]



天正10年3月2日 高遠城の戦い
県歌"信濃の国"にも歌われる武田信玄の五男の「仁科の五郎信盛(盛信)」は、高遠城にわずか3000の兵で籠城し、5万もの織田軍と戦い、壮絶な最期だったとされています。

この戦いの 織田信長の嫡男・信忠 の陣城が"一夜の城"です。三峰川の左岸に位置し高遠城までは6kmです。天竜川を渡り殿島城を経由する道、火山峠からの道、この2本の道の合流点の近くにあります。"一夜の城"の先には三峰川の氾濫原(浅瀬)があるので、そこを渡り高遠城へ進んだと思います。

一辺が50mの正方形に近い形をし、土塁が全周しています。織田軍の本陣としては小さく、付近一帯に陣場が設けられたものと思われます。
("信濃の山城と館"より)

西側には宮花八幡神社があります。城めぐを始めたばかりの頃、石仏(写真⑥)を見つけ、"一夜の城"があることを知らずに宮花八幡神社へ寄りました。その時、この神社は土塁で囲まれているように感じました。
今回は"一夜の城"へ城友様2人と訪ねました。神社も土塁に囲まれた陣場だったのでは…と話をしました。私はその土塁と思われる所をうまく撮影できず、この口コミに写真はありません。神社も訪ねてみてください。

2023年09月19日 乃音和泉守
高遠城



高遠町歴史博物館で御城印と🏯100スタンプ get 資料館に止めて高遠城址公園へも行けますがグランドゲートの駐車場の方が広く大手門から入れます そのグランド駐車場へ行く道が狭く少しわかりづらい 園内は看板や曲輪が整備され歩きやすかったです 桜の名所🌸

2023年08月20日 あきくん
高遠城



桜の時期ではない高遠城に🏯行ってきました。その時期に比べると、人も少なくゆったり過ごせます。1点、太鼓櫓に桜の時期は入れたと思いましたが、コロナの関係かわかりませんが、中には入れませんでした。

2023年05月06日 六文銭
高遠城



JR伊那市からすぐのバスターミナルからバスに乗りました。5月ですが、木曽山脈の残雪が見られました。写真ではわかりにくいですが土の堀は深いです。

2023年04月01日 のぼう
高遠城



桜満開。いつもよりだいぶ早い満開とのこと。「だから今日は観光バスがほとんどいない」とタクシーの運転手が話していました。見事な桜の名所です。

2023年03月25日 大谷左近衛中将吉継
高遠城



3月末に伺いました。桜もチラホラ咲き始めていています。4月には見頃だと思います。お車の際は、少々狭い道ですので、お気をつけて!

2023年03月09日 美濃守俊玄
高遠城

御城印ならぬ「合戦印」というのが発売されました。武田氏最後の抵抗の場所がこの高遠城です。高遠は今は桜の名所として全国的に有名ですが、名門武田氏の滅亡直前の死闘についても広く知られるようになると、城としての知名度ももっと上がるのでは、と思います。戦のあった日付が記載された御城印風の3種類です。(普通の御城印もありました)

2022年10月02日 黒はんぺん中務卿
高遠城



出入口にはチケット販売所だったと思われるボックスがあるが無人。公園内の整備もあまりされていないようす。いろんな事情があるのだろうが、もったいない。

2022年08月27日 千葉相模守早雲
高遠城



車で攻城の場合、勘助曲輪が駐車場となっており、広さは十分です。大手門跡に石垣が残り、坂を上っていくと左手に伝大手門があります。各曲輪を隔てる空堀の規模は大きく、戦国の雰囲気を感じる事が出来ます。

本丸へ行くには桜雲橋を渡り、城下から移築された問屋門をくぐります。城主の仁科盛信を祀った神社や明治以降に建てられた太鼓櫓があり、城下を一望出来ます。南曲輪、法幢院曲輪も大きな空堀に囲まれ、空堀は竪堀となり落ちています。

桜の名所として有名ですが、シーズンオフでも十分楽しめます。

1.大手門跡石垣。
2.伝大手門。
3.桜雲橋。
4.問屋門。
5.太鼓櫓。
6.本丸と南曲輪間の空堀。先の方は竪堀となって落ちる。

2022年06月13日 尼崎城阿波守一口城主
高遠城



5月7日、高遠城後半の口コミです。盛信公のお墓のある五郎山から下山し、まずは歴史博物館に入りました。高遠城の戦いのVR体験が良かったです。入館料と別途体験料金が入りますが内容に満足しました。

また、高遠は江戸時代の絵島生島事件で絵島が流された地で絵島囲込み屋敷が再現してありました。説明板や資料館での動画を見ていると流罪になっても最後まで凛とした生き方をされた方のように感じました。高遠城下城後に絵島の菩提寺の蓮華寺にお参りしてきました。

2022年06月13日 尼崎城阿波守一口城主
高遠城



5月7日、伊那市駅近くのバス停から高遠駅までバス🚌で移動し登城。一旦お城を素通りして白山大橋を渡り、道の駅南アルプスむら長谷を目指しました🚶‍♂️道中、絵島公園があったので見学してきました。道の駅まで行き、美和ダムを見てUターン。

たまたま手にしていた観光マップに五郎山(仁科盛信公墓)とあったので登りは車道方面から上がって行きました。山頂に盛信公の石像がありました。高遠城の戦いで勇敢に戦かわれた盛信公に手を合わせてきました。下りは四郎山、三郎山、二郎山、一郎山と登山道から下山して行きました。四郎山→小山田備中守昌行公祠、三郎山→渡辺金太夫祠、二郎山→諏訪はな祠(盛信公の家臣諏訪勝衛門頼清の妻。夫が討ち死にした後に仇討ちをせんと敵中に切りこんで最後は自害し果てたとありました。)一郎山→諸士の墓。高遠城の戦いが壮絶な戦いだったことが伺える登山でした。一〜四郎山の祠の写真や説明板も載せたかったのですが、枚数の関係で載せれなくて申し訳ありません🙇‍♂️

2022年05月06日 今川党山県右兵衛尉ニャン八
高遠城



大きくて素晴らしい城でした。堀は深く、仁科盛信公の討死所など見所が沢山の城です。案内人もいるので勉強になり、ちょうどよく時間も潰せる良い城です。

2022年04月11日 監物カッパしゃん
高遠城



桜の季節は最高です、ただし人も多いです
土日は渋滞覚悟で行きましょう

2022年04月10日 兵部大輔まっこい城
高遠城



桜も堀も見事で、巨大な峡谷に守られて聳え立つ島のよう。攻めるのは骨の折れる城だったのだなと思いました。

2022年04月09日 ☆魅環右衛門督
高遠城

御城印は、こちらに置いてありません。「高遠なつかし館」か「旧中村家」に有るそうです。

2021年11月03日 武蔵守与作兵衛
高遠城



広い駐車場があるので車でのアクセスは良好です。ただ桜の名所になっているのでこの時期と秋のもみじ祭りの期間は城攻めは避けたほうが無難かもしれません。

公園としてきれいに整備されていますが、所々にかつての城の名残があり楽しめます。地味と思われるかもしれませんが、旧大手門や大手門跡石垣も魅力的です。進徳館からも近いので立ち寄っていただくと良いかと思います。

2021年07月25日 池田信濃守輝幸【若】
高遠城



城下町側から行きました。ただ道を間違えてしまい南口から入りました。桜と紅葉の木が茂っています🌸🍁堀、曲輪、石垣などが遺構として残ってます。夏だったからか城内にはほとんど人がいませんでした。

2021年07月05日 くっしー民部大輔尚人
高遠城



こんなこと書いたら怒られるかもしれないですが、100名城にしてはしょぼいなぁ~という印象😅

武田のイメージ(中世城郭のイメージ)で訪問したのが良くなかったのかな。規模は大きいんだけど、見映えする遺構が堀ぐらい。石垣も古いものは、ごく一部。舛形も残ってないしなぁ~ただ隣接する「高遠町歴史博物館」は良かったです。

