四十二館

(しじゅうにだて)

通称・別名

所在地

秋田県大仙市藤木字乙糠塚1他

城郭構造
平城
天守構造
築城主
不明
築城年
不明
主な改修者
主な城主
清原氏?
廃城年
遺構
曲輪、水堀、掘立柱建物跡、井戸跡
指定文化財
県史跡(四十二館跡)
再建物
石碑、説明板
周辺の城
六郷城(仙北郡) 3.8km
払田柵(大仙市) 7.5km
本堂城(仙北郡) 9.1km
金沢柵(横手市) 9.1km
大森城(横手市) 9.1km
位置と立地
四十二館跡は、秋田県南部の横手盆地の中北部で、奥羽山脈の西裾に広がる六郷扇状地が沖積地に移り、扇状地の南端を西流する上総川と出川(いでかわ)に挟まれた平坦地にある。雄物川まで800mと近く、遺跡の標高は約27mである。

遺跡は東西約350m、南北300mの範囲で小水路や小沼地が複雑に入り組んだ地形をなしており、それぞれに本丸跡・御蔵跡・鍛冶屋敷跡・門前跡・馬場跡・鞍浮沼・仕上沼などの呼称が付されている。

歴史
四十二の意味についても、菅江真澄は『月の出羽路』の中で「四十二騎の軍兵盾籠もりし義」と書いており、昭和7年に県史跡調査委員として現地調査した武藤一郎はその報告の中で「かつて浮島の数多く浮かべる時代ありしことからこの名の起因せしに非ずや」と述べており、四十二の名称の定かな伝聞や記録はない。

昭和34年、県史跡指定となり近年になって、開田や土地改良事業の推進により地形に変化が生じるようになり、四十二館の性格解明と保存対策が望まれるようになってきた。

発掘調査
大曲市教育委員会では、昭和56年~58年に発掘調査を実施し、その解明に乗り出した。

発掘調査は四十二館内の7箇所で実施され、俗称「本丸」付近や「鍛冶屋敷」・水路と「正門」・「門前跡」を対象としている。

「本丸」付近からは平安時代後半の須恵器と土師器が少量出土しただけで、本丸跡らしき遺構の検出はなかった。「鍛冶屋敷」からは、掘立柱建物跡3棟・井戸跡8基・鍛冶遺構3基・屋外カマド6基・溝跡11条などの遺構と中世の建物を発見している。

調査区中央で確認した第1号掘立柱建物は、南北棟の桁行6間の梁行1間で、柱穴埋土から焼けて炭化した一握りの飯が出土している。1粒1粒が明瞭なだけに生活の匂いが生々しく、どのような状況で炭になって残ることになったのか、当時に思いを馳せてしまう。

第2号掘立柱建物は、第1号掘立柱建物の南に位置し、東西棟の桁行3間の梁行1間である。

第3号掘立柱建物は、第2号掘立柱建物の東に位置し、桁行2間の梁行1間で、他の建物より柱跡などが小さめである。

井戸跡は素掘り地山井筒で、明確な井戸枠は検出されなかった。多量の坩堝と焼土・炭化物が出土した鍛冶遺構は「鍛冶屋敷」の俗称を裏付けるものではあるが、用途の詳細については不明である。

水路の調査では、上面幅約14m、下面幅12m、深さ1.5mの堀跡が確認された。「正門」付近は物証に乏しく、「門前跡」からは、中世の整地跡と中世陶器片が見つかっている。

まとめ
発掘調査結果から四十二館跡は、中世~近世初頭を主とした遺跡であり、古代遺構の存在も一部に予想される。四十二館跡の性格解明には、まだまだ調査成果の積み重ねが必要と思われる。

四十二館跡の解明は、当地域における古代~中世の様相の隙間を埋めるうえで重要な役目を果たすことになると思われる。

情報提供:大仙市教育委員会


四十二館口コミ情報

毘沙門天越後守乱丸様[2012年11月13日]
大曲から県道13号線を横手方面田んぼの端に入口の碑を右折細い道を道なり左カーブし右側に正門跡の石碑と説明板
駐車場スペース無し
遺構も確認できずそこは民間の入口でした(^^;)

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