吉野堀屋敷

吉野堀屋敷([平瀬城  周辺城郭])

平瀬城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「吉野堀屋敷」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

吉野堀屋敷の口コミ情報

2022年08月14日 内記かずりヾ(・ε・。)


たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

吉野堀屋敷は平瀬城の西方約2.8km、標高約556mの平野部平場に存した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。「吉野の堀屋敷」で登録があります。周辺は車を捨てられないので捨て場所を見つけたら徒歩でお願いします。

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは丸山丹後守です。丸山氏のうち丹後守を名乗った方は二人いますが親父の方に当たると思います。同氏は仁科氏の一族で日岐丸山の地を出自とし、明応年間(西暦1492年〜1501年)、永正年間(西暦1502年〜1520年)何れかの間に経緯不明なるも当地に移り住みました。平瀬城城主、平瀬氏の寄子同心となり、丹後守の父、兵庫守?(兵庫頭の誤伝かと…)は天文二十年(西暦1551年)、武田氏による平瀬城攻めで同城に籠城して討死、丹後守は和泉に逃れ永禄五年(西暦1562年)卒、その子、丹後守政勝は吉野郷に環住したようで、後には府中を回復した小笠原貞慶に出仕したそうです。天正十八年(西暦1590年)の小笠原氏改易には同道せず、郷士となって石川氏に出仕、郷士になっても当地を捨てる気には全然なれなかったようですね。この時代の主従関係なんてそんなものでしょう、その選択は往時の常識からして全く正しいと思います。

居館は周囲に堀を巡らせた方形居館の縄張ですが、西辺の空堀とその内側の土塁が実によく残っていて感動すら覚える。明治二十三年(西暦1890年)の地籍図によると、西南北辺に堀と土塁が残り、東辺には堰が通っていたようです。ちなみに該地には今も丸山さんがお住まいです。

リア攻め的には敗北しました。丸山さん宅を訪ねると全力で留守だったので仕方無く居館西側の舗装路上をうろちょろしてると、近所の方と思われる御婦人が車で通り掛かり窓を開けてこちらをじろじろ…写真1枚だけ撮って急いで退散しましたが、結構離れてからも暫くの間ストークされ続けました。求めて産まれて来た訳ではないけれど美少年てやっぱし大変な職業だなと思いました。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore