箕輪城(みのわじょう)

箕輪城の基本情報

通称・別名

所在地

群馬県高崎市箕郷町西明屋他

旧国名

上野国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

築城主

長野業尚

築城年

永正9年(1512)

主な改修者

武田氏、北条氏、井伊直政

主な城主

長野氏、内藤氏、北条氏、滝川氏、井伊氏

廃城年

慶長3年(1598)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、馬出、井戸

指定文化財

国史跡(箕輪城跡)

再建造物

門、石碑、説明板

周辺の城

北新波砦(群馬県高崎市)[4.7km]
里見城(群馬県高崎市)[6.0km]
蒼海城(群馬県前橋市)[7.6km]
剣城(群馬県渋川市)[8.6km]
石倉城(群馬県前橋市)[9.4km]
安中城(群馬県安中市)[9.6km]
前橋城(群馬県前橋市)[9.9km]
高崎城(群馬県高崎市)[10.0km]
渋川城(群馬県渋川市)[11.3km]
島名城(群馬県高崎市)[12.6km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

16 箕輪城

設置場所

箕郷(みさと)支所受付[地図
箕郷矢原宿カフェ[地図

箕輪城の解説文



箕輪城(みのわじょう)は、群馬県高崎市箕郷町にあった日本の城(平山城)。国の史跡に指定されている[1]。日本100名城の一つ。

概要 

箕輪城は、榛名白川によって削られた河岸段丘に梯郭式に曲輪が配された平山城である。城の西には榛名白川、南には榛名沼があり、両者が天然の堀を形成していた。城地は東西約500メートル、南北約1,100メートル、面積約47ヘクタールにおよぶ広大なものであった。現在にのこる遺構として、石垣・土塁・空堀の跡が認められる。

歴史・沿革 

箕輪長野氏の時代

永正9年(1512年)戦国時代中期、当地を支配する長野氏の長野業尚によって築かれた。また、大永6年(1526年)業尚の子の信業によって築かれたという説もある。信業の代には、守護代であり山内家宰の白井・総社長尾氏を凌駕する勢力を持っていた。

戦国時代の上野には関東管領山内上杉家が存在したが、永禄元年(1558年)、上杉憲政が越後へ亡命した後は、相模を本拠とする北条氏康、甲斐の武田信玄、越後の上杉政虎(上杉憲政の名跡を継いだ)が侵攻を繰り返す場であった。このようななかで信業の子長野業正は、上杉氏の後ろ盾を得て、箕輪衆と呼ばれる在郷武士団をよく束ね、名君と謳われて長野氏全盛時代を築き、最大の版図を有するに至った。業正の代にはまた、武田信玄の侵略がたびたび繰り返されたが、これをよく退け安定した地位を保った。

武田氏の侵攻

永禄4年(1561年)11月、長野業正が没すると(前年に没した説もあり)14歳(17歳とも)で子の長野業盛が家督を継いだ。長野業正は臨終に際し「我が葬儀は不要である。菩提寺の長年寺に埋め捨てよ。弔いには墓前に敵兵の首をひとつでも多く並べよ。決して降伏するべからず。力尽きなば、城を枕に討ち死にせよ。これこそ孝徳と心得るべし」と伝え、その死は永らく秘匿された。しかし、業正の死を知るや武田信玄は再び西上野への侵攻を開始した。近隣の城を落とし、また調略を仕掛け寝返らせていった。

永禄8年(1565年)頃には箕輪城は孤立していき、永禄9年(1566年)武田軍は箕輪城への総攻撃を仕掛け、頼みの上杉謙信の援軍を待たずして9月下旬には遂に落城し長野業盛は自刃して果てた。

武田氏時代

箕輪城は武田氏の上野経営の拠点と位置づけられ、有力家臣である甘利昌忠、真田幸隆(幸綱)、浅利信種が城代に任じられる。元亀元年(1570年)頃には内藤昌豊(昌秀)が城代となり、天正3年(1575年) 長篠の戦いで内藤昌豊が討ち死にすると、その子内藤昌月が城代に任じられた。

織田氏・北条氏の侵攻

天正10年(1582年)3月の天目山の戦いで武田氏が滅亡すると、織田信長の家臣・滝川一益が上野一国を拝領し箕輪城を接収、次いで厩橋城に入った。内藤昌月は近隣の領主と共にこれに従っている。しかし、同年6月2日、信長が本能寺の変で倒れると、北条氏政とその子北条氏直の大軍が上野国に侵攻した。同年6月18日、19日、北条氏が神流川の戦いで一益を破ると、内藤昌月はこれに降り、北条氏政の弟・氏邦が箕輪城に入城した。

井伊氏の入城と廃城

天正18年(1590年) 豊臣秀吉の小田原征伐の際に箕輪城は前田利家・上杉景勝連合軍の攻撃により開城した。この年、徳川家康が関東に入封し、箕輪城は12万石をもって井伊直政に与えられた。直政は箕輪城を近代城郭に改造したが、慶長3年(1598年)高崎城に移封され、それに伴って箕輪城は廃城となり、80余年の歴史に終止符を打った。

現代

1987年(昭和62年)12月17日、国の史跡に指定された。2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(16番)に選定された。なお、2016年角馬出西虎口門が木造復元された[2][3]。城下町は雰囲気は現存しているが、商店などは少なく、閑静な雰囲気である。また、本丸西虎門も木造復元される予定である。

