村上義清公墓所(供養塔)

村上義清公墓所(供養塔)([葛尾城  寺社・史跡])

葛尾城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:寺社・史跡)、「村上義清公墓所(供養塔)」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

村上義清公墓所(供養塔)の口コミ情報

2022年12月23日 内記かずりヾ(・ε・。)


村上義清公墓所(供養塔)は葛尾城の南東約1.9km、標高約404mの河岸台地上平場に存する墓所です。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。田町十王堂の裏手が該地となります。

村上義清は没すると新潟県糸魚川市根小屋の安福寺に埋葬されたそうですが、こちらは明暦三年(西暦1657年)、越後高田藩の所領、坂木五千石の代官となった長谷川安左衛門利次が建立した村上義清の供養塔で、分骨された義清の遺骨が納められているんだそう。利次は坂木(坂城)の名族の遺跡が失われていく事を憂えて、義清の玄孫、義豊や村上氏旧臣だった出浦氏の後裔、正左衛門清重等に図り自ら施主となって頑張ったらしいっす。

義清は信濃において東信、北信を中心に支配領域を拡大した村上氏最盛期の当主、ファンも多いと思うんだけど、武田晴信に二度も苦杯を舐めさせた武勇に数少ない郷土の英雄像を求めるんだろう。人気の高い義清だが、実は今に伝わる事跡の大半(上田原の戦い・砥石城の戦い・川中島の戦い等)は甲陽軍鑑を元にしている。後年、義清の曾孫によって編纂されたとされる「村上家伝」すらこの軍艦に頼っている有様で、軍艦の信憑性は全く確かなものとは言えない事から義清の事跡を正確に語る事は今となっては不可能である。

義清の事跡が断片すら探し出せないのはその書状、発給文書の少なさにあり、現存する物は2通しか確認出来ないらしい。村上氏の信濃退去によって亡失したとも考えられるけど、発給文書に関しては受手側の物も残っていない事から文書による支配体制、領国経営の担保は存在しなかったとの推測さえ成り立つ。

後世の人達が持つ村上義清のイメージは甲陽軍鑑が全てだ。武勇に秀でた事は否定されないが、武田氏に忖度させられた義清は実在しない合戦に出陣していたり負けを演出させられたりもする。武田氏の用務日誌を元にしたとされる高白斎記の記述が最も信頼がおけるのは皮肉なところだ。

※該地は城めぐでも廻国異能の者として馴染みの深い出浦盛清の出自である出浦氏の墓所でもある。不明な同氏の居館跡だが、周辺はこれに比定されるのかもしれない。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore