神林氏館(福応寺館)

神林氏館(福応寺館)([井川城  周辺城郭])

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神林氏館(福応寺館)の口コミ情報

2022年03月02日 内記かずりヾ(・ε・。)


たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

神林氏館(福応寺館)は井川城の南西約4.8km、標高約620mの平野部平場に存した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されている福應寺を目標に設定して下さい。お寺さんは居館跡に建てられました。

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは神林氏とされています。同地の神林氏は天正年間(西暦1573年〜1592年)に茶儀で徳川家康に仕え、慶長五年(西暦1600年)、関ヶ原の戦いの際に伏見城に籠城して討死したらしいんですが名の方は伝わっていません。が、長野県町村誌に同氏の居館は福応寺の側に存したとの記述があるらしく、神林氏が居館の主ではない可能性も多分に含みます。それよりも同寺の建つ場所は鎌倉時代の高名な臨済宗の僧(信濃のお城の神本は誤認がある。)、法燈禅師もしくは法燈円明国師生誕の地として知られ、同僧は神林郷の地頭、常澄兼久(恒兼久)の子である事から単純に常澄氏の居館であったとは言えないんでしょかね。又、神林郷の地頭として信府統記には上神林に平野刑部、下神林には神林右京進長久なる者があったようですが、福應寺の縁起によると平野刑部は承安三年(西暦1173年)に相州鎌倉より当地の守護神として鶴岡八幡宮を勧請した際、その本地である阿弥陀如来を安置するために別当寺として穂屋野山曼荼羅寺を現在の福應寺の南方に建立したそうです。

居館の現況は寺院です。敷地は方形で周囲には水路が巡っています。土塁の断片が南辺の一部に、残滓が西辺の一部に残ります。西辺の土塁について住職にお話聞いたら、「先代が平らにしたくて結構削っちゃったんだよね〜」と明るく言われちゃいました。が、南辺の土塁は結構しっかり残っていて、生垣に隠れているとはいえこの部分はほぼ往時のままであると言えるでしょう。

福應寺が松本藩内で吹き荒れた廃仏毀釈から逃れる事が出来たのは上神林村が御料所であった事に起因すると思われます。寺社の歴史は当地の歴史と密接な関係を持っています。寺社仏閣には到底興味を持ち得ない自分ですが、この点に関しては興味が湧きますね。マニア向け。

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