村上氏満泉寺館

村上氏満泉寺館([葛尾城  周辺城郭])

葛尾城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「村上氏満泉寺館」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

村上氏満泉寺館の口コミ情報

2022年12月27日 内記かずりヾ(・ε・。)


たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

村上氏満泉寺館は葛尾城の南東約1.0km、日名沢川北岸(右岸)、標高約415mの山間部台地上平場に存した居館です。村上氏の要害である葛尾城の南東麓であり、名称にある満泉寺は武田氏滅亡後、かつての居館跡に村上義清の子、山浦景国が再建したんだそう。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車も余裕で捨てられます。

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは清和源氏頼清流村上氏です。同氏が千曲川南岸(左岸)の村上郷から千曲川北岸(右岸)の坂城郷へ本拠を移した時代は不明だが、市河家文書中の「建武二年(西暦1335年)九月二十三日、市河経助軍忠状」には「…薩摩刑部左衛門入道坂木北条に城郭(葛尾城の前身かもしれない。)を相構ふの処、先代(北条高時)与力の仁等多く彼の城に楯て籠るの間、当国惣大将軍村上源蔵人殿(信貞)御発向の刻、最前に御方に馳せ参じ、経助大手として合戦の忠を致し、彼の城を責め落とし、…」とある。嘉暦四年(西暦1329年)、執権北条高時が定めた諏訪社上社の御頭結番下知状には七番五月会分に、「左頭坂木南条 薩摩十郎左衛門尉跡(十郎左衛門は曾我兄弟の仇討ちで有名な工藤祐経の孫である。)」とあり、中先代の乱において北条時行に与した薩摩刑部左衛門等(工藤二階堂系図には工藤祐氏を坂木北条八郎とし、その弟、祐広を坂木南条十郎とする。北条の範囲は不明だが、南条は現在のテクノさかき駅周辺である。)北条氏残党を京から下向した村上信貞が信濃惣大将の名目で討伐した事が判る。村上氏が坂城郷を本拠とするのは何れにせよ建武二年以降の話であり、南北朝の末、元中年間(西暦1384年〜1391年)の頃だと推測されている。

居館の現況は住宅地の一部で、耕作地、空地、寺院とその敷地、一般住宅とその敷地等となっている。敷地範囲内には所々で水路が巡っているけど往時の堀跡を踏襲しているんだろうか。「蔵屋敷」、「厩屋」、「御堀橋」、「栗田屋敷」、「桜馬場」、「下長屋」の字地名が該地には残る。

村上義清の町である坂城町だけど、少なくとも鎌倉時代の一時期においては薩摩(工藤)氏が地頭職であった訳だ。同氏が御内人、得宗被官として北条氏に仕えた故だろう。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore