石垣山城(いしがきやまじょう)

石垣山城の基本情報

通称・別名

石垣山一夜城、太閤一夜城

所在地

神奈川県小田原市早川1383-12

旧国名

相模国

分類・構造

梯郭式山城

天守構造

不明

築城主

豊臣秀吉

築城年

天正18年(1590)

主な改修者

主な城主

豊臣氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、石垣、堀切、井戸

指定文化財

国史跡(石垣山)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

小田原城(神奈川県小田原市)[3.0km]
今井陣城(神奈川県小田原市)[5.1km]
鷹の巣城(神奈川県足柄下郡)[6.7km]
岩原城(神奈川県南足柄市)[7.0km]
土肥城(神奈川県足柄下郡)[9.6km]
箱根関(神奈川県足柄下郡)[10.3km]
苅野丸山城(神奈川県南足柄市)[11.3km]
中村館(神奈川県中郡)[12.3km]
松田城(神奈川県足柄上郡)[13.3km]
足柄城(神奈川県南足柄市)[14.1km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)126 石垣山城

設置場所

石垣山一夜城駐車場内トイレ付近[地図

石垣山城の解説文



石垣山城(いしがきやまじょう)は、神奈川県小田原市早川にあった日本の城。石垣山一夜城または太閤一夜城とも呼ばれている。

概要 

豊臣秀吉が天正18年(1590年)の小田原征伐の際に構築した[1]。石垣山城は標高261.9mの天守台を頂点に、東西270m、南北550mにわたって丘陵上(石垣山)に位置していた。

天正18年(1590年)豊臣秀吉は小田原北条氏を屈服させるため、北条領に侵攻を開始。支城であった山中城八王子城を攻略した後、北条氏の本拠であった小田原城を攻略するために大軍で城を包囲した。元々小田原北条氏の支城があったこの山を占拠した秀吉は、小田原城を見下ろすように城を築くことを発案し、同年4月から築城を開始した。

構築中は小田原城から見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採したため、北条氏側にまるで一夜にして築城されたかのように見せて驚かせたとする逸話も残り、一夜城の名もこれに由来する。ただし、小田原城と石垣山一夜城の距離は非常に近く、築城中の様子は小田原城から見えていた、もしくは意識的に見せていた可能性が高い。

石垣や櫓を備えた本格的な「近世城郭」であり、関東で最初に造られた総石垣[2]の城であったとされる[3]。約3 - 4万人を動員し、4月から6月下旬までの80日で構築された(『小田原北条記』巻九の記述では、4月1日から築かれたと記す)。6月初頭に小田原の秀吉の陣へ陸奥国の大名の伊達政宗が出頭した際は未だ完成途上であったが、同地にいた豊臣政権中枢に近かった茶人で商人の千利休が、茶人大名の古田織部に宛てた同月20日付けの書状には「今月中に出来上がる」という趣旨のことが記されており、6月26日に完成したとされている(6月26日に本営を早雲寺から移した)。およそ10日後の7月5日、北条氏直は小田原城を出て降伏を申し出ている。

秀吉はこの城で茶会を開き、後陽成天皇の勅使を迎えた。天守台跡が存在し、発掘調査の結果、高層の天守があったと推測されている。時代背景を考慮すると現存する犬山城丸岡城に近い形式であったと推測されている。

大正12年(1923年)の関東大震災で石垣に被害を受けたが、井戸曲輪の石垣は地震に耐えて現在もよく残っている。この城の縄張りを行った者について、城郭研究者の外川淳などは、長方形の郭や濠などがこの後に秀吉の命で築かれた肥前国の名護屋城に非常に似ていることから、同じ担当者すなわち黒田官兵衛であったと推測している。 昭和34年(1959年)に北曲輪と出曲輪を除く部分が国の史跡に指定された(史跡指定にかかわる内容は「石垣山」参照のこと)。平成2年(1990年)には歴史公園として一般開放された(石垣山一夜城歴史公園)。

秀吉が政宗と謁見した際、政宗に刀を預けて丸腰のまま陣所を案内したとされる巷談、秀吉が徳川家康に対して関東移封を伝えたとされる巷説「関東の連れ小便」、どちらも舞台はこの城である。

平成元年(1989年)からの発掘調査で、「辛卯八月日」天正19年(1591年)の銘のある瓦が発見されており、小田原落城後も城の建設が続けられていたことが判明している[4]

歴史・沿革 

  • 天正18年(1590年) 小田原征伐の際に陣城として築城。
  • 大正12年(1923年) 関東大震災で大部分の石垣が崩壊。
  • 昭和34年(1959年) 「石垣山」として北曲輪と出曲輪を除く部分を国の史跡に指定。
  • 平成18年(2006年) 史跡追加指定。
  • 平成29年(2017年) 「続日本100名城」(126番)に選定。

現地情報 

城跡は前述のとおり石垣山一夜城歴史公園となっている。

  • 東日本旅客鉄道(JR東日本)東海道線の早川駅または箱根登山鉄道鉄道線(箱根登山電車)の箱根板橋駅からタクシー10分。徒歩の場合、早川駅や箱根登山鉄道鉄道線(箱根登山電車)の入生田駅のいずれからも数十分かかる。

石垣山城の口コミ情報

2024年02月19日 蒼月☆
石垣山城

小田原駅から小田原宿回遊バスうめまる号(土日祝通年運行)で一夜城歴史公園下車。ボランティアガイド付きでした。帰りは小田原城藤棚観光バス駐車場で下車して小田原城へ。600円のフリーパスは便利。

2024年01月10日 右衛門佐軍曹
根府川城[石垣山城  周辺城郭]



根府川駅から歩いて1時間足らずで林道の終点へ。西側の尾根を下ると楽ですが、徒歩だとかなり遠回りになるため東から攻めました。林道はそのまま古道へ続き、そこにはすでに土塁が存在。あとは土塁に沿って歩けば虎口を経て梅ヶ谷堀切へ。古道沿いに横たわる土塁は武者走りを備えたような二段で構築された重厚な土塁です。

曲輪上には標柱と案内板が設置され、草が刈られて至るところに標識が設置されています。広々とした主郭から南に盛り上がる山へ登ると横堀が廻り、平坦な曲輪が構築されていました。図面では描かれていない遺構のようで感動します。武者隠しや竪堀を眺めながら西へ登ると、古道沿いに石積が一部で散見されます。林道の反対側を見上げると古道の断面が見えていたので登ってみると、根府川城から続く土塁状地形が尾根上にも続いており、巨岩が転がり石切り場があったようにも見えました。

2023年11月25日 千葉相模守早雲
石垣山城



豊臣秀吉が小田原城を力攻めでは落とすのが難しいと判断すると、本陣を早雲寺から笠懸山(石垣山)に移して総石垣の城を築きます。これが石垣山城です。

完成迄に80日程度かかったようですが、城を隠していた木を切り払ったところ、小田原城からは一夜にして突如城が現れた様に見え、これが一夜城の名で呼ばれる所以です。

秀吉はその後も、合戦の最中に茶会や踊りなどの娯楽に興じる余裕を見せつけて北条方の戦意を喪失させていき、北条氏直は降伏して小田原城を明け渡しました。
北条氏政・氏照は切腹となりますが、氏直は高野山送りに。その後、赦免されて1万石の大名に返り咲くも病死。氏規の嫡子が北条宗家として河内狭山藩主となり、幕末まで存続します。

石垣山城は穴太衆が石垣を築き、本丸石垣は20mを超える高さがあり、井戸曲輪も谷を石積みで埋め尽くすなど、技術の高さが伺えます。城はその後破却され、虎口や隅石が崩されています。あー勿体無い😮‍💨

小田原城を見下ろす位置にあり、小田原城と城下や相模湾がよく見えます。誰がどの辺りに陣取っていたのか、配置図を見ながら眺めるのもいいかもしれません。

1.南曲輪石垣。奥に登城口が見える。
2.登城口。徹底した破壊ぶり。
3.当城口。ここで左に折れて南曲輪の虎口に至る。
4.二の丸東側石垣
5.井戸曲輪全景。
6.井戸部分を拡大。
7.本丸石垣。
8.南曲輪石垣。

2023年10月15日 RED副将軍
石垣山城



豊臣秀吉による小田原征伐の本陣
関東では珍しい総石垣の城郭です🏯

続日本100名城

1590年に豊臣秀吉が北条氏に対する小田原征伐において築いた城郭。
豊臣秀吉は北条氏を全国から集めた諸大名による15万の大軍で包囲。笠懸山に総石垣の城を築き、本陣を布いたことより石垣山と呼ばれる様になりました。
一夜城と言われますが、実際は約80日間築城に時間を要しています。一夜の間に周囲の樹木を伐採し、急に現れた総石垣の城郭で小田原城の兵達の士気を失わせたと言われています。
その10日後には、当主の北条氏直は己の切腹と引き換えに城兵を助けるよう申し出て降伏。
北条氏政・北条氏照らは切腹、北条氏直・北条氏規らは高野山へと送られ、北条氏は滅亡しました。
1923年の関東大震災で大部分の石垣が崩壊してしまいました。

