真鳥山城(まとりやまじょう)

真鳥山城の基本情報

通称・別名

真鳥城

所在地

埼玉県さいたま市桜区西堀9、10

旧国名

武蔵国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

真鳥日向守

築城年

鎌倉時代

主な改修者

主な城主

真鳥氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

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真鳥山城の解説文



真鳥山城(まとりやまじょう)は、埼玉県さいたま市桜区にあった日本の城。真鳥日向守城・真鳥城とも呼ばれる。

概要 

旧浦和市の西部である現在のさいたま市桜区西堀にあった鎌倉時代の城址で、現在は日向不動堂となっている。やや隆起した地形と真鳥日向守城址と書かれた石碑が残る以外は遺構は少ない。 畠山重忠の家臣、真鳥日向守の城址であり、住居表示実施前までは付近の字名は日向だった。またここより西方に重忠の道場があり、現在も地名として道場が残る。

アクセス 

日向不動堂へは埼京線南与野駅西口から徒歩6分。

参考文献 

  • 浦和市史
  • 【書籍】「 真鳥山城遺跡発掘調查報告書 」

関連文献 

  • 【書籍】「新編武蔵風土記稿」|publisher=内務省地理局|date=1884-6|ref=}}

真鳥山城の口コミ情報

2024年03月31日 いにおな内匠允スーパー
真鳥山城

あまり遺構はなくさみしいですが鎌倉殿の13人の畠山家家臣の真鳥日向守の城であったようです。今は周りが住宅地の場所にあり寺のようになっています

2023年01月10日 筑前守愛洲久忠
真鳥山城



鎌倉殿の13人。畠山重忠公の家臣、真鳥日向守の城と伝わります。が…すぐそばに重忠公の居館(定住はしてないでしょう)とされる道場城があることから、日向守さんは飛び地を治める代官だったとする説が有力なようです。

さて、真鳥山城はと言うと北、東、南側を川と沼に囲まれた舌状台地の突端に位置していたようですが、江戸時代に新田開発で開拓され、現在も宅地化や道路整備が進みマンションや住宅が立ち並んでいるので、その面影を見てとることは出来ません。
カギになるのは水路として活用された川と、攻め手が二の足を踏んだであろう沼の存在でしょう。川の名は鴻沼川、外堀の役目を担います。沼の名は鴻沼。この鴻沼、城址の東側一帯に幅100メートルから500メートル長さ4キロで、さいたま市で見沼・伝右衛門沼に次いで第3位の大きさです。
唯一地面が繋がる西側には重忠公所縁の道場城と荒川の流れ。まさに絶好のロケーションだったことでしょう。

写真は城址西側から。

2022年04月19日 きむ大膳亮
真鳥山城

住宅地のなか、ちょっと分かりにくい道沿いなので、リア攻めの際は地図をよく確認しながら。地形的に高台になっているが、遺構はなさそう。

2011年10月03日 ぎっちゃん
真鳥山城

宅地に囲まれた日向不動堂の境内に石碑があります。あの愛馬をかつぐ力持ち畠山重忠の家臣、真鳥日向守の館跡。伝ですけどね。

真鳥山城の周辺スポット情報

 堀跡(遺構・復元物)

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