歴代城主 

  • 箕輪長野氏
    • 長野業尚:
    • 長野信業:業尚の子。
    • 長野業正:信業の子。
    • 長野業盛:業正の子。城を武田氏に攻められ落城し、自害。
  • 武田氏
    • 甘利昌忠:城代
    • 真田幸隆:城代
    • 浅利信種:城代
    • 内藤昌豊:長篠の戦いにて戦死。
    • 内藤昌月:保科正俊の子。小田原征伐にて没落。
  • 織田氏
    • 滝川一益:神流川の戦いに敗れ、伊勢に撤退した。
  • 後北条氏
    • 北条氏邦:小田原征伐にて没落。
  • 徳川氏
    • 井伊直政:関ヶ原の戦いにて傷を負うが、彦根藩35万石の藩主となった。

現地情報 

所在地

  • 群馬県高崎市箕郷町西明屋・東明屋

交通アクセス

  • 高崎駅から
    • 群馬バス「箕郷行き」で約30分「箕郷本町」下車、徒歩約20分
    • 群馬バス「伊香保温泉行き」で約30分「城山入口」または「東明屋」下車、徒歩約5分
※「井出経由」の系統に乗ると、箕輪城から遠い場所を通り榛東村へ入ってしまう。「浜川経由」「沖経由」への乗車を推奨。
  • 前橋駅から
    • 群馬バス「箕郷行き」で約30分「箕郷営業所」下車、徒歩約20分
  • 渋川駅から
    • 4番乗り場から、群馬バス「箕郷行き」で約30分「東明屋」または「城山入口」下車、徒歩約5分

地名

  • 西明屋(にしあきや):廃城後に空き家が目立ったことから変化して明屋になったという説がある。現在、支所・銀行支所などが集中し旧箕郷町の中心となっている。
    • 本町(もとまち):城下の中心とされることに由来。現在の群馬銀行箕輪支店周辺を指す。最寄り停留所は「箕郷本町」
    • 田町(たまち):箕輪城時代から田畑が多かったとされることが由来。最寄り停留所は「田町」
    • 四ツ谷(よつや):現在の支所に近い場所に位置する。最寄り停留所は「四ツ谷」
    • 連雀町(れんじゃくちょう):商人の町であったことに由来。最寄り停留所は「連雀町」
    • 紺屋町(こんやまち):染物の仕事を行う人々が住んでいたことに由来。染物に必要な水が近くにあり、城下町の東側の下で、井野川の近くにあった。最寄り停留所は「箕輪本町」
    • 仲宿(なかじゅく)
    • 裏宿(うらじゅく)
    • 上町(かみまち)

※西明屋の多くの地名は箕輪城廃城後に移転した先の高崎城下でも使われている。

※西明屋の城下には語り手たちによって立てられた看板がある。そこには各地名と由来が書かれている。

  • 東明屋(ひがしあきや):西明屋と同じく廃城後に空き家が目立ったことから変化して明屋になったという説がある。現在、箕輪城跡駐車場とトイレが整備されている。
  • 矢原(やばら):城下から1キロメートル程東に行った先にある。戦国時代、矢が多く飛んでくる原っぱだったことに由来。現在、住宅地が広がっている。
    • 原中(げんちゅう):矢の降る原っぱの中心だったことに由来。

その他

  • 例年10月最終日曜には「箕輪城まつり」が開催され、手製の甲冑に身を包んだ市民らによって城下を練り歩くほか(支所から西明屋を通り箕輪城までの区間)、箕輪城攻防戦が演じられる。

参考文献 

  • 【書籍】「定本 日本城郭事典」

箕輪城の口コミ情報

2024年03月30日 小野左衛門佐梵天丸
箕輪城



箕輪城は堀がとても深く、自然と景色も楽しめます✨規模も大きくどれも見応えがあります。

2024年01月08日 マグロ常陸介祐平
箕輪城



100名城だけあって規模も縄張りも素晴らしいお城です。
井伊直政により近世城郭に生まれ変わって、ほんの数年で廃城になってしまったのが現代人の感覚からはもったいなく感じます。

現在、本丸に架かる木橋は工事中で渡ることが出来ません。

2024年01月07日 七代目尾張守宗春
箕郷矢原宿カフェ[箕輪城  スタンプ]

地域の方が運営している古民家カフェ的なものです。コーヒーやお茶、お饅頭にパウンドケーキなどいただけます。(無料という意味の「いただける」ではなく「食べる事ができる」という意味です)

2023年11月06日 カイピーわん
箕輪城



数年前に比べ、本丸がすごく綺麗になっており、駐車場もしっかり整備されていました。

2023年08月16日 HAL2000上総介
箕輪城



ナビやマップアプリで目指すと、搦手口側の駐車場にたどり着きます。こちらから最短距離で本丸跡を目指すと、復元された郭馬出西虎口門を見逃すので、ご注意ください。

2023年06月04日 横山 大蔵卿 彰寛
箕輪城



駐車場から本丸まで、登りやすいです。見応えもあります。

2023年03月26日 直江山城守優介
箕輪城



空堀や馬出しがキレイに残っており、見応えがあります。所要時間はしっかり見るなら1時間は必要です。土塁に加えて、三の丸跡には石垣も見ることが出来、さすが100名城と言う感じです。

2023年01月16日 気分爽快信濃守
箕輪城



久しぶりに箕輪城に行ったら、本丸と蔵屋敷の間に橋が掛かっていました。
①3/29に完成した木橋1
②新曲輪と堀
③木橋2
④三の丸石垣
⑤大堀切
⑥二の丸
⑦いい感じで古ぼけてきた郭馬出西虎口門
⑧郭馬出

2022年11月28日 まー刑部卿
【箕輪城下町案内】田町[箕輪城  碑・説明板]

『田町は田宿といわれ、これは宿の中に田んぼがあったことから名付けられたのか。 
箕輪城下町の中心の一つとなっていた。
井伊氏が城を高崎に移したとき田町も移り、現在でも高崎の中心街、商店街となっている。』と書かれています。

2022年11月28日 まー刑部卿
【箕輪城城下町案内】本町上宿・矢原宿[箕輪城  碑・説明板]

本町上宿
『本町とは、城下町がつくられ始めたころの基本となる町のこと。
矢原宿の下にあり、上宿と下宿がある。上宿は下宿の上にあった。
町が立ち並び、家々が並んで、箕輪城下町の本(もと)となっていた。』
矢原宿
『戦国時代の戦場だった原っぱに、人々が住み始め家々ができ、宿となった。
弓矢が散在していたところの意味で矢の原が、矢原となったのだろう。
箕輪城下町の東側に位置している。
飛び地となっている矢原がある。』
共に箕輪城周辺まちづくり研究会及び特定非営利活動法人 箕輪城元気隊で説明板を掲げています。
この説明板の向かい側に『箕郷矢原宿カフェ』がありますので登城前、後に休憩所として開館したそうです。
営業時間10:00〜16:00(L.O 15:30)
開館日 年末年始除く火曜日〜日曜日
休館日 月曜日(祝日の場合翌日)
入館料 無料(大正期の養蚕住宅を見学可)

2022年11月13日 おぐ2左衛門佐
箕輪城

100名城のはんこ、駐車場にありました(御朱印とか売っている所) 離れた場所と聞いていたので、ラッキーでした。

2022年11月06日 柊楓大和亮
箕輪城



ひさびさの城巡りでひさびさな箕輪城。綺麗に整備されていて歩きやすかった。改めて広い縄張り、空堀はとても素晴らしい。

2022年11月01日 芦屋能登守虎吉
箕輪城



旧箕郷町にひっそりとある城跡ですが、その規模(特に空堀の巨大さ)や特徴的な郭郡は秀逸で、土の城好きには特にオススメしたい城です。上州にありながら丸馬出があったりと、戦乱を経て城主が移り変わったことがよくわかる城跡でした。整備もよくされていて、見学しやすいです。

2022年10月30日 まー刑部卿
旧下田邸書院及び庭園[箕輪城  その他]



『箕輪城主長野氏の重臣であった下田大膳正勝の子孫が落城後この地に土着し、代官として居を構えた屋敷跡です。かつて3町歩にも及んだとされる広大な敷地にあった建物のうち、江戸時代の書院が残り、庭園とともに貴重な近世の様式を今に伝えている。数少ない県内に残る庭園は赤穂義士であった堀部安兵衛が作庭したと伝わる』
平日のみ内部入室可、支所脇より立入。
群馬県指定重要文化財。

2022年07月06日 まー刑部卿
長年寺長野氏の墓[箕輪城  寺社・史跡]



旧榛名町指定史跡。
『中央が初代鷹留城主で長年寺開基、長野業尚の墓である。左右に三基づつ累代の墓が並んでいる。五輪塔墓石の最下段である方形石の地輪正面にそれぞれ戒名が刻まれている。
慶岩長善庵主 長野業尚
南方長宗庵主 長野憲業
以山長伝居士 長野業氏
一清長純居士 長野業政
傑山長寅居士 長野業固
一渓長派居士 長野業茂
安山長康居士 長野業続
榛名町教育委員会     』
と現地説明板に書かれています。
方形石地輪正面に記されている文字は微かに見えていますがはっきりと見えませんでした。
駐車場有り。

2022年07月06日 まー刑部卿
長野氏累代の墓[箕輪城  寺社・史跡]



高崎市指定史跡。
来迎寺内のこの墓石群は、長野氏累代の墓と伝えられ長野氏滅亡後周囲の堀の中に崩れ落ち埋没していたものもあったが大正十二年の墓地整備の際に子孫の人達が発掘し現在の場所に整理し安置したものである。宝篋印塔の基礎の上に五輪塔の地輪が積まれているなど組み方の不完全なものがあるのはこのためである。
五輪塔・宝篋印塔合わせて三十数基が並べられているがその中には年号を読み取ることができるものも十数基ある、と現地説明板に書かれています。境内に駐車場あり。墓石群は本堂裏手にあります。

2022年05月01日 まー刑部卿
本丸・蔵屋敷間木橋[箕輪城  遺構・復元物]



3/29開通した橋を4/12に見てきました。10月末に整備工事が計画されておりそれまでは渡ることが出来るそうです。

2022年05月01日 まー刑部卿
本丸堀の橋台[箕輪城  遺構・復元物]



復元された橋台を見ると新たに作製された橋台のようでした。現存の行方が不明。

2022年04月16日 大膳大夫マイリバ
若田ガ原の古戦場[箕輪城  碑・説明板]

若田ガ原古戦場は上州進出を目論む武田勢と業政亡き後の長野勢が激突⚔した舞台です ここを突破されれば下り坂が続くため、長野勢が決算の地に選んだのも頷けます…が、衆寡敵せず、長野勢は箕輪に追い込まれてしまいます🥺
周辺は霊園🪦や浄水場🚰になってしまっていますが、箕輪方面から来ると台地状の地形を実感でき、当地が防衛ラインであったことがわかります😚

〜以下、若田ガ原古戦場解説板より〜

若田ガ原の古戦場

若田原台地は、碓氷川と鳥川に挟まれ、 川間ヶ原とも言われる戦略の要地でした。
兼ねてから上野侵攻を画策していた武田信玄は、長野業政が死去すると侵攻を再開し、碓氷川の鷹ノ巣の崖から攻めたところ、小幡勢が繰り出し挟み打ちになり、やむなく安中まで引き上げました。
しかし、作戦を変更し余地峠(南牧村)から小幡へ入った武田勢は、西上州の諸将に戦陣に加わるよう促し、若田原に上り、箕輪勢との決戦に臨みました。
永禄9年(1566年)9月25日の朝、事実上の箕輪城攻防戦である若田原の戦いが始まりました。
鼻高に陣を構えた武田勢は数万とも言われ、長野勢は1500余、多勢に無勢で長野勢が総崩れとなりました。
その後は箕輪城での籠城戦になり、抵抗むなしく武田勢の総攻撃により城は焼け落ち、武田軍の支配することとなります。

2022年04月02日 きよ
箕輪城



木橋が完成して渡れるようになりました。しかし、周辺工事のためまた10月末から通行禁止になるそうです。門が作られるそうなので楽しみです

2022年02月26日 武蔵守与作兵衛
箕輪城



城跡の東、搦手口側に80台くらい停められる駐車場とトイレがあります。
2022年2月10日現在 新たな整備事業として進められている、本丸・蔵屋敷間の木橋がもうすぐ完成しそうでした が、まだ立ち入り禁止で渡れません。ちなみに橋の上は工事業者の方向けに「土足厳禁!」の張り紙が… 何気に笑えました。完成したらまた訪れてみたいです。

2021年12月09日 立津竹右近衛少将繁親
箕輪城

大堀切に、郭馬出の門のロケーションが、とてもよかったです。二ノ丸を結ぶ木橋が、ほぼ完成しており、次に訪城する時が、楽しみです。
公共交通期間で行かれる方は、高崎駅からバスで、箕郷支所通るのがなければ、箕郷田町で降りられると、百名城スタンプのある箕郷支所まで近いです。観光課の方が、丁寧に道のりを教えてくれます。また、支所の方が勧めてくれる「東明屋」バス停は、搦手口駐車場から、高崎方面に歩いていくと、諏訪神社(城山入口との中間くらい)より手前にあります。お城の向こう側、高崎行方向にしかバス停がないので、見落としに注意です。自分は、見落として、あせりました。(汗)

2021年08月02日 織田上総介晃司
箕輪城

駐車場は3ヶ所ありますが、今回オーソドックスに一番広い駐車場に停めました。(トイレ有り)

リア攻めした時('21/07/29)本丸西虎口に復元木橋の工事中で一部立入禁止の場所があります。

箕輪城より南西にある横川駅または上信越自動車道・横川SA上りに駅弁「峠の釜めし」があるので食べました。美味しかった。
寄り道して食べてみては…

2021年07月24日 蔵人頭マックイーン
箕輪城



箕郷支所でスタンプ押したときにパンフをいただきましたが、城では位置感覚がずれがちなのでこの地図があった方がいいと思いました。バス停からはゆるい坂を上って行く感じで夏はちょっと大変かも。高崎方面が一望できます。

2021年05月03日 三男坊.k大学頭
白川口埋門跡[箕輪城  遺構・復元物]



竹藪が門のような演出してくれてます。一度下まで降りてみてください。

2021年04月14日 まー刑部卿
白川口埋門跡[箕輪城  遺構・復元物]



大手虎韜門(ことうもん)の駐車場入口にあります。埋門跡はここだけなのは珍しい?
両脇の石垣は当時のものかはわかりません。石垣についての説明はありませんでした。

2021年04月04日 伊勢宮内大輔新九郎宗瑞
箕輪城



搦手口から入城するのがおすすめです。大手虎とう門にも砂利駐車場がありますが、大堀切か鍛冶曲輪をかなり登らないと本丸までたどり着けません。地形をうまく利用した深い堀で、天然の要塞のように感じました。パンフレットは二の丸でボランティア(?)の方に頂きました。

本丸には石碑と説明板しかなく四方は土塁で囲まれています。たんぽぽと桜が咲いていてきれいでした。眺望は木俣付近からがきれいです。本丸西虎口付近で復元(?)工事がされていました。ちなみに百名城スタンプは近くの箕郷支所にあります。

2021年03月02日 南部陸奥守勝牛
箕輪城

車で搦手口の駐車場へ。トイレ横で毎週日曜日の10時~14時の間で箕輪城関連の売店『ふれあい市』が開かれ、100名城スタンプや各種御城印などがあります。雨天は中止なので注意です。そこで案内パンフレットを手に入れてから、いざ城内へ。搦手口→木俣→郭馬出→二ノ丸→本丸と進み、本丸石碑前でリア攻め達成しました。郭馬出西虎口の復元された門や曲輪遺構、その周囲の大堀切などを堪能出来ました。今回は、スタンプと御城印が主な目的でしたので、次回機会があれば、大手虎韜門口から攻城してみたいと思います。帰りに長野業政公の中興開基『実相院金富山長純寺』へ。業政公の墓前で御挨拶して参りました。当山は、納経印も頂けます。

