築地御所

築地御所([荒砥城  周辺城郭])

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築地御所の口コミ情報

2022年11月20日 内記かずりヾ(・ε・。)


たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

築地御所は荒砥城の北西約3.0km、雄沢川北岸(左岸)、標高約396mの河岸台地上平場に存した御所です。該地は有名な冠着山(姥捨山)前衛山塊の北麓に位置し、雄沢川は冠着山北西麓を水源とする。

行き方はGoogleマップに位置登録されている南側の工場、テクノ・シンエイを目標に設定して下さい。この工場とその周辺が「築地」の字地名を残す概ねの該地です。ちなみに同じ荒砥城のリア攻めマップにある堂城山砦が西側直上に控えています。

築かれた年代、お住まいになられていた方は不明です。長野県町村誌には「…四境石積あり、又堀井戸等ありしに中古是を潰す。中古該地を穿ちて陶器、茶臼の欠たるを出す。往古高貴の人の居址ならんか、今其伝を失ふ。」とある。御所と呼ばれる場所に住する事が出来るのは限られた身分の方だけなんだろう。

御所の現況は耕作地、空地、工場、一般住宅とその敷地等となっています。信濃のお城の神は「築地」の字地名の範囲と比して、長野県町村誌で記された築地御所の敷地範囲が狭い事を指摘しています。又、正確な場所を特定出来なかったとも言っている。遺構は明治時代初頭の時点で既に消滅している訳だけど、出土したものを掻き集めた石塚が残っているんだそう。どれがそうなのか知らんけど…

南北朝時代の南朝方の忠臣、宗良親王は約三十年間に渡り伊那郡大河原を拠点として活動し、「信濃宮」と尊称される程信濃とは縁が深い。親王は更級郡を在所としていた時期もあったようで、李花集にはその際に詠まれたとされる歌が何首か収められている。築地御所がこの宗良親王の在所だったとは思わないが想像と浪漫を掻き立たせてはくれる。更科、姥捨の月を愛でた親王は都から遠く離れたこの地で何を思ったのか、親王は「諸共に姥捨山を越えぬとは都に語れさらしなの月」とエモく詠んでたりもするんだけど、これ書いてるおいらはどういう意味なのか解っている感じを装っていて実は殆ど意味が解っていなかったりするので注意です。

※俗称で姥捨山とも呼ばれる標高1252mの冠着山だが、姥捨山と冠着山を同一視する見解は明治期に入ってからの話、お山は姥捨山伝説で知られるが、何故このように呼ばれるのかは前述の見解も含めて諸説入り混じって永遠に決着を見ない。詳しくはwikiを参照するがいいさ。

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