天神城(天神林城・高呂城)
天神城(天神林城・高呂城)([望月城 周辺城郭])
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天神城(天神林城・高呂城)の口コミ情報
2021年10月24日 内記かずりヾ(・ε・。)
天神城(天神林城・高呂城)は望月城の南西約1.4km、鹿曲川と八丁地川に挟まれ、その合流点に向けて緩やかに南北に延びる標高約738mの舌状台地北辺端部上平場に主郭が存します。北西麓の長野県道151号線からの比高は25m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。
築城年代、築城者は不明ですが、存在時期は大きく二期に分けられていたと推測されており、一期を文明十一年(西暦1475年)、伴野氏が大井氏との戦いに勝利し舌状台地上最端部に城郭を構築した時期、二期を天文十八年(西暦1549年)武田氏被官として依田信次が春日の城を再興した時期とし、この春日の城が天神城に比定されています。又、城主としては依田小隼人の名が挙げられていますが、伴野氏からの改姓があった人物だったそうです。
信濃のお城の神本(信濃の山城と館)はマジックを持っていて、読者は信濃のお城の神が描いた縄張図と俯瞰図に誘発されて抜け出せない道を突き進むのですが、逆のマジックも当然持っています。それはこれらの素晴らしさと現況がしっくり来ない事でして、天神城はこの範疇に入る代表的なお城なんです。往時の縄張は凄い(11条の堀切と竪堀が舌状台地をぶった斬る。)けど、北端を除く元々幅広で広範な南向きの舌状台地上は耕作地にぴったり…城域には他に雑木林、墓地、農作業用倉庫、菅公神社等に有効活用されてたりしてお城が全然入って来ない!改変を多く含んでいるんです。残っている堀切はそのまんま墓地に利用されてたり、雑木林は人が入って行けない密度の藪だし…全体的な印象はただの畑地です。
…ネガティブな事書きましたが、その雑木林の北側、城域北端には実に素晴らしい堀切+竪堀、堀切1条が残ってます。お城の西北麓、長野県道151号線側から簡単に直登出来るのでこれだけはお願いしたいところです。