2021年02月27日 ジョウ陸奥守
箕輪城



一部で工事しておりますが、駐車場は整備されており、問題なく本丸まで行くことができます。

2021年01月25日 まー刑部卿
椿名尾根の遺構[箕輪城  遺構・復元物]



水の手曲輪のある法峰寺を目指します。駐車場から右手にお墓の間の道を進みますと箕輪城中央コースの矢印板があるので左折します。少し上ると『椿の路』の石碑があるのでその右手になります。左手は箕輪小学校が見えグラウンドはかつて椿名沼がありました。右手にある堀切は竹が伐採されてはいますが伐採された竹が放置されているため奥に進むにつれ非常に進みづらいです。
この遺構を過ぎると箕輪城榛名口〜無名の曲輪を通り木俣に出られます。

2021年01月25日 まー刑部卿
伝箕輪城主長野業盛の墓[箕輪城  寺社・史跡]



高崎市井出町にあります。井出二子山古墳を目指すといいかと。駐車場というよりか路駐でも可。花は造花です。高崎市指定史跡になっています。訪れる方はおりません。

2021年01月23日 まー刑部卿
本丸[箕輪城  遺構・復元物]



郭馬出西虎口門が出来てから久しぶり訪れたらスッキリと綺麗になってました。これで訪れる人も増えるといいけど。

2021年01月23日 まー刑部卿
御前曲輪 西石垣[箕輪城  遺構・復元物]



御前曲輪の説明板で石垣が残存していることがわかりますが現地は草で覆われておりわかりづらいです。
また案内標識もありません。
あまり人も訪れないように感じました。

2021年01月23日 まー刑部卿
生原砦[箕輪城  周辺城郭]



フレッセイ側から見るとお社に砦があったのがよくわかるかと。また神社入口に2基の円墳がありました。案内板はありませんでした。

2021年01月23日 まー刑部卿
椿山砦[箕輪城  周辺城郭]



円墳の部分は入れません、直接上るか民家の方の敷地内に入るかでしたがやめました。
方墳は現在椿山霊園駐車場となっています。砦跡を見るだけなら停めても可能です。その裏(川側)にエミューが2羽居ます。

2021年01月23日 まー刑部卿
箕輪城主 長野業政公墓所[箕輪城  寺社・史跡]



こちらには長純寺を目指して行かれるといいかと思いますが実際のお墓はお寺から離れています。お寺には家臣団のお墓があります。
業政公の隣に御令室の方のお墓があります。
駐車場もあります。

2021年01月23日 まー刑部卿
本丸・蔵屋敷間木橋[箕輪城  遺構・復元物]



【工事完了してます】という立札が建っています。工期は1月末までとなっていますがこの先人が通れるようにするかは未定です。
堀跡の下からも眺めることが出来ます。

2021年01月06日 仲乃丞治部少輔ひろぴい◢⁴⁶
椿名尾根の遺構[箕輪城  遺構・復元物]



木俣東を通り椿名尾根登城路入口へ降りる途中には段曲輪が並び石の説明表示の椿名尾根の堀切があります。
この辺りは木が生い茂り良くわからなかったのですが、久々に行って見たら木々の伐採が進み少し遺構がわかりやすくなってました。復元だけでなく木々に埋もれる遺構を見えるようにするのも大切な城址整備ですね。
写真左2枚が椿名尾根の堀切、右2枚は堀切少し上の段曲輪間の段差。

2020年08月18日 清水伊豆守興聖
箕輪城



搦手口に綺麗なトイレと駐車場が整備され、グッズ販売と100名城スタンプ(平日限定)も設置されていた。ゆっくり回りたいけど、今は暑い💦

2020年05月28日 ミヨシ 上野介
箕輪城



箕輪城ふれあい市が
日曜日に開かれます 10時から14時まです

2020年02月24日 とど縫殿頭
箕輪城



御城印は搦手口の駐車場で三百円で売っていますが午後2時までなので注意してください。そして復元されたもんは木の色が新しすぎてあまりしっくり来ません。

2019年05月09日 牢屋見廻り同心マダオ
生原砦[箕輪城  周辺城郭]



生原の内出とも。箕輪城の支城の一つで、長野氏によって造られたと思われます。永禄九年の武田氏による箕輪城攻めの際、武田軍の陣所として使われたと言われ、現在は北野神社が祀られています。遺構は堀跡や土塁、櫓台に使われたと思われる古墳が残っています。




2019年05月09日 牢屋見廻り同心マダオ
水の手曲輪[箕輪城  遺構・復元物]



城で使う水が湧き出していた場所です。現在も水が出ています。また周囲の地形が「箕」のような形をしているので箕輪の地名も、ここから起きたらしいです。

2019年05月03日 牢屋見廻り同心マダオ
内藤塚 内藤昌豊・昌月の墓[箕輪城  寺社・史跡]



武田氏家臣・箕輪城代内藤昌豊と昌月の墓。
向かって右側が内藤昌豊公、左側が内藤昌月公の墓です。(現地説明板あり)


2019年05月02日 仲乃丞治部少輔ひろぴい◢⁴⁶
木俣[箕輪城  遺構・復元物]



木俣。段差沿いに歩くと謎の石積があります。いつのものでしょうか。(位置関係は撮ってる左後方に復元の門、右後方は土橋があります。)