特に江戸時代最大のスキャンダル「絵島・生島事件」の絵島が流されていた場所として囲み屋敷が復元されているのは面白かったです。

2021年07月03日 弾正尹 山城守pi_pua
高遠城



2021年7月2日攻略。伊那谷最大級の縄張りを構える城郭。この城郭を効果的に運用するには大規模な兵力の投入が必要と実感出来る遺構が確認出来ます。

大規模な駐車場があります。お城に隣接してある「伊那市立高遠町歴史博物館」は戦国期や江戸期の古文書資料を多数展示しており、十分に見ごたえのある施設でした。お城と歴史博物館は十分に時間を確保して楽しまれる事をお勧めします。

2021年06月21日 ほりーないと
桂泉院[高遠城  寺社・史跡]



高遠城内にあった法幢院が龍ヶ澤に移り桂泉院(けいせんいん)と改名しました。
この寺の梵鐘(写真)は、1582年の織田軍の信濃侵攻の際に飯田市の開善寺から奪って、陣鐘として打ち鳴らしながら高遠城へ運ばれたものです。高遠城落城の際、城内の法幢院でこの梵鐘を打ち鳴らして敵味方双方の法要が営まれました。梵鐘には長い道のり(約60㎞)で付いたと言われるキズが数多く見受けられます。
仁科五郎盛信公の400年遠忌を記念して建立された位牌堂があります。

2021年04月19日 マークⅡ弾正大弼政宗
高遠城



高遠駅バス停から歩いて行ったが、予想以上の登り坂続き疲れた。でも、その甲斐があって、本丸からの眺望は素晴らしかった😀

2021年04月08日 キララ治部少輔和栗守★
高遠城



裏切り離反が出る中、忠義を貫き織田軍5万に3000で戦い散った仁科盛信に熱盛(*^^)v‪w

長野県歌には木曾義仲、佐久間象山と共に登場するなど後の保科正之の善政、絵島遠流の高遠藩の温情など歴史深い場所であります!!

満開の桜の中、毎年たくさんの人々が来城すれど
歴史を振り返り想像に想いが膨らむ素晴らしき場所でした^^*

2021.4.7 (水)

2021年04月07日 
太鼓櫓[高遠城  遺構・復元物]

この太鼓櫓は白山(伊那市高遠)の太鼓櫓を移築したものです。

2021年04月04日 【城郭道】たっきー
桜雲橋[高遠城  遺構・復元物]



本丸と二の丸の間に架けられた桜雲橋(ろううんきょう)。深い空堀に架かります。本丸にはかつて一の門(冠木門)と二の門(櫓門)からなる枡形門がありました。名前の通り、桜の時期には桜色の雲に包まれたような絶景スポットになります。高遠城の代表的な場所ですね。

2021年04月04日 【城郭道】たっきー
絵島囲屋敷[高遠城  寺社・史跡]



高遠歴史博物館の隣にある屋敷。絵島生島事件で高遠に流刑となった絵島が34歳から過ごした地。
現在、昭和42年に復元された屋敷が展示されている。

2021年03月19日 銀猫甲斐守美和♬
山田城[高遠城  周辺城郭]



山田城へのアクセスや、登城口がわかりにくい様なので、補足させていただきます。

高遠城の南に、高遠町歴史博物館があります。ここを基準にすれば、山田城までは、道一本でアクセスできます。
博物館から三峰川にかかる橋を渡り、T字路を右折すれば、あとは直進するだけです。
真っ直ぐ行った先の左手に、グランドがありますので、ここの駐車場が便利です。

グランドから南西に見える山が、山田城です。主な登城口は、大手口と搦手口の2ヶ所になります。
*登城口は、リア攻めマップを参照ください。

また、登城口には、防獣電柵があるので、グリップ部を掴んで外してから入ります。入口からほんの数分で主郭に到着です。(pic7_電柵)
*グランドからは、搦手口が近いですが、大手口の方がわかりやすいです。神社の鳥居を目印にして下さい。帰りに搦手側に回ると、道順となり良いと思います。(pic8_鳥居)

