若宮八幡宮館

若宮八幡宮館([荒砥城  周辺城郭])

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若宮八幡宮館の口コミ情報

2022年11月29日 内記かずりヾ(・ε・。)


たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

若宮八幡宮館は荒砥城の北東約1.0km、千曲川西岸(左岸)、標高約376mの河岸台地上平場に存した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されている佐良志奈神社を目標に設定して下さい。この神社の境内が該地となっています。名称にある若宮八幡宮はこの神社の事で、正式名称を佐良志奈神社若宮八幡宮ていうらしい。

築かれた年代、お住まいになられていた方はとりま不明です。八王子山山頂に鎮座していた佐良志奈神社(祭神は仁徳天皇)は仁和三年(西暦887年)の地震により崩落し、麓の若宮八幡宮に合祀された経緯を持つ。信濃のお城の神は史料、伝承等は不明とし、戸倉町誌では南北朝時代の宝筐印塔(逆修塚、逆襲塚とも。)が現存する事からその時代にまで遡るものとし、館の規模から在地国人領主層のものであろうと推測している。

この宝筐印塔の台座には「信州若宮永和二年丙辰六月十五日契約従衆四五人」と刻まれているそうだけど、逆修塚とは死ぬ前に建てられるお墓の事らしく、戦に出る前の決意とか覚悟を表すものなんだろうか。若宮八幡宮館の主についてあっさりと答えを出しているのが佐良志奈神社由緒を記した現地説明板で、「正平年中(西暦1346年〜1370年)後醍醐天皇の皇子宗良親王御潜居のおり暫時御所とした、」とある。説明板は逆修塚をその際のものとし、親王が若宮八幡宮館の主である根拠にと求めているが、台座の永和二年(西暦1376年)の年号と合わず、そもそもが説明板上での矛盾を抱えている。

居館の現況は神社とその境内等となっています。該地は長野県道55号線、大町麻績インター千曲線と長野県道77号線、長野上田線の重複点(佐良志奈神社前交差点)西側の平場で、交差点は千曲川を渡る大正橋の袂でもある。広い境内を持つ神社としか言いようがないが、境内の西辺と北辺の一部に土塁の残滓が今も残る。又、信濃のお城の神は無視してるけど東辺には長大な土塁様地形が確認出来るのだが…

難しい事書きましたが該地は国道18号線から大正橋を渡った戸倉上山田温泉の入口に当たる。昭和感MAXなディープスポット満載の温泉街に来る事がありましたら立ち寄ってみるのもいいさ。

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