陣場
陣場([望月城 周辺城郭])
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陣場の口コミ情報
2022年09月08日 内記かずりヾ(・ε・。)
陣場は望月城の西南約4.4km、標高946mの山塊山頂から北方へ延びる尾根上、標高約929mのピークの一つを中心に城域が存します。北麓の芦田城主郭からの比高は120m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されている立科ゴルフ倶楽部を目標に設定して下さい。クラブハウス駐車場の北側山林が該地です。構内は関係者以外立入禁止なのでゴルフパックとか担いで関係者を装いましょう。
信濃のお城の神本、信濃の山城と館1、佐久編に記載があるので訪ねてみましたが、その名称のとおり芦田城攻めで利用された陣城の類いと推測されています。陣城と言うのも憚れる地山のレベルなので悪しからず…
口コミは以上となりますが、それだけではあんまりなので芦田氏について解る範囲で…
芦田氏の歴史を調べているとガチに混乱しまくり、その主な要因は地理的なものと芦田姓を名乗ったとされる氏族が複数に及ぶ事にあると思います。芦田姓を名乗った氏族は大別すると二氏となり以下のとおり。素人の阿保が理解しようと努力したものなので間違ってたらごめんなさい。
・鎌倉時代から永享八年(西暦1436年)までの滋野氏系芦田氏、信濃守護小笠原政康の征討を受けた芦田下野守を依田氏の一族とせず、単純に芦田郷に拠った滋野氏の分流とすれば話はすっきりする。ちなみに依田氏の系図、系譜に下野守は存在しない。
・永享八年以降の依田氏系芦田氏、信濃守護小笠原政康に従って共に滋野氏系芦田氏を滅ぼし、隣接する甕(茂田井)郷を恩賞に受けた米持氏と同様に、依田氏が芦田郷をこの際の恩賞として得たものとすれば話はすっきりする。在府で室町幕府の評定衆、奉行衆を歴任した依田氏だが、当時幕府に恭順の姿勢を示す守護方、大井氏の被官化(一族は室町時代には佐久郡平原等に所領を得ていた。)が進んでいた事実を考慮すれば、箱山城、善正城を築いて将軍家の不興を買ってまで大井氏との対抗姿勢を強めた芦田下野守を依田氏の一族とするのは無理がある。従って同じ望月城のリア攻めマップにある善正城の伝承等も何らかの誤伝である可能性が高い。
何れにせよ各資料等では決着を見ない。芦田氏に関する事柄は誤記や誤伝、混同が多いようで、解釈がその都度変化するように思える。芦田氏の歴史なんて多くの方にとってはどうでもよい事だけど信濃の地方史はおいらの趣味なんで。