城自体はコンパクトな造りですが、残っている遺構の保存状態が良好で、見ていて結構面白いです。先達の口コミもあるので、そちらも参照してみて下さい。
(pic1・2・3・4_主郭周辺遺構)
(pic5・6_搦手側遺構)

以上、登城に際し、参考になれば幸いです。

2021年03月19日 銀猫甲斐守美和♬
仁科五郎盛信のお墓[高遠城  碑・説明板]



高遠城から川を挟んだ南側に、五郎山と呼ばれる山があります。

天正10年(1582年)、織田信忠率いる5万の兵が、武田に対して侵攻を開始します。これに対して、侵攻ルートの伊那谷の諸城は、ことごとく降伏し、織田軍はほぼ無傷のまま通過しました。
*信玄公の弟の武田信廉ですら、信州松川の大島城を放棄して、甲斐へ逃亡してます。

この窮状に対して、勇猛果敢にも挑んだのが、勝頼公の弟、盛信公です。
高遠城は、織田軍5万に対して、武田軍3千で迎え撃ったわけですが、奮戦にもかかわらず、程なくして城は落城。盛信公以下全将兵は、露となって消えました。
高遠城は、隆盛を誇った武田氏が、大規模反抗をした、最後の戦場となりました。

激戦の後、高遠勝間の村人が城内から亡骸を運び出し、火葬して高遠城が見える勝間の裏山に、諸将を手厚く葬りました。
五郎山は、その名の通り仁科五郎盛信公のお墓が、頂上に建立されていることが、名前の由来になっています。

また、勝間の集落から山頂へは、参道が設けられているのですが、参道の途中には、四つの祠が建てられており、現地ではそれぞれを、一郎山〜四郎山と呼称するようです。一から四には、共に戦で散っていった諸士らが祀られています。(pic1・2・3_お墓、pic4・5_祠)
*五郎山参道の入口は、リア攻めマップを参照ください。

徒歩で参拝される場合は、ほりでいパークの駐車場が近くて便利です。
参道入口から五郎山のお墓までは、約20分程で到着します。(pic6_入口、pic7_参道)
*勝間の参道を使った、直登ルートの目安時間です。徒歩で車用の林道に誤って行かないよう、ご注意ください。
*車で直接行かれる場合は、先達の口コミを参照ください。

高遠城から五郎山は、目と鼻の先ですので登城の際は、合わせて英霊参拝にも訪れてみてください。

以上、登城に際して、お役に立てれば幸いです。

2020年12月31日 内記かずりヾ(・ε・。)
的場城[高遠城  周辺城郭]



的場城は高遠城から藤沢川を挟んだ北方約1.1km、南方へ延びる山塊尾根上、標高約910mのピークの一つに主郭が存します。南麓にある蓮華寺からの比高は140m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南麓の蓮華寺を目標に設定して下さい。このお寺の裏手から直登します。用水路が行手を阻みますが、橋を見付けられなかったらジャンプしましょう!飛べるか飛べないかのぎりぎりです。

これほどの縄張を持ちながら築城年代、築城者は不明です。しかし高遠城を中心とする支城ネットワークの一つとして武田氏によって整備改修された事は誰でも容易に想像が出来るでしょう。武田氏の手による優れた城郭の一つとして記憶されるべきだと個人的に思います。

お城は本当に素晴らしいです。城域内、特に竪堀と横堀がよく目立ち遺構の残存率も総じて高いです。感動したのは全周土塁囲みの通称3郭と通称2郭の繋ぎ方でしょか、通称3郭の土塁は通称2郭から延びる横堀を伴う小郭と同一の高さで、一旦切られた後に二つに別れて通称3郭を土塁として囲みます。又、主郭周りには三日月堀が掘られており、このお城が武田氏によって改修された事を物語る根拠の一つであると考える事が出来ます。

