千利休、切腹の真相は?(2017/01/27)
利休作の茶室待庵が残る妙喜庵(京都府大山崎町)
天正19年(1591)、突如豊臣秀吉から蟄居を命じられ、やがて切腹させられた千利休。その原因については様々な説があるが、その中でも最も真相に近いと思われるものは?
[投票実施期間]2017年01月27日~2017年02月12日
1.既に政権が安定期に入った秀吉にとり、茶頭としての利休の利用価値がなくなったため。 |
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2.豊臣秀長の死によって政権内の勢力図が変わり、その政治闘争に巻き込まれたため。 |
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3.茶の湯そのもの、または茶道具に対する秀吉と利休の価値観が決定的に違ったため。 |
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4.利休が安い茶器を自ら見立てを行うことにより高額で販売し、私腹を肥やしたため。 |
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5.政権内で並ぶものがないほどの権勢を手に入れ増長した利休を、秀吉が恐れたため。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
志摩守ニコちゃん(2を選択)
石田三成に、嫌われてたら邪魔になりぼうさつされた!
トムトム秋田城介(6を選択)
2・4・5の複合の要因。存在が秀吉にとっても危惧する恐れもがあったからかな?
あきつら(2を選択)
三成の策やろな
(5を選択)
出る杭は打たれる
sandboy(6を選択)
石田三成派と前田利家ら反三成派の狭間で人身御供となったのではないでしょうか。
黒田大宰大弐ななつ星(2を選択)
石田三成一派の策略ではないかと。
音みく中務大輔闇サガン(6を選択)
秀長が死んだ事で利休が政治に興味が無くなり、隠居したいと言ったため、辞めさせたくない秀吉と抗論になり、切腹。
ぺんた(5を選択)
利休の茶を通じた幅広い人脈やそれで得た莫大な富、また堺商人との深い繋がりは豊臣政権を脅かす中心人物に成りうる危険な芽。
(6を選択)
苦言させられて鬱陶しいと思ったのでは?
明石右大臣則実(5を選択)
有力大名に対して大きな影響力を持っていたので、やはりそれを恐れていたのかな?と。
もん主税頭減量中(5を選択)
歳をとると僻みっぽくなるって言うけど、軽い認知症だったような気もするよ。
(*¯ ³¯)っ旦(6を選択)
あらゆる意味で良い気になり過ぎて、増長し過ぎたのが目に余ったから。
「向かうところ敵無し」と思い込んでいる状態の二人が近くにいたら、本当に権力のある方がもう片方を潰しにかかるのでは?
バス殿相模守(6を選択)
1、2、3の複合的要素に、秀吉の老耄のはしりが異常な判断をさせたのでは?安茶碗の見立てて私腹肥やすのは肯けない。私腹肥やしたとしても、秀吉の金銭感覚からしたら高額と感じたかどうか?と思う。
伊達陸奥守藤次郎宗篤(6を選択)
宗教上の派閥争い。神教派で山民系の異腹弟秀長が死去し仏教派の秀吉に山民系実力者千利休は消された。諫言した仏教派石田三成、利休邸を囲み介錯した仏教派上杉家。秀吉も羽柴姓の後仏教系の藤原姓に替えている。
京極弾正大弼ぽて丸(4を選択)
自他共に認める「人たらし」秀吉にとって、強大な権力を得た事よりも人望、人心を得ているという事実、さらに自らがある価値を作り出すようになった事が決定的だったのでは?
役行者河内守武さん(3を選択)
どれも考えられるが、茶道の好みが、決定的に、違う。
rino1(6を選択)
男関係のもつれ
越中守薬研(5を選択)
出る杭は、打たれた( ;∀;)
マッドマックス✡️播磨守(5を選択)
カリスマは二人も要らない。
(5を選択)
結局、邪魔になったからだと思いますが…。
京楽秋水石狩守(4を選択)
4,5両方!
アッツ中務卿蝦夷守(2を選択)
茶の湯を通して利休と懇意の大名が増えた事も危惧された要因ではないかと
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