安藤氏館(御屋敷)
安藤氏館(御屋敷)([葛尾城 周辺城郭])
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安藤氏館(御屋敷)の口コミ情報
2022年11月24日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
安藤氏館(御屋敷)は葛尾城の西南約2.9km、女沢川東岸(右岸)、日影沢西岸(左岸)、標高約428mの山間部台地緩斜面上平場に存した居館です。女沢川と日影沢の間には安藤沢と呼ばれる小沢も流れていますが、敷地の西辺は概ねでこの安藤沢に沿って展開する。
行き方は…リア攻めマップを参照して下さいまし。こんなんマップコード以外で上手く説明出来ませんわ…敷地の範囲は結構広いので該地の特定には時間を要する。
築かれた年代は不明、お住まいになられていた方は安藤氏です。長野県町村誌には「源頼信五代の孫、安藤太郎長基居住せしと云ふ。其男高松院蔵人成基、其男兵庫介基重、其男業基あり。其後世水戸藩士たり。」とある。他にも諸説あるらしいのだが、単純に言えば清和源氏村上氏流の安藤氏で、安藤氏が此処に居していた事から安藤の地名が付いたんだそう。高松院蔵人は高松院の家人を意味するから在京だったのかもしれんけど。
居館の現況は耕作地、空地、一般住宅とその敷地等となっています。前述のとおり敷地の範囲は広大、且つ周囲よりも一段高くなっていて、安藤沢の流れが往時と変わらないとするならばそれなりの要害地形を今も保っている。
新山村誌では安坂の城主、安藤加賀守の下屋敷とし、同じ葛尾城のリア攻めマップにある入山城、荒砥城のリア攻めマップにある丸山城(小丸山)を持分とし、住吉神社を氏神とし、後年丸山城南麓に移り子孫今日に至るとしている。該地は入山城の直下、北西麓でもあり、住吉神社の旧跡が至近に存するそうなのでこの説も正しいように思える。
同じ葛尾城のリア攻めマップにある入山氏館(太郎様)の敷地には「太郎様」の字地名が残る。何となくだけど、この太郎は安藤太郎長基の事なんじゃないのか。長野県町村誌では入山氏の祖、基輔を太郎基輔(系図上は五郎っす。)としているが、基輔は二男とされているので太郎とは呼ばれない(やっぱし普通に次郎だろう…)筈、考えれば考えるだけ疑問が湧いて来る…そう、地方史の沼ってやつですわ。