河尻城(かわしりじょう)

河尻城の基本情報

通称・別名

川尻城、川尻外城、河尻白鷺城

所在地

熊本県熊本市南区川尻4

旧国名

肥後国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

河尻実明

築城年

建久元年(1190)

主な改修者

主な城主

河尻氏、甲斐氏、嘉悦氏(加藤氏家臣)

廃城年

元和元年(1615)

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

木原城(熊本県熊本市)[4.9km]
隈庄城(熊本県熊本市)[5.4km]
上代城(熊本県熊本市)[5.4km]
宇土城(熊本県宇土市)[7.4km]
熊本城(熊本県熊本市)[7.8km]
健軍陣内城(熊本県熊本市)[8.0km]
曲野城(熊本県宇城市)[9.2km]
柿原城(熊本県熊本市)[10.3km]
御船城(熊本県上益城郡)[11.5km]
亀井城(熊本県熊本市)[11.9km]

河尻城の解説文

川尻町外城の一帯で、南は加勢川、東は川尻町公会堂・古城神社から川尻小学校付近まで、ここから鹿児島本線を越えて、西は天明町境の乾角付近までの東西500メートル、南北250メートルの地域であったと推定される。

中世の城は山城が多いが、川尻城は平地に築かれた平城である。従って南は加勢川を利用し、他は水濠を掘って防衛したのであろう。

城主河尻氏は、左大臣源高明7代目の実明が、鎌倉初期の頃、地頭として下り、城を築いたことにはじまると言う。しかし史実の明らかなのは、大慈寺創建を外護した泰明の他、幸俊・実昭くらいで、室町中期以後衰えながらも、戦国末までは続いた。

加藤清正は嘉悦飛騨を城代としたが、忠広のとき廃城となり、細川氏は城跡を御茶屋(別荘)と藩庫にした。

情報提供:熊本市


河尻城の口コミ情報

2023年08月23日 ファン掃部助トム治郎
河尻城



熊本藩の貿易湊として発展したようです。散歩コースがありました。

2022年02月05日 もっこす肥後守
河尻城



ゲートボール場併設公園です。遺構は分かりませんでした。

河尻城の周辺スポット情報

 町奉行所と御茶屋跡(遺構・復元物)

 トイレ(トイレ)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore