福沢氏館
福沢氏館([葛尾城 周辺城郭])
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福沢氏館の口コミ情報
2022年12月22日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
福沢氏館は葛尾城の南西約3.6km、福沢川東岸(右岸)、標高約426mの山間部台地緩斜面上平場に存した居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されている「びんぐしの里公園」を目標に設定して下さい。車を堂々と捨てたら後はリア攻めマップで位置を確認しましょう。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは村上氏の一族と推測される福沢氏です。諏訪御符札之古書には文安五年(西暦1448年)、「塩田御射山御符札…福沢入道像何…」とあり、その後も御射山祭の頭役として、享徳三年(西暦1454年)、「塩田庄代官福沢入道儀何」、長禄三年(西暦1459年)、「左頭塩田庄福沢入道沙弥像阿」、寛正三年(西暦1459年)、「左頭塩田庄福沢入道沙弥像阿」、応仁三年(西暦1469年)、「左頭塩田庄代官福沢左馬助信胤代」、文明六年(西暦1474年)、「上増塩田庄村上知行代官福沢左馬助信胤」、文明十一年(西暦1479年)、「左頭塩田庄村上兵部少輔政清御知行代官福沢五郎清胤」、文明十六年(西暦1484年)、「左頭塩田庄村上福沢入道沙弥頭賢」、長享三年(西暦1489年)、「右頭塩田庄…村上福沢左馬助政胤」とあり、代々この時期、村上氏宗家の知行地であった塩田庄の代官であった事が判る。又、高野山蓮華院文書の宿坊契約状、伊勢神宮寄進状に福沢昌景、福沢修理亮顕昌の名が確認出来るんだそう。
居館の現況は集落の一部で、耕作地、一般住宅とその敷地等となっています。信濃のお城の神は地元住民への聞き込みによってその敷地範囲を比定している。河岸より一段高く居館が存した雰囲気は充分だと思うけど、そもそも論で周辺はそれっぽい地形が連続する。
一万円札の肖像である福沢諭吉は自らのルーツに淡白だったけど先祖は信濃を出自とするらしい。候補地は11箇所に及ぶが有力なのは更科郡村上村網掛福澤(現坂城町)と諏訪郡豊平村福澤(現茅野市)で、前者が福沢氏館の該地となる。ちなみにおいらは全国各地に散らばる一万円札の熱狂的コレクターなのでくれてやってもよいよて方は伝言して下さ…(´・∀・`)
※アプリ登録城である塩田城の遺構はこの福沢氏代官時代のものが殆どだと推測されている。