生島足島神社
生島足島神社([塩田城 寺社・史跡])
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生島足島神社の口コミ情報
2021年02月15日 内記かずりヾ(・ε・。)
生島足島神社は塩田城の北東約3.1km、標高約471mの平野部平場に存する池心の宮形式の神社です。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。駐車場所に困る事は無いでしょう。
自分寺社は全くの門外漢で「赤い、歴史が古い。」以外に引き出せるものが無いのですが、なんでこの神社を紹介するのかと言うと、信濃の歴史を調べる上で必ずぶち当たる国指定の重要文化財「生島足島神社文書」94通が収蔵されているからなんです。有名な人物の物としては武田信玄安堵状・願文、真田昌幸朱印状、真田信幸朱印状・寄進状等がありますが、何と言っても94通の内の83通を占める起請文にかずりは大興奮!
この起請文は永禄九年(西暦1566年)から永禄十年(西暦1567年)の間に出されたもので、内容は武田氏への忠節を誓わされ破ると大変な神仏罰を受けるよみたいな感じです。武田氏家臣団、及び被官化した国人領主とその家臣団の一部が対象で総数237名の者が名を連ねています。提出は連名の物もありますが概ね個別で行われ、この時期の武田氏の家臣団、被官を知る上でこれ以上の物は無いて感じの文書です。マイナーで聞いたことも無い者ばかりですが、幸いな事にお城目線から地方史を学ぶかずりは「あぁ、○○城の○○さんね!」等と勝手に盛り上がれますw
起請文がこの時期に集中して出された理由は、武田義信事件の前後に当たる事からその動揺の引き締めを図ったものとの見方が有力です。駿河攻めが行われたのは永禄十一年(西暦1568年)、起請文が出された翌年になります。
お城好きにとってそのお城の歴史や背景、人物を知る事は何よりの喜びです。ただの土の城もそれを知ることによって何倍にも魅力的なものに跳ね上がります。そして多くのお城を実際に訪ねる事によって通説や確定事実に対して多くの疑問を持ったりもします。そう!城廻りとは歴史のフィールドワークなのだ!新たな視点を求めて行こうぜ〜
※全文書はネットで簡単に閲覧出来ます。何状かには訳文もあるので興味を持ちましたら是非〜
※写真は1枚のみ…だって夜だったからw