河尻城(かわしりじょう)
河尻城の基本情報
通称・別名
- 川尻城、川尻外城、河尻白鷺城
所在地
- 熊本県熊本市南区川尻4
旧国名
- 肥後国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 河尻実明
築城年
- 建久元年(1190)
主な改修者
- -
主な城主
- 河尻氏、甲斐氏、嘉悦氏(加藤氏家臣)
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
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中世の城は山城が多いが、川尻城は平地に築かれた平城である。従って南は加勢川を利用し、他は水濠を掘って防衛したのであろう。
城主河尻氏は、左大臣源高明7代目の実明が、鎌倉初期の頃、地頭として下り、城を築いたことにはじまると言う。しかし史実の明らかなのは、大慈寺創建を外護した泰明の他、幸俊・実昭くらいで、室町中期以後衰えながらも、戦国末までは続いた。
加藤清正は嘉悦飛騨を城代としたが、忠広のとき廃城となり、細川氏は城跡を御茶屋(別荘)と藩庫にした。