丸山城(小丸山)
丸山城(小丸山)([葛尾城 周辺城郭])
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丸山城(小丸山)の口コミ情報
2022年11月28日 内記かずりヾ(・ε・。)
丸山城(小丸山)は葛尾城の西方約2.5km、女沢川北岸(左岸)、標高415.7mの河岸台地東縁端部上丘陵頂部に主郭が存します。東麓の長野県道55号線、大町麻績インター千曲線からの比高は30m位でしょか。ちなみにお城の存する小丸山は完全無欠の独立丘陵、戸倉上山田温泉の外れ、ぽこりんと可愛い小山です。
行き方はGoogleマップに位置登録されている稲荷神社を目標に設定して下さい。概ねでこの小社の鎮座する丘陵全てが城域です。
築城年代、築城者は不明です。同じ葛尾城のリア攻めマップにある安藤氏館(御屋敷)の口コミでも書きましたが、新山村誌では安坂の城主、安藤加賀守の下屋敷が入山にあり、同じ葛尾城のリア攻めマップにある入山城、丸山城(小丸山)を持分とし、住吉神社を氏神とし、後年丸山城南麓に移り子孫今日に至るとしている。坂井村誌では天文年間(西暦1532年〜1555年)に武田勢に安坂城を攻められ、城主の安坂氏は麻績氏(服部氏系て事になる。)と共に越後に逃れ、その後は青柳城城主、青柳清長の義弟、安藤加賀守が安坂城の城主となる。天正十五年(西暦1587年)、青柳氏当主、青柳(麻績)頼長は小笠原貞慶によって松本城において誘殺され同年青柳氏は滅亡するが、青柳城落城の際に安藤加賀守は塩崎に逃れたとある。
塩崎に逃れた安藤加賀守が当地に入った経緯は不明だが信濃のお城の神は屋代氏との関係を問題にしている。が、坂井村誌の記述を信ずるならば、屋代氏は天正十二年(西暦1584年)四月には上杉氏から離反、居城の荒砥城を失っているので、むしろ当時、犀川、千曲川流域の経略を一任されていた上杉氏被官、島津忠直との関係が指摘されるだろう。
お城は城域内が墓地となっている他、稲荷社が鎮座し中央公民館が建っている。本当に可愛い小山なんだけど荒砥城周辺を守るならば絶対に無視出来ない独立丘陵、地形図を鑑みれば往時は千曲川に面していたかもしれない。墓地なんかは腰郭をそのまま活用しているような趣きさえ漂う。又、主郭には半鐘付きの櫓が建っているので周辺住民に何かを知らせたりする適地だったのは間違いの無いところ…
別件を目標に車走らせてた時、何か砦っぽいなぁ…とか思ってた小山がこのお城でした。当日の目標の一つでもあったんだけど情熱が無いと訪ねる気にはなれないのも事実、マニア向けではありますね。