見所
小田原城から早川を隔てた南方にある石垣山に築かれており、小田原城周辺を一望できる立地です。
南端のピークに本丸を置き、北東下に厩曲輪、井戸曲輪、南東下に南曲輪、南西下に西曲輪を配した野面積みの総石垣の城塞です。
井戸曲輪は、石垣を積み上げて造られた大規模なもの。震災に耐え、城内で最も良い残存度です。
本丸の物見台からの、秀吉も見たであろう小田原城の眺望を堪能して下さい。

2023年08月12日 nob3i
石垣山城



毎年の夏はこの坂を走って登るのが恒例😂今年も苦しんできました。当時甲冑を着てこの坂を登ってるなんて、信じられません。。登ったご褒美に鎧坂ファームのソフトクリーム😁

2023年07月17日 鬼羊弾正忠4/20九州
石垣山城



太閤が小田原城攻めのために作った一夜城。途中から見える小田原の風景。対抗する北条は総構えで迎え打つ気満々。当時の両軍の闘いは意地と意地のぶつかり合いですね。その気持ちが納得できる素晴らしい眺めでした。

2023年04月10日 今川党山県右兵衛尉ニャン八
石垣山城



石垣がだいぶ崩れてしまってはいますが、高石垣他、城の造りがきっちり残って素敵でした。小田原城見えるので本当に秀吉になった気分になれました!

2023年04月09日 ゆらキング⭐️左衛門佐信繁
石垣山城



小田原城から車で15分ほどの位置。朝早くからでも見学出来ましたが、御城印は10時からの販売で、後から小田原城見学後にまた買いに来ました🏯

2023年01月08日 伊達図書助
石垣山城

徒歩での登城について。箱根登山鉄道入生田駅から、途中の遺構などを観ながらゆっくり登って1時間位。ほとんどが塗装された道路のゆるい上り坂です。帰りはJR早川駅に向かって、海を眺めながらの下り道。30分ほどで着きますが、なかなかの坂なので、こちらから登るのはけっこう大変かなと思います。行きも帰りも、歩いている人は少なかったです。

2022年08月18日 楊近江守威利
石垣山城



総石垣の城、感動しました。本丸から小田原城も見えました。駐車場も広いです。自販機で石垣山城グッズを購入できます。注意点は、御城印です。カフェYoroizukaが定休日ですと購入できません。泣く泣く断念しました。

2022年07月11日 みつ
石垣山城



荒々しい石垣と、所々崩れた石がゴロゴロとそのまま残っています。天守跡の物見台からは、小田原城と城下が見下ろせます。太閤秀吉、恐るべしです。
無料駐車場があり、有名なシェフのランチとスイーツ美味しいかったです。

2022年04月29日 竹に雀騎馬隊サンゴ摂政
石垣山城

石垣山一夜城歴史公園を散策した後はヨロイヅカファームで食事もしくはスイーツを召し上がってみて下さい。

2022年04月12日 やしち三河守
石垣山城



小田原城とセットで攻城です。なんと言っても、見所は穴太衆の野面積みの石垣と、展望台から見る小田原城ですね。氏政がどんな気持ちで見たのだろう?と楽しくなります。

御城印購入は駐車場近くのヨロイヅカファームで買えますが、火曜日定休なので注意してください。

2022年02月27日 丸
石垣用石材[石垣山城  遺構・復元物]

直方体に整形された石垣用石材が2個、歩道脇にあります。石垣山城から入生田駅へと向かう3kmの道程の途中です。
設置されている小田原市教育委員会に説明板によると17世紀前半の江戸時代初期に早川石丁場群関白沢支群から江戸城へ運び出そうとしてここに落としてしまい放置されたものと推定されています。

2021年10月17日 国府左京大夫城介
畑ノ平囲郭[石垣山城  周辺城郭]



続き

【写真】
1:遠景(画面左側の雲に隠れた送電線のあたり)
2:囲郭がある送電線
3:説明版(白地に白字)
4:東側の土塁
5:西側の土塁

2021年10月17日 国府左京大夫城介
畑ノ平囲郭[石垣山城  周辺城郭]

小田原合戦における豊臣方の陣場の一つ

【歴史】
天正18年(1590)4月に豊臣方が築城。

豊臣秀吉が本陣として定めた早雲寺の門前から山道を直登する場所にあり、石垣山城の尾根筋にある要衝の地のために築かれた。この畑ノ平から石垣山城までは2kmほどの平坦な道で、秀吉も恒常的に使っていたようです。(現在は、ゴルフ場があり、通行不可)
地名の畑ノ平は、元々は旗ノ平と言われており、豊臣方の旗がこの辺りに沢山立っていたことから名づけられたとのことです。

