安土城(あづちじょう)

安土城の基本情報

通称・別名

所在地

滋賀県近江八幡市安土町下豊浦

旧国名

近江国

分類・構造

山城

天守構造

望楼型[地上6階地下1階/1579年築/焼失(火災)]

築城主

織田信長

築城年

天正4年(1576)

主な改修者

羽柴秀吉

主な城主

織田氏、明智氏

廃城年

天正13年(1585)

遺構

曲輪、天守台、石垣、土塁、横堀

指定文化財

国特別史跡(安土城跡)

再建造物

一部の石垣、大手道石段、門跡、石碑、説明板

周辺の城

観音寺城(滋賀県近江八幡市)[2.0km]
伊庭御殿(滋賀県東近江市)[2.7km]
佐生日吉城(滋賀県東近江市)[3.9km]
箕作城(滋賀県東近江市)[4.6km]
北之庄城(滋賀県近江八幡市)[4.9km]
和田山城(滋賀県東近江市)[5.2km]
八幡山城(滋賀県近江八幡市)[5.4km]
長光寺城(滋賀県近江八幡市)[5.6km]
後藤館(滋賀県東近江市)[7.7km]
水茎岡山城(滋賀県近江八幡市)[8.7km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

51 安土城

設置場所

安土城郭資料館[地図
安土城天主信長の館[地図
安土城跡[地図

安土城の解説文



安土城(あづちじょう)は、琵琶湖東岸の、近江国蒲生郡安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)[1]にあった日本の城(山城)。城址は国の特別史跡で、琵琶湖国定公園第1種特別地域になっている。

概要 

File:Aerial view of Aduchi-yama 1982.jpg|thumb|172px|安土城がある安土山の空中写真(1982年)

:File:Aduchi-yama stereo 1982.jpg|ステレオ写真はこちら

安土城は織田信長によって現在の安土山に建造され、大型の天守(現地では「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇った。建造当時は郭が琵琶湖に接していた(大中湖)。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートル。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。総奉行は丹羽長秀、普請奉行に木村高重、大工棟梁には岡部又右衛門、縄張奉行には羽柴秀吉、石奉行には西尾吉次、小沢六郎三郎、吉田平内、大西某、瓦奉行には小川祐忠、堀部佐内、青山助一があたった。

この城を築城した目的は岐阜城よりも当時の日本の中央拠点であった京に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて北陸街道から京への要衝に位置していたことから、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」あるいは「上杉謙信への警戒のため」などと推察されている。城郭の規模、容姿は、太田牛一や宣教師の記述にあるように天下布武(信長の天下統一事業)を象徴し、一目にして人々に知らしめるものであり、山頂の天主に信長が起居、その家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住していたとされる。

1582年(天正10年)、家臣明智光秀による信長への謀反(本能寺の変)の後まもなくして何らかの原因(後述)によって焼失し、その後廃城となり、現在は石垣などの一部の遺構を残すのみだが、当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることができる。

日本の城の歴史という観点からは、安土城は六角氏の観音寺城を見本に総石垣で普請された城郭であり初めて石垣に天守の上がる城となった、ここで培われた築城技術が安土桃山時代から江戸時代初期にかけて相次いで日本国中に築城された近世城郭の範となった。そして普請を手がけたとの由緒を持つ石垣職人集団「穴太衆」はその後、全国的に城の石垣普請に携わり、石垣を使った城は全国に広がっていった、という点でも重要である。

城郭遺構は安土山の全体に分布しており、当時の建築物では仁王門と三重塔が、現在 城山の中腹に所在する摠見寺の境内に残っている。また二の丸には信長の霊廟が置かれている。

滋賀県は1989年(平成元年)から20年にわたって安土城の発掘調査を実施した。南山麓から本丸へ続く大手道、通路に接して築造された伝羽柴秀吉邸や伝前田利家邸、天皇行幸を目的に建設したとみられる内裏の清涼殿を模した本丸御殿などの当時の状況が明らかとなり、併せて石段・石垣が修復工事された。調査は当初予定通り2008年(平成20年)度の予算をもって2009年に終了した[2]。20年間で調査が実施されたのは史跡指定面積の約20%(17ヘクタール)にとどまったが滋賀県の財政事情から事業継続には至らず、全域の調査(50年から100年必要とされる)は将来にゆだねられることとなった。又、天守、本丸御殿、櫓、門、土塀の木造復元計画は予算の関係でない。

特徴 

中央に礎石がない

高層の木造建築を建てる場合、中央に心柱を立てるのが多くの日本建築の特徴だが、安土城天主の礎石は中央部の1つだけが欠けている(他の礎石は全て現存している)。発掘調査では、中央に礎石が抜けた跡はないことが確認され、またそこに空いていた穴からは、焼け落ちた天主の一部と思われる炭とともに、壺のかけらのような破片がいくつも出土した。発掘時の推測では、この穴の上にはかつて仏教の宝塔があり(天守指図からの推測)、穴には舎利容器である壺が入っていたものと推測されている。

居住性の充実

通常の天守は日常的な居住空間としては使用されなかったが、概要の通り信長はこの天守で生活していたと推測されており、そのための構造と思われる。

城郭中枢部の寺院

天主台南西の百々橋口付近に摠見寺がある。持仏堂や戦死者を弔う小堂などを持った城は各地に見られるが、堂塔伽藍を備えた寺院が建てられているのは、後にも先にも安土城だけである[3]。しかも単に城郭内にあるだけでなく、百々橋口道(南西の入口からの道)から城への通り道が境内になっており、この入口から入った者が城にたどり着くためには、必ず摠見寺の境内の中を通り抜けなければならない。『信長公記』の記述から、この百々橋口道は通常時に城に入ろうとする者が使用するための道だったと推測されている。

発見されない蛇石

秀吉は観音寺山と長命寺山の谷から大石を引き出すため人足を集めた。石引きの歌声が天地にこだまする有様は、「昼夜山も谷も動くばかり」(『信長公記』「安土御普請の事」に津田坊が運ぼうとしたと記述)だったという。なかでも「蛇石」という巨石は五間余(約10メートル)、推定三万貫(約112トン)あったが、しかし引き上げる途中で綱が切れ、横滑りした蛇石に150人余が挽き潰された。その後蛇石は安土山頂まで引き上げられたはずだが、現在までに幾度の発掘調査を経ても、未だ発見されていない。

強い宗教色

一般的に宗教心が薄いとされる信長であるが、天守内部の宝塔(推定)や絵画、摠見寺の存在など、安土城には宗教的要素が多く見られる。

本丸御殿と清涼殿の酷似

安土城の本丸御殿は、天皇を迎えるための施設だったという可能性が指摘されている。 主な根拠として、

  • 礎石(=柱)の間隔が非常に長い。通常、武家の建築物の柱の間隔は6尺5寸(約1.97m)だが、この本丸御殿は7尺2寸(約2.2m)もある。公家の建物であれば武家のものより長いが、それでも7尺が標準であり、7尺2寸というのは現在の御所よりも長い。
  • 詳細な調査を行って復元図を作成した結果、建物は3つ存在したことが明らかになった。その配置は「コ」の字型という特殊なもので、清涼殿と共通する。
  • 1613年に江戸幕府が建てた清涼殿の図面を、東西逆にすると、上の復元図とほぼ重なる。規模や部屋割りもほぼ一緒である。
  • 1589~1591年にかけて豊臣秀吉が建てた清涼殿は、この徳川幕府製の清涼殿と基本的に同様の平面構成を持っている。
  • 近世(豊臣・徳川時代)の清涼殿は、一部に武家住宅の様式を取り入れているという点で古代~中世の伝統的な清涼殿から大きく様変わりしており、安土城が建てられたのはこの中世と近世の間、しかも豊臣版の清涼殿が建てられる前である。
  • 信長公記に、安土城の屋敷の中で「御幸の間」「皇居の間」を拝見したと書かれている。
  • 言継卿記には「来年は内裏さま(=天皇)が安土へ行幸する予定」という、著者・山科言継の娘の手紙が記録されている。
  • 菊の紋章がついた瓦が発掘されている。

現在の清涼殿は東向きに建てられているが、この本丸御殿は西向きに建てられている(東西を逆にすると徳川版と重なるのはこのため)。

防御策の乏しさ

城内の道というものは敵の侵入を阻むためになるべく細く曲がりくねって作られるが、安土城は大手門からの道が幅6mと広く、約180mも直線が続く。また、籠城用の井戸や武者走り・石落としといった設備も著しく少ない。

こうした事から、安土城は軍事拠点としての機能より、政治的な機能を優先させて作られたものと思われている。

歴史・沿革 

安土桃山時代

  • 1576年(天正4年) 1月、織田信長は総普請奉行に丹羽長秀を据え、近江守護六角氏の居城観音寺城の支城のあった安土山に築城を開始。
  • 1579年(天正7年)5月、完成した天主に信長が移り住む。同年頃に、落雷により本丸が焼失したと、ルイス・フロイスが著書『日本史』に記している。
  • 1582年(天正10年) 5月15日には明智光秀が饗応役となった徳川家康の接待が行われている。同29日の京都本能寺に信長が光秀の謀反により自害した本能寺の変の際は蒲生賢秀が留守居役として在城していたが、信長の自害後に蒲生賢秀・氏郷父子は本拠地日野城に信長の妻子などを安土城から移動させ退去。その後、明智軍が安土城を占拠した。山崎の戦いで光秀が敗れた後、天主とその周辺の建物(主に本丸)が焼失した。焼失の経緯や理由については諸説あるが不明である。

本能寺の変以降もしばらく織田氏の居城として、信長の嫡孫秀信が清洲会議の後入城するなどと、主に二の丸を中心に機能していた。しかし、秀吉の養子豊臣秀次の八幡山城築城のため、1585年(天正13年)をもって廃城されたと伝わっている。

近代

  • 1918年(大正7年) 安土城保存を目指して「安土保勝会」が設立される。
  • 1926年(大正15年) 1919年(大正8年)に施行された史蹟名勝天然紀念物保存法により、安土城址が史蹟に指定される。
  • 1927年(昭和2年) 内務省(現・総務省)が城跡に「安土城址」の石碑を建てる。
  • 1928年(昭和3年) 滋賀県が史蹟安土城址の管理団体に指定される。その後、大手門跡などに標石を建てたり、二の丸跡の復旧、城内石段の改修や天主・本丸跡の発掘調査を行う。

現代

  • 1950年(昭和25年) 文化財保護法施行に伴い史跡安土城跡となり、2年後の1952年(昭和27年)特別史跡に指定される。
  • 1960年(昭和35年) 城跡修理に着手、1975年(昭和50年)まで継続。それを基に1978年(昭和53年)、安土城跡実測図(縮尺千分の一)を作成する。
  • 1988年(昭和63年) 「第1回特別史跡安土城跡調査整備委員会」が開催されるに到る。
  • 1989年(平成元年)から2009年(平成21年)までの「調査整備20年計画」を開始する。
  • 1992年(平成4年) セビリア万国博覧会に、「天主指図」を基に復元された安土城天主の一部(5・6階部分)が出展された。現在、復元天主は安土城天主信長の館に保管、展示されている。
  • 1999年(平成11年) 本丸跡から内裏の清涼殿と同じ平面を持つ建物が発見された。これは、当時の信長の思想を推定する上で重要な発見である。
  • 2005年(平成17年) 安土町のプロジェクトチームがイタリアのローマに渡り、「安土城之図」と伝わる屏風絵を探したが発見には至らなかった。しかしローマ教皇ベネディクト16世に大野俊明が模写したミニ屏風絵を寄贈し、屏風絵の捜索を依頼した。
  • 2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(51番)に選定された。
  • 2009年(平成21年) 調査整備20年計画が終了。

天主・本丸の焼失 

前述したように、安土城天守及びその周辺の本丸等の建造物は、山崎の戦いの後まもなくして焼失している。ただし、焼失したのは天主や本丸などであり、後に織田秀信が二の丸に入城したように、城としては十分に機能していた。

焼失の原因についてはいくつかの説がある。 1.明智光秀軍が敗走の際に放火したとの説(『秀吉事記』『太閤記』)。しかし、安土で出火があったとされるのは6月15日(『兼見卿記』)で、その日、光秀は坂本城で堀秀政の軍に包囲されていたこと<a id="wiki-annotation-modal-4" class="footnote" onclick="javascript:showAnnotationModal('【千田嘉博のお城探偵】CASE8 安土城空白の一日 信長の天主 誰が焼いた?産業経済新聞社.2021年2月22日閲覧(https://www.sankei.com/article/20180322-5LMTSH2UYBOMXCA6Y52DJ2XR3A/)')">[4]</a>、また、安土城守備の明智秀満は坂本城での自刃の際、光秀収集の名刀や茶器、書画を秀吉配下の堀直政に引き渡してから坂本城に火を放っていることから濡れ衣と考えられる<a id="wiki-annotation-modal-5" class="footnote" onclick="javascript:showAnnotationModal('熱田公『日本の歴史11 天下一統』(集英社、1992年)p.195')">[5]</a>。 2.光秀のあと伊勢国から入った織田信雄軍が城と邸に放火し、市にも放火したという説。これは、ルイス・フロイスの報告(イエズス会日本年報追加)によるもので、その記述には「信雄が暗愚だったので何の理由も無く放火した」とある。しかし、焼失しているのは天主、本丸付近だけなので正確なものではない。 3.蒲生父子が信長の家族を連れて安土城を退避した際に城下町に放った火が類焼したとする説<a id="wiki-annotation-modal-6" class="footnote" onclick="javascript:showAnnotationModal('盛本昌弘『本能寺の変 史実の再検証』(東京堂出版、2016年)の説。')">[6]</a>。 4.略奪目的で乱入した野盗や土民が放火したとする説。 5.落雷によって焼失したとする説。

林屋辰三郎は4の説を挙げており[7]、熱田公も「山崎の戦後の混乱の中で略奪に入った野盗の類が放火した、とみるのが自然であろうか」としている。高柳光寿は2の信雄下手人説を採用しており、『秀吉事記』の記事は信雄がまだ大勢力を有していた時期に成立したものであることから、秀吉と信雄との関係を顧慮して秀満のせいに仕立てられたのではないかと考証している[8]。3は盛本昌弘によって近年唱えられた説であるが、この説を論評した谷徹也は盛本が戦国期の慣習に基づいて組み立てた説であると評価する一方で、城下からの類焼であれば城内の他の場所からも見つかるはずの被熱痕が主郭部からしか見つからないのは不自然であるとして否定的な見解を示している[9]

なお、加越能文庫の「松雲公採集遺編類纂」中の文書に、天正6年5月に一度天主が倒壊したとの記述がある。

又、本丸御殿は清涼殿(京都御所)と同様に建てた物である。

復元 

発掘調査・整備

調査整備20年計画が1989年から2009年まで行われた。

  • 1989年(平成元年) 伝羽柴秀吉邸跡で五棟の建物跡を検出する。
  • 1990年(平成2年) 環境整備の基本構想を策定する。伝羽柴邸跡で櫓門跡を検出する。136メートルにわたり大手道の当初ルートを確認する。
  • 1991年(平成3年) 伝前田利家邸跡で建物四棟と木樋暗渠を検出する。黒金門に至る大手道の全ルートを解明する。
  • 1992年(平成4年) 環境整備工事に着手する。
  • 1993年(平成5年) 大手門とその東西に続く石塁跡を発見する。東家文書を調査し旧安土城下の絵図を多数発見する。
  • 1994年(平成6年) 旧摠見寺境内地を調査し当初の伽羅配置を明らかにする。摠見寺の高石垣を解体し当初の大手道を検出する。
  • 1995年(平成7年) 百々橋口道及び主郭部周辺をめぐる周回路を調査する。
  • 1996年(平成8年) 搦手道の調査に着手する。米蔵付近より金箔貼りの鯱瓦を発見する。
  • 1997年(平成9年) 搦手道の全ルートを解明する。台所跡から流し・釜戸ともに飾り金具を発見する。
  • 1998年(平成10年) 天主台下から焼失建物とともに多数の遺物を発見する。一建築金物、十能・鍬、花器、金箔瓦、壁土等や搦手口の湖辺で木簡、完形に近い金箔瓦等を発見する。大手道の整備工事が完成する。
  • 1999年(平成11年) 本丸跡から清涼殿と同じ平面を持つ建物跡を発見する。

天主

天主のその具体的な姿については長年研究が続けられており、多数の研究者から復元案の発表が相次いでいる。基本的には同時代人の記述にかかる「信長公記」や「安土日記」に基づき、イエズス会宣教師の記述を加味するところまでは一致しているが、解釈をめぐっては意見が分かれており未だ決着を見ない。その姿は5重6階地下1階で最上階は金色、下階は朱色の八角堂となっており、内部は黒漆塗り、そして華麗な障壁画で飾られていた[10]

信長が権力を誇示するために狩野永徳に安土城を描かせた金箔の屏風がアレッサンドロ・ヴァリニャーノに贈られ、彼の離日に同行した天正遣欧使節によりヨーロッパに送られて教皇庁に保管されているとの記録がある。それは安土城の姿を知る決め手の一つと考えられ、現在に至るまで捜索が行われているが、未だに発見されていない。

天主復元のために参考にされる史料

ルイス・フロイス『日本史』

ポルトガル人イエズス会宣教師であるルイス・フロイスは著書『日本史』に、天主に関して次のように記している。

太田牛一『安土日記』

信長の家臣であった太田牛一は、天正7年1月『安土日記』に村井貞勝による天主に関しての記述を次のように引用して記している。

ほかに、バチカンへ送られた屏風に描かれたとする安土城天主の一部と見られている建物をフィリップス・バン・ウインゲがスケッチしたものが残っている[11]。また、加賀藩大工に伝わる「天守指図」等があり、それを安土城天主の平面設計図であるとし、内部には階層を貫く吹き抜けが造られ、地階に仏塔があったなどとする復元案(内藤昌案など)もある。

天主復元案

以下は、様々な証拠や証言、文書の記述などを参考に各学者・研究者などより出されている復元案の一部または想像図の概要である。

奥村徳義案-1858年(安政5年)
層塔式7重8階又は7階で初重平面は長方形である。壁は真壁で色彩は分からないが破風も千鳥破風と唐破風のみというシンプルな外観である。6・7重は八角堂に四方の望楼という姿である。
土屋純一案-1930年(昭和5年)
望楼式6重7階で初重平面は長方形である。壁は下見板張りで、3重目に吹き降ろした屋根に付属するように小柄の入母屋が付く。破風の位置は名古屋城天守や福山城天守に類似する。5・6重は八角堂に熊本城天守のような内高欄廻縁の四方の望楼が乗るような姿である。
桜井成広案-1959年(昭和34年)
望楼式6重7階で、初重平面は不整形な六角形である。外観は下見板張りで、3重に向唐破風の出窓4重目に大入母屋がある。5・6重は八角堂に宝形屋根の四方の望楼が乗った姿である。
内藤昌案-1976年(昭和51年)
望楼式5重7階地下1階で、初重平面は不整形な六角形である。外観は下見板張りで、複雑に入り組んだ屋根が特徴的。4・5重は赤瓦の入母屋を被った四方の望楼が乗る姿である。内部構造は「天守指図」に準拠した、四層吹抜けにしている。
西ヶ谷恭弘案-1993年(平成5年)
望楼式6重7階地下1階で、初重平面は長方形。天守台いっぱいには造られず、天守曲輪が形成されている。外観は下見板張り、大入母屋を交互に重ねた形。5・6重は夢殿を模した八角堂に金閣を模した杮葺の切妻を載せたような入母屋屋根(しころ屋根)で全面金箔貼の四方平面の望楼が乗る姿である。
宮上茂隆案-1994年(平成6年)
望楼式5重6階地下1階で、初重平面は長方形。天守台いっぱいには造られず、天守曲輪が形成されている。外観は下見板張り、3重目に大入母屋がある。4・5重は八角堂に赤瓦の入母屋を被った四方の望楼が乗る姿である。豊臣大坂城天守との連続性を意識しており、基本的には同じ構造としている。
佐藤大規案-2005年(平成17年)
望楼式5重6階地下一階で、初重平面は不整形な六角形である。外観は下見板張りで2重目・3重目を交互に大入母屋が乗る。4・5重は八角堂に赤瓦の入母屋を被った四方の望楼が乗る姿である。

支城 

安土城を守備するかのように琵琶湖周辺には重臣の居城が配置されている。また子や兄弟・甥、方面軍の大将格となる武将を分国に入れて(ただし、柴田勝家などには独断せず、信長の指示を仰ぐように命じている)支城を任せている。かつての拠点だった那古野城小牧山城 は廃城にした。

  • 坂本城 - 明智光秀の居城。近畿・山陰方面軍(対本願寺など)としてほかに亀山城
  • 長浜城 - 羽柴秀吉の居城。中国方面軍(対毛利)としてほかに姫路城
  • 大溝城 - 安土城と上記二城で琵琶湖を跨ぎ四角形を形成する。城将は津田信澄。大坂の代官も兼ね、遊軍として各地に転戦。
  • 佐和山城 - 丹羽長秀の居城。中山道の抑えであり、各方面軍の後方処理及び、北近江、若狭支配の拠点。
  • 岐阜城 - 後継者とされる織田信忠の居城。甲信方面軍(対武田)として河尻秀隆が信忠を補佐。分国である尾張の清洲城には番将を置く。
  • 北ノ庄城 - 北陸方面軍(対上杉)で家臣筆頭格の柴田勝家の居城。「手取川の戦い」では北ノ庄まで後退した織田軍の最前線として防備。
  • 神戸城 - 織田信孝(神戸信孝)の居城。南海方面軍(対高野山および長曾我部)として丹羽長秀が信孝を補佐。
  • 松ヶ島城 - 織田信雄(北畠信意)の居城。東海方面軍(対今川および一向一揆)の役割を担う織田家の同盟者・家康とは別動軍として、一向宗徒・伊賀・志摩などの鎮圧を担当。
  • 安濃津城 - 織田信包の居城。縄張りは関東方面軍(対北条)の滝川一益[12]

作品 

  • 山本兼一『火天の城』(文春文庫、 2004年)2009年に映画化
  • 佐々木譲『天下城』( 新潮社、2004年)
  • 劇場版 タイムスクープハンター(GAGA、 2013年)
  • バーチャルリアリティー安土城プロジェクト(http://www.city.omihachiman.shiga.jp/contents_detail.php?frmId=7776)(近江八幡市 2010年~)
    • 近江八幡市VR安土城高精度型システムのご利用について(2019年6月5日)(http://www.city.omihachiman.shiga.jp/contents_detail.php?co=ser&frmId=13977)

現地情報 

交通アクセス
  • 西日本旅客鉄道(JR西日本)琵琶湖線(東海道本線)安土駅下車 徒歩20分

利用情報
  • 入山料(2006年(平成18年)9月1日より摠見寺が徴収)
    • 大人700円
    • 小人200円(幼児は無料)
  • 摠見寺本堂特別拝観1000円(2009年(平成21年)4月より日曜祝日のみ開堂:雨天時閉堂)
  • 日本100名城スタンプラリー スタンプ設置場所
    • 滋賀県立安土城考古博物館(http://www.azuchi-museum.or.jp/)
      • 開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
      • 休館日 月曜(休日の場合は除く)、休日の翌日(土曜日・日曜日の場合を除く)、12月28日~1月4日まで
    • 安土城天主 信長の館(文芸の郷)(http://www.zc.ztv.ne.jp/bungei/nobu/)
      • 開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
      • 休館日 月曜(休日の場合は除く)、休日の翌日(土曜日・日曜日の場合を除く)、12月28日~1月4日まで
    • 安土城郭資料館(http://www.azuchi-shiga.com/n-jyoukakusiryoukan.htm)
      • 開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
      • 休館日 月曜、年末年始

参考文献 

  • 高柳光寿『明智光秀』吉川弘文館<人物叢書>、1958年9月。
  • 熱田公『日本の歴史11 天下一統』集英社、1992年4月。ISBN 4-08-195011-3
  • 林屋辰三郎『日本の歴史12 天下一統』中央公論新社<中公文庫>(改版版)、2005年4月。ISBN 4122045223
  • 滋賀県安土城郭調査研究所編集「特別史跡安土城跡」
  • 内藤昌「安土城の研究」上・下(『国華』987号・988号、1976年)
  • 内藤昌『復元安土城 信長の理想と黄金の天守』(講談社、1994年)
  • 平井良直「安土城天主五階の空間構成に関する一試論」(『日本歴史』570号、1995年)
  • 木戸雅寿『よみがえる安土城』(吉川弘文館、2003年)
  • 宮上茂隆「安土城天守の復元とその史料について―内藤昌氏「安土城の研究」に対する疑問―」(『国華』998・999号、1977年)

安土城の口コミ情報

2024年04月01日 右近衛少将カンチュリー
安土城



駐車場も広く、たどり着くまでの道も複雑ではないので行きやすかったが、安土城そのものは、ちょっとした登山なので、それなりの注意が必要です⚠️

2024年02月10日 武蔵新城右衛門督
安土城



麓から山頂まで、山道(石段)で所要時間70〜90分くらいは必要です。体力勝負です!

2024年01月08日 サクラ十勝守青鬼翼徳
安土城



登った先にこんなに広大な天守が有ったのか?と想像すると、実際に天守閣は残っていなくともその偉大さを感じ、まさに名城の名に相応しいお城です。
階段はパッと見よりも結構な急勾配。下りはもしも足を滑らせたら・・・なんて、ほんの少しだけ怖さを感じました。

2023年08月15日 kamesebun7
安土城



大手道の幅と長さで城作りが戦国時代の守りの要塞から権威を見せ付ける城へと変わっていった最初の城だと分かりますね。

2023年08月12日 かつアニぃ大宰大弐
安土城



基本的に天守がない城は、リア攻めの優先順位は低いけど、安土城跡だけはやはり信長を語る上で絶対に現地を訪れねば!と思い行きました。最寄駅は新快速が停まらないので一駅手前で下車して歩いて向かったのが、、コンビニどころか歩道もない道を1時間歩くハメに。おまけににこんなすごい石段を登るとは思ってもなくて、日頃の運動不足が祟り膝痛に🦵😩。でも登ってよかった。天主跡はどこまでも神々しく感じ、好天にも恵まれ眼下に見下ろす琵琶湖の青さには目を見張りました。

2023年07月02日 yumi美濃守
安土城



安土城の100名城スタンプ設置場所の1つ「城なび館」スタッフさんは年配の方で最初はぶっきらぼうな印象ですが、実は安土城および全国の城愛が強く、人に親切で情報ツウです!

館内では安土城の見どころをVTRなどを観ながら説明してくださります。また近くのお城のスタンプ設置場所まで自身のスマホを出して教えてくれたり、かつての安土城の姿をVRで観れるアプリを紹介して頂いたり、館内に入るチケットについてるQRコードは読み込むアプリのとり方まで説明して下さりました。

こんなに親切で丁寧に案内して頂いたのは、100名城を70と続100名城を数十めぐりましたが初めてでした。安土城へ来て本当に良かったと感激したひとつです。

是非訪れてほしい場所です!

2023年06月11日 信濃守学堂
安土城



観音寺城に行きたくて、安土に来たのですが、ここまで来たら安土城だよな~ぁと2度目の登城。観音寺城と比較して、比高は低く、山に籠もるというより世の中に開きながら政治も経済も司るという信長らしさを感じました!

2023年01月30日 惟任日向守
安土城



1579年当時の、他の山城などに比べて、品格と威厳と、信長の権力が感じられる立派な城跡です。壮大な石垣が組まれた秀吉や利家の邸宅跡や、信忠、蘭丸の邸宅跡、信雄の墓碑など見応え十分です。車を無料駐車場に停めて、目の前の登山口受付か登り、天守閣まで30分くらいでした。

2022年11月25日 長谷川雅楽助平蔵
安土城



見事な石垣です。本丸だけでなく、大手道、家臣団の屋敷の遺構に見所満載です。摠見寺の御朱印にも「天下布武」。鐘もつけます。

2022年11月10日 在来線男右京進
安土城



安土城の階段は高さがあり登り下りがたいへん疲れます。入場料は入山料、御城印は御朱印と呼んでまるでお寺です。駐車場の横にある城なび館でも御城印は売っていません。安土駅にある安土城郭資料館でいろいろな御城印を売っています。安土城の駐車場は無料ですが入山料は700円取られます。

2022年11月09日 蘭丸「右兵衛佐
安土城



数年前に訪れた時には大手道を整備していたのですが、今回は綺麗になっていて感激しました。あと天下布武の旗印をつけた芝刈り機が可愛くてキュンキュンしました(*^^*)

2022年10月22日 右兵衛督ギショー
安土城



体力な無い者には天主址まで行くだけで疲れ果て、翌日も身体のあちこちが痛みます。

2022年10月16日 ヨッシー
安土城



下の城なび館の有料施設で説明を受けたから登りました。
先達の方々の通り、高い階段が多かったですが、天気も良く眺めがよかったです。
登城口の料金所で杖を借りていくといいと思います。

2022年08月28日 
安土城



しばらくぶり。奥もおすすめしてます(珍しいけど)北西門は、入れません。本丸御殿復活してほしいですね。皆さん見学に来てください。入り口で入場料がどうだとか言ってる人いましたけど。遺構を残すのにどうしたいんですか。

2022年06月05日 どし美濃守
安土城



天主までの道はそれなりに整備されていて、比較的歩きやすいです。ただ、そうは言っても登りがきつい場所もあるので、入り口にある杖を借りるとか自分で登山用のポールを用意した方が楽です。

見学コースに沿って回って来ましたが、ゆっくり写真を撮りながら回った為3時間半くらいかかりました。ただ歩くだけなら一時間〜一時間半くらいで回れるんじゃないでしょうか。

2022年05月02日 いち近江守
寺社門等礎石の転用石[安土城  遺構・復元物]



古寺社門・塔の礎石かと思われる転用石
大手道右手・伝前田利家邸跡下方の石垣下にて偶然発見
築城時に摠見寺三重塔や仁王門も移築転用し、石垣も様々な所から集めて使用されているので、こちらもそのように持ち運ばれた物かなと想像します
ただ安土築城以前 さらに歴史を遡ると安土山(目加田山)には寺院があったことが確認されているので詳細はどうなのか…やはり謎です…
天主、御幸の御間の場所、大手門の位置、等々‥
まだまだ謎の多い城、わからないところにワクワクさせられます 2022.2月

2022年04月04日 陸奥守新九郎
安土城



昔はタダだったと思いますが、いまは有料700円です。ぜひ、その費用を史跡の整備・維持・管理に使って頂きたいです。

2022年03月23日 千葉相模守早雲
安土城



安土城跡の目の前に駐車場があります。まず目に飛び込んでくるのが大手道!直線的な石段が防御よりも力の大きさを見せつけるための城である事を物語っていると思います。

左右に伝羽柴秀吉邸、伝前田利家邸を見ながら、延々と石段を上ります。邸と言っても石垣で土台が作られており、大層立派な物であったと想像できます。伝織田信忠邸、伝津田信澄・森蘭丸邸を見ながら、石段をどこまでも登っていくと黒金門が現れます。石垣が今も残る枡形。抜けると目の前に二の丸石垣が。二の丸には信長公本廟があります。

本丸には御殿の礎石が見られます。本丸取付台へ上がると、いよいよ天主台。礎石を見ながら壮大な天主閣を想像してみましょう😁ここに確かに信長公が居たのかと思うと感慨深いものがあります。帰路も總見寺本堂跡、三重塔を通り、再び石段が😅下りるとニ王門があります。たんまりと石垣を堪能する事が出来ます😁

1.どこまでも続く石段。
2.伝羽柴秀吉邸。
3.黒金門枡形。
4.黒金門を抜けると二の丸石垣が見える。
5.信長公本廟。
6.本丸跡。
7.天主跡。
8. 總見寺本堂跡から石垣が続く。

2022年03月21日 更科山城守六兵衛
安土城



入口で700円を払って城郭に入りました。石段は一段が高めなので少しキツいかもしれないですが、天主跡までは歩いて15分もあればいけます。

2021年12月11日 源陸中守@ポンコ2…連勤了
天主台[安土城  遺構・復元物]



石垣の石の産地は「信長公記」などによれば、主に近江八幡市の観音寺山・長命寺山・長光寺山、東近江市の伊庭山などからの湖東流紋岩が大半で、大手道の石段などに見られる転用石の花崗岩が一部使われています。湖東流紋岩は丈夫な石材で、彦根城をはじめ近江国の石垣でよく使われています。

城内の摠見寺三重塔は、湖南市石部町の長寿寺(通称東寺、国宝の本殿など文化財多数)の室町期に建立された建物が移築されましたが、鎌倉期の多宝塔の相輪など石造物などなくなっており、転用石に使われたのかもしれません。なお、焼打ちは比叡山が有名ですが、信長の近江国内征討時には湖南地域なども焼打ちされ、東寺等の湖南三山など少数の社寺が免がれ今に至ってます。

変わった石材としては、天守台穴蔵の入口板石に福井市足羽山の加工された笏谷石が使われています。魅せるところを意識して、使われたのかもしれません。寒さに強いと言われる丸岡城天守の石瓦と同じ石材で、加工しやすさで用いられたのかも。

登城時のご参考小ネタまで。

2021年11月29日 刑部少輔ヒサシ
安土城



最初の登りを見て、これはしんどそうだな。と思いましたが、そんなの序の口に過ぎませんでした。登りが延々続き大変疲れました。でも、だからこそ安土城の良さを実感出来ました。

2021年11月24日 磐城守taka11
安土城考古博物館[安土城  関連施設]

滋賀県立安土城考古博物館の入館料は@500円、JAF会員証提示で@400円 参考までに

2021年11月12日 るん山城守⛄⁠
安土城



JR安土駅からレンタサイクルで行きました✨駅からは、自転車で10分ほどです。考古博物館のホームページにあるレンタサイクルクーポン利用で3時間600円でした。(クーポン無しだと700円、2時間なら500円)

安土城跡への入山料金は700円。ここまでで、かなりお金を使ってしまったー😱とは思いますが、ここのお城はやはりそれ以上の価値があると思います✨

本丸へと続いていく石段の途中にある、秀吉さまの屋敷の跡など、立派な石垣を拝めます✨ひたすら石段を上がっていると、石段の石がいくつか仏さまだったりします😳細かいとこまで見ていると、楽しいですね☺️

本丸に続いていく道や天守跡は石垣パラダイスです🙂最後まで全く辛くない、ワクワクしかなかったです✨

さすがは、信長さまのお城ですね✨入城後はお手洗いや、自販機はありませんので、麓で忘れないように😀

紅葉の季節には、あと、2週ほどかかりそうな感じです。所々、オレンジ色に変わったもみじもありましたが、真っ赤に染まった紅葉を楽しみたい方は、もう少しあとのほうがよさそうです🍁

2021年10月24日 ばらく~だ
安土城天主 信長の館[安土城  スタンプ]

【信長の館】原寸大に復元された安土城天主の5階6階部分の展示と、安土城をCGで復元したショートムービーの上映があります。登城の前に見ておくと、リア攻めがより楽しめると思います!

