入山氏館(太郎様)
入山氏館(太郎様)([葛尾城 周辺城郭])
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入山氏館(太郎様)の口コミ情報
2022年11月22日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
入山氏館(太郎様)は葛尾城の西南約4.3km、日影沢西岸(左岸)、標高約607mの山間部台地緩斜面上平場に存した居館です。周囲との比高差は無いが標高1204mの八頭山前衛山塊の北方裾野でもあり、荒砥城の主郭部より標高はやや高い事になる。
行き方は…リア攻めマップを参照して下さいまし。こんなんマップコード以外で上手く説明出来ませんわ…該地の特定はすんなり出来たけど…
築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは入山氏です。長野県町村誌には「…寄合惟信の舎弟、太郎基輔居住し、地名を以て氏を入山と称す。其男次郎基村、小次郎惟基、三郎頼兼等あり。後事跡不詳。」とある。上山田町誌には「寄合二郎延時の二子六郎基輔村上郷荒山(新山)の入山に分知し入山氏を称し、入山地方を領した。」とある。又、同誌は下屋敷等の存在も伝えている。
入山氏は基輔の子、基時、その子実村、その子蔵人六郎信村に至って勢力を伸張させ埴科郡森村へ進出、村上氏の有力被官として発展する。入山に残った新山入山氏は同じ葛尾城のリア攻めマップにある入山城を要害としたが、村上氏の信濃退去に伴い落去したんだそうだけど…
…村上氏の一族である事は間違い無いと思われる。が、村上氏は承久の乱以降の事跡がはっきりしていない。世間一般に流布した系図も再考が必要で、町村誌、町誌の記述にも一次資料による裏付けは無く課題を残す。入山氏の系図上の初見は村上為国の三男、信次の二男、入山五郎基輔で、長野県町村誌の記述がこれに近い事になる。ちなみに為国の四男、安信の系統が後の村上義清に通じているが、建武の新政以降に本流となったその経緯さえはっきりしない。
居館の現況は耕作放棄地となっています。居館の敷地は農道によって南北に分断され、敷地の大部分は現在窪地となっています。何でなのかは知らんけど。ちなみに別称にあるとおり該地には「太郎様」て言う字地名が残ります。
この山間部において人の住まう場所としては最上段に当たると思います。居館の東辺直下を流れる日影沢の水は要害とされる入山城に堰路を用いて導水されていたとの伝承が残っていて、今も入山城には堰路の残滓と思われる土塁状の土の高まりを確認する事が出来ます。入山城は居館よりも低い標高にある要害て事になりますね