朝倉城(あさくらじょう)

朝倉城の基本情報

通称・別名

重松城

所在地

高知県高知市朝倉字城山

旧国名

土佐国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

本山茂宗

築城年

大永年間(1521〜1528)

主な改修者

主な城主

本山氏

廃城年

永禄6年(1563)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸

指定文化財

県史跡(朝倉城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

井口城(高知県高知市)[3.6km]
吉良城(高知県高知市)[4.6km]
木塚城(高知県高知市)[4.9km]
高知城(高知県高知市)[4.9km]
潮江城(高知県高知市)[5.2km]
森山城(高知県高知市)[6.5km]
波川玄蕃城(高知県吾川郡)[7.2km]
蓮池城(高知県土佐市)[8.7km]
浦戸城(高知県高知市)[10.3km]
布師田金山城(高知県高知市)[11.6km]

朝倉城の解説文



朝倉城(あさくらじょう)は、高知県高知市朝倉にあった日本の城。別名重松城。高知県指定史跡[1]

概要 

高知市西部、高知大学西側の標高約100メートルの丘陵上に位置し、頂上のおよそ2000平方メートルの平坦地を本曲輪とし、周囲にも出丸を築いていた[2]

本山城主・本山茂宗は、大永(1521~1527)年間に土佐中央部に進出した。朝倉城築城は天文元年(1532年)頃とも言われている[3]。その後、長宗我部氏や土佐一条氏と土佐国の覇権をめぐって争い続けた。

永禄5年(1562年)には長宗我部元親が3,000人の兵を率いて当城を攻め、本山茂辰はこれを撃退した。しかし翌永禄6年(1563年)に本山城に退去した際に当城は焼かれ、廃城となった。

1953年(昭和28年)1月29日、高知県指定史跡に登録された。

現地情報 

所在地

  • 高知県高知市朝倉丁546

アクセス

  • JR土讃線朝倉駅、またはとさでん交通伊野線朝倉駅前停留場から徒歩約15分
  • とさでん交通伊野線朝倉神社前停留場から徒歩約8分
  • とさでん交通バス「朝倉神社前」バス停下車、徒歩約8分
  • 高知自動車道伊野インターチェンジより県道386号経由で約3.0km。

参考文献 

  • 日本歴史地名大系 (オンライン版)

朝倉城の口コミ情報

2022年02月13日 RED副将軍
朝倉城



土佐を代表する山城のひとつ。
迷路の様に空堀が二重三重に巡ります。

オススメ度 ★★★★★

大永年間(1521年〜1527年)に、本山清茂によって築城。土佐中央部支配の拠点として築城しました。
1560年より長宗我部氏との衝突が激化。
1562年に#長宗我部元親 による侵攻に対し、本山茂辰は撃退するも、周辺の諸豪族が長宗我部氏に降ったこともあり、翌年に城を焼き払い本山城へ退去しました。

見所
標高102mの城山山頂に詰ノ段を置き、東南下にニノ段、三ノ段を、西側に堀切を挟んで詰西ノ段を配した縄張りです。
圧巻なのは、周囲を二重三重に囲む空堀と土塁、至るところにある大規模な竪堀です。石積みも随所に確認できます。
詰めの段下に石組みの立派な井戸もありますが、後世の積み直しとのこと。

登山口近くに駐車場はありませんのでご注意下さい。道も狭いので麓に駐車するのが無難です。駅近くに停めて歩きました。
登山口は複数ありますが、分かりやすいのは高知大学の西側の道路に登山口の案内板があります。住宅街を抜けて10分くらい登ると西登城口に辿り着きます。
駅からでも西登城口まで歩いて15分位です。

2021年03月27日 刹那F精鋭渡島守【感謝】
駐車場[朝倉城  駐車場]



公民館ですが、住民のかたに聞くと公民館も借りているので駐車はご遠慮ください、とのことでした。気をつけて❗

2020年03月10日 織田上総介晃司
朝倉城

朝倉城の駐車場は無く、公民館(勿論許可を得て)か駅周辺に停めるようになります。

高知屈指の山城で、詰ノ段・西詰ノ段の2つが主郭の規模の曲輪。
おびただしい数の竪堀・横堀がまるで迷路のように張り巡らされてます。

朝倉城から約10km西の日高村にオムライス街道があり(加盟店9軒)それぞれに特色のあるオムライスを食べることができます。

名所の無い日高村が特産品のシュガートマトを使い、オムライスで町おこし。
箱モノだけが町おこしじゃないんですね…

2016年09月24日 狼煙右兵衛佐
朝倉城

山城マニアの方は、北の登り口から登り三つ目の空堀を西に向かって入って行くと見事な空堀や竪堀がみれます。但し、足腰の弱い方は、おすすめしません。ひどい目に遭うかもしれません。これこそ、高知県が誇る中世山城…。

2013年11月13日 清水若狭守龍親
朝倉城

「県指定史跡 朝倉城跡 古くは重松城ともいう。長岡郡本山城主の本山梅慶は、天文年間土佐中央部に一大勢力を確立し、これを維持するため、軍事的、地理的に重要なこの地に築城して天文9年(1540)ここに移った。 永禄3年(1560)にはじまった長宗我部氏との激突は数度に及んだが、勝敗は決せず、梅慶の後を継いだ子の茂辰は、不利な形勢と朝倉城死守の困難をさとり永禄6年(1563)1月城を焼いて本城本山に退去し、廃城となった。詰・西郭を囲むように大きな空堀が二重三重にはしり、竪堀も深く残っている。県内随一の規模を誇る中世城跡である。

朝倉城の周辺スポット情報

 竪堀1(遺構・復元物)

 竪堀と説明板2(遺構・復元物)

 詰ノ段(遺構・復元物)

 井戸(遺構・復元物)

 ニノ詰(遺構・復元物)

 詰ノ段・詰西ノ段間堀切(遺構・復元物)

 横堀1(遺構・復元物)

 竪堀2(遺構・復元物)

 堀切1(遺構・復元物)

 竪堀2・土塁(遺構・復元物)

 堀切2(遺構・復元物)

 竪堀3(遺構・復元物)

 竪堀4(遺構・復元物)

 曲輪群(遺構・復元物)

 茶臼ヶ森(遺構・復元物)

 説明板1(碑・説明板)

 詰ノ段説明板(碑・説明板)

 朝倉史跡群説明板・バス停北城山(碑・説明板)

 朝倉 城跡 西登り口(碑・説明板)

 行川城(周辺城郭)

 長畝城(周辺城郭)

 神森城(周辺城郭)

 朝倉城山遺跡(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

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