下之城居館
下之城居館([望月城 周辺城郭])
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下之城居館の口コミ情報
2022年09月10日 内記かずりヾ(・ε・。)
たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜
下之城居館は望月城の北西約5.3km、鹿曲川東岸(右岸)、蛇行する鹿曲川に短冊状に張り出す標高約577mの河岸台地上平場に存した居館です。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車は自身の責任においてそこら辺に捨てましょう。
築城年代は不明、お住まいになられていたのは滋野三家の一つ、望月氏です。同氏が同じ望月城のリア攻めマップにある望月氏城光院館に住する以前の城館、本拠だったと推測されています。望月氏については望月氏城光院館等を参照して下さい。武田信玄の同母弟、典厩信繁の庶子にして長男である信頼(生母は望月氏当主、盛昌の娘でした。)が養子に入る程の名族でありました。
居館は謂わゆる単なる屋敷跡とは違うもので、要害地形を充分意識した選地、東は諸沢の流れが北から南へと斜行し鹿曲川へと流れ込み「御前淵」の淵となり、西南北は崖地を介して鹿曲川を臨む。地形図を見れば一目瞭然だけど河岸の独立した低台地で、城域東端は横堀状の堀切を介して馬出様の郭を持つ。城域である「城」の地名を残す台地上は耕作地、耕作放棄地、墓地、一般住宅とその敷地等となっていて細部は失われているけど、土塁の一部が今も健在、土塁上には標柱と説明板が立っていますが見に来る人の事を全く考えていません。
改変はされてるんだけど居館城の縄張を今によく残していると思います。信濃十六牧の筆頭だった望月牧を支配した望月氏、木曽義仲の挙兵はこうした信濃の国人領主抜きにしては到底成し得なかった事でしょう、望月氏はその中核の一つ(木曽義仲四天王の一人、宇治川の戦いで先陣を焦った畠山重忠の馬を射たとされる根井行親は望月氏の一族でした。)でした。何も残って無いじゃんとか言わないでくれ…居館城故、その土台は往時と大して変わりが無い。望月の駒が繋がれたであろう城館の面影を今に垣間見る事が出来ます。