式部の館(布施式部館・坪ノ内)

式部の館(布施式部館・坪ノ内)([望月城  周辺城郭])

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式部の館(布施式部館・坪ノ内)の口コミ情報

2021年11月06日 内記かずりヾ(・ε・。)


たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

式部の館(布施式部館・坪ノ内)は望月城の南東約3.4km、布施川の西岸、標高約730mの山間部河岸段丘上平場に存した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。が、ピンは2つあって、「布施式部館跡」、「式部居館跡」とそれぞれ違う名称が付与されています。

築かれた年代は不明ですが、お住まいになられていたのは望月氏の一族、布施氏と推測されています。布施氏は系図上、望月氏の祖となった望月則重(則広)の曾孫(布施惟俊)の代からその姓が見られるようになるので、望月氏の中でも矢嶋氏と共に最初期の庶流であったようです。これにより居館は鎌倉時代には既に存していたと推測されてもいますが、自分は少なくとも居館の存在時期は二期に分かれ、館の主もそれぞれ違っていると考えます。

この地域の勢力関係を伺い知り得る資料は皆無に等しいのですが、自分が考えている二期とは、鎌倉時代から少なくとも南北朝時代〜室町時代前期の布施氏、そして中先代の乱後、望月氏が衰退した室町時代前期から戦国時代(もしくは武田氏による佐久攻め以降でしょか。)までの依田氏〜阿江木依田氏、相木(あいき)氏の二つです。

理由はたぶんこの居館の詰城として機能していたと思われる式部城(佐久じゃ現況No.2の素晴らしさ…山城好きならきっと感動するよ〜)の存在でして、戦国時代後期まで利用が続けられたと想像出来る縄張は少なくとも望月氏一族の築くお城じゃないぜ〜

居館は土塁囲みで方形だったと思います。一枚岩をくり抜いた井戸跡が残ってるらしいのですが、下草が生い茂っていて探せませんでした。土塁は北辺でしっかり残っています。

式部の館と式部城を訪ねると頼んでもないのにガイドが付いて来ますw居館の西側にお住まいの農家の方なんですが、作業を中断して式部城の段郭まで案内してくれました。凄く優しいおっさんですw自分だけかと思ったら先日遠州の城友さんも案内を受けたし、先人様のブログにも記述がありましたのできっとこの方の楽しみなんでしょう。お陰様で気持ちよくリア攻め出来ました。この方の家伝によると式部城の城主は相木氏だったとの事…又、式部の館の西辺には堀跡と判る窪みが幼少期まで残っていたそうです。お話ありがとう。

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