また、小田原合戦時の千利休の仮住まい「山の家」はこの付近にあったと言われています。弟子の古田織部に送った「武蔵鐙の文」に、『我等も昨日、当月一九日に山の家にうつり申候。又煩本服に候。一、すみた川、つくは山、同ほりかね井など、御浦山しく候。一、我等ふし唯一山にて、かんにん(堪忍)申候。』との記述があります。要約すると、『5月19日に山の家に移りました。古田織部は関東の名所に行けてうらやましい。私は富士山くらいしかない』といった所です。

【遺構】
早雲寺の南東600mほどに位置し、石垣山城と同じ尾根にある山(標高275m)に存在する。
本来は、一辺28mほどの方形の囲郭だが、南側の土塁はゴルフ場等の開発で消滅したと思われる。土塁は高さ1~2mほどで、幅は4mほどとなっている。
説明版はあるが、白地に白字で書かれているので読みにくい。

【感想】
利休の手紙では、富士山が見えるとのことでしたが、雑木林のおかげで全くそんな感じはありません。しかし、土塁自体はいい感じに残っています。また、堀切があるとのことらしいですが、藪もかなり生い茂っているので何処にあるのやら…。
そして、今まで見た説明版の中でもここまで酷いのは滅多にないかと(汗)
極めつけは、早雲寺南側にある林道からアクセスできますが、この林道は完全に放置された道となっています。倒木や蜘蛛の巣はともかく、落石が多くかなりヤバい道です。途中の分岐点を見落とすなど、道自体が消えている箇所があります。そのため、少し遠回りとなりますが、ゴルフ場に向かう道から行くのがいいかと思います。

【アクセス】
早雲寺から徒歩で25~30分で、NTTの送電線「箱根555」が目印となります。
車の場合は、小田原湯本CCというゴルフ場の駐車場を利用できると思われる。

続く

2021年08月12日 右兵衛督もも姫
石垣山城



スタンプはトイレ前にありますが、時間が決まっているようです。私が行った時は10時から17時とありました。

2021年06月28日 まも左京亮
石垣山城



小田原駅で電動レンタサイクルを借りて、城攻めしました。途中坂道が急で結構キツかったです。その分、城跡からの景色は絶景です!石垣は保存状態が良く見応えはありました。続百名城スタンプは駐車場のトイレ前に設置してありました。

2021年06月27日 副将軍こうちゃん播守
石垣山城



現地、駐車場・トイレ・喫茶店が有ります🤗城跡までの坂道、かなりキツいです😑最寄り駅はJR早川駅で徒歩40分かかるそうです😑土日祝は小田原駅から小田原宿観光回遊バス「うめまる号」が出てます。

2021年06月14日 泉地近江守ばっかんまん
石垣山城



豊臣秀吉が、小田原城攻めで築城した城です。戦国期の野面積みの石垣が楽しめます。城跡は歴史公園になっていて、綺麗に整備されており、すぐ横には有名なカフェがあります。城跡へ行く坂道には、小田原合戦に参加した武将の説明板があり、そちらも楽しめます。

2021年04月26日 愛甲太閤【相模の狂人】
根府川城[石垣山城  周辺城郭]



東海道線根府川駅からほど近いですが相当な山奥に眠っています。後北条氏が山中を通る街道の防衛のために築いた城郭群の中核的なものとの事です。

アクセスは小田原城カントリー倶楽部(ゴルフ場)に向かって山の中を進みます。ゴルフ場の道が左に分岐したところから未舗装、ゲートがあって一般車はここまでで、後は徒歩となります。駐車場も無いので道幅のある所に路駐となります。歩いて10分ほどで道が左カーブする所に立つカーブミラーの所から尾根に沿って踏跡が見えるので入っていきます。しばらく進んで踏み跡と並行する空堀状が見えてくれば正解です。

空堀状は古道の跡で、主郭に向かって伸びていますが途中で不明瞭になり、尾根上は笹ヤブになります。このまま進むと急な下り斜面に突き当たるので、適当なところから右に避けると古道の続きがあり、平坦な竹やぶに降りると右側に根府川城が見えます。

城は綺麗に草刈りがされ、2020年12月に立派な説明板も立てられました。高低2段の曲輪からなり、低い側は北側を土塁で仕切られています。高い方には虎口らしき跡があり、東側は谷に向けて高い切岸になっています。

整備された範囲は広くはありませんが、付近一帯の山中には古道沿いに土塁、堀切などが多数築かれたとの事で、今後の調査が期待されます。

2021年02月26日 eiki
塔ノ峰城[石垣山城  周辺城郭]



標高566メートル、箱根外輪山の塔の峰に築かれた城、南にある湯坂城とともに小田原に続く古道の監視を担っていたと考えられている。箱根登山鉄道の塔の沢駅から阿弥陀寺経由で1時間の登りで行けます。山頂には小さな単郭式構造の主郭と虎口、土塁が確認できます。ここからは丹沢山地と小田原の町を見下ろす絶景を楽しめます。


2021年02月23日 ペスカトーレ
石垣山城



別名一夜城、秀吉の小田原攻めの時築かれたお城です。
実際には3ヶ月位掛けて作ったそうですが、木でかくし、一斉にに伐採したことで一夜にして建てたように見せたようです。
創造していたよりかなり大きな縄張りで、流石は大軍の全線基地と言う様相です。
急造した性か、野面積みの石垣が崩壊している所も多々あり、かえって歴史や貴重性を感じます。
石垣が意外は整備されているし、無料駐車場が有るので、見易いです。

2021年02月12日 でんろく刑部卿パルキー
石垣山城



豊臣秀吉の小田原攻めで有名であり、続日本百名城にも認定されています。
城址は、石垣山一夜城公園となっており、駐車場も無料です。有名な料理店が駐車場の横にあり、それ目当てで来る方も多いようです。

石垣山城址の石垣は、ところどころで崩れておりますが荘厳です。また、展望台からの小田原市内と湘南海岸の景色も最高です。周囲に陣を張った戦国時代の有名武将のオンパレードの案内が山頂までの道すがらにあり戦国武将好きには堪りません。

2020年11月29日 ファン掃部助トム治郎
石垣山城



小田原駅から寝屋川駅まで歩行途中にリア攻め。まず小田原城を攻めて石垣山をにらみ、早川口遺構、早川港近くの集落からミカン山を登ること一時間くらいかな、攻城。石橋山古戦場を経て寝屋川駅へ

2020年10月12日 啓次郎
石垣山城

本日10/12石垣の雑草除去作業をしておりました。駐車場よりすぐの石垣がより見やすくなっております。

2020年09月22日 ばらく~だ
石垣山城



本丸跡からは、小田原城を見下ろすことができ、中の様子が丸見えって感じです。
ただ、周囲のビルと重なってしまって、小田原城天守は、少々見つけにくいです。

2020年08月29日 千閑斎
石垣山城



間違えて箱根ターンパイク小田原料金所に入ってしまいましたが、料金所のおじさんが親切でそのまま出してくれ石垣山城行きのマップまで下さいました😅

2020年08月17日 listless
石垣山城



石垣山城 井戸曲輪跡。先月、雨の中の登城だったので、悔しいから再挑戦。井戸に水があるという噂でしたが、柵があって中まで見えません。

2020年01月12日 かわきち太政大臣
石垣山城

石垣山城へは、先人が書かれているとおり土日祝日運航の周遊バス「うめまる号」が便利です。バスはICカードも使えますが、小田原駅→石垣山城→小田原駅でも、事前に500円のチケットを買った方が割安です。ただし、小田原港付近の渋滞が激しいため、遅延や減便の可能性は考慮した方がいいです。
JR早川駅からは、早川小学校を目印にして、ひたすら石垣山農道を登ります。

2019年11月09日 中務卿一之介
石垣山城

公共交通機関利用の場合、土休日のみ小田原駅東口1番バス停から、「小田原宿観光回遊バス うめまる号」が1日11本出ています。一夜城歴史公園バス停まで、所要約20分です。
うめまる号専用の1日乗車券(500円)を、このバス停前で買えます。うめまる号は、小田原の主要な観光地を巡るので、これを利用して小田原城等も見るのがおトクだと思います。

2019年09月08日 ぷー姫=黄色頭巾の局
石垣山城

井戸曲輪の井戸水は、昭和になっても大人の膝上以上~の水があったものの、その後箱根ターンパイクの開発等で徐々に枯れてきたそうです。いい水脈があったと想像します。秀吉の一夜城プロジェクトは、自然の恩恵のあるこの土地の利を調べ倒していたのでしょうね。

石垣山城も、足柄城、金時山、箱根の山々と同じ関東ローム層の山。粘土質の土は、削られ露出した木の根がゴツゴツ。足元に注意が必要です。

2019年06月01日 まさある甲斐守
駐車場[石垣山城  駐車場]



無料です。

2019年05月28日 まさある甲斐守
石垣山城



井戸曲輪!現在同曲輪は工事中の為、立入禁止です!工事の方いわく9月位まで掛かるそうです!見所の一つですが訪城時はお気を付けて!

2019年05月28日 まさある甲斐守
一夜城駐車場 トイレ[石垣山城  スタンプ]



トイレの所に続100名城スタンプが有ります!ガイドマップ(パンフレット)もここで貰えます!トイレ駐車場周りが無料Wifiスポットなのでパケット気にせずフォト投稿出来ます!パスワードはトイレ前柱に貼って有りました!

2019年05月01日 仲乃丞治部少輔ひろぴい◢⁴⁶
石垣山城



二の丸方向からの本丸枡形虎口。ここも崩れてはいますがわからないほどではないです。

2019年04月29日 仲乃丞治部少輔ひろぴい◢⁴⁶
石垣山城



駐車場から登城口左方向、舗装道路を石垣沿いにゆっくりと歩けば当時の石垣が良好に残ってます。スケールの大きな、まさに石垣の山は崩れてる所も迫力ありました。

2018年12月21日 感謝修理大夫はる ◢͟│⁴⁶
石垣山城

年末年始関係なく、トイレが開いている時間に行けば、続100名城のスタンプは押せるそうです。

2018年10月13日 織田上総介晃司
石垣山城

某俳優、ミュージシャンが吉川晃司携帯サイトに石垣山城登城の写真をアップ!
これは行かねば!ではないがいざ石垣山城へ。

駐車場はありますが道中の道は広いほうではなく急なのでスピードは出せません。安全運転で。

権力と金を使いあんなもん小田原城の目と鼻の先に造られると北条方は動揺するに決まってます。

写真のアップはできないのですが、某俳優、ミュージシャンの吉川晃司と同じアングルで写真を撮るも雲泥の差…
愕然…

2018年09月09日 そろり伊賀守そろり
石垣山城

17:30に行ったらスタンプ閉まってました。24時間ではありません。

2018年08月12日 戸沢大膳大夫盛安
石垣山城

続日本100名城のスタンプは8:00〜17:00の利用と書いてありますが、7:30の段階で既に置いてありました。
スタンプが設置されていますトイレ自体は管理がなされてシャッターも閉まるそうですが、スタンプは24時間使えるのでは?というネットの情報もあります。また、インクが薄いもしくはスタンプが擦れて潰れているとの情報もありましたが、私が言った時は特に問題なく鮮明に押せました
早川駅からは途中の海蔵寺に寄っても徒歩1時間程で行けます。結構登りますので真夏は素直にバスで行くべきだと思いました。

海蔵寺から石垣山城までの農道の途中には小田原征伐の際この近辺に布陣した武将達の説明板が置かれ、山登りに飽きない工夫(?)がなされてます
海蔵寺には堀秀政の墓が置かれてますが、堀秀政の他に、戦国武将ファンには有名な出羽角館城主の夜叉九郎こと戸沢盛安の墓もあったとされています。所領安堵の為に供回り9名で小田原に参陣した戸沢盛安はこの地で没し、この寺で供養されたと伝わります。残念ながら説明板もなく、どれが盛安の墓なのかも不明ですが…

2018年07月31日 いし♪
石垣山城

<駐車場>
無料駐車場あり
結構広いが隣接するヨロイヅカファームと共通になっています

<無料ガイド>
小田原宿観光回遊バス『うめまる号』が到着する時間に合わせて1時間程度の無料ガイドをしてもらえます
バスに乗らない人でもOKとのこと
『うめまる号』の運行日や時間はHPで調べて下さい
小田原城にも行けるので時間があれば車を置いたままバスでまわるのも良いかも

<Wi-Fiスポット>
駐車場の入り口付近にフリーWi-Fiスポットがあります
その近辺だけ使用できました

<トイレ>
駐車場にトイレあり
石垣山城のパンフもあります(コピーの場合もあり)

<お食事>
隣接するヨロイヅカファームでランチがありますが少人数のため予約がとれれば…くらいに考えた方が良さそう

2017年06月20日 木下近江守湖一郎
石垣山城

石垣山城。名前の由来は説明もいらないと思いますが、石垣のお城です。
本丸、二の丸、西曲輪、南曲輪、井戸曲輪、大堀切などが整備されています。
石垣の多くは関東大震災で崩れたそうですですが、崩れていても、その規模と迫力は素晴らしいものでした。
石は、箱根の溶岩だそうで、石の加工はされず、野面積みです。角は算木積みになっています。崩れたことでより、わかりやすくなっている気もしました。
井戸曲輪の石垣は崩れず、戦国の石垣を楽しむことができます。
崩れた石、門の跡、排水の跡と城「跡」をたんまりと楽しむことができました。
石垣を堪能した後は、入生田方面に降りて、友栄のあおうなぎを堪能してはどうでしょうか。美味でした。また、入生田方面の道中には、石丁場から江戸城へ向けて運び出し途中の石も見ることができました。
整備はされていますが、山ですので、少なくともスニーカーで訪れましょう。

2017年03月31日 つんちゃん
石垣山城

駐車場も綺麗でスペースも申し分ありません。
石垣などを観ると築城当時の大変さなどが、想像されます。

2017年01月18日 カーネル
石垣山城

東海道線早川駅下車 駅前に『城まで2.35km』の標識があります

駅から少し北上して左折して線路をくぐったら、標識に従ってひたすら坂を登ります
関東で異例の大雪が降った後で行ったら、坂道が一面雪解け水に覆われて川のようになってた
水の流れに逆らい登り、靴はびしょびしょ。直登が終わり最後の大通と合流すると、道路の脇には石垣山に参陣した武将の看板がいくつかあります

駅から40分で城の入口。雪で真っ白の石垣山城は雪なし時とは全然違う印象でした
ここの井戸は大きくて凄いですね
展望台から小田原城を見下ろしてから、早川駅へ戻りました

見学に45分、帰路では濡れた靴下を絞ったりしてたので、行きと同じ40分くらいかかりました

合計で2時間ちょっとでした

2016年09月18日 高田山吹守道灌
石垣山城

本日、朝駆けにて攻略しました。小田原駅東口より、09:30始発の回遊バス乗り込みました。普通は早川駅から歩いて4'50分かかるそうです。梅丸号といって車掌みたいなおじさんが、予習の説明をしてくれます。そして現地へ着くと同年代のおじさんが待ち受けていて天皇陛下の視察のように小生一人だけなのに丁重に案内してくださいました。小田原け市の臨時雇いのようです。このバスは主に春秋の土日祝日の臨時に運行しています。市内の名所旧跡、一日乗り降り自由で五百円です。帰途、小田原城のバス停も有効です。現地のガイド料金は無料ですからかなり、お得だと思います。ガイドさんのお話しだとこの次は春に来るといいそうです。薄墨サクラとかシャガの花の見頃に併せて来たら、といわれました。歴史に興味ない人々でも楽しめます。そうすれば、石垣山城の魅力に虜になるでしょう。
 

2016年08月07日 まるき〜出雲守
石垣山城


新幹線の高架下から城跡への道がついており、車で城の直近まで行けるので楽チンです。

関東初の石垣造りの城は急造したにしては立派すぎますね〜
たった80日ほどでここまでの石垣を積みあげて城を造ってしまう秀吉の力ってただただ凄い!
と思うほかありませんでした。

小田原城を眼下に見下ろせ、相模湾まで一望、石垣は迫力があるが所々崩れてる感がなんともいえない、崩れっぷりが佐賀県の名護屋城の雰囲気に似ているような気がしました。
石垣に柵がある訳でもなく安易に近寄れてしまうため危険かもしれません!モラルを持って城探索して頂きたい。

行ってから気がつきましたがこの城のまん前がヨロイヅカファームという有名パティシエさんのお店でした。
城前のだだっ広い駐車場は兼用かな?


2016年08月07日 天昇龍修理亮智くま
石垣山城

小田原駅から小田原宿観光回遊バス(土日祝日限定 詳しくはホームページに・・)が出ていました。1シーズン500円でシーズン中何度でものっていいそうです。そのバスで6番目のところが石垣山城の駐車場のところです。(ちなみにそのバスは小田原漁港も行きます)天守閣跡に行く途中で眺めのいいところがあり、そこから相模湾が見えました。かすかに小田原城も見えました。早川駅から歩くと大変らしいので小田原駅が近いという方はぜひ!!

2016年05月07日 ☆じ将☆救援不要☆
石垣山城

城に至る石垣山農道には参陣武将8名の案内版があり、周辺には掘秀政公の供養塔、稲葉一族のお墓もあります。

城の石垣は一見の価値ありです!天守台付近のマムシに注意には気をつけて、、

2014年05月25日 金沢流北条相模守源二郎
石垣山城

以前に比べて駐車場が立派になりました…が…そのほとんどの客が鎧塚です!お城に来てる人は車の台数の2割位でしょうか?お昼時になると鎧塚への客が一段と増えます。まず駐車場に空きはないでしょう?石垣山城へ来るならお昼時は避けた方が無難です!