未見の方、特に現況の高遠城に実はあまり魅力を感じないという方はこちらん是非訪ねてみて下さいまし。お城の立ち位置的に少し違うけど古宮城に感動した武田マニアならきっと好きになるでしょう。

2020年11月09日 ぱぱ〜ん伊豆守
高遠城



高遠城は春の桜が有名ですが、秋は「もみじまつり」をやってました。紅葉🍁が紅く染まって見応え十分。多くのカメラマンがいました。また信州そば発祥地でもある高遠は新そばもこの季節です。

2020年11月06日 井伊兵部少輔直政
高遠町歴史博物館[高遠城  スタンプ]

高遠城の近くの高遠町歴史博物館内に絵島囲み屋敷があります。
高遠城と併せて散策されるといいと思います。

2020年10月26日 内記かずりヾ(・ε・。)
守屋山城[高遠城  周辺城郭]



守屋山城は高遠城の北西約2.5km、西南へ延びる山塊尾根上、標高約959mのピークの一つに主郭が存します。南麓の国道361号線からの比高は210m位でしょか。主郭からはほぼ東西南北へ向けて尾根が延びており、城域は改変が無ければ縄張図よりも大きいかもしれません。

行き方はGoogleマップに位置登録されている蟻塚城を目標に設定して下さい。道は狭いですが車で行けます。ちなみに蟻塚城は同じ高遠城のリア攻めマップにもスポット登録されています。守屋山城は蟻塚城の丁度東側に隣接し、蟻塚城の大土塁を越えれば直ぐに城域に入ると思われます。蟻塚城の主郭からの比高は120m位ですが、道が不鮮明ですので登城し始めたら左手に見える尾根に取り付く事を意識して下さい。たぶん途中に標柱ぐらいはあったような気がしますw

私事になりますが、信濃のお城をリア攻めしまくってると、善光寺平、松本平、佐久平、上田原周辺ばかりに集中してしまいます。正直、南信の方は後回しになってしまい、宮坂武男先生の神本「信濃の山城と館」の5.6.7巻は自分も持ってませんwでも長野県の四つの平は上田原じゃなくて伊那平なんすよね!正直舐めてました。そんな自分に喝を入れ反省を促したのがこのお城と的場城です。機会を与えてくれた二人の城友さんにまずは感謝感謝!

築城年代は不明ですが、築城者は諏訪氏の庶流とされる笠原氏(同州高井郡笠原を本貫地とする笠原氏ではない。)で、蟻塚城の詰城として築かれました。後に高遠城を中心とした山城ネットワーク(周辺は山城だらけだ…)の一つとして武田氏によって改修されたと推測されているようです。要所でよく切られた堀切、竪堀、畝状竪堀、段郭、土塁等が見事に残ってます。南信ではベスト3に入ると言われるのにも思わず納得!実に素晴らしい山城ですので、高遠城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。

今冬に北信の難城を攻めまくろうと思ってましたが、実に嬉しい誤算…信濃の山城のエンドレスクエストにどんどん迷い込んでますね〜

2020年09月06日 監物カッパしゃん
駐車場[高遠城  駐車場]

駐車スペースが広く、公園への入り口もあるのでリア攻めには最適

2020年07月04日 OROKA参議
的場城[高遠城  周辺城郭]



【竪堀や遺構が豊富、コンパクトな支城】

的場城は高遠城のすぐ北に位置する城です。おそらく高遠城の支城で、街道を挟んで守るような配置だったのではと思われます。

アクセスですが、高遠中前の交差点から西へ300mほど行った北にある香福寺の左手奥に登城口があります。途中で道が消えますが、右手山頂を目指して登りましょう。寺からは25分くらいの登りです。

遺構は、三の郭と思われる広い郭の土塁や虎口、途中に見られる竪堀が見てて楽しいです。
また、主郭(広さ的には櫓台か)のぐるり土塁と背後の堀切にある単騎駆けのような土橋が見事で、土橋から見た主郭の眺めは芸術的にすら感じます♪

高遠城に来られたら、的場城にも行かないと損ですよ~(*´艸`*)

