横山氏館
横山氏館([葛尾城 周辺城郭])
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横山氏館の口コミ情報
2022年11月27日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
横山氏館は葛尾城の南西約2.9km、標高約421mの山間部台地緩斜面上平場に存したと推測される居館です。山間部のほぼ中央には北東へ向けて寄合沢が流れ、敷地の西辺は概ねでこの寄合沢に沿って展開する。
行き方はGoogleマップに位置登録されている南西側の山木園を目標に設定して下さい。この造園業社から舗装道路を挟んだ北東側の一帯が概ねの該地です。ちなみに同じ葛尾城のリア攻めマップにある寄合氏館とは舗装道路を挟んだお隣さんでもあります。
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは横山氏です。信濃の山城と館2、更埴・長野編では寄合氏館と一項に纏められて記載があります。位置関係からか横山氏は村上氏の庶流、寄合氏の分流と推測されています。が、長きに渡る更級郡における村上氏の流れを体系的に語る事すら殆ど不可能だし、ましてや早い時期から派生、発展していった多くの一族の事となればそれを一元的、単純に語る事は尚更である。鎌倉幕府時代の村上氏(吾妻鏡から突如としてその名が消える。)ですらwikiの記述も曖昧で多くの憶測を含む(例として…「鎌倉時代末期の村上氏当主村上信泰は、祖先が承久の乱に参陣しなかった事が響いて、幕府内では忘れられた存在であったとされる。歴代の村上氏は鎌倉幕府に恩顧の意識はなく、逆にその勢力を認めない幕府に不満を募らせていたと思われる。」…実際は承久の乱以降も鎌倉幕府の御家人としての活動が多岐に渡って確認される。吾妻鏡から村上氏の名が消えるのは鎌倉幕府の中枢から外れた事のみを意味する。)。同時代における村上氏については「信濃村上氏フォーラム〜ふるさとの村上氏をめぐって〜」の中に詳しいので村上義清ファンは参照するがいいさ、ネットで拾えます。
居館の現況は果樹園、空地、一般住宅とその敷地等となっています。が、縄張図を見ると「横山氏館推定地」とあるので信濃のお城の神が導き出した比定地て事になる。今は誰がお住まいなってるのかなとか思って表札を確認しよとしたけど何処にも見当たらない。突撃お宅訪問も今回は無し。
ここ最近は地方史の沼にどっぶり浸かりまくる毎日、脱出出来ません。美少年として今まで美容とファッションの事しか興味が無かったおいらですが、新たな勉強の機会を与えてくれる居館廻りが今では大好きに。