村上氏島館
村上氏島館([葛尾城 周辺城郭])
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村上氏島館の口コミ情報
2022年12月25日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
村上氏島館は葛尾城の南西約3.3km、標高約424mの山間部台地緩斜面上平場に存した居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されている「ともいきライフ月影」を目標に設定して下さい。該地は概ねでこの社会福祉センター西側の一帯です。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは清和源氏頼清流村上氏です。村上氏の発祥は院政期にまで遡り、頼清の子、仲宗、その子、惟清は白河上皇に仕え摂関家にも接近する等、都での活躍が見られる。が、寛治八年(西暦1094年)、惟清の白河上皇を呪詛した罪により一門は流罪となり、惟清の弟である盛清は信濃国更級郡村上御厨に流され、当地に本拠を構えて村上氏を称しました。盛清は惟清の後嗣に入り村上氏の嫡流となり、盛清の後を継いだ為国の代には子息等を更級郡の各所に配してその勢力を拡大させました。入山氏、屋代氏、出浦氏、小野沢氏、山田氏、今里氏、栗田氏、千田氏等は皆この流れである。
居館の現況は集落の一部で、耕作地、果樹園、一般住宅とその敷地等となっています。信濃のお城の神は長野県町村誌に掲載された絵図から敷地範囲を比定している。該地は盛清が配流された際の居館跡とする説が古くからあるんだそう。
白河上皇が亡くなると村上氏は都での復権を果たす。為国は崇徳上皇に仕えた他、その子息等、泰遠は崇徳院判官代、基国は高陽院判官代、八条院蔵人、惟国は上西門院判官代、後白河院非蔵人、成国は高松院蔵人、宗実は北白川院蔵人等、京での出仕が確認出来る。院政期の村上氏は正に京武者で都との密接な繋がりを築き上げていた。そしてこの繋がりが少なくとも承久の乱までの同氏に多大な影響を及ぼしていく事になる。
※写真1枚目、背景のお山が同じ葛尾城のリア攻めマップにある出浦城(自在山烽火台)っす。比高約400m、見た目程簡単には登れない。写真3枚目には葛尾城、姫城の遠景が千曲川対岸に見える。