2021年10月03日 Luke
安土城



信長公の石垣を是非堪能してください。もう少し草が枯れてくると、より楽しめると思います。

2021年06月02日 イオ右近衛中将
摠見寺[安土城  寺社・史跡]



摠見寺は織田信長が自らの菩提寺として安土城内に創建した寺院で、百々橋口から主郭部に至る登城路の途中にあります。天主や本丸が炎上した際には類焼を免れましたが、江戸末期に本堂を焼失し、現在は伝徳川家康邸跡に仮本堂が建てられています。二王門と三重塔は室町期の建立で、それぞれ国の重要文化財に指定されています。

2021年06月02日 イオ右近衛中将
天主台[安土城  遺構・復元物]



不等辺八角形の天主台には、地上6階・地下1階の壮麗な天主が建っていましたが、山崎の戦いの後、謎の焼失をとげました。現在は、穴蔵部分の礎石群と周囲の石垣が見られるくらいで、かつての天主の姿は(いくつもの復元イメージはあるものの)想像するしかありません。

2021年06月02日 イオ右近衛中将
本丸[安土城  遺構・復元物]



本丸は天主台、本丸取付台、伝三の丸の石垣に囲まれ、地面には本丸御殿の建物礎石が見られます。礎石の配列は内裏清涼殿に酷似しており、天皇行幸のためのものと考えられます。東虎口や南虎口の先にもまだまだ郭は続いていますが、残念ながら虎口の先は非公開です。

2021年06月02日 イオ右近衛中将
二の丸[安土城  遺構・復元物]



二の丸の周囲は野面積みの高石垣が取り巻いています。二の丸内には織田信長公廟所があり、羽柴秀吉が信長ゆかりの太刀、烏帽子、直垂などを埋葬したとされます。

2021年06月01日 イオ右近衛中将
伝長谷川邸[安土城  遺構・復元物]



長谷川邸と伝わる郭の奥には、織田信雄とその子孫四代の供養塔があります。

2021年06月01日 イオ右近衛中将
黒金門[安土城  遺構・復元物]



安土城最大の巨石を配した石垣造りの枡形門で、かつては鉄板張りの櫓門が建っていたとされます。

2021年05月31日 イオ右近衛中将
大手道[安土城  遺構・復元物]



大手門から本丸に至る主要道で、山腹まで直線的に延びる石段の両脇に石敷側溝、その外側には石塁を設けています。また、大手道のあちこちに転用された石仏が見られます。

大手道は山腹で西に折れ、七曲り状部を経て伝武井夕庵邸の北東から東に曲がりますが、この先は現在非公開です。

2021年05月31日 イオ右近衛中将
伝徳川家康邸(摠見寺仮本堂)[安土城  遺構・復元物]



徳川家康邸と伝わる郭ですが、現在は摠見寺の仮本堂が建てられています。通常非公開ながら、特別拝観では信長像や本堂襖絵が見られます。

2021年05月31日 イオ右近衛中将
伝武井夕庵邸[安土城  遺構・復元物]



信長の右筆であり、茶の師匠だった武井夕庵の屋敷跡とされる郭で、井戸や石垣が見られます。

2021年05月23日 大納言Z武蔵守369
仏足石[安土城  遺構・復元物]



昭和の初期に登山道整備工事の際に、付近の崩れた石垣の中から発見されました。

お釈迦様の足跡を表現したものです。

2021年05月23日 大納言Z武蔵守369
安土城

JR安土駅より徒歩25分。入山大人700円。天主へ登る道は石がゴロゴロ、段差も大きい箇所が多いので、貸し出している杖を使用した方がいいと思います。

2021年05月21日 イオ右近衛中将
伝前田利家邸[安土城  遺構・復元物]



数段の郭で構成され、大手道に面して櫓門と隅櫓があったと考えられます。門を入ると内枡形になっていて、三段の石垣の上には多聞櫓が建ち、多聞櫓に通じる石段を蔀石塁で隠しています。
枡形の奥には、主殿や奥座敷、台所・遠侍、厩が建てられていました。

2021年05月20日 【城郭道】たっきー
安土城天主 信長の館[安土城  スタンプ]



安土城考古博物館付近にある施設。内部には安土城天主5.6階部分が展示されている。是非、行っておきたいところ。

2021年05月20日 【城郭道】たっきー
安土城考古博物館[安土城  関連施設]



1992年開館。安土城の歴史、調査成果を中心に城郭と考古を主な展示テーマにしている。
ここから安土城は少し距離がある。

2021年05月20日 イオ右近衛中将
大手門西側上段郭[安土城  遺構・復元物]



発掘調査により井戸や建物礎石が確認されています。

2021年05月14日 大宰大弐たろすけ
安土城



凄い城跡だけど、それほど観光地化してないのが良い 登城料金700円は駐車料金だと思った方が良いと思います。
安土駅前の安土城郭資料館でスタンプ 御城印 ゲット出来ます。

2021年05月12日 オミト河内守
安土城



石段は一段一段かなりの高さですので、ゆっくり登り、さらにゆっくり降りましょう!
幻の天主跡や伝羽柴秀吉邸跡、伝前田利家邸跡など織田家ファンは必見です!

2021年04月23日 イオ右近衛中将
百々橋口[安土城  遺構・復元物]



史料に確認できる唯一の登城路で、摠見寺を経て主郭部に至りますが、現在はこちらからは登城できません。

道向かいには安土川に架かる百々橋があり、その脇には信長公の飛び出し坊やが設置されていました。さすが飛び出し坊や発祥の滋賀県ですね(笑)

2021年04月23日 イオ右近衛中将
南山裾帯郭[安土城  遺構・復元物]



大手口から百々橋口までの南山裾に東西に細長く続く郭で、発掘調査により2箇所の虎口が確認されています。

2021年04月23日 イオ右近衛中将
大手門跡[安土城  遺構・復元物]



安土城南口の門で、天皇行幸のため内裏にならって三門とし、その西に枡形虎口を設けています。

2021年02月24日 【城郭道】たっきー
(伝)羽柴秀吉邸跡[安土城  遺構・復元物]

大手道左側に位置し、敷地面積は約5000㎡。上下2段の曲輪群で構成され、下段部は屋敷の前庭で、櫓門や厩跡を確認。上段が屋敷地で主殿・台所などが建てられていた。 ディアゴスティーニ日本の城68巻より

2020年10月08日 まー刑部卿
安土城天主 信長の館[安土城  スタンプ]



【信長の館】復元天守の障壁画は著作権が存在するためSNS等に掲載しないよう表示されています。御注意下さい。スタンプはここで押印。JAFカード提示すると少し安くなりますが販売機で購入せず受付で申し出て下さい。

2020年10月08日 まー刑部卿
安土城



2回目の登城。前回も100名城で来ました。入城料700円が高いのか引き返す方も多く見られました。整備料と考えたら安いかと。また皆さん杖やストック等お持ちにならない方が多く見受けられます。石段は結構キツいですし足下も悪いのでトレッキングシューズや運動靴で行かれるといいと思います。
途中総見寺の鐘をつくことが可能です。お願い言のために鳴らしてみてはいかがですか?
これだけ沢山の方々が訪れています。案内表示の少なさが顕著に見受けられます。お城好きならともかくそうでない方のためにも『天守まで○m』とあるといいかと思われました。 昨日時点でトイレの隣の店舗の自動販売機は故障のため使用出来ずお店でもコーヒーしか販売していませんが入場ゲート前に自動販売機が一台設置されています。水分補給に購入されるとよろしいかと思います。
織田信雄以下4代の当主のお墓もありますのでお忘れなきよう。総見寺五重塔や仁王門を過ぎると下り勾配の石段があります。お下りになる際は最新のご注意を。

2020年09月22日 【城郭道】たっきー
安土城郭資料館[安土城  スタンプ]



資料館入ってすぐに100名城認定書があります。認定書見たい方はどうぞ。

2020年09月21日 【城郭道】たっきー
安土城郭資料館[安土城  スタンプ]



安土城郭資料館で御城印が発売されています。これ以外にも違う種類の御城印もあります。安土城リア攻めの際のお土産におすすめします。
一枚330円です。

2020年09月21日 刹那F精鋭渡島守【感謝】
安土城郭資料館[安土城  スタンプ]



模型の中に信長公がいた!小さいけれど風格があり、さすが信長!といった感じを受ける👮

2020年09月20日 【城郭道】たっきー
安土城郭資料館[安土城  スタンプ]



安土駅から徒歩1分のところにある安土城郭資料館。この中には二十分の一サイズの安土城天守の模型があります。開いたり閉じたりしてもらうことができるすごい機能を持った模型となっています。
入場料は大人200円、中学生以下100円となっています。御城印も売られているのでぜひ来てみてください。

2020年09月20日 のじっく
安土城

石垣が壮麗で天守が想像でき素晴らしかった。

2020年08月31日 くまなみ
安土城



本丸までの大手道はずっと石段続き、かなり段差がある所もあるので入口にある竹杖の利用は必須(降りる時)

2020年03月11日 和泉 権中納言 元就
安土城

コロナの影響で考古博物館は休館中
100名城スタンプは安土城跡の入り口でも押せる。
御城印がいる方は手書きのようなので登城前に頼んで置いて帰りに受け取りがいいようです。
安土駅前の城郭資料館なら観音寺城のスタンプも同時におせるが、入場料200円が必要

2019年06月02日 テツ
安土城

本日は、信長公の命日とあって信長祭り開催中でした。

2019年05月12日 風まかせ1号
安土城



大手道の石段は運動不足にはかなりキツイ。石段の所々にある石仏を拝みながらゆっくり天主閣へ。天主からは琵琶湖が一望でき、小谷城とはまた違う一面。帰りに受付に預けてきた御朱印帳に、記帳して頂いたおば・・・いや、お姉様の心意気で敦盛を頂きました!

2019年05月09日 カネゴン大膳大夫
安土城



大手道を登り眼下を見下ろして信長公と同じ気分を味わいました。右側は伝 羽柴秀吉邸跡左側は伝 徳川家康邸跡です。


2018年12月05日 ninja左京大夫
安土城

5年ぶり3回目の安土城です。トイレ無料と書いてありました。なんでこんな張り紙してあるのかなと思いましたが、有料だったんですね!信長の館も行って来ました。以前と変わったは、VRシアターで安土城が見れました。良かったです。安土城にある売店の200円で見れるのと同じだと思います。そこで見ようとおもいましたが故障中でした。


2018年12月05日 正三位権大納言播磨守
安土城

こんな凄い階段(角度のある)とは思わず、これを信長や有名武将が歩いていたかと思うとまあまあ大変だったと思う。でも感慨深く良かったです。

2018年08月28日 おわりのかみ式部大輔
安土城

安土城かく資料館で観音寺城と安土城のスタンプがどっちとも押せます。

2018年05月01日 紀伊守みつくん
安土城

初めての安土城跡。入山料700円で天守跡に行けるがかなりの段差の石階段で膝が笑うのは間違いない。100名城スタンプが信長廟前とあったが見当たらない。下山して入山料を払った受付にスタンプ発見。入山料を支払うとスタンプを押せる仕組みに変更されている。それ以外は資料館と信長の館にもスタンプは設置されてるようです。トイレが200円と有料なのが問題とされてるようですが、駐車場が全て無料なのを考慮すると妥当かと。

2017年08月18日 逢坂河内守義就
安土城

百名城スタンプを安土城郭資料館で押すには、入場料を払わないと押せません。入場料を払うカウンターに設置されていますが、絶対に押させてくれません。施設管理者の方針だそうです。同じ近江八幡市の施設ですが、信長の館では、無料です。大した展示もありませんから、スタンプ目的であれば、信長の館がお勧めです。ただ、車でないと行きにくいですが。

2017年05月11日 あまそう右衛門督
安土城

駐車場は道から入った右手に無料の駐車場があります。大手門跡の受付で入場料700円を払います。ここからはトイレがないのでそれまでにすませてください。大手道右手に総見寺【糸へんでなく手へん】があり、お茶を立ててくれてようかんと頂けます。500円だったかな?天守閣跡から展望台は蜂がいて行けませんでした❗仁王門からのくだりの石階段気をつけて下さいね、あとは緩やかに降りることができます。
素晴らしいところです❗

2017年04月15日 織田上総介晃司
安土城

安土城址に行く前に文芸の郷や安土城郭資料館に行くことを薦めます。往年の想像が膨らみますよ。

地元では内藤昌さんの復元案を採用しており、セビリア万博に出展した5・6階部の原寸復元もそうです。(写真は可ですがネットなどへのアップは不可)

安土城郭資料館の道は一方通行があるので気をつけて下さい。

先の方もおっしゃられてますがトイレは何処かで先に済ませておいたほうがいいです。(駐車場は無料ですが、ガイダンス施設内のトイレは有料)

2017年04月09日 近江守Silvine
安土城

安土城の駐車場問題ですが、4/1より市営駐車場も無料となりました。代わりに麓にあるガイダンス施設が有料(200円)になります。なお、施設内にあるトイレ、休憩所に入るのも有料になりましたので、近くで済ませてからお越しください。物産コーナーや展示などは充実させるようですが…、入るのが有料というのは…(^_^;)

2016年11月02日 近江守Silvine
安土城

安土城址は摠見寺の所有する土地なのですが、市町村合併後に市が寺に断りなく勝手に入場者収入を見込んで作ったのが有料駐車場です。そこから50m程奥に、有料駐車場に反発して摠見寺が作った無料駐車場がありますので、そちらに駐車される事をおすすめします。なお現在、和解に向けて話し合いが持たれているそうです。

2016年10月28日 片倉左衛門佐七之助
安土城

以前安土城へ登城したさい最寄り駅から大変迷いました 張り紙の通りに行くのではなく、地図で確認しながら交通に気を付けて行ってくださいね なお 安土城の石垣はタクシーの方いわく観音寺城から運んだのでは?という推測も頂きました

2016年10月27日 カーネル
安土城

観音寺城の麓の桑實寺から、安土城博物館脇を通り北西へ。東海道線をくぐります

桑實寺から20分で安土城の入口へ。ここの特徴は[山城なのに人が多い][山城なのに道幅が広いのですれ違いも追い越しも楽々]だと思います

もちろん石垣はかっこいいし、雰囲気がいいですよね。天守台からの眺めも好きです

下山して安土駅に戻り、観音寺城と合わせて4時間でした

この後水口城と水口古城と多賀大社に行きました。佐和山・彦根城と合わせて4万5千歩
荷物も重くさすがにバテバテでした

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

2016年09月09日 摂津守ぽぽた
安土城

本日時点、スズメバチは見かけませんでした。駅前の改修で信長像はどこかに撤去されたそうです。

2016年09月06日 紫瑠美明
安土城

安土城跡は今は700円掛かります。総見寺には、更に500円必要です。直ぐに城跡行かず、まずは資料館や、信長の館で情報を仕入れてから、向かうと良いです。何処に何があったのか?とか経緯などもわかり余計に、ロマン広がります。信長様が私の中で息づいてます。古えの昔、城近くに、いたかも、なんてね。

2016年02月14日 橘若狭守次郎吉
安土城

『信長の館』の復元天主は著作物なので記念撮影は可だが、ネットなどに公開は厳禁とのことですのでお気をつけください。

2016年01月01日 ソバッソ80.0
安土城

祖母宅から徒歩10分、登城料金が700円に値上してます。摠見寺さん(受付のおばちゃん)に聞くと、整備の為に本日から値上との事。ホンマかいと愚痴りたい気持ちを抑え、嫡男をショイコして登城開始。百聞は一見にしかず、足を運び総石垣城郭の走りをご堪能あれ

今回の口コミは地形に関して

信長の居城にしては防御が弱い気がします。地元民(祖母友)に聞くと明治に食料確保の為、琵琶湖を干拓し農地化したと。明治以前の俯瞰図を確認すると大手口のギリギリまで湖が迫ってます

当時どうやら湖と山で天然の要害になっていたようで長浜、坂本、大溝、安土と琵琶湖を東西南北に移動する水路が完成。噂では上杉謙信にかなりビビっており、謙信が上洛する際に琵琶湖の東側は通らないだろうと安土に居城を作り、もし北陸から安土方面に侵攻されても水路で方々に逃げるルートが出来るそうで琵琶湖が城郭手前まで来ていた証拠(になるかどうか)に、琵琶湖に生えてる葦が城郭すぐ側の湿地帯に自生してます。

てな妄想してみました。謙信の件は怪しいですが、水路を活用する縄張りやったんではないでしょうか。

2015年12月28日 鎌倉又兵衛《》勘解由長官
安土城

百名城スタンプについて。

月曜と年末年始は、安土城天主信長の館、安土城郭資料館ともに休みで、残るは安土城跡受付とものの情報にはありますが、実は山上の二の丸信長廟までいかないとおいてありません。

やむなく大手道を駆け上がりました。
2015年12月28日月曜日…



2015年10月12日 
安土城

パンフレットには 伝信長公所有 重要文化財の「まけずの鐔」が城址のそう見寺所蔵 となっているのに チケット売り場のおばちゃんたちは「そんなんあったかなあ?」って どうなん?

2014年09月01日 太政大臣 大神信貫
安土城

安土駅前の安土城郭資料館に日本百名城のスタンプ、安土城と観音寺城の2つあります。押したい人はここが良いでしょう。

2014年08月14日 YMTKM
安土城

駐車場は9時~ですが、並んでいると管理人さんが8時位に開けてくれます。料金は24、4月から有料になったようで510円かかります。
無料もあるようですが数台ですし、夜間は閉鎖されてます。県外から来て朝一にと考えてる方、夜中に止めておけません。トイレも鍵がかかっていて使用不可です。

2014年05月06日 婆裟羅褫顕近江守推参
安土城

↓前回の口コミより更にバージョンアップされ
「高精度シアター型バーチャルリアリティ安土城」
が完成されたそうです。

15分程で天主などを紹介するダイジェスト版と、

織田信長や羽柴秀吉らの視点で城内を巡るマニュアル版の二つ。

マニュアル版ではコントローラーを操作して城や城下に移動することも可能。

6月の信長まつりのプレイベントで披露される予定だそうです。
5月6日発行京都新聞より

2013年11月14日 婆裟羅褫顕近江守推参
安土城

本日発行の市の広報誌にて。
12月1日より、アプリ『VR安土城タイムスコープ』にいよいよアンドロイドバージョンが開始されるそうです。
これでスマホ持ちの方なら誰でもお越しの際には 楽しめますね♪


2013年09月19日 上総介あきおう
安土城

安土駅前の安土城郭資料館の方のお話によると、9月16日の台風18号による大雨で、三重塔〜仁王門の先の道が崩壊し通行止めになっているそうです。
本丸方面は問題ないとのこと。
行かれる方はご注意ください。

2013年09月08日 中務卿一之介
安土城

他の方も書かれていますが、先に城郭資料館や信長の館などに行って、基礎情報を頭に入れてから、城跡に行くのがオススメです。

たとえ雨でも、悲観することはありません。私のように、広大な安土城を独り占めできるかもしれません。

石垣がかなり残っていて、石垣好きにはタマラナイです。

2013年08月07日 御城左衛門督
安土城

伊勢安土桃山文化村の模擬天守は安土城のフォトが混じってますね( ̄O ̄;)

2013年08月06日 長門守みはえる
安土城

現在の安土城の天守閣をアップしてる方いますが何処なんでしょう!?

2013年05月04日 尾張守ひろっちぃ
安土城

登り口から本丸跡まで整備された石の階段が続いており登るのは楽ですが、山城に登ってる感覚が感じられず、物足りない感じです。

安土城の口コミにもあるように蜂やマムシが出るらしく随所に注意を促す看板が有ります


2012年10月21日 ばしこん
安土城

スタンプ押したいだけの場合は、安土駅前の資料館で良いです。城を見たいとなると、駐車場+登山料金で合わせて1000円掛かります。

2010年12月12日 ぐに之助刑部少輔次の石垣へ
安土城

総(字が出ません)見寺には、信長さまの木像と、肖像画的な絵があります〜信長さまファンは必見

2010年11月06日 大ふへんもの
安土城

以前、来たときには拝観料500円を徴収されまたのですが、今は駐車場代で更に500円徴収されました(-.-;)
そう見寺も有料ながら見学出来るようになったようです。

2010年09月19日 古楽侍従広家
安土城

細かい説明がついていますね。天主の石垣は昭和の始めに積み直しが行われていて、信長の時代そのままではないそうです。

2010年09月07日 堀久太郎秀政
安土城

夏のこの季節、安土城跡の二の丸跡には、マムシ、アオダイショウなどの蛇が多数いますので!御用心ください!ちなみに、俺っちのジョギングコースです!の季節は、最高です!

2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
安土城

[武将像]織田信長像
JR安土駅前に立像が鎮座。

安土城の周辺スポット情報

 黒金門(遺構・復元物)

 天主台(遺構・復元物)

 天守閣跡(遺構・復元物)

 (伝)羽柴秀吉邸跡(遺構・復元物)

 大手門跡(遺構・復元物)

 三の丸跡(遺構・復元物)

 伝前田利家邸(遺構・復元物)

 百々橋口(遺構・復元物)

 東門(遺構・復元物)

 南山裾帯郭(遺構・復元物)

 大手門西側上段郭(遺構・復元物)

 仏足石(遺構・復元物)

 伝武井夕庵邸(遺構・復元物)

 伝徳川家康邸(摠見寺仮本堂)(遺構・復元物)

 大手道(遺構・復元物)

 伝長谷川邸(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 寺社門等礎石の転用石(遺構・復元物)

 相撲モニュメント(碑・説明板)

 津田信澄・森蘭丸邸跡(碑・説明板)

 織田信忠邸跡(碑・説明板)

 伝森蘭丸邸跡碑(碑・説明板)

 搦手と大手道の交差点(碑・説明板)

 安土城址石碑(碑・説明板)

 特別史跡 安土城跡説明板(碑・説明板)

 摠見寺 三重塔(寺社・史跡)

 摠見寺 仁王門(寺社・史跡)

 摠見寺(寺社・史跡)

 瓢箪山古墳(寺社・史跡)

 常浜(常楽寺港)(寺社・史跡)

 浄厳院(寺社・史跡)

 沙沙貴神社(寺社・史跡)

 大中の湖南遺跡(寺社・史跡)

 安土城郭資料館(御城印)

 安土城郭資料館(スタンプ)

 安土城天主 信長の館(スタンプ)

 安土城跡ガイダンス・休憩所(スタンプ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 安土城考古博物館(関連施設)

 安土駅観光案内所(関連施設)

 織田信長像(その他)

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