2020年07月02日 OROKA参議
山田城[高遠城  周辺城郭]



【分かりやす~い主郭と副郭♪】

山田城は高遠城の南西にある城で、山田氏の居城。この山田氏は信玄の信濃侵攻の際に降り、それ遺構は武田に従ったようです。

主郭は神社になっているので道はちゃんとあるんですが、少し分かりにくいです。県道209道から南下してこの地区の住宅街に突撃し、神社への道を探す事になります。なお、車道の終点には車を停めれるスペースがあります。
神社への道は、成就院や耕雲寺につながる南北に細い道の、もう1本東にあるさらに細い道になります。
比高は100mほどで、整備された道なのでそんなに苦労せず気軽に登れます。

メインの郭は、東西に堀切で別れています。高い方が主郭で土塁を背にした小さな神社になっています。また、副郭には城址碑があり、こちらも土塁とキレイな虎口が残っています。
この堀切で別れた主郭と副郭をセットにした眺めは、「これぞ山城」という感じでしばし見とれてしまうでしょう(*´艸`*)
ちなみに北西側の斜面には畝状竪堀があるんですが、結構薄めであまりハッキリは見えんかったです。
とはいえ、素敵な山城の雰囲気が手軽で分かりやすく楽しめますよ。

ローメン食べに高遠に行かれた方、ぜひぜひ山田城も訪れてください♪

2020年07月01日 OROKA参議
蟻塚城[高遠城  周辺城郭]



【背後の土塁は見応えあり】

蟻塚城は高遠城の西に位置する城で、地元の笠原氏の城と伝わります。
築城時期や廃城時期については不明ですが、武田氏の信濃侵攻くらいの時期までは機能したかな、という印象です。

アクセスですが、とりあえずは御射山神社を目指します。なぜかというと、この神社が城の三の丸くらいの位置にあるからです。鳥居のあたりに蟻塚城の説明板があるので、車もそのあたりに停めさせていただきました。
段郭や堀切を見ながら参道を進み、神社の背後にさらに進みましょう。(ちゃんと道があります)。神社からはすぐの距離に主郭があります。

遺構としては、神社を含む段郭、堀切や土塁、竪堀が見やすくテンション上がります。また、主郭の背後土塁はかなり高く、上からの眺めはとても良いです。この主郭の背後に土塁と堀切がある感じ、小笠原氏系列の城によく似ています。

高~い土塁に登るのが好きな方、手軽に楽しめるよい城がここにありますよ~♪(´▽`)

2020年06月16日 大隅守
的場城[高遠城  周辺城郭]

高遠城の向かいにあるお城

2019年05月08日 でんど備中守あたる♪
高遠城



問屋門★1948年に町内の旧家から移築したものである★桜がホントに多かった~♪その頃、また見たい~♪

2019年05月07日 はとまめ
白山観音[高遠城  その他]



高遠城を見下ろせるスポットで、桜の時期はおすすめです。(きれいに撮るには望遠が出来るカメラが必要です)
場所が少し分かりにくいですが高遠城を背に白山橋を渡り左折。大きな道(アルプス街道)に合流する直前に右に入っていく小さな道(五郎山に行く道)を上がります。白山神社を過ぎたら左に道が曲がりそこから少し先に行くと車を停めれる程道が広くなり停車できます。そこからは看板に従って山道です。けっこう急な道です。慣れない方には置いてある木の枝の杖がおすすめです。

2019年05月02日 KAZ中納言正勝
仁科五郎盛信のお墓[高遠城  碑・説明板]



トンネル出て直ぐ左が林道入口(五郎山)でした。駐車スペースがないと看板があったかも…反則かもですが車で上がり、お墓入口の広めなスペースで駐車して、短時間で移動しました。

2019年05月02日 典厩
高遠城



現在からみてとても激戦が演じられた場所とは思えないほど平和な感じがする遺構です。

2018年08月11日 まるき〜出雲守
高遠城

長野県のダムスタンプラリー2018期間中に(7.21〜9.30)高遠町歴史博物館で高遠ダムカードを提示すると入場料が100円引きになります。
高遠ダムは高遠町歴史博物館からすぐ側ですので是非!