2019年05月02日 わる爺陸前守
鍛冶曲輪の石垣[箕輪城  遺構・復元物]



城郭の西の方に鍛冶曲輪があり一部石垣が残ってる

2019年05月02日 わる爺陸前守
霊置山駐車場[箕輪城  駐車場]



城郭の北に位置。空いています。霊置山口から登城にはココから。

2019年05月02日 わる爺陸前守
丸馬出[箕輪城  遺構・復元物]



パンフレットには記載のない(令和元年五月現在)馬出。写真の日陰部分が半円形の土手となり植林部分が低く三日月堀と思われる

2019年05月02日 わる爺陸前守
新曲輪[箕輪城  遺構・復元物]



五月初め新曲輪と稲荷曲輪の堀切は薄紫色の花が咲いてる

2019年05月02日 わる爺陸前守
御前曲輪[箕輪城  遺構・復元物]



長野業盛が自刃した持仏堂、井戸があった。

2019年05月02日 わる爺陸前守
本丸南堀[箕輪城  遺構・復元物]



その名の通り右手本丸、左手二の丸。深さは10mあるが6mほど埋まってるらしい。

2019年05月02日 わる爺陸前守
木俣[箕輪城  遺構・復元物]



家臣団の屋敷地とされる曲輪で3棟以上の掘立柱建物があったとされています。

2019年05月02日 わる爺陸前守
大堀切の土橋[箕輪城  遺構・復元物]



土橋の裾には石垣が築かれていますが地下に埋められています。見える石垣は復元したもの

2019年05月02日 わる爺陸前守
大堀切[箕輪城  遺構・復元物]



土橋を背に右手藤の花が咲いてる側が三の丸、左手杉の木側が木俣

2019年05月02日 わる爺陸前守
三の丸門跡と石垣[箕輪城  遺構・復元物]



城中の石垣で比較的残っていると言われるスポット

2019年04月27日 椿下総守昌家
椿山砦[箕輪城  周辺城郭]



箕輪城の南東に突き出た尾根上の前方後円墳(椿山古墳)を利用した砦です。北部(古墳の前方部)と南部(同後円部)が道路で分断されています。
箕輪城全体の案内図に描かれていることもありますが、現地に案内板等はありません。
写真(2019.5.1撮影)は、南西側(重機が写っている方)、東側のそれぞれ全景です。
撮影時点では、北部は霊園とその駐車場でした。南部は墳丘の頂(大きな石が露出しています)に向けて仮設(?)の階段が設置されていました(ただし立入禁止)。

2019年04月23日 仲乃丞治部少輔ひろぴい◢⁴⁶
白川口埋門跡[箕輪城  遺構・復元物]



白川口埋門跡。長野氏時代の、鷹留城との連絡のための白川への秘密通路。埋門跡は上州ではここだけだそうです。

2018年10月14日 マンボウ
箕輪城

空堀も本丸も井戸も大きさに驚きました
石垣探しも楽しいお城です
バス停から向かう途中、おばちゃんに月末のお祭りにはまた来なさいねと声を掛けられて嬉しかったです


2018年04月07日 JA1Z安房守
箕輪城

自転車など足のある方は、箕輪城西側の外郭と、さらにその西側の白川沿いの斜面も見てみると面白いかもしれません。
外郭と斜面の中腹を城内用水が流れており、防御力を高めています。
長野氏は優れた治水工事が得意でこの地域に勢力を拡大したそうで、さすがと思われる工夫です。

また、箕輪初心さんという方が、ブログですごい研究を公開しています。

2018年01月04日 三男坊.k大学頭
箕輪城

3月9日まで土塁整備工事のため本郭には入れませんが、御前郭は北の登り口から入れます
この季節限定で倉屋敷の奥までストレスなく入れます
本郭には入れませんが是非おいでください

2017年05月24日 【感謝✨】☆あんず
箕輪城

プチ情報です。
ナビゲータのガイドの方と回りました。
搦め手口〜郭馬出、二の丸郭、三の丸、本丸郭、ぐるっと曲輪を見廻って、本丸にきて深〜い井戸をみて終了。

10年計画で城跡公園を造成中。
あと2年後に本丸に門(渡れる吊り橋?)を建築予定だそうです。

やっぱりもうこの時期に蚊がスゴイです。
(T_T)

ここクチコミではボランティアのオヤジと言われている方、正式には
『箕輪城 語り部の会、会長さん』です。
最近体調が悪いことがあるらしいのですが、今日は二の丸に来て下さいました。
(о´∀`о)

優しい真面目な箕輪城愛に溢れる会長さんです。
お会いになれたらお声がけお願い致します
( ^∀^)



2017年05月21日 田上太閤久兵衛
箕輪城

城址は若干広めなので
来る前に百名城スタンプのある施設で遺構マップを貰って置いた方が良いです
事前に役所のHPから印刷も可です

東側城址駐車場からすぐ南西に搦手口があるので、そこから分かれ道を左手に南から廻るのがオススメ
中々ダイナミックな土塁があり堀底も歩けます

そのまま遊歩道沿いに歩くと右手に頑張って復元した郭馬出があります…が!その横に大堀切に降りられる階段も有りますので先にこちらもどうぞw

馬出しの先、北には二の丸郭、その両隣に三の丸、本丸郭が連なります

どちらが先か迷いますが北の本丸→御前曲輪コースがオススメかな?
隈なく歩くと、虎口や馬出し跡の看板が有りますが多分イメージし辛いと思います

一応これらの場所を覚えておいて、御前曲輪から堀底に降りて堀底を一周すると、先程の看板の堀の下に石塁があったり遺構が見えたりで納得しや易いです

堀底は広くて整備もされてますが藪も多いので夏は対策してから行ったほうが良いかも

2017年02月18日 権中納言みきを
箕輪城

公共交通機関でのアクセスの一例(百名城スタンプを押す場合)
【往路】
①JR高崎駅の西口から箕郷行きバスに乗車
高崎駅は東口にもバス停があるので注意!
②四ツ谷にて下車(運賃490円)
百名城スタンプがある高崎市役所箕郷支所はバス停からすぐ。(Googleマップで検索可能)
③箕輪城へ
徒歩20分くらい。
【復路】
四ツ谷に戻るより群馬バス箕郷総合バスセンターに戻るほうが近いです。バスセンターの場所はGoogleマップで検索可能で高崎駅までの運賃は510円。
【その他】
時間が合えばお城の近くまで来るバスがあるみたいですが、本数は少ないそうです。


2016年12月04日 摂政 浜べい
箕輪城

高崎から箕輪行きバスで田町バス停下車。
100名城スタンプは公民館でもらえます。
リアル登城すれば、長野業正、真田幸隆、滝川一益がイッキにゲットできます。(公民館近くまでは来ないと出現しないです)

2016年11月27日 まー刑部卿
箕輪城

郭馬出西虎口門と大堀切の土橋が出来上がったとの情報から登城。今まで訪城した中で一番の賑わい。パンフレットは緑のボックスにあります。ない場合は箕郷支所窓口へ。搦手口から郭馬出まで遊歩道が出来ているため直接行けます。二の丸跡四阿にいた百名城スタンプを持ったオヤジが今日は居ませんでした。年に数日しか休まないボランティアのオヤジは今日は休みのようです。

2016年04月23日 ナナ大蔵卿
箕輪城

百名城スタンプが置いてある高崎市役所箕郷支所は17時15分まで。とりあえず土曜日の本日は18時前には無人でした。平日はわかりません。

2016年02月28日 高田山吹守道灌
箕輪城

大きな空堀は、なんといっても見ごたえがあります。さすがに国指定の史跡。城主が何度か代わり、改修されて石垣も観られ天守閣はないものの近世城郭に移行する過渡期のような気がします。考古学的に云えば弥生の墓制から古墳に移行していくように。ただ、石垣は八王子城の御主殿の方が圧倒的にすばらしい。その他、井戸は巨大です。一部工事中なので残念。

2016年02月13日 すずママ玄蕃頭箕輪金山PR
箕輪城

箕輪城の100名城スタンプ設置場所である高崎市役所箕郷支所のすぐそばに中央公民館があります。
こちらに箕輪城の復元模型などが置かれているそうです。スタンプをおしたついでに是非立ち寄ってみてください。

高崎市では現在進んでいる箕輪城の門復元
の他に資料館の建設を進めているそうです。箕輪小学校の旧講堂を郷土資料館としていましたが第一保育園の改築でなくなってしまいました。

箕郷支所から箕輪小学校まで歩く道中にボランティアの方が設置された城下町案内板が所々にあります。井伊直政の城下町づくりを学ぶことができますよ。

2015年11月08日 まー刑部卿
箕輪城

久しぶりに行ってみたら先人の書かれているとおり百名城スタンプを持っているオヤジが二の丸跡の四阿に居た。365日のうちほとんど在中しているとのこと。箕郷支所で雇われてはおらず看板を出すわけにはいかないそうだ。好きで来ているそうだ。ただ土日は箕郷支所通用門で押せるため試し押しで気にくわない場合はそちらに向かうといい。ようやく復元門建設工事が始まったがそのため二の丸〜郭馬出の道が立入禁止。本丸跡の復元門はこちらの工事終了後に取り掛かるとのこと。駐車場は搦手口の駐車場が綺麗になりトイレ完備で多機能トイレもありウォシュレット完備。

2015年09月22日 摂政頼光
箕輪城

今日は二の丸にボランティアの方がスタンプ持って来てくださってました。

2015年08月23日 まさ宮内卿猛虎
箕輪城

高崎駅から、二番乗り場伊香保行き乗車。下車は、城山入り口。徒歩10分程度。Y字路左折してっていると、城山らしき雰囲気の山がある。その先に、城入口看板有る。
ニの丸には、トイレ、東屋が有り、少休憩出来ます。少し小高い所が本丸。三の丸には、石垣が残存し、その脇の方に門の工事中。
100名城スタンプは、東屋にボランティアの方が持って来ていた。ラッキー。通常は、箕郷支所に有るようです。役所が休みだから、ボランティアの方が預かっていたらしい。


2015年08月18日 タコ武蔵守イカ
箕輪城


高崎駅から自転車にてアクセスしました。
近くの烏川・榛名白川サイクリングロードを使うとほぼ一本道で片道約15kmで到着します。
前日雨だったこともあり、城跡内の林ですこしでも立ち止まると、蚊の軍勢の急襲を受けるました。
見事な堀切など見所も多い城跡なので、落ち着いて見て回りたい方は、虫除けを用意しておくことをお勧めします。

2015年06月07日 永眠武蔵守釋 葱進
箕輪城

28年3月迄の予定で郭馬出西虎口城門復元工事が行われています。
そのため郭馬出及び遊歩道の一部が通れなくなっています。

2014年12月02日 牢屋見廻り同心マダオ
箕輪城

新しい駐車場が搦手口側に新設されました。

2014年05月01日 鶴亀仙人
箕輪城

あまり期待していなかったのですが、行ってみてホホ~っと。
一見の価値アリです。
手掘りで作ったとは信じられない見事さです!!