ちなみに11時で3台しか空きはありませんでした(>_<)

2013年09月06日 コロ助
石垣山城

井戸曲輪の石垣は見惚れてしまいました
駐車場のトイレ前にパンフレットがあります。また、石垣山城から入生田駅方面に10分程歩いた所に石丁場があります。

2013年03月17日 伊豆坊伊豆守
石垣山城

駐車場直近に川島なおみの夫の店、一夜城ヨロイヅカファームがあります。
駐車場は石垣山城と共同利用になっているのか、城見学者ともども利用しています。
賛否両論あるとは思いますが、廃城感を期待していたものとしては、石垣、縄張り、土木量が素晴らしかっただけに、正直残念でした。

2013年02月10日 まさっち参議
石垣山城

小田原城を見学してからタクシーで行きました。大体1500円ぐらい。
帰りは徒歩でJR早川駅まで20〜25分でした。
小田原駅にある観光案内所でもらえるパンフレットには早川駅から徒歩50分、地図には同じく40分、と書いてありましたので、行き(上り坂)はそれぐらいだと思います。
↑ただし、坂は結構キツいので、体力に自信が無い場合はタクシーが良いと思います。
↑逆に、体力にそこそこ自信があるのなら、あちこちに点在する遺構を見ながら小田原城から歩いて行っても良いのでは。

2012年05月01日 三日左馬助落人
石垣山城

4月下旬〜5月はじめごろに訪城すると、石垣の間や曲輪一面にシャガの花が咲いててとても綺麗です。

2011年08月11日 にっこう
石垣山城

最寄り駅早川駅から徒歩約40分くらいです。春秋の土日にはバスが出てるそうですが・・・ひたすら登りです。

城跡には、曲輪が残されており、目視で小田原城を確認することができます。また、石垣は東日本初の野面積で、約80日で一夜城は完成したと言われております。城が地理的に大変有利であったこと、迅速に城を構築した手腕、いずれにしても秀吉の戰の天才ぶりを伺うことができます。小田原に来たら是非!登頂の価値ありです。

敷地内にトイレ、自販機あります。

2010年10月07日 tomm加賀守
石垣山城

小田原城の二之丸観光案内所にパンフレットがありました

小田原城とセットで見学したいですね

2010年06月24日 ぎっちゃん
石垣山城

登山道には小田原の役に参戦して石垣山城に来た武将や姫達の案内板があって、これを見ながら飽きずに登れます。でも車での脇見運転は気を付けて!

2010年06月11日 伊達雅楽助あいり
石垣山城

私がアップした写真は井戸曲輪のものです。井戸といっても沢の流れをあつめた溜池のようなもので、ここの水で淀殿が化粧をしたという伝承もあるとか…

この城の石垣は一見荒く詰まれているようですが、関東大震災などの地震で小田原城の石垣がくずれることはあっても、びくともしなかったんだとか…

石垣山城の周辺スポット情報

 南曲輪周辺の石垣(遺構・復元物)

 本丸石垣(遺構・復元物)

 馬屋曲輪石垣(遺構・復元物)

 櫓台跡(遺構・復元物)

 井戸曲輪跡(遺構・復元物)

 天守台跡(遺構・復元物)

 西曲輪跡(遺構・復元物)

 南曲輪跡(遺構・復元物)

 石垣用石材(遺構・復元物)

 天守台跡の碑(碑・説明板)

 石垣山の石碑と展望台(碑・説明板)

 参陣した武将たち(碑・説明板)

 参陣した武将たち(碑・説明板)

 参陣した武将たち(碑・説明板)

 参陣した武将たち(碑・説明板)

 参陣した武将たち(碑・説明板)

 参陣した武将たち(碑・説明板)

 参陣した武将たち(碑・説明板)

 参陣した武将たち(碑・説明板)

 二の丸跡(碑・説明板)

 石垣山一夜城二の丸(馬屋曲輪)(碑・説明板)

 井戸曲輪(碑・説明板)

 塔ノ峰城(周辺城郭)

 根府川城(周辺城郭)

 畑ノ平囲郭(周辺城郭)

 御所山城(周辺城郭)

 石切場跡(寺社・史跡)

 早雲寺(寺社・史跡)

 一夜城駐車場 トイレ(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

 小田原城を遠望出来る坂(その他)

 堀秀政墓(その他)

 灰皿(その他)

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