山吹小城

山吹小城([高島城  周辺城郭])

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山吹小城の口コミ情報

2022年05月11日 マイ兵庫助リバ【人間豚骨】


山吹小城は3つの曲輪と4つの堀凹から成る連郭式の城です☺️

500m北側に位置する山吹大城と比較すると、単純な縄張りであり、同城の南西部を補強する出城的に機能していたのではないかと思われます🤔

駐車場🅿️は水月公園を利用してもさほど歩きませんが、下諏訪町清掃センター付近(センター営業時間中は持ち込み車両もあることからおすすめしません)も路肩が広くなっており、そこに停めれば西側尾根をヒョイと上がるだけで城域に突入できます😚

〜以下、現地解説板より〜

山吹城跡

山吹城は諏訪大社下社の大祝であった金刺氏によって築かれた城とされている。
金刺氏の居城は下社秋宮の背後に築かれた桜城とされていたため、山吹城は有事の際の詰め城とされており、前方に小城があり、後方に本城である大城が構えられていた。
築城時期については定かではない。
金刺氏は、「中先代の乱」、「桔梗ヶ原の合戦」、「大塔合戦」などの抗争を経て、諏訪大社上社の大祝を務めていた諏訪氏との間に、政治姿勢の相違が重なり、対立していった。
やがて上社と下社は武力衝突し、上社勢が下社を攻め、社殿を焼き払う結果となった。
その後も上社と下社の抗争は続いたが、おおむね下社の劣勢であり、衰退の一途にあった。
永正15年(1518年) 諏訪頼満が、金刺昌春が籠城していた萩倉の要害へと攻め入った。
この萩倉の要害が山吹城の大城ではないかと推定されている。
上社大祝家に伝わる 「当社神幸記」によれば、萩倉要害は自落して、一類の面々家風ことごとく断絶、没落したとある。
ここに、金刺氏の没落は決定的となったとされている。

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