2013年12月07日 しー武蔵守
箕輪城

二の丸のところにある屋根付きベンチに
ボランティアの方が居られて100名城スタンプと概略図を頂きました。

2013年01月13日 尾張守ひろっちぃ
箕輪城

高崎駅からバスで行きましたが土日祝日は平日と違って運休になる便もあり注意が必要です。
城跡は小高い山の中にありバスで近くまで行くことができます。城跡は現在工事中であるところが多く立ち入り禁止のところが多くありました。空堀土塁等が残されていますが物足りない気がしました
日本名城100選のスタンプは以前は二の丸駐車場にあったそうですが今は高崎市支所受付窓口に移動しています城跡からはかなりの距離があるためもしスタンプだけが欲しい場合は城跡には行かず直接箕輪支所までいった方が楽です。城跡にも案内の看板の下のボックスの中に城跡の案内の紙の右上にスタンプが押された紙が入っていました。それはスタンプ帳に貼り付けて利用できるそうです。


2012年12月28日 三日左馬助落人
箕輪城

現在、10年計画で整備が進んでおり、2年後には二ノ丸外の馬出にあったと思われる矢倉が復元予定とのこと。

2012年10月22日 瀧乃道宮内卿ユズル
箕輪城

百名城スタンプは箕郷支所の隣の公民館窓口にありました。箕郷支所へは四ッ谷バス停で降りすぐ。城の最寄りバス停は、小学校前、城入口とあります。いくつか散策ルートがあり、城入口前に榛名ルート入口、そこから歩いて10分で二の丸入口があります。ただバスの本数はすくないので注意です。

2012年06月05日 サムライ陸中守はる
箕輪城

搦手口周辺、堆肥臭っ

2012年01月27日 影艶弾正少弼
箕輪城

雨などでぬかるんだ日は土橋などに気をつけて下さい。
でないと俺みたくぬかるみで滑って、空堀に落ちかけます

2010年09月24日 徳川内大臣源朝臣康武
箕輪城

時間や体力がない人は、二ノ丸駐車場から主郭部分だけでも見応えあり時間も体力も有り余る人は、郭外にいくつかある駐車場から全体を歩こう

2010年09月24日 徳川内大臣源朝臣康武
箕輪城

百名城スタンプは、二ノ丸駐車場付近ではなく、高崎市役所箕郷支所受付窓口に置いてある。

2010年06月08日 傾奇揚げ仙兵衛
箕輪城

ボランティアガイドみたいな人からパンフレットが貰えるかも

箕輪城の周辺スポット情報

 白川口埋門跡(遺構・復元物)

 三の丸門跡と石垣(遺構・復元物)

 三の丸(遺構・復元物)

 郭馬出(遺構・復元物)

 郭馬出西虎口(遺構・復元物)

 大堀切(遺構・復元物)

 大堀切の土橋(遺構・復元物)

 木俣(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 本丸南堀(遺構・復元物)

 本丸門馬出し(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 御前曲輪(遺構・復元物)

 御前曲輪 西石垣(遺構・復元物)

 稲荷曲輪(遺構・復元物)

 新曲輪(遺構・復元物)

 丸馬出(遺構・復元物)

 鍛冶曲輪の石垣(遺構・復元物)

 郭馬出西虎口櫓門(遺構・復元物)

 水の手曲輪(遺構・復元物)

 椿名尾根の遺構(遺構・復元物)

 御前曲輪北堀(遺構・復元物)

 本丸・蔵屋敷間木橋(遺構・復元物)

 蔵屋敷(遺構・復元物)

 井伊氏時代の大手口(遺構・復元物)

 丸戸張(遺構・復元物)

 大手尾根の遺構(遺構・復元物)

 本丸堀の橋台(遺構・復元物)

 大堀切(遺構・復元物)

 郭馬出(遺構・復元物)

 搦手口跡(碑・説明板)

 案内図(碑・説明板)

 山子田城説明板(碑・説明板)

 故箕輪城主長野氏三代慰霊碑(碑・説明板)

 道具屋敷跡(碑・説明板)

 箕輪城案内図(碑・説明板)

 箕輪城案内図(碑・説明板)

 若田ガ原の古戦場(碑・説明板)

 【箕輪城城下町案内】本町上宿・矢原宿(碑・説明板)

 【箕輪城下町案内】田町(碑・説明板)

 椿山砦(周辺城郭)

 生原砦(周辺城郭)

 箕輪城主 長野業政公墓所(寺社・史跡)

 内藤塚 内藤昌豊・昌月の墓(寺社・史跡)

 諏訪神社(寺社・史跡)

 伝箕輪城主長野業盛の墓(寺社・史跡)

 長野氏累代の墓(寺社・史跡)

 長年寺長野氏の墓(寺社・史跡)

 金龍寺(寺社・史跡)

 箕輪城ふれあい市(御城印)

 高崎市箕郷支所(スタンプ)

 箕郷矢原宿カフェ(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 箕輪城跡駐車場(駐車場)

 霊置山駐車場(駐車場)

 大手虎韜門駐車場(駐車場)

 旧下田邸書院及び庭園(その他)

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