吉野町館(堀の内)

吉野町館(堀の内)([平瀬城  周辺城郭])

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吉野町館(堀の内)の口コミ情報

2022年08月15日 内記かずりヾ(・ε・。)


たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

吉野町館(堀の内)は平瀬城の西方約2.8km、標高約560mの平野部平場に存した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車はそこら辺に捨ててOK♪レベルです。

築かれた年代は不明(発掘調査の出土品から武田氏時代にまで遡る事は出来ないらしい。)、お住まいになられていたのは仁科氏の一族、日岐丹波守盛武と推測されています。盛武は生島足島神社文書に残る堀金盛広等連署起請文中に他の仁科系諸氏と共にその名が見られる日岐盛次の二男で、武田氏滅亡後は兄である盛直を助け上杉氏の合力を得て生坂谷の旧領を回復、信長横死後は府中を回復した小笠原氏と戦い敗れこれに降りました。小笠原貞慶は筑摩郡八幡に逃れた盛武の出仕を望み、穂高内膳に嫁していた盛武の妹を捕えて盛武と内膳を説得させたが不首尾に終わり、結果として貞慶は北山、日岐山、犬穴、堀の内、一日市場、本領吉方(乃)の総計二百三十貫文の給地を宛行い併せて起請文を両名宛てに差し出しています。これ以後、盛武は本領吉野に居していたと推測されますが疑問も残すところでして、同じ平瀬城のリア攻めマップにある吉野堀屋敷に居した丸山氏と給地の一部(吉野郷)が重複する問題(居館も近接する。)が発生します。日岐氏は盛武の代より以前一時期中絶し、同族でもある丸山政友の子、筑前守盛教(盛武の祖父に当たる。)が日岐氏を称した経緯が過去にはあったりしますが…

居館の現況は「元屋敷(堀の内)」の地名を中心にほぼ水田となっています。この水田には元々屋敷が建っていたそうですが、火災に遭って焼失、屋敷は堀形を挟んだ水田の西側の一画に再建されたそうです。居館の標柱はこの現在一般住宅の敷地内に残る土塁の残滓上に立っていますが、周囲は雑木で覆われていて見せる気はゼロとなっています。ちなみに日岐氏の居館としての存続期間は10年に満たないと思われます。

地方史は数少ない一次資料等の断片を掻き集めて成立するものですが、多くの場合、事由、背景や経過が不明、且つ疑問点は解き明かされる術を持ちません。これに関して阿保♪の自分は常に沼状態に陥ってますわ…

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