2018年05月12日 織田上総介晃司
高遠城

駐車場は有料と無料があるみたいです。

大手門は高遠城公園から少しはずれた場所にあります。見落し注意。

桜の名所で満開の頃は凄いでしょうね。

桜の枝が張り出たためか問屋門の瓦の一部が外されてました。
普通桜の枝を剪定するかと思いますが、これっていかがなものか?

2016年10月31日 宮内右近衛少将大輔
高遠城

高遠城で秀忠の隠し子の保科氏を大河ドラマに、というポスターあり、仁科盛信の扱いが小さい。武田に亡ぼされた怨み?からなのかな

2016年10月30日 フー甲斐守
高遠城

高遠城まで車で5分、市野瀬古城から美和湖沿いに車で10分位にある、道の駅南アルプスむら長谷パンや、のクロワッサンがいけます。予約でなかなか買えない様ですが、ハネ物は無料で頂けます。私達夫婦も二つ頂きました(^o^)
何時迄もご好意が続くように、大人の対応で楽しんでみて下さい(^o^)

2016年10月30日 かげちゃん参號
高遠城

高遠城の支城:春日城ですが、元々、殿島城主の本家筋が城主をしていて、武田信玄が伊那地方を制圧したのを契機に高遠城の支城として位置付けしたみたいです。
建物跡は、残っていませんが郭と空堀跡は、確認出来ます。各郭に桜の木が植えてあって、桜の名所の支城の役割を果たしている感じです。駐車場があるので車で来ても大丈夫です。トイレは、二の丸広場と三の丸広場にあります。

2016年07月23日 まるき〜出雲守
高遠城

100名城スタンプの場所は高遠町歴史博物館入り口に設置されています。

絵島囲屋敷や城のジオラマ等があり、城について予習のつもりで先ずはこちらに来た方が良いかと思います。入場は400円

駐車場の奥にダム管理事務所があってダムカードを発行しています。
高遠ダムがライトアップされたすご〜く綺麗なカードで珍しいタイプですよd(^_^o)

2015年09月22日 タコ武蔵守イカ
高遠城

2015/09/21 JR飯田線 伊那市駅 から徒歩で攻略しました。

駅から直線距離で9.5km、国道361号一本道でいけるため迷うことはありませんが、徒歩だと片道1.5時間はかかるので、体力と時間に相当余裕のある人以外はオススメできません。

駅からバスでの攻略をご検討の場合、休日は伊那市駅から高遠行きのバスの本数がかなり減るのでご注意下さい。
13:15 の次が 15:57 となっており、真っ昼間なのに3時間近く次のバスが来ない時間帯があります。

私はこの魔の時間帯に嵌まってしまい、やむ無く徒歩行軍するはめになってしまいました(-_-;)
電車での行軍を検討されているかたは事前にバスの時間をしっかりと確認することをオススメします。

2015年09月10日 まさ宮内卿猛虎
高遠城

飯田線伊那市駅を下車、高遠駅行きJRバスで高遠下車(600円前後)。
城方向にいていると、街並みには城下町の雰囲気が有る。
橋を越えると、その正面が城跡です。駐車場・トイレも有る。
100名城スタンプは、本丸の向こう側の博物館に有る。玄関外にスタンプ設置。その敷地に城主・母親の石像有ります。
車道をいて、博物館に行くには、城跡を迂回する樣になりますから、本丸横断を進めたい。
城郭は、深い堀切・水掘・本丸・曲輪・門等素晴らしいです。門の前には、勘助曲輪が有る。本丸より面接が大きな感じ。勘助による縄張り・設計の城ですからね。

2015年08月02日 ぶる~す大蔵卿馬場美濃守
高遠城

100名城スタンプは、歴史資料館の入り口外にあります。
真夏の高遠城、緑が美しくよかったです

2015年06月27日 笑姫壱岐守
高遠城

女性トイレは、自動扉付きのキレイなトイレがありますが、季節によっては、蜘蛛、蛾などの虫がいっぱいです(>_<)
虫が苦手な方は、お手洗いを済ませてから訪れることをおすすめします。

2014年04月16日 銀之助
高遠城

本日、高遠城址公園に来ました。桜満開!駐車場満車!アルプスの雪山も見れて、とても綺麗です。

2013年06月14日 柿崎和泉守景家
高遠城

地元に住みながら毛利様が一時期、主だったとは。個人的には毛利元就公だったら良かったのに。

2012年01月25日 赤いRVR甲斐守@松本
高遠城

城の遺構を見たいのなら、冬です。桜の時期は混雑。三峰川を挟んだ対岸には、織田軍の陣城とされた一夜城もあり、土塁が残っています。

2010年09月28日 堀久太郎秀政
高遠城

織田軍に、対して、徹底抗戦した!仁科盛信公の居城ですか!さすがに!武田の武士ですね〜m(_ _)m

2010年09月13日 古楽侍従広家
高遠城

諏訪御料人の墓や、絵島囲い屋敷と絵島の墓など見所満載。大河誘致にも積極的。

2010年08月25日 傾奇揚げ仙兵衛
高遠城

伊那の名物ローメン、スープ焼そばなヤーツ

2010年06月11日 傾奇揚げ仙兵衛
高遠城

桜の時期は見頃

高遠城の周辺スポット情報

 問屋門(本丸御門跡)(遺構・復元物)

 桜雲橋(遺構・復元物)

 勘助曲輪(遺構・復元物)

 大手門(遺構・復元物)

 太鼓櫓(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 仁科五郎盛信のお墓(碑・説明板)

 本丸跡(碑・説明板)

 南曲輪(碑・説明板)

 白兎橋(碑・説明板)

 法ドウ院曲輪(碑・説明板)

 高遠城址公園案内図(碑・説明板)

 勘助曲輪(碑・説明板)

 勘助曲輪(碑・説明板)

 高遠城の戦い(碑・説明板)

 的場城(周辺城郭)

 蟻塚城(周辺城郭)

 山田城(周辺城郭)

 守屋山城(周辺城郭)

 一夜の城(周辺城郭)

 小原城(周辺城郭)

 天神山城(阿陀師野城・笠原城)(周辺城郭)

 美篶の春日城(周辺城郭)

 畑氏の館(畑淡路守の住居跡)(周辺城郭)

 爼畑物見(周辺城郭)

 北林の北城(周辺城郭)

 北林の古城(周辺城郭)

 貝沼の物見ヤ城(周辺城郭)

 貝沼あら城(周辺城郭)

 貝沼古城(周辺城郭)

 池田の城(周辺城郭)

 叶尾城(周辺城郭)

 黒河内の城(城)(周辺城郭)

 中島の城(周辺城郭)

 埋橋の城(下ん城)(周辺城郭)

 羽場の城(羽場先城)(周辺城郭)

 富県の内城(周辺城郭)

 高烏谷山砦(周辺城郭)

 原氏館(原淡路守古宅)(周辺城郭)

 平維盛館(周辺城郭)

 山室城(城)(周辺城郭)

 岩崎左門屋敷(周辺城郭)

 山田古城(周辺城郭)

 耕雲寺の館(城)(周辺城郭)

 新城(あら城)(周辺城郭)

 原勝間の城山(周辺城郭)

 非持城(荒田ノ城・御屋敷・火打平)(周辺城郭)

 万灯山(周辺城郭)

 上島氏館(周辺城郭)

 絵島囲屋敷(寺社・史跡)

 桂泉院(寺社・史跡)

 高遠町歴史博物館(御城印)

 旧中村家 環屋(御城印)

 高遠町歴史博物館(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車スペース(駐車場)

 ほりでいパーク駐車場(駐車場)

 進徳館(関連施設)

 白山観音(その他)

 北東登城口(搦手口)(その他)

 北西登城口(大手口)(その他)

 五郎山